【046】中尉、代わりの品を渡される
途中だった配膳を続け、テーブルの上にはアフタヌーンティーの準備が整った。
もっともテーブルが広いので、ケーキスタンドではなく、テーブルに各皿を並べ、さらには大皿のローストビーフに、切り分けられクリームが添えられたザッハトルテがワンホール分。
優勝杯のような形のシャンパンクーラーの中には、氷と共に当然ながらシャンパンが入っていた。それも二本も。
「閣下はシャンパンでしょうか」
「中尉も飲むか?」
これはわたしが飲むと言えば閣下も飲まれるということだよな。わたしが飲まないと言ったら閣下は飲まない。となると……。
「一杯くらいなら、飲んでみたいです」
「そうか」
閣下が立ち上がられ、ドアを開けて手を叩くと、タキシード姿の給仕が現れる。
「二人分、注げ」
給仕はグラスにシャンパンを注ぎ出ていった。
えっと……お酒を注ぐためだけに?
「注ぎましたのに」
「中尉に妾の真似事などさせられぬ」
「妾……ですか?」
「ああ。妃は酌などせぬものだ。中尉の父親とて、妻に酌をさせたりはしないであろう?」
父さんは……うん、たしかに手酌かメイドに注がせてるな。
そして閣下、妃っていいましたね。ここは突発性鈍感難聴発症で、聞かなかったことにしよう。
「はい」
「そうでなくとも、余所様の大切な未婚令嬢だ。酌などさせられるはずなかろう」
閣下、紳士ですね。そしてアディフィン語のフロイラインが、これほど迄に似合わない女もいないかと。
「キースも酒の席で、そのようなことはさせなかったであろう?」
「はい。あの方は……」
”キース少将だから”で、誰もが納得してしまうのです。わたしも「キース少将だもんね」でグラスに届く範囲で向かい側に座っている上官が手酌していても、酌をしようとは思いませんでしたから。ガイドリクス大将との席では、当然給仕がついていたので、酌などする必要ありませんでしたし。
シャンパンを片手にまずはローストビーフを。付け合わせのマッシュポテトが絶品だ。もちろんローストビーフは蕩けるほど美味いのですが。
「美味しいです」
「それは良かった。そうそう、中尉。以前鍋一杯コンソメスープを食べたいと言っていたが、その鍋の大きさはどの程度が希望だ?」
「ぶほぉ……え?」
「料理長のジャン=マリーに伝えたところ、鍋の大きさを指定して欲しいと言われてな。どれほど大きくても構わぬそうだ」
コンソメスープってそんなに簡単に作れるものじゃないですよね。
いや、たしかに鍋一杯食べられるとは言いましたけど。
「えっと……あの洗面器の半分くらいでいいです!」
「そうか、そのように伝えておく」
三分の一って言っておいたほうが良かったかな。
「あの、大変でしたら皿一杯でいいので」
「平気であろうよ」
「そうでしょうかね。でも料理を作るのは大変ですから」
「中尉も料理をするのか?」
「料理は好きです。よく独身寮の自炊室で作っていました」
最近は忙しいので、作ってないけどね。
「忙しいのにか」
軍の独身寮は、二十四時間栄養価の高い食事とデザートが提供されるという、夢のようなデブ育成空間なのである ―― デブになるかならないかは、自己管理ってヤツだけどね。
独身寮にいてあまりにデブになると、退寮を命じられる。退寮デブレベルだが、既製の軍服が入らなくなったら。
軍服特注=将官という図式があり、将官は年齢関係なく独身寮にいられない。普通は独身寮の退去年齢である四十歳前に准将になる人なんてまずいない。
独身寮に入っていて、退去年齢前に独身のまま将官に昇進したのって、多分キース少将だけ。
異例中の異例であるキース少将はともかく、体型変化により制服を特注するということは、すでに将官の地位にあるはず、ということになり、出ていかなくてはならない。
だからみんな節制するよ。
わたしも既製の軍服は入らないが、わたしの場合は背が高いという、自分ではどうすることもできない理由のため、許されている。それと、他に類を見ない体格のため、多少デブっても「この身長だからな」で許される。
「たまに自分の好きな料理を自分のためだけに作るというのは、いいストレス解消になるのです」
これが毎日作るとなると、途端に大変になるけどね。もちろん料理好きの人には苦にならないことだろうけど。
「そうなのか」
「自立ということもありますが、料理を作りたくて、独身寮に住んでいるのです」
「料理を作りたい?」
「キッチンの高さです。軍の独身寮の自炊室は、まあまあ高さがあるのです」
「ああ、採用身長の基準に合わせているから、普通の家のキッチンより大きめに作られていたな」
そうなのです。閣下。
わたしが入っている寮は士官女子寮。男性の独身寮は尉官や佐官別で、女性士官は少ないので尉官も佐官も一緒なのだが、士官学校に入学できる女性というのは、当然ながら採用基準身長177cmを満たしている。
デカい? デカいのだが、わたしが今いるのは、前世で言うところの北欧にあたる国。北欧系ゆえに背が高い人が多い ―― その国で、身長が高いって言われるわたしって……。
ともかく入寮者全員、最低でも177cmあるので、それに合った高さのキッチンが自炊室に備わっている。
「自宅のキッチンよりも全てが高めなので、作りやすいのです。料理を作るのは好きなのですよ。実母や継母と一緒に料理を作るのが好きだったのですが、士官学校に入ったあたりから身長の伸びが……。いまではスツールに座って、材料を切る手伝いくらいしかできないのです。それもちょっと場所取り過ぎているといいますか」
カリナに「姉ちゃん、苦しそうに見える」と言われる始末。
かなり前屈みだから、そう見えても仕方ないし、やっぱりキツくはある。
「中尉の母親は料理を作るのか」
「はい。もちろん、毎日作るわけではありません。継母も趣味として作ります。実家には女主人専用キッチンと、メイド用の二つあるのです」
継母のキッチンは、異国料理専門キッチンって感じ。
メイドが使うキッチンは、家族の食事もそうだが、ホームパーティー用の料理を作ったりもする、まさに業務用。ほらここ、ヨーロッパ系で実家は自営業だから、ホームパーティーは必須なの。
「中尉にあったキッチンを用意すれば、わたしは中尉の手料理を食べられるのか」
小気味良い音のする、サーモンときゅうりのサンドイッチを食べていたら、そんなことを言われた。
「え、あ……はい。頑張って作りますが」
正直毎日こんな美味しい料理を食べている閣下に、提供できるようなレベルではない……ここは前世の記憶で和食を作り、驚かせ……出汁も醤油も味噌もなにもないわー。そもそもわたし、和食作れないし。
やっぱりラーメン? ラーメンなら作れ……なるともチャーシューもメンマも作れない。要前世の記憶閲覧だ!
「ふむ。キッチンはわたしの守備範囲外だ。どういうキッチンが欲しい」
お、おお?
注文キッチンということですか?
明確に欲しいものというのは、思い浮かばないが、前世の使い勝手のよかったキッチンを思い浮かべて話してみよう。
もちろん技術力の差ってものがあって、再現できないものも多いだろうけど。
「えっと、床をコルクタイル敷きに」
「コルクタイル……そうか、あれは水に強いし、クッション性も高いな。なるほど」
「蛇口は通常のものと、小さいシャワータイプのものを」
「ということは、湯も出たほうがいいな」
「そうですね。それは憧れますね」
キッチンのためにボイラー室を併設し、ボイラー担当者をおくことになりますがね。
「わかった。他は?」
「魚の下拵えや、泥の付いた野菜を洗ったりするために、水場のある土間が隣に欲しいです」
「その作業は、メイドに任せたほうがよいのでは?」
「たしかに実家でもメイドに任せてはおります」
市場に並んでいる野菜は普通に泥付きだし、魚は鱗付きで、捌かれてもいない。さすがに肉は解体されているが、鶏くらいなら普通に自宅で捌く。
これらは結構な重労働で、メイドがやってくれる。
「そうか。では専用のメイドも必要だな」
他にもあったら良さそうなものを話してたら、ドアが再びノックされ、マルムグレーン大佐とキース少将がやってきた。
「閣下」
マルムグレーン大佐から細長い、ワインレッドのジュエリーケースを受け取った閣下が蓋を開く。
「中尉。いまは職務中ではないから、つけてくれるな」
ケースから現れたのはペンダント。銀色のチェーンに一粒のきらきら輝く透明の石が! どう考えてもダイヤモンドだよね。
もちろん閣下につけていただいたよ!
立ってるとつけ辛いので、ソファーに座ってね。
ボートネックなので鎖骨が出ている。その鎖骨の間にちょうどダイヤモンドがかかる感じ。
閣下はそのダイヤモンドを指先で軽く弄ぶ。
「それなりの石を吟味し作らせたが、中尉を飾るには、この程度のダイヤモンドでは足りぬな」
かなり大きいダイヤモンドだと思うのですが。
ペンダントを触っていると、閣下がわたしの左手を引っ張って、さらに前で膝をついた。
「え、あ?」
「この指を飾るのに相応しい宝石が手に入るまで、これで許してくれ」
そう言って左手薬指にキスをして、流れるような動作で部屋を去られた。
「ぱ……ぽ……」
真っ赤になってしばらく硬直してしまったわたしは、悪くないと思うんだ!




