【044】中尉、恐怖を体験する
「そうか、受けてくれるか。キースと中尉、二人がこの度の英雄だ……さて……入れ」
話の途中、ドアをノックする音が響き、入ってきたのは灰色の癖のある頭髪と、琥珀色の瞳を持つ大佐 ―― お久しぶりですね! マルムグレーン大佐。……怖いのが来たよ。
「なんだ? マルムグレーン」
「皆様にご報告が。クローヴィス中尉に関してです」
え? わたし、なにかしでかした?
「中尉がどうした?」
「イグナーツ・シュテルンの自宅から押収された品から、クローヴィス中尉に関するものが多数見つかりました。当人のものかどうか? 元上官であらせられる大公殿下、現上官のキース少将閣下に確認していただきたく存じます。もちろん、当人であるクローヴィス中尉にも」
第三副官のヤツ、なにを?
わたしとシュテルンは、誰が見ても分かるほど仲が悪く職場以外まったく接点がなかった。
一応弁明すると、わたしは別に嫌ってはいなかったんだけど、向こうが最初から一方的に嫌っててさ。
他の副官仲間とか、従卒の伍長殿、その他の人たちから「あれは、すべての女性は男である自分より格下だという認識の持ち主だ。全てにおいて。そう身長もね」とアドバイスを受けた。
身長が高いから腹立たしいと言われたら、わたしとしてはどうすることもできない。
年々広がってゆくつむじを見下ろしながら、歩み寄れないなら仕方ないよな……と、距離を取るしかなかったのだ。
またガイドリクス大将にも「過去に女性士官への暴力事件を起こしている。親が職業軍人ということもあり、それの取りなしで今も軍に籍を置いている状態だ。不快なことがあったらすぐに言え」と ―― ガイドリクス大将は良い人です。攻略対象でなければ……もう攻略対象から脱落したから、良い人だけでいいのかな?
「わたしも同行してよいのかな? マルムグレーン」
「もちろんです、閣下」
そんなわたしに関するものが多数って、一体なんだ?
悪い予感しかしないなか、部屋を出てマルムグレーン大佐の案内で、仮王宮の一角に設置されている、王宮占拠事件の調査棟へ。
かつては着飾った男女がダンスに興じていたであろうダンスホール。いまそこには、押収した証拠品が積まれていて、雑多な生活臭が入り交じっている。
……で、シュテルンの家から押収された品を前に、わたしは膝から崩れ落ちた。
数々の押収品の中で、かなりの数を占める「指令書」
「これは」
「一通二通ならまだしも」
キース少将とガイドリクス大将が、押収品を手に声を上げる。
押収品を調べていた憲兵たちも困惑の表情が浮かんでいた。
「中尉が代書した指令書の蒐集家か」
閣下の低い声が、もの凄い蔑みを含んでいるように聞こえる。辺りを見ると、みんなもそう感じたらしい。
「指令書破棄担当者が、こんなことをしているとはな」
「ただ一言。気色が悪いに尽きる男ですな、殿下、参謀長官閣下」
キース少将の言葉に、ガイドリクス大将と閣下が頷く。
わたしが代書していた「何時に車を正面に回せ」などの些細な指令書。
それら命令書は、翌日ボイラー燃料や食堂の燃料になるべく、運び込まれる。
その命令書を運ぶのを担当していたのが第三副官だった。
あまり仕事熱心ではなく、何日分かまとめて持ってくると、食堂のおばちゃんたちから聞かされたこともあったが……まさか、まさか! 何してるんだよ、第三副官! 気持ち悪いー! 気持ち悪すぎるー!
「リーツマン少尉や第一副官、第二副官などの指令書はありません。クローヴィス中尉が代書した指令書のみです」
重ねて言わないでください、マルムグレーン大佐。
調査した結果を報告しなくてはならないのは分かりますが、わたしの精神にダメージが。
気持ち悪くて立ち上がれません。本当に気持ち悪い。もう……。
「中尉、手を」
閣下の綺麗な手が目の前に差し出された。人前だけど、自力では立ち上がれないので、お借りいたします。
閣下の手を借りて立ち上がると、閣下が腰に手を回して立たせてくれた。
「落ち込んでいるクローヴィス中尉に見せたくはないし、こんなものに触れさせるのは、こちらとしても忍びないのだが」
共産連邦絡みなら、十七歳の少女だって殴って恫喝するマルムグレーン大佐がそんな台詞を言うなんて! 恐怖以外感じない!
身構えていると、マルムグレーン大佐の指示で部下が不快感を隠さず、紙袋から濃いグレーの戦闘服上下を取り出した。
かなり大柄な人が着用している戦闘服。どう見てもシュテルンのサイズじゃない。
「内側の名前刺繍、被服課の特殊サイズ者のリストで股下を確認し、この戦闘服はクローヴィス中尉のものだと判断した。クローヴィス中尉は昨年、戦闘服を一着廃棄しているな?」
「はい。昨年、ガイドリクス大将閣下の推薦により、レンジャー研修に参加した際、戦闘服を駄目にしてしまい、廃棄と新しい制服の支給希望を申請し書類は通り、新しい戦闘服の配給を受けました」
「その書類も被服課で確認した。クローヴィス中尉にはなんら問題はなかった。問題なのは被服課の廃棄担当者でな、それらを横流ししていた。そしてイグナーツ・シュテルンは、その横流しされたクローヴィス中尉の戦闘服を手に入れて性行為を行っていた」
あの戦闘服、捨てるからって、洗濯もせずに被服課に渡したんですけど……あ、ああ……。
「不快であろうが、クローヴィス中尉の戦闘服かどうか? 確認をさせてもらう。さすがにこれを着用しろとは言わない。脚の長さを比較するだけだ」
あちらこちらに、覚えのない汚れがついているそれを着用しなくて済んだのは僥倖ですが、廃棄したとはいえ、自分が着ていた戦闘服を、そこまで汚されているのを見るのは気持ち悪いです。あと、その戦闘服のズボン、血が付いているのですが、どういうことですか? 聞きたくはないのですが……その……。
「失礼します」
マルムグレーン大佐の部下が戦闘服を持ってきて、脚の長さを比較する……変な匂いが濃くなるので、呼吸を止めよう。
「間違いなく、中尉の戦闘服です」
その確認のために連れてこられたとはいえ、気持ち悪いよ……。
「はやくそれを遠ざけろ、マルムグレーン。不快だ」
「失礼いたしました」
持っている兵士たちも心底嫌そうでした。わたしも、この確認作業させられたら、あんな表情になるわ……はははは……。
「クローヴィス中尉。休憩してこい。参謀長官閣下もお下がり下さい。あとは小官が」
「では任せたぞ、キース。ガイドリクス、シュテルン准尉について、後で話し合おう。中尉、行くぞ」
閣下の腕に体を預けるようにして ―― 正直走ってこの場を離れたいのですが、具合が悪くて満足に歩けない。貧血や目眩と無縁な二十三年間を送ってきたわたしが、こんなにも歩くのに苦労するとは。
証拠品が集められているダンスホールから、やっと出ることができた。
「中尉、外の空気でも吸うか」
「え、あ、はい。行ってきます」
マイナス10℃の空気を思い切り吸ってこよう。
「では、いくぞ中尉」
「あの、小官一人で」
「そのような顔色の中尉を一人で行かせるわけにはいかぬし、わたし自身目を離したくはない」
閣下にエスコートされる形で庭へと出て、背伸びして深呼吸してみたものの、軍服があの匂いを吸っているような気がして、まったく気分はリフレッシュしなかった。
「気になるか?」
「ええ。そんなことはないのですが、軍服に匂いが……」
口に出すと不快感がまたこみ上げてくる。
「そうだな。では根本から解消しよう。戻るぞ、中尉」
「はい」
白一色に染め上げられている庭から、暖かい室内へ。邸内の間取りを完全に把握している足取りで閣下が先を進まれ、
「軍服はこちらで処分する。ああ、おかしなことなど起きぬよう、マルムグレーンに処分させるので安心せよ。わたしは廊下にいる、なにかあったら声を掛けるがいい」
浴室へと連れていかれた。脱衣所にはふわふわのバスタオルに、石鹸とラベンダーのバスソルト。
浴槽にはなみなみとお湯が張られ ―― ありがたく入ることにした。
バスソルトを溶かすと、ラベンダーの香りが立つ。
その湯に浸かり、香りを吸い込むと、少し落ち着いた。
そして少し周囲を見回す余裕ができ ―― さすがシーグリッドの元実家、金の猫足がついた陶器の浴槽はなかなかに大きかった。閣下のご自宅の夫人用風呂よりは小さいが。
壁には花々のフレスコ画で彩られ、もちろんシャワーもついている。
いつもより入念に体を洗い、こっそりと浴室から脱衣所をうかがうと、すでに軍服はなくなっており、腰回りがレースアップの、黒いロングのサーキュラースカート、ボートネックの白いリブプルオーバー、ロングの絹のストッキングとシンプルなゴムガーター。
そして薔薇色のボレロがおかれていた。
体を拭いて服を着てみると、どれもサイズはぴったり。
タオルを首にさげながら、外に顔を出すと閣下が廊下に。
ほ、本当にいらっしゃったんだ! 廊下寒いでしょうに! この時代、廊下は普通に寒いのだ! ヒートショックで何人死んでいることか!
「お待たせいたしました」
「もっとゆっくり入っていて良かったのだぞ」
「充分です。閣下のお体が冷えてしまいま……」
頬に触れてきた閣下の手は、本当に冷たかった。
「閣下」
「やはり中尉の頬は、美しい薔薇色に限るな。顔色が悪いのは、わたしだけでよい」
「ぷっ!……」
思わず笑ってしまった。
閣下、ここでその話題を振るのは卑怯です。




