【056】大尉、認識間違いを指摘する
「なにがあったか話せ」
激情を押さえ込んでいると分かる、低く人を怯えさせるような声で問われた。もちろん隠すことなどないので、電報を受け取ったところから余すことなく話した。あと感情とか感想は一切述べてはいないよ。
こんな感じの相手に、自分の考えとか感情を混ぜると、怒鳴られるから。
「その招待状を寄越せ」
手首の近辺に仕込んでいたらしいナイフを、マルムグレーン大佐は手に握っていた。いったい何時の間に取り出したの! 怖いなー。
わたしの恐れなど、全く気にせず、招待状の封を切って中身を取り出したら、即座にぐしゃぐしゃにした。
狼の瞳ともいわれるアンバーの瞳が、怒りで色が濃くなってるような気すらするよ。
「大佐?」
ぐしゃぐしゃになった手紙を突き出されたので、開いて手に取り目を通すと、そこには「正式な招待状は、独身寮に届けるよ、イヴ。Л・Л・Пより」……ぞわぞわしても良いですか? 背筋に悪寒が走っても許されるよね! なにこれ、怖い。
そしてЛ・Л・Пって、なんで本名のイニシャル書くの? この男。Леонид・Леонидович・Пивоваровとか要らんから!
「ちっ!」
マルムグレーン大佐の舌打ちが超恐い。
気温よりも容赦なくわたしの体温を奪っていきます。
「大佐。小官は急いで独身寮に戻ります。招待状は明日持って登庁いたしますので。対処のほどお願いいたします」
レオニード絡みなんて、わたしが対処していいものじゃないからね。
「大尉」
「はい、大佐」
「その招待、受けてくれ」
その招待とは、明日のディナーのことだよね。わたしとしては、危険物に近寄りたくはありませんが、命令なら従いますとも。虎穴に入らずんば虎子を得ずとも言いますからね。
「ご命令とあらば」
眉間に皺を寄せて、かたく目蓋を閉じ、握り閉められた手は、黒の革手袋が音を立てている。
「閣下が許可するはずなかろう」
「上官の命令を無視しろと仰るのですか」
軍人ですので、上の命令は絶対なのですけれど。敢えて背けと……元帥の命令に背くの? ムリではないでしょうか?
軍帽を手で押さえて、マルムグレーン大佐が俯く。
「そう……だな。済まない、忘れてくれ」
憎悪ではなく、どちらかというと絶望に近いような声をマルムグレーン大佐は吐き出した。表情は見えないのだが、わたしの返事にとても傷付いたような ―― シーグリッドと一緒に見てしまった、礼拝室にいたときの大佐だった。
わたしが無情な人間みたいじゃないですかー!
「大佐、ピヴォヴァロフは小官と接触し、なにをしようとしているのですか?」
無情なわたしはともかく、大尉ながら実情は少尉のころと変わらないわたしに接触して、あいつは一体なにをしようとしているのでしょうかね!
「大尉から情報を引き出すつもりだ」
「小官からですか?」
わたしから引き出せる情報なんて、ごくごく僅かじゃないですか! それに、わたし、もうじきブリタニアスに行くのですが。
「大尉を落として、色々な情報を集めさせるつもりなのだろう……以前の俺と同じようにな」
わたしを落とす? ……それは気を失わせる的な落とすではなく、いわゆる偽装恋人というヤツですか。
マルムグレーン大佐と同じというのだから、そうなんでしょうねー。
どんだけわたし、交際男性に口軽いと思われてんだ?
そしてどれほどわたし、簡単に落ちると思われ……ま、まあ、そこはあまり否定しないけどさ。
「小官って、よっぽど男欲しそうな顔してるんですね……ちょっと情けないです」
偽装恋人の標的に選ばれやすいって……要するに彼氏いないと一目で分かる系……そりゃまあ、そうなんだけど傷付くわ。
「俺が大尉にしたことに関しては謝罪する」
「いや、それは結構ですが」
今更謝罪されても……というより、腹パンしたので、それに関してはもう。
「標的の選び方というものがあってな。長年の恋人に浮気された女、これは恋人の浮気相手も仲間である場合が多い。他は家族に省みられない女。そして処女。大尉は三番目にあたる」
うあああああ! レオニードにまで、処女って知られてるとか、もはや首括ってもいいレベル!
「なんでピヴォヴァロフに知られてるんですかね」
「言うのもなんだが、大尉は一目で分かる」
そういう眼力、どこで養うんですか? いや、養いたいわけじゃありませんけれど。
「レオニード・ピヴォヴァロフは、情報を集める目的で女を落とすが、容姿にもこだわりがあり美しい女を好む。女王も美しかっただろう」
おい、最低な男だな、レオニード。そして……うん、女王はお綺麗でした。さすが乙女ゲームの攻略対象の婚約者だっただけのことはありますとも。
「女王が美しいのは分かりますが、小官は美しくもなんともありませんが」
「……」
なにその残念なものを見るような眼差し!
あれか! 美しいと言ってやったのに、正面から否定する態度に呆れたのですか!
仕方ないじゃないですか! 言われ慣れていないんですから!
「大佐のように、美男子と言われ慣れている人とは違うのですよ」
「俺が言うのもおかしいが、大尉は美しいぞ。そこは自覚しておけ」
その、とってつけたフォロー要らないです……ん?
「大佐に美しいと言われるのはありがたいですが、ピヴォヴァロフに美しいと言われましても、嬉しくも何ともないです」
褒められたことに関し、感謝だけはしておこう。
「そうか」
……あれ? いや……もしかして。
ちょっと引っかかるな。
「大佐。小官は帰ります」
「分かった」
「あの……キスされたことは、内緒にしておいてくれませんか?」
「キスされたのか」
「はい」
「わかった、内密にしておく」
キスされたところは、マルムグレーン大佐には見られていなかったようだ。良かった!
あとは乗ってきたタクシー馬車と銃声について話してから、独身寮へと戻った。
当直がいる受付窓口で手紙を渡され、部屋で開けると、待ち合わせ場所と時間、そこに馬車を待機させるという内容が記されていた。
軍服を椅子の背もたれに掛けて、ベッドに寝転びながら招待状を眺め、公園での出来事を反芻する。
「……おそらく……」
明日、この誘いに乗ってみようと思う。きっと反対されるだろうが……押し切ってみよう。
そして翌日、わたしは対策会議の場に呼ばれた。
「情報を得られそうなんだけど、反対だよねえ」
会議に正式に出席している人以外で、室内にいるのはわたしとマルムグレーン大佐だけ。
もちろんわたしとマルムグレーン大佐には発言権はなく、昨晩の事情を説明するのみ。将校たちにレオニードからの招待状を提出し、どう対処すべきかを話し合った。
室長は全力で補佐するから、接触して欲しいなと言っていましたが、他の方々は皆反対でした。
ほら、女王がレオニードと関係を持ったことみんな知っているので、また女をヤツに差し出すなど以ての外だと。
だが、室長が賛成よりなら、いけるかもしれない!
「発言を許可していただきたいのですが」
将校の会話に割り込まなくてはならないって、厳しいわー。
「どうした? クローヴィス大尉」
「あの……皆さま方に、正直に答えて欲しいことがあるのです」
「なんだ? クローヴィス大尉」
「皆さま方、小官を初めて見たとき、女だと認識できましたか?」
会議室の時間が止まったわー。
全員「ぴしっ!」とかいう音を立てて硬直してるよ!
「答えが必要なのか? 大尉」
閣下が若干怒ったような声で……必要なのです、閣下。
「はい」
「そうか。わたしは最初から女にしか見えなかったが」
ありがとございます、閣下。初めて会ったときは女子を表すゼッケンつけていましたし、胸も若干膨らんでましたから、閣下なら分かって下さったかもしれません。今は筋トレ本気出し過ぎで、膨らみなくなったけど。
「閣下以外の方は?」
「まあ、正直に言えば、女だと聞いて驚いたな」
ヒースコート准将、ありがとうございます。それが素直な感想です。
口元を手で隠して視線を逸らすの止めてください、キース中将。
「なんというか……まあ、そうだな」
言葉を濁しまくるオットーフィレン准将。だから正直に言えと……もちろん、そんな台詞言えませんが。
「ヒースコートが言うように、驚いたのは確かだ」
よし、驚いたことを認めましたね、ガイドリクス殿下。
室長とは目が遭ったら「にこっ」とされた……うん、まあ、室長はちょっと普通の人とは違うから、答え貰わなくてもいいや。
「金髪で緑色の目をした、背の高い男のような女。小官を端的に言い表すと、こうなるのですが、この説明を聞いた人が、小官を見て”説明された女だ”と理解することはほぼありません」
”男のような女”。わたしは”のような女”が付くことにより、認識されなくなるのー。
「それで?」
閣下のご機嫌が斜めっぽいのですが、話を続けさせていただきます。
「室長に伺いたいのですが」
「なんでも聞いて」
「レオニード・ピヴォヴァロフが男性と性的関係を持ち、情報を得たことはありますか?」
もの凄く情けない話なのだが、レオニードがわたしを女だと認識し落とそうとしている……という前提そのものがおかしいのだ。わたしを男だと思って声を掛けてきたと認識したほうが自然。
「ん……聞いたことはないよ。まあ、無いんじゃないかな。でも大尉の言いたいことは分かったよ。そっか、レオニード・ピヴォヴァロフがどうやって大尉を女性だと知ったのか……ってことだね。大尉とレオニード・ピヴォヴァロフが接触した形跡はないから。おや?」
ぶっちゃけ、レオニードが両性愛者でも良いんです。そいつは個人の自由なので。
そしてがっちり身辺調査されてて良かった。諜報部の容赦ない身辺調査により、わたしは共産連邦幹部と接触がなかったことが、国に認められている……処女は犠牲になったんだ!
処女なことを、みんなに知られるという羞恥プレイでしかない状況なので、そう思うしかない。
「レオニード・ピヴォヴァロフが小官を女だと思っているのか、それとも男だと思っているのか。それを今晩の招待で確かめたいのです」
ただわたしを女だと認識して、落としにきたのだとしたら ―― 思い当たる節がある。




