【052】大尉、離婚理由を知る
アレクセイルートを潰すのは、閣下にお任せするしかないのだろう。
「大尉との関係をぎりぎりまで隠すのは、大統領選が関係している」
ブリタニアス君主国への赴任だが ―― 名目は補佐武官だが、本当の目的は「大統領夫人となるわたしに、外交を経験させておく」なのだそうだ。
「わたしはたしかに、この国の大統領選に立候補できるようになったが、大統領になりたいとは思っていない」
それはまあ、閣下はもっと大きな国の大統領にもなれそうですし、国王になることも可能ですし、余裕で皇帝にもなれますし、その気になれば書記長にだってなれちゃいそうですものね。
閣下が書記長になったら、わたしたちも共産連邦に取り込まれるけど。
「ご、ご迷惑を」
「だが大尉を手に入れられるのであれば、大統領を務めても構わん」
「ありがとうございます」
なにがありがたいのか、言っていながらよく分からない。
「ただな。わたしが大統領になれるようになったと、現時点で発表してしまうと、他に誰も立候補しない恐れがある」
「勝ち目がないので、仕方ないかと」
「わたしは自分が勝てるとは思っていないがな」
ルース皇族だからということですね。
「ですが多分誰も立候補しないかと」
それでもきっとみんな、尻込みすると思う。だって勝てるビジョンが浮かばないんだもん。いかなる戦いでも閣下に勝てるとは、思えないんだよなあ。
「そうだ、そしてわたしが大統領になってしまう。最初から無投票で大統領が決まるのはよくない」
閣下が仰りたいことも分かる。まだ前例とか慣習とかが、至上のものとして染みついている社会で、最初の大統領が無投票となれば、次からも無投票にしたくなる。それでは折角の選挙が無駄になってしまう。
「来年、共産連邦との戦いが終わればすぐに大尉との結婚を公表するが、それまでの間、選挙活動をさせ、投票準備もさせる」
経験を積める機会を潰さないようにするのですね。
「そのような意図があるのでしたら」
「本心としてはすぐにでも公表したいが、この大統領選と共産連邦、どちらも片付けねば、安心して大尉を婚約者だと公表できぬ。複雑だ」
ぐいっと抱きしめられて、顔を閣下の胸に埋める形になった
……は、恥ずかしい。でも嬉しいし、幸せだし。もう少しこのままでいいよね。
「大統領選に関してはガイドリクスとは随分と争ってな。当初わたしはガイドリクスを臣籍に下らせて、大統領に推すつもりだったのだ。ガイドリクスはわたしにこの国の娘を娶らせ、大統領資格を得させようと必死でな」
わたしの知らぬところで、色々あったんですね。知りようありませんけどね、なにせ選挙権すらない庶民なので。
「わたしは僧籍を盾にして拒み続けて、ガイドリクスが大統領選にでなくてはならない状況になったところで、捨て身の攻撃をしてきてな」
「捨て身……ですか?」
「そうだ。マリーチェとの離婚を強行した」
まさかのマリーチェ王女との離婚って! ガイドリクス大将、自分の大統領選出馬資格を喪失させるために!?
「……」
閣下のお顔を見ようと胸から顔を離すと、額の傷にキスされた。
「結果として、大尉の顔に傷を負わせてしまったのだが」
「この顔の傷は、気にしておりませんので」
「気にしていないと言われてもな」
額に何度もキスをされ、自分の顔が真っ赤になっていくのが分かる。
「アディフィンからの帰国後、大尉を妃にしたいとガイドリクスに申し出たところ”短慮であったことは認めるが、後悔はしていない”なる名言をもらった」
なに言ってるんですか、ガイドリクス大将。そして、それを名言とか言わないで、閣下。
「そう言えば大尉。わたしがフォルズベーグに向かっていた時、キースの自宅に泊まり込み看病をしたそうだな」
「はい。とても入院させていられなかったので」
「あれはな」
閣下の少し困ったかのような表情の含み笑い ―― キース中将の身に、なにが起こるのかご存じなのだな。一時期副官にしていた時もあったんだもんなー。その時なにがあったんだろう。
「あの時な、オルフハードも風邪で倒れていたそうだ」
「オルフハード少佐、閣下と共にフォルズベーグへ向かったのではないのですか」
迎えに来ていたので、同行したものとばかり思ってた!
「ああ、あれは国内にて任務を遂行していた。諜報部が割れていたので、大尉の身辺に注意を払うよう指示も出していたのだが、ほぼキースと同時期に高熱を出したそうだ」
同時多発インフルエンザに違いない。きっと共産連邦対策に追われている高官たちの間で、流行ってしまったのだろう。
「そうなのですか」
「オルフハードもキースと似たり寄ったりの私生活を送っているので、職場で寝泊まりしていたらしい」
そして憲兵たちにパンデミックですか。迷惑な上官ですけれど……キース中将と似たり寄ったりの私生活って、インフルエンザに罹ったの、その私生活が原因ですよね、きっと。
「大尉の身辺警護に向かおうとしたが、さすがにそれは部下に止められたそうだ」
インフルエンザ患者に警護される完全健康体……ブラックが過ぎるのではないでしょうか? 国家憲兵。
「オルフハード少佐もキース閣下のご自宅に来ればよろしかったのに。そうしたら、見守られつつ看病しましたものを」
キース中将も男性なら、追い出しはしないとおもうよ……いや、女性でも追い出しはしないだろうなー、キース中将に惚れない限り。いや、惚れたくらいなら大丈夫か。性的に迫ってこない限り。
「それは良い案だったな」
「秘密理に看病しなくてはならない機会がありましたら、是非小官が。そうだ、閣下は風邪を召されなかったのですか?」
高官がインフルエンザにかかっていたということは、彼らとの接触が多い閣下ももしかして、フォルズベーグ行きの蒸気機関車内で発症なさった?
「わたしは平気だ」
「それは良かったです」
閣下、インフルエンザに罹ってなくてよかった。
きっと私生活の質の違いだな。インフルエンザに罹らないためにも、二人にはもう少しマシな私生活を送って欲しいものだ。……なんか、無理そうだけど。
「閣下」
「なんだ? 大尉」
「弱っている時のキース中将保護計画とか、そういうもの、なにか思いつきませんか」
病気や怪我で弱らないのが一番いいが、人間である以上怪我をすることもあるし、病気に罹ることもある ―― 病気に罹ったことがないから、人間ではないということではないよ! 力説しておくよ。病気に罹らなくても、人間ですよ! 話は逸れたけれど、弱っている時に安心して休めるプランが必要だと思うの。
「あれが入院するような状態になったら、フランシスのところに連絡がいくようにしておこう」
「ありがとうございます。でも室長にお手間が」
「気にする必要はない。もともとあれには、諜報部が注意を払っている」
将校だからですかね?
「普通の敵の対処は問題はないが、貴族の娘からのアプローチは面倒なようでな」
「ああ……貴族令嬢から」
キース中将なら男爵や子爵令嬢くらいなら、問題なく結婚できるもんね。
当人にはまったくその気はないけれど。
「娘の親たちもあれなら許してもいいと。あれにはまったくその気がないのを理解しなくてな」
「はあ……」
「婿として迎える、貴族になれる、爵位がある……などと誘うが、そもそも結婚したくない上に、男爵位くらいならいつでも得られる資格を所有しているが、申請していないような男に、それがなんの意味があるのか」
キース中将、貴族になれるのか!
そしてなりたくないと言っているあたり、キース中将らしい。
貴族になったら、結婚攻勢が今以上になる……怖い!
「貴族があまりにもしつこい場合、フランシスからわたしへと連絡が入り、あれと話し合い、意思を確認後に相応の処置を取っている」
あれだけモテるキース中将だもんね。貴族令嬢からアプローチが来ないはずないわー。将校ともなると夜会にも頻繁に出席するもんね。
そこで貴族令嬢がころっといってしまうのは、無理ないことだろう。
礼服着てるキース中将は、格好良いからな。もやしのような貴族の子弟や、がっしりしているが、実践的じゃない飾り筋肉の青年、貧乏貴族女性を捕まえてのし上がろうとしている、ぎらついた目つきの青年実業家 ―― 容貌と才能に優れ、穏やか(見た目だけ)な独身幕僚長とか、モテないはずないわ。
「それでしたら、室長に行く連絡がちょっと増えるだけですから……」
当事者ではない無責任ぶりですが、お願いしておこう。
「そう言えば、キースの看病をした結果、大尉が男だと囁かれるようになったと聞いたが」
その噂、閣下のお耳に届いたのですか……。誰だよ、届けたの!




