【088】大尉、会議に護衛として付き従う
共産連邦の特務大使エヴゲーニー・スヴィーニンは、レオニードとは似ても似つかぬ、ずんぐりとした中年男性だった。もっとも人を見た目で判断してはいけない。特務大使とかコネとか七光りとかでなれるもんじゃないから。間違いなく優秀な人だ。
国家としてまだ承認されていない新生ルース帝国(仮)からやってきた特務大使(仮)イワン・イーゴレヴィチ・ストラレブスキー。
こちらは背が高くすらっとしており、癖の強いダークブロンドの頭髪が肩口まであり、それを無造作に一本にまとめているという、いかにも貴族らしい人物。いや、皇族だろうけどね。でも皇族なのかな? 皇子の息子だけど……まあいいや。
このイワン、閣下の五つ年上なんだそうですが、皇太子レースで負けたとのこと。
イーゴリ皇子は優秀だったのだが、子供が自分を越えるのを嫌うタイプだったそうで……ああ、そういう親いますね、うん。そういう性格なので、イワンが皇帝になるのを嫌い、足を引っ張るというか、閣下をルース皇帝に推したんだって。
シャルルさんに言わせると「イーゴリの推しがなくても閣下だったでしょう」なのだが、イワンはそう思ってはいないらしい。
閣下を皇太子に据えたのは亡きルース皇帝なんだから、そっちを恨めば? と思うのだが、いまは閣下の名声の高さを憎んでいるんだって。
いや、なにをどう憎んでるんですか? なのだが、閣下が連合軍の総司令官となり、戦争の天才とか常勝不敗などの名声を得ているのが、悔しくて仕方ないとのこと。
実際、閣下が二十代前半の若さで総司令官の座に就いたのは、亡国ルースの皇太子だからという理由もたしかにあるが、普通やりたいか?
二十二、三歳で史上初の十八カ国連合軍とかいう烏合の衆を率いて、十五倍の兵力に立ち向かうんだぞ。わたしだったら替わりたいって言っている人がいたら、すぐ預けて逃げるわ!
もちろんまとめ上げて引き分けという名の勝利を収めたので、閣下の名声が教科書レベルになったわけですが。
それでイワン、自分だって総司令官になっていたら、同じような勝利を収めることができた! と……うん、そうだね、言うだけなら誰でもできるよね。
シャルルさんの軍人としてのイワンの評価は「単一民族国家の総司令官なら務まるでしょうが、連合軍の総司令官は無理ですね」とのこと。
それはそれで凄いですねーと言いそうになったのだが、ルース帝国は国土の広大さからも分かる通り、複数の民族を抱えている謂わば連合国家。連合軍をまとめ上げることができない=連合国家の元首には不適ってこと。
シャルルさんの評価が低いイワンが出席する会議に臨んだわけです ―― わたしは閣下の護衛としてね。
会議はほとんど分かりませんでした!
各国の大使は自分の国の言葉で喋るじゃないですか。それを連れてきた通訳がその場で翻訳して……ですが、護衛に通訳なんて付かないし、漏れ聞こうにも閣下は通訳がいなくてもほぼ理解できるので、ほとんど通訳に話し掛けていなかった。
閣下が自動翻訳機能そのものだった! ……少しは努力しような自分。
わたしに分かったのは、フォルズベーグの王女の演説くらい。
王女はセシルという名前で年齢は十八歳。
涙を堪えて壇上で故国の窮状を訴え、手を差し伸べて欲しいと演説した。ただ演説が終わっても拍手一つ沸かなかった。
演説は上手くはなかったが悪いものでもなかった。だが現実問題として助けようがない。
拍手して同意を表すわけにはいかないのだ。
特務大使のイワンも演説しましたよ。こちらの演説には、ちらほら拍手があった。
ルース語なのでなにを話しているのか、ほとんど分からなかったのだが、非常に堂々としていたのが印象的だった。
きっとこのまま新生ルース帝国が承認されてしまうのだろうなと思っていたら、シャルルさんの故国 ―― というと、ちょっと語弊があるのだが、元故国であるノーセロート帝国の特務大使が、フォルズベーグ王国に援軍を送ると言いだした……とのこと。あとで教えてもらった。
「やはり来たか」
閣下はそう呟かれていた。想定内の出来事らしい。
ノーセロート帝国の特務大使が演説をしていると、我が国と規模が同程度の小国の特務大使が、ヤジといいますか怒鳴りつける。
もちろんそんなことに怯むはずもなく、ノーセロート帝国の特務大使は演説し、セシル王女は翻訳を聞いて涙ながらに特務大使の手を取った。
「終わったな」
閣下の呟きは的確で、以降会議はぐちゃぐちゃに。その騒ぎを見ている共産連邦特務大使の笑顔が憎らしく、腹パンの一つくらい決めたくなった。もちろんしませんが。
ちなみに共産連邦特務大使は、新生ルース帝国に関しては無関係だと主張していた。
あー、なんかやられっぱなしで終わるのかー。いや、仕方ないんですがねー。
なんと言いますか……仕方ないんですけどねー。
『ヴァーニャ、アリョーシャは元気か』
閣下が唐突に円卓の向かい側に座っているイワンに声を掛けた。
ざわついていた議場が、一瞬で静まり返る。
ちなみにイワンに話し掛けたことは分かったが、あとは分からない。アリョーシャはきっとアレクセイのことだと思いますがね。
『ツァーリ・アレクセイはお元気ですよ、ツェサレーヴィチ・アントン』
『そうか。ならば良い。邸にアリョーシャが好きだった菓子や酒を用意した。帰国前に寄っていけ』
『ではありがたく』
『ところでヴァーニャ。ひとつ聞きたいのだが』
『なんでしょう? ツェサレーヴィチ・アントン』
『ロスカネフ、アディフィン、さらにはドネウセス半島諸国、どこにもフォルズベーグの聖職者たちが逃げた形跡がないのだが、なにか知らぬか?』
閣下はゆっくりと共産連邦特務大使のほうを見られた。にやにやしていた特務大使が、一瞬にして表情を凍らせた。
『残念ながらわたくしは存じませぬな』
閣下はイワンではなく、共産連邦特使のほうを向いたまま話されているのだが、イワンが答えている。
『そうか。フォルズベーグの聖職者が無事であれば、わたしも教皇に話を通せるのだがな』
『なにを通されるのですか?』
『いないのであれば、語っても無意味だ、ヴァーニャ』
『聖職者を無事にロスカネフにお届けすればよろしいのでしょうか? ツェサレーヴィチ・アントン』
『したいようにするがいいヴァーニャ。フォルズベーグの聖職者の話は終わるが、新生ルース帝国の国派を表す聖印はどうするつもりだ。申請するのは、なかなか面倒だぞ』
『それが面倒なのは、よく知っております。ですので旧来のものを使わせていただきたいのですが』
『アリョーシャが皇帝と名乗ってしまったから無理だな。段階を踏んでいれば可能だが。皇帝を名乗る前に相談すべきであったな』
『然様ですか。難しい話ですね』
『新国家がうまく動くといいな、ヴァーニャ。この枢機卿たるリリエンタールが神に祈っておいてやろう』
閣下はイワンのほうに向き直った。
イワンの表情はよく分からん。さすが皇族で、特務大使としてやってくるだけのことはある。
『エヴゲーニー・スヴィーニン特務大使、久しぶりだな』
あれ? 閣下、今度はイワンのほうを見たまま、スヴィーニン本物特務大使に声を掛けたっぽい。
ん? ……なんか意味あるんだろうな。
わたしがスヴィーニンのほうを見ると、表情は厳しめに戻っていた。あの腹パンしたくなるにやつきは何処行った?
『わたしがリリエンタール特務大使に会うのは初めてですが』
『そうか。それは残念だ』
『残念?』
『分からぬのであれば良い。北シビルの冬は厳しい、体に気を付けるがいい』
北シビル……ああ、ルースの超流刑地ですね。極寒の北国である我が国よりも緯度が高い寒い大地。共産連邦でもすっごい使われているらしい流刑地。
送っても送っても、人が溢れださないのは、お察しの通り ―― 環境が厳しすぎて送られた人がすぐに死んでしまうからです。
『どういうことですかな? リリエンタール特務大使』
『さあな。ネスタに聞けば分かるのではないかな』
なにを話しているのか分からないのですが、議場が一時的に北シビル気候になったことだけは分かった。国際会議の場、怖すぎる。




