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【053】大尉、恋をする

あれ(キース)は二十年ちかく、女性の部下を近寄らせなかったからな。不思議がられても仕方はない」


 わたしの年齢とキース中将の軍歴、ほとんど変わりませんからね。当然みんな、キース中将のほうを基準にして考えるわ。


「それは小官の見た目が影響しているかと」


 でも普通の女性部下なら、男などという噂は立たないと思う。

 男かもしれないという噂が立ってしまう、わたしの見た目が……。改めて自分の容姿の悲惨さにうち拉がれる。

 女に見える容姿が良かったなあ。ほんとうに、わたしは見た目、どれだけ男なのだと。

 独り身でいる分には男かもという噂が立ってもいいけれど、こんなに簡単に男と噂が立つ見た目では、閣下にご迷惑をおかけしそうだな。

 いまドレス着ているけれど、滑稽じゃないかなあ……いや滑稽だろう。


「大尉。そんな表情をするな」

「少し考えごとをしておりました」

「何を考えていた?」

「あの……ドレスとか、やっぱり似合いませんよね」


 すごく恥ずかしい。

 いつになく恥ずかしい。用意されていたので袖を通してしまったが、きっと似合ってない。


「そういうつもりで、この話題を振ったのではないが」

「分かっております。単に事実ですので」

「済まぬな。悲しませることをするつもりはなかったのだ」

「悲し……くはありませんよ。言われ慣れておりますので」


 事実ですからね。


「大尉は嘘をつくのが下手だからな」

「あの……」


 いつもとは違って、かなり力強く抱きしめられた。


「閣下?」

「弁明させてもらうと、会話には続きがあったのだ」


 閣下が耳元で囁く。


「続き……ですか?」

「そうだ」


 閣下はなにを言おうとしたのだろう。そして……わたし、そんなに変な顔してたのかな。ああ、閣下が悲しそうと言っていた。

 閣下の背中に腕を回して、きゅっと力を込める。


「あの、閣下。苦しくないですか?」

「いいや。もっとしっかりと抱きついてきて、構わないぞ」


 それはもう、なんか、拘束になっちゃいますって。

 正面から拘束ってないですけれど。


「わたしの意見は後で告げるが、どうしてそれほどまでに、悲しそうな表情を浮かべたのだ? 大尉」

「いえ、あの、その。男と間違われるのは慣れているから、本当に気にならないのですが……閣下にそれを言われると、きっと……悲しいのだと思います」


 自分のことながら、随分と他人ごとのように語ってしまったが、悲しそうな表情をしていたというのは、そうなんだろう。

 麻痺してしまうくらい、何度も言われたことだし、自分としても認めているのだが、閣下にそれを言われるのは嫌なのだと思う。

 きっとそれが好きということなんだろう。

 漠然としていた気持ちが収斂したのかもしれない。


「まったく」


 閣下がため息をついて ―― 頭を撫で始めた。


「あの、閣下……」


 閣下のご表情が見えないのだが、呆れられたのだろうか。


「大尉にとって、わたしは特別だということか」


 閣下がはっきりと言葉に。明言されると、恥ずかしい。


「……なのだと思います」

「この娘は」


 閣下の声が少し低くなった。抱き合っているので、振動で伝わる部分もあるのだけれど、それでも声が低くて、でもなんか怒っているような感じはしない。

 どのように反応していいのか分からなく、背中に回していた腕から力を抜いてみた。


「……?!」


 力を緩むのを待っていたかのような勢いで、閣下が腕を腰に回して抱き寄せる。


「閣下?」

「大尉。あの会話の続きだが、誰も大尉の本当の姿を知らないことに、優越感を覚えると言いたかったのだ。これほどまでに美しい姿を見たら、誰も男などと言わぬが、誰もそれを知らない。それを知り、腕の中に収めることができるのはわたしだけ」

「あの」


 閣下の声がいつもに戻ってる。


「傷つけるつもりはなかった……とは言うが、結果傷つけてしまったのだから、言い訳にしか過ぎない……どうした? 大尉」

「閣下のお声がいつも通りになったので。先ほど、”この娘”といわれた時、低くなっていて、驚いてしまったもので」

「そうか。本当に大尉は」


 なんだろう? もの凄く、困らせてしまったようだ。


「ドレスについてだが、とても似合っている」

「あ、ありがとうございます」

「誰にも見せたくないくらいに美しいと思う反面、これほど美しい妃がいるのだと見せびらかしたいほどだ」

「ご迷惑になりませんか?」

「なにがだ?」

「見た目があまりにも男っぽすぎるので……閣下のご迷惑になったり」

「迷惑になど、ならぬよ」


 閣下の腕が緩み、少しだけ体が離れた。

 ソファーから立つよう促され、連れて行かれた先は……どう見ても寝室です。

 閣下の邸は、庶民の家のようにベッドに本棚に机など、複数の機能を有する一室とは違って、寝室はベッドしかないので、他の用途……ということはない。

 部屋のど真ん中に、わたしが見ても、交換するのに苦労しているだろうなとしか思えない高い位置から下がる天蓋。

 ベッドは水色と白が基調で、金が良いアクセントになっている。

 室内もベッドと同じ色調。

 もちろんベッドしかないとはいったが、煖炉に鏡、サイドボードに洋灯、テーブルと椅子などはあるよ。でもね、圧倒的にベッド。存在感が違うー。


 えっと、その……あの……。


「緊張せずともよい」


 ぽふぽふと頭を撫でるよう軽く叩かれた。


「は、はい?」

「大尉に不寝番をしてもらうのは、非常に魅力的ではあるが、まあ、まだその時ではないな」


 その不寝番は、軍人の不寝番ではない意味と取ってよろしいのでしょうか。


「そう顔を赤くするな。そして、不寝番とはそういう意味だ。魅惑的だといったであろう?」


 内心を見透かされて恥ずかしいような、でも見透かした内容を茶化したりしない閣下は大人です。……だがわたしも、今年で二十四歳になる成人女性。


「あの、閣下」


 十代の若くて物を知らなくても可愛い、清らかだという言葉で済まされるような娘さんとは訳が違う。

 照れて甘えるのが許されるような年ではない……あんまり照れ過ぎていても、逆に恥ずかしい状態なんだよ、この年齢って!


「どうした? 大尉」

「閣下に寝室へと伴われて、その意図を理解できぬほど愚かではありません」


 性的なことを本当に全く知らなかったら、ちょっと知性に問題がありと見なされる年。

 世慣れていない若い娘のような態度を取れば、かまととぶった女と言われ、がっつくと焦っている年増と噂され……面倒くさい年齢ともいえる。


「大尉はここが寝室だとは知らなかったであろう」

「はい。ですが、わたしは自らの行動に関し、自ら責任を負う覚悟はいつでもできております」


 公職においても、実生活においても、己の軽率による責任を他者に押しつけ逃げていいような年齢ではないし、立場でもない。

 顔赤くなってるから、あまり説得力はないだろうけれどね。

 でも視線は逸らさないよ! まっすぐ閣下のダークブルーの瞳を見つめるよ! 睨んでいる感じにならないよう気を付けて。


「分かった。だが今回は責任を負う必要はない」

「然様でございますか」

「大尉の申し出は、男としては嬉しいものだが、わたしは大尉をできる限り大切にしたい」

「それは、とてもありがたいのですが、閣下が小官を大切にしてくださるように、小官も閣下を大切にしたいと、常々思っております」


 閣下ばかりに我慢させるのは、良くないと思うんだ。

 たしかに婚前交渉は褒められたものではないし、閣下が言っていることのほうが正しいのだが……上手く言えないけど、受け入れることに抵抗ないことを、意思表示しておくべきだと。それを伝えないのは卑怯なのではないかなー。


「大尉」

「地位、名誉、財産、血筋、実績、全てにおいて閣下の足下にも及ばぬ小官ですが、この感情……愛情だけは対等でありたいのです」


 閣下が手を伸ばしキスを ―― おおよそ人生において経験したことのないキスに、立っていられなくなり、ベッドに横たわることに。

 横たわらせてくれたのは閣下です。

 閣下はベッドに座ってわたしの髪を指で梳く。


「大尉。今すぐにでも、そのドレスを引き裂いて、肌に口づけたいが……大尉をどうしても危険から遠ざけたい。だからブリタニアス君主国へと行ってもらう。ここで抱いてしまったら、身籠もる可能性もある。大尉は優秀でしっかりとしているから、遠い異国の地でも、立派に産んで育ててくれるであろうが……わたしが耐えられないのだ。身籠もっている大尉を支え、生まれてきた子にすぐに会いたい。だから今日はキスだけで。我が儘ばかり言って済まないな。嫌いにならないでくれ」

「嫌いになるなど」


 ベッドに押しつけられるように、先ほどと同じキスを ――


「名残惜しいが、わたしはそろそろ部屋へと戻る。今夜はわたしの部屋に近づいてくれるなよ。わたしにも理性の限界というものがあるからな。それではな、大尉」


 そういい閣下は部屋を出ていかれた。


「明日、どんな顔で会えば……」


 経験はないのだけれど、性行為した翌朝よりも恥ずかしいような気がする。なにこれ、どうしたらいいの。


「……」


 気が付いたら朝だった。


 昨晩閣下がお部屋に戻られてから、のろのろとベッドから起き上がり、顔を洗おうと部屋を出ようとしたら、メイドがいて必要なものを聞かれ「洗顔」と言ったところ、お湯の入った桶と洗面器、洗顔用品を持ってきてくれ、寝室で顔を洗った。

 いつの間にやら用意されていたシフォンのネグリジェに着替え、ベッドに入って、明日のことを考えていたら……朝ですよ。

 安全な場所ならすぐに眠れてしまう、軍人としての適性の高さに感動すら覚えるよ!


「クローヴィス大尉、お目覚めでしょうか」


 ドアがノックされ、執事さんの声が。


「起きております」

「入室しても、よろしいでしょうか」

「どうぞ」


 部屋の入り口すぐ側、ベルナルドさんが、閣下からの伝言を。


「閣下とご一緒に朝食を取れますでしょうか? 思うところがあるのなら、別々でも結構とのことです」


 ……閣下のお気遣い!

 昨晩のことを思い出すと、気恥ずかしさが蘇り、そのお気遣いに甘えたい気もするが ――


「おはよう、大尉」

「おはようございます、閣下」


 挨拶をしているのだが、一緒にベッドの中にいる。

 閣下もパジャマ ―― もちろんガウンははおられてここまで来たけどね。

 そしてベッドの上に二人分の朝食が並べられた。

 ベルナルドさんが淹れてくれた紅茶を飲み、焼きたてのクロワッサンを。ぱらぱらと、クロワッサンが散らばるのだが、ここは気にしなくてもいいのだろう。うん、きっと。


「会ってもらえないかと思ったが」

「たしかに恥ずかしく会うのに躊躇いはあったのですが、ブリタニアスへ行くのが確定していると知ったいま、閣下にお会いできる時間は残り僅か。お会いできる機会を逃すのは惜しいので」


 一ヶ月弱後にはブリタニアス君主国へ出立する。

 出立までの間も、閣下はお忙しいのだから、会える機会など僅か。恥ずかしいなどと言って、会わないまま向かって一年会えないのは辛いので、こうしてお会いできる機会は逃がさないようにすべきだ。


「……? 閣下?」


 閣下にめちゃくちゃ頭を撫でられた。


「よい娘だ」


 そしてベルナルドさんが、微妙に視線を逸らして、なにかに耐えているような。

 あれー、もしかして男心酌めてない系回答だった?


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