【063】大尉、再現する
アーレルスマイアー大佐が「分かりますが、襟元は」と、キース中将に手を離すよう促してくれたことで、首元は自由になったが叱責は続き ―― やってきた室長が、まあまあと宥めてくれた。
「お前にも色々と言いたいことがあるぞ、テサジーク」
「分かってますよ、キース中将。ですがそれは後回しでいいですよね。おはよう、大尉。キース中将は大尉のこと、リヒャルトと同じくらい心配していたんだよ。だから怒っても許してあげてね」
「ご心配をおかけ……」
「勝手に心配していただけだ! まんまと術中に嵌まりやがって。お前は白兵に関しては一騎当千だが、諜報戦はからっきしだ! 苦手分野には二度と首を突っ込むな!」
「まあまあ、キース中将。大尉の記憶が鮮明なうちに、聞かないと。無駄になってしまうよ」
室長の言葉にキース中将は叱責を止め、
「報告が終わったら、話がある。いいな、クローヴィス大尉」
「はい、閣下!」
そう言って部屋を出ていったのだが……補佐武官って、外国で情報を集める、要するに諜報部員ですよね。
……あの、その……。無理だと思うんですけれど。
「こっち来てくれるかな、大尉」
わたしの困惑など全く気にしない室長に案内された先には、昨日レオニードと食事をしたレストランの個室が再現されていた。
「ここで昨晩の言動の全てを再現してもらうよ」
「はい」
「なにか足りないものあるかな?」
再現された個室を見て周り、パウダールームでドレスに着替えたこと、その際拳銃を取り上げられたことを伝える。
「そのドレスは?」
「小官の部屋にあります」
「勝手に入って、持ってきてもいい?」
「どうぞ。フロックコート一式は、テーブルクロスで包んだまま、ベッド脇に置いております」
軍人はプライベートがない生き物である。
もっとも、既に荷物を整理しているので、散らかっていないので気にはならない。かつて勝手に出張用の鞄をオルフハード少佐に持ち出された時よりはマシ! 慣れてしまったのかも知れないけれど。
「じゃあ、ドレスが届くまで、今朝の出来事を教えてくれる?」
「はい」
室長が言うには、レオニードが掛けた電話を盗聴しており、中央駅の前でリドホルム男爵 ―― ではなく、私服を着たロヴネル准尉が待機していたのだそうです。
だがわたしは現れず、専用列車は走り出した。
「そっちから侵入したのか。凄いねー、大尉。うちに補助ありとは言え、あの操車場の壁を飛び越えられるのいる? カミラ君」
「おりません」
「小官、大きいもので」
ロヴネル准尉は専用列車が走り去っても、駅前で待機していたのだそうだ。
そうしていると駅舎から、出勤したばかりのデニスが出てきて、タクシー馬車に乗り込みどこかへ。
デニスがわたしの弟であることは、諜報部の皆さんご存じなので「弟が奇妙な動きを」と、中央駅の道を挟んだ向かい側のホテルの一室という名の、諜報室から無線で連絡を入れた。
デニスはそれに気付かずに中央司令部に向かってくれ、キース中将にわたしからの伝言を伝えてくれた。
「大尉を見失っていたことが判明して、キース中将に凄く怒られちゃった」
「済みません」
「いいの、いいの。見失ったわたしたちの失態だし、総司令官からの叱責は当然のことだから」
こんな大事になるとは、思わなかったんだ。
「あの、室長。一つお聞きしたいのですが」
「なに?」
「昨晩、突然リリエンタール閣下がいらっしゃったのは、本当の作戦を小官は聞かされていなかった……ということで、よろしいのでしょうか?」
閣下が来ると分かっていたら、わたしはもっとぎこちなかっただろう……昨日の動きが滑らかだったかと問われると答えられないが、やっぱり見られるの嫌じゃないですか。
「それかい。それは大尉が向かってから、キース中将が反対したから変更になったんだよ」
「中将閣下が?」
「うん。嫉妬に狂った女を送り込んだら、女性である大尉がなにされるか分からないって。キース中将が言うと、とにかく説得力があるだろ」
そうですね、室長。キース中将のそういう修羅場はまだ遭遇したことありませんし、一生遭遇したくありませんが、過去何度もあったと聞いたことが。
「影武者を突入させるくらいなら、キース中将が突入するって言いだしてさあ。軍内においてはキース中将のほうが発言権強いじゃない。どうしようかな? と思っていたら”ならばわたしが行く”ってリヒャルトが言いだしたのさ。キース中将がリヒャルトになら譲ってやるって言ってね。驚かせちゃったね」
「はい、驚きました」
キース中将が来ても驚きますけれど。
「でね、大尉。実は大尉はリメディストでもあるレオニード・ピヴォヴァロフに、操られたんだ。どうだった?」
「……」
「いやいや、恥ずかしがることないよ。わざと術中に嵌まらせたんだから」
「え?」
「どういうものなのか。一度身を以て経験してみないと分からないからね。おそらく大尉は、自分で考えて行動しているつもりだろうけれど、選択肢をレオニード・ピヴォヴァロフによって、極端に減らされていたんだよ」
ここで「少しは気付いていました」などと、虚勢にもならない虚勢を張ったところで、どうしようもない。
それにきっと、室長は誤魔化せない。
「全く気付きませんでした」
「素直だね、大尉。それが大尉の美の源だから、その素直さを大事にしてね」
「あ……はい」
なんというか、室長は分からない人だなあ。
それで室長の話では、最初の段階、独身寮に届いた「シキュウジッカヘ チチヨリ」という偽電報からの、馬車買収により公園のガゼボへと向かったのだが、この時点でわたしの思考は「家族になにかあったのでは?」と、深い所で考え、引き返すという道を選べなくなっていたのだそうだ。
「これが”一人で来ないと、家族の命の保証はしない”などという攻撃的メッセージなら、大尉は間違いなく助けを求めた筈だよ」
ただ、なにか危機的なことだとは考えなかった。それはやはり文面によるものが大きい。
呼び出したレオニードはわたしを直接的には脅さなかったが、軽度の顔見知り ―― 買収されたタクシー馬車の馭者を殺害し、その凶暴性を匂わせた。
「それほど深刻ではないが、自分をダイレクトに裏切った者だから、憎悪というのはわき上がらないんだよね。ほぼ時間をおいていないから、胸の奥に燻りとかあるじゃないか」
「ああ……」
他にも色々と教えてもらっていると、わたしの部屋から持ってきたドレスとフロックコート一式を手にマルムグレーン大佐がやってきた。
そうだ! レオニードの指のこと、みんなに喋っていいのかな?
全部報告するのが筋だとは思うのだが……。
「マルムグレーン大佐。見せてもらっていいですか?」
「ああ。こちらの部屋で確認し、フロックコートに着替えてくれ」
「準備してまいります、室長」
「頼むね、大尉」
パウダールームを模した空間で、マルムグレーン大佐に小声で尋ねる。
「レオニードの指のこと、言っていいのですか?」
「確認できたのか?」
「はい」
「……誤魔化せるか?」
やはり公表して欲しくないんですね。
「さあ。閣下や室長の目を誤魔化せる自信はありませんが、忘れたということで流してみます。あまり期待しないで下さいね」
「問われたら答えてくれていい。それで指は?」
「間違いなく義指でした」
「そうか、感謝する」
「感謝は言葉ではなく、食い放題でお願いします」
「食い放題……分かった」
食い放題とは言ったけど、少しは遠慮しますから、心配しないで下さい。
「大尉」
「はい」
「昨晩のことは感謝するが、今朝のは……あとで、存分に叱られてこい」
「あ……はい」
フロックコートに着替えて、テーブルが置かれた部屋へと戻る。
「不本意だ」
「身長や体格が一番近いから、我慢してもらえると」
部屋には黒のタキシードに着替えたキース中将と、宥めている室長の姿が。
「キース中将にレオニード役を演じてもらうよ」
レオニードよりも、ずっと格好良いですよキース中将。
準備が整い、キース中将がレオニード役を演じ、昨晩個室であったことを、仕草込みで再現した。




