【047】中尉、話を聞く
「中尉はあのくらいして貰わないと、好意に気付けないタイプだろう」
キース少将にそう言われると、全く否定のしようがない。
キスされた左手薬指をキース少将にすら見られるのが恥ずかしくて、思わず右手で覆い隠してしまう。
「たしかにそうですけれど」
「参謀長官閣下ほど、中尉を女性扱いしてくれる人はいないのではないか?」
「それもそうですが」
「幸せにひたっていれば良いだろう」
間違いなく幸せなのですが、心臓が持たない。30km走すら余裕な心臓がばくばく言ってるよ!
ところで、キース少将なんでここにいるんだろう?
「閣下はなぜこちらに?」
「それは中尉を不安にしないための付き添いだ」
「…………」
「嫌な思いをしただろう?」
「あ、はい」
「あの手のは、結構後を引くからな。一人だと要らんことを考えてしまうしな」
この経験者は語るといった口調。
そうかキース少将なら、酷い目に遭ったことなど、一度や二度じゃなさそうだな。
キース少将の手紙に含まれる危険物リストに「胎児」という項目があるのは、伊達じゃない。
幸いわたしはまだ当たったことはないが ―― 一生当たりたくないけど。
「小官は最初で最後だと思いますが、閣下は……」
「中尉はたしかに、これが最初で最後だろうな。あの参謀長官閣下が、同じようなことを許すはずもない」
閣下が気を付けて下さる必要もないかと。
「……まあ、中尉はそのくらい気楽なほうがいいだろうな」
「小官なにか口走りましたか?」
「いいや」
「リリエンタール閣下に分かりやすいと言われたのですが、それでしょうか?」
キース少将が視線を逸らした。
「分かりやすくはないぞ。職務に関しては完璧だ。ただ恋愛絡みになるとな」
「…………」
経験値がなきに等しいので、そこはどうしようもないかと。
「閣下、シャンパン飲みますか?」
閣下が用意してくださったものだが、キース少将に振る舞っても叱られたりはしないだろう。
「もらうか」
「はい。あ、グラスがないので、もらってきます」
「要らん。俺はそれほど上品な男じゃない」
慣れた手つきで栓を外し、瓶のまま飲む。
わたしにはウィスキー、そのまま飲んじゃ駄目って言ったじゃないですか!
「あのな、中尉」
半分くらい一気に飲み干したキース少将が、まるで謝罪するかのような口調で話し始めた。
「はい閣下」
「リーツマンから、とある噂を聞かされたのだ。中尉が俺の家に泊まりこみ、看病してくれたことで、ある噂が爆発的……とまでは言わないのだが、かなり広まってしまってな」
キース少将のご自宅に泊まり込んだことで……まさかあらぬ噂が立ってしまったとか? ……自分で思っておきながら、それはないわー。わたしに限って、あらぬ噂なんてないわー。
「噂の発端は中尉が俺の副官になったことだ。中尉は容貌が優れ、背も高く…………」
男にしか見えないと言いたいところですが、そこをぐっと我慢するキース少将。
「男に見えると言い切って下さって結構ですが」
「……とにかく、女の部下を嫌っていた俺の部下になったことで、実は男なのではないかという、あらぬ噂が立ち、そして看病のための泊まり込みを俺が許したことで、さらにその噂が広まってな。リーツマンの耳にも届き、俺が報告を受けるにいたった」
そっち方面のあらぬ噂ですか!
「そのあらぬ噂は、学生時代からよく立っていましたので、お気になさらずに。むしろ、男女の仲のような噂じゃなくて良かったではありませんか」
わたしに限ってはないんですけどね。でも良かったー。キース少将と男女の仲なんて噂流れたら、何されるか分かったもんじゃないからね。この容姿で命拾いした!
そしてキース少将がずっと女性副官を拒んでいて良かった!
男疑惑については、まあどうにかなるでしょう。
「?」
微笑んだキース少将がわたしの頭を撫でた。
「感謝する」
そう言いふわりと手が離れた。
……これがハーレム体質男の、ハーレムスキルというものか!
全然不快感がない。むしろ当たり前というか、自然というか……この人きっと、生まれつき全ハーレムスキルマックスなんだろう。何でハーレムメンタルじゃないんですか! キース少将! いやハーレム築かれても副官としては困りますが。
「どうした? 中尉」
「いいえ」
その後、キース少将はわたしの気を紛らわしてくれるべく色々な話をしてくれた ――
嫌な証拠物件との対面をした日から、わたしはベルバリアス宮殿待機になった。理由はガイドリクス大将が以前拘禁された時と同じく、同僚がクーデターに加わっていたから ―― 兵士たちは同僚が加わっていても、隔離されたりはしないのだが、士官クラスになるとね。
もっとも以前のように面会を制限されたりするような厳しいものではなく、形式的なものだ。
「明日の裁判はこんな感じで進むよ」
室長から話があると、ベルバリアス宮殿の一角に呼び出されたのは、裁判を明日に控えた夕方。
「明日の裁判はこんな感じ」
明日の裁判は軍法会議 ―― 軍内部で全て処理することになった。一般的な裁判だと時間がかかるからだ。
判事や弁護士、検事や被告人、証言台に立つ者などの名が書かれた書類を室長から渡された。
「まあ、心配することはないよ。形式的なものだからね。わたしもその場にいるし、リヒャルトもいるから大丈夫だよ」
軍法会議所も参謀本部に含まれているのだが、現在陸軍のクーデターと、海軍長官の不正で大忙し。手伝いたい気持ちはあるのだが……わたしは残念ながら当事者なので、なにも手伝うことができない。
「はい」
「ほんと、全然心配ないから。リヒャルトが本気を出して潰しにかかっているから、まあ心配ないよ」
「は、はい」
「ちょっと不愉快な話をされるけど、そこは耐えてくれないかな」
不愉快な話とは、わたしとシュテルンの関係についての釈明というか、無関係だという証明をしなくてはならないことだ。
あいつが、わたしの戦闘服を手に入れていたり、指令書を持ち帰っていたりしているので ―― シュテルンの父親が「息子はそいつに唆されたのだ」と、息子を弁護しており、明日の裁判にも出廷するのだ。
まあ職業軍人の息子がクーデターに参加していたら、当然父親も召喚されるわ。
これに対するわたし側の証言者などは揃っているので、安心するがいいと閣下に言われている。うん、閣下がそう言ったのだから、間違いはないだろう。
「もちろんです」
「軍法会議の話はこれで終わり。今日中尉を呼び出したのは、あのクーデターの真実について教えようと思ってさ」
「真実……ですか?」
「うん。まあクーデター部隊をあおったのはわたしたち……。んーどこから説明しようかな。中尉はまったく知らないから、どこから話していいか。あのね、まずは諜報部は情報局なの。それでね、昔はテサジーク侯爵家が王家の諜報を一手に担っていたんだ。移動手段として馬がもっとも速く、狼煙を上げたり、伝書鳩で暗号が書かれた手紙をやり取りしていた時代なら、侯爵家だけでカバーできたんだけど、無線に電話、モールス信号に電報、そして鉄道に車。次々に新しい情報伝達ツールが生まれた結果、侯爵家だけではカバーしきれなくなった。そこで侯爵家の所有物だった汚れ仕事専門の部隊を解体し、新たに情報局として設立した。でもそういう成り立ちだし、やっぱりノウハウをある程度持っている者がトップについたほうがいいだろうということで、わたしが選ばれたのさ」
「そうなのですか」
王家の影的な存在だったんですか。やはり存在するものなんですね。
「そうなんだよ。それでね、わたしの妹、クリスティーヌって言うんだけど、わたしと違って優秀でね。祖母がすっごい期待して、手元に置いて育て上げたんだけど、それが悪かったんだろうね。祖母の古びた認識を第一に成長しちゃって、時代の変革に付いて行けなくてさ。父はかなり革新的な人でね、リヒャルトが提案した情報局設立に乗ったんだ」
「閣下が提案を?」
「そうだよ。それでね、クリスティーヌはメッツァスタヤの解体に反対したのさ。メッツァスタヤって、昔の諜報部の俗称ね。でも当主じゃないから、反対したところでどうってことないし、跡取りはわたしに決まって、クリスティーヌは嫁に出された」
室長は今年五十ですよね。そして閣下が絡んでいるということは、大体十年くらい前の話……妹さんと年離れているのかなあ。貴族名鑑は年齢載ってないからなあ。
「ああ、わたしとクリスティーヌは五歳しか離れていないよ。そして嫁に出されたのが八年前、三十七歳の時。自分が侯爵家の跡取りとなり、かつての栄華を取り戻すのだと言い張って、なかなか嫁にいかなかったんだ。汚れ仕事を引き受けていた我が家に、栄華なんてものはないんだけどさ。それで、諦めるようなクリスティーヌじゃなかったのさ。まあ、諦めるなんてわたしも思っていなかったし、最後は消すつもりだったけど」
室長はいつも通り、ほんわりとした口調で喋っていますが、内容が……。キース少将が「家督争いの延長」と聞いただけで「妹御の暴走」って返していたところを見ると、上層部じゃあ知られた話だったんだろう。
「この辺りはまだ詳しい調べは付いていないのだけれど、クリスティーヌは侯爵家を切り捨てた王家に恨みを持つようになった……みたいなんだ。その復讐心に取り付かれた思考が、セイクリッドが近づいたことで、暴発したらしい。わたしとしては、セイクリッドありがとうって感じだけどさ」
室長の妹クリスティーヌの動機は分かったけど、セイクリッドの動機は何なんだろう?




