【055】大尉、呼び出される
三週間後にブリタニアスへと向かう ―― ブリタニアス君主国に関してはほとんどなにも知らないので、ブリタニア語、風習や歴史などを勉強しておこうと思ったものの、仕事が忙しくてそんな暇はなかった。
「勉強は蒸気機関車の中で充分だろう」
車窓から異国の風景を楽しむなどという、優雅な時間は与えてもらえないようだ。当たり前と言えば当たり前か。
ちなみに上記の台詞はディートリヒ大佐のもの。
ディートリヒ大佐はアディフィン王国の南東バイエラント大公領まで、わたしたち補佐武官と同行するのだそうだ。
彼の地でなにか仕事があるらしい。
詳しいことは、もちろん聞いていない。聞けるはずない。
わたしの現在の役職はガイドリクス大将改め、王太子ガイドリクス殿下の秘書官……という名の小間使い。
ブリタニアス君主国出発前日に行われる、ガイドリクス殿下の即位式典の準備を手伝いつつ、始まった対共産連邦会議の連絡係を務める。
わたしは本当に連絡係なので、なにを話しているのかは分からない。
セシリアのことなどは、後日教えてもらえるそうだ。
ちなみに会議の出席メンバーと階級だが、国王に就くので、儀礼を執り行うために元帥に昇進したガイドリクス殿下。
幕僚長に昇進し陸軍の責任者となった中央司令部のキース中将。
北方司令部のヴァン・ヒースコート准将、東方司令部ヴァン・オットーフィレン准将、そして室長の将校の面々。
その他南方司令部ミルヴェーデン大佐、西方司令部ヴァン・イェルム大佐。
前の海軍長官だったヴァン・フィゴ退役中将と、海軍を一時預かっているビュルヘルス大佐。
あとは各人が信頼し、諜報部の調査で問題ないとされた部下を、一名から三名伴い出席している。
そして国防元帥に昇進なさった閣下。……閣下、他の国の元帥位と重複してますけど、いいんですか? いいんでしょうね。
それとアンバード少将はいませんねー。アンバード少将がオルフハード少佐でも、わたしは驚きませんけどね。むしろ、その線が濃厚。……といいたいが、オルフハード少佐ってわたしよりは年上だけど、キース中将よりはずっと若いと思われる。
それで少将って……。
ちょっと話はそれたが、メンバーは以上。
侍従武官となったヘルツェンバイン大佐の手伝いをし、荷造りがほぼ終わっている独身寮の部屋に帰り寝るを繰り返す日々。
ガイドリクス殿下の即位まで、忙しいが特に何事も起きないだろうと思っていたのだが……。共産連邦からエヴゲーニー・スヴィーニン特務大使というのがやってきた。
特務大使はわたしが撃ったり蹴ったり殴ったりした、セシリアの弟と思しき人物と他三人の身柄引き渡しを要求しにきたのだそうだ。
このエヴゲーニー・スヴィーニン特務大使、めちゃくちゃいい男なんだそうですよ。
「本物のレオニード、いい男!」
「格好良いわ!」
あ、うんエヴゲーニー・スヴィーニン名乗ってるけれど、誰がどう見てもレオニード・ピヴォヴァロフなのである。でも国が発行している身分証がエヴゲーニー・スヴィーニンなので、こちらもそのように扱うしかないのだ。
さすがに特務大使なので、手配書の髪型とは違いしっかりと撫でつけているが、その所為というべきか、普段は黒髪でやや隠れ気味の美貌が露わになり、女性兵士たちが悲鳴を上げている。
わたしは見てないから分からないが、手配書の写真よりもずっといい男なんだそうだ。
いつか狙撃する時のために、姿を見ておきたいな……思うが、そんな暇なく仕事をし、独身寮へと戻り食堂でもっさもっさと食事を取っていると、用務員から電報を渡された。
内容は「シキュウジッカヘ チチヨリ」
なんだ? 実家でなにか問題が? あるんだろうな。
時間も遅いので、実家に泊まりになるだろう。
明日の出勤のことを考えて、私服から軍服に着替えて実家へ向かうことにした。
ちょうど独身寮を出たところにタクシー馬車がいたので拾い、実家の番地を告げて……訳の分からないところで停まった。いや、場所は分かるよ。教会付属の記念公園だ。
「なんのつもりだ?」
馭者に強めに問いただすと、
「連れてくるよう言われたんすよ」
買収されていたらしい。
あー、十中八九、電報もこいつが持ってきたものだな。
なんでわたしが、こんな訳の分からない呼び出され方をするのか不明だが……拳銃を手に取る。
馭者がびくっ! としたが、わたしの知ったこっちゃない。
弾丸数を確認してから、
「それで、他に伝えることは」
「西口ちかくのガゼボまで」
タクシー馬車を下りた。
辺りには人の気配はない。北国で二月、そして夜の公園ともなれば、人は寄りつかないよなあ。だって、まだまだ容赦なく寒いもん。
なんだかよく分からないが、何者かが電報を偽り、タクシー馬車の馭者を買収し、わたしを記念公園のガゼボに呼び出したようだ。
月明かりを頼りに六本の柱と、ドーム天井のガゼボの前へとたどり着き、拳銃に手をかけて待つ。
吹き曝しなので、ロングフレアコートの裾が風に踊っている。
十分ほど待ったあたりで、わたしが来たのとは反対方向から、人影が近づいてくるのが見えた。
部下を二名連れ、ロングのマントコートをはおった手配書で見たことのある美形。
「レオ……スヴィーニン特務大使」
え? わたし、レオニードに呼び出されたの? いや、待て、まだこいつがわたしを呼び出したとは限らない。
たまたま、こいつもここに用事があってやって来ただけかも知れな……
「呼び出しに応えてくれて、嬉しいよイヴ」
おい、止めろ。お前に馴れ馴れしく、さらには笑顔で名前を呼ばれる覚えはないぞ!
呼び出したのがお前だと知っていたら、一人でこんな所に来ないからな!
「スヴィーニン特務大使閣下でしたか」
口元に、こう! ゆるい拳みたいな形を作った手を当てて微笑んだ。格好いいのは認めるが、ムカつくわ!
「レオニードでいいが」
隠せよ! 最後まで、自分がレオニードだってことは隠せよ! なんでわたしが、お前の名前呼ばなきゃならないの?
「そのような失礼なことは致しませぬ。スヴィーニン特務大使閣下、小官をなぜ呼び出したのですか」
こんな所でレオニードと二人きり……いや護衛もいるけど、とにかく会っている姿を見られたら大問題なんですけれど。ちょっと、立場的にヤバイことになってる。
「イヴを食事に誘いたくてね」
だから、なんでそんな近しく呼ぶんだよ! ……で、食事? わたしは、お前と食事はちょっとご遠慮いたしたいと申しますか、なんで?
「スヴィーニン特務大使閣下と小官がですか?」
「わたしは明後日の早朝に帰国するので、明日この国で取る最後のディナーを是非イヴと一緒に」
…………ふぁ?
この男、なにを言っている……手を伸ばしてきた! 殴るつもりか! 一歩下がって回避するよ。
「そんなに警戒しなくてもいい」
お前相手に警戒するなと言われても困るというか、警戒するに決まっているだろ! 殴られて昏倒なんてしたくないから。
「失礼いたしました」
レオニードって強いらしいんだよ。
白兵能力も極めて高く、さらに軍隊の指揮もできるという……その上美形で若くして少将とか。なんなんだ、お前は!
物理的にも非常に危険な男なのだが、特務大使と名乗っている以上、一介の士官ごときが、眉間に風穴開けるわけにもいかないのよねー。あとあんまり露骨に避けるのも。
ここは覚悟を決めようと黙っていると、顎つかまれた。急所つかまれるの、嫌なんですけれど……。ふにゅ? というか、なんというか柔らかい感触が。
なんでわたし、この男にキスされてるんだろ?
うわー、最悪だー。やめろー! と、胸を押すと離れたが……わたしの嫌いな嗤いを浮かべてやがる。
こいつ……。
「明日、楽しみにしているよ、イヴ」
レオニードは招待状を差し出す。わたしがそれを受け取ると、レオニードは合わせが赤で縁取りされている黒のマントコートを翻して去っていった。
姿が見えなくなるのを確認してから、唇をコートの袖で拭う。最悪だわー。
「……!」
突如銃声がしたので地面に伏せ、辺りを窺う。
しばらく動かずに辺りを警戒し、自分の体を確認。どこも撃たれてはいないようだ。では先ほどの銃声は?
「もしかして……あのタクシー馬車?」
レオニードが証拠を残すとは思えない。となれば、当然口封じするよな。わたしもまさか、呼び出したのがレオニードだとは思わなかったから、タクシー馬車の馭者に注意を促しはしなかったもんな。
自業自得と言えばそれまでだけど……そうなんだけど。
ん……雪原を力強く踏んでいる音が。規則正しく、少し早めの足取り。まっすぐこっちに向かってきている。
ヤバイ、撃たれる?
跳ね起きて銃を構えると、その先にはインバネスコートに軍帽を被り、一目で憲兵と分かるマルムグレーン大佐が。
「大佐?」
「銃を下げろ、大尉」
目つきが完全にイッてますけど……向けている銃は下ろそう。
「こちらへ来い」
かなり乱暴に腕を掴み、引きずられた ―― もちろん、引きずるは言葉の綾ですが、手首をつかまれ公園内の倉庫の裏側へ連れ込まれた。




