【043】中尉、英雄役を務める
「フーバー、オルソン、降りろ!」
叫びながらフーバーの胸を掴み引きずり降ろし、オルソンを蹴り落とし、エンジンを掛けて逃げた車を追う。
二人を強制的に下ろしたのは、この世界は車の性能はそれほど良くないので、乗っている人数が多いと速度が出ないから。
アクセルを踏み込み、前を走る車に向けて威嚇射撃をする。
まあ、当たってくれてもいいんだけどさ! ……頭を下げ車体に隠れているので、狙えないな。
更にアクセルを踏み込み、後輪に幅寄せする。
わたしが乗っている車の前輪と、相手の後輪が擦れて火花が散り、ハンドルが取られる ―― が、ダメージは相手のほうが大きい。なにせこの世界の車は後輪駆動。駆動輪である後輪の動きを阻害すると、見る間に速度が落ちる。
わたしの車の前輪は相手の車体後方に出たので、今度は車体で相手の後輪に攻撃を。再び火花が散り、再度アクセルを踏み込む。
「あ……」
アイスバーンで車の限界を超えるカーチェイスを繰り広げた結果、相手の車の後輪後方にわたしの車の前輪前方が挟まり、車二台がくっついたまま、遊園地のコーヒーカップよろしく、ぐるんぐるん回る。
このまま車に乗っていると事故に遭いそうなので ―― もう事故なんだけどさ ―― 飛び降りよう!
往来を人が歩いてなくて良かった。厳戒態勢万歳!
受け身を取りアイスバーンの上をごろごろと転がる。車は川の側の欄干に激突したが、相手も車から飛び降りていたようだ。
こっちに向かって走ってくる。
ひげ面の男だ……。いくらわたしが大柄で筋肉質でも、パワーは軍人男性に負けるんだよなあ。
構えている銃の残弾数は二発。予備の銃は車に乗り込む時に放り投げた。
念のために二発は残しておきたい。
殴り合いは避けたい、だが弾は残しておきたい ――
「うぉぉぉぉ!」
拳銃を握り、グリップエンドを人中に振り下ろす。
「ぐぎゃあああ!」
叫び声と共に前歯が飛び散り、血が噴き出す。
あ、うん、パワーは男性に多分劣るけど、リーチはほとんどの男より長いから、攻撃を食らう前に人体急所をぶちのめすことが可能なんだ!
「中尉殿!」
援軍がやってきたようだ。
そして車にはもう一人乗っていたらしく、血まみれで車体から離れてこちらへ奇声を上げて駆け寄ってくる。
ならば ―― こめかみに回し蹴りをいれるまで。
自分でも感動するような回し蹴りが入り、男がふっとんだ。
「えげつねえ脚の長さだ……」
アイスバーンに叩きつけられた男は、ひくひくと痙攣している。演技とも思えないが、銃を構えて近づくと、完全に白目をむいていた。
人中を殴った相手は、前歯五本がなくなった口から血泡を吹き出している、もちろん意識はない。
ちょっとオーバーキルだったろうか?
兵士が二名ずつ乗った車が三台やってきて、一台がわたしと何者か二名を回収し、他の二台は車の回収に当たってくれた。
車は壊すわ欄干も壊すわ……ニールセン少佐に謝っておこう。
王宮前まで戻り、捕らえた何者かを引き渡してから、さきほどオルソンを放り投げたポイントへ。
「オルソン、待たせたな。行くぞ」
何が起こったのか、まだはっきりと分かっていないような表情のオルソンを回収し、とりあえずアミドレーネ出版社へ向かうとしよう。
「クローヴィス中尉」
背後からブリザードの如き声が……。
「なんでしょうか? 閣下」
振り返るのが怖い。きっと振り返ったら……だが振り返らないわけにはいかない。
寝違えたかのように、ぎこちなく後ろを振り返ると、いつもの表情なのだが、怒っているとはっきりわかるキース少将が。
「よくやった……はあ……何があるか分からんし、目的も分からん。ゆえにアーレルスマイアー隊が同行する」
あの場面でイクセルに狙われたのが、オルソンか兵士か分からないし、さらに何故狙われたのかも分からないですしね。二人を狙ったものではなく、どの兵士でも良かった……だったんだろうか? よく分からないなあ。
「はい。リドホルム閣下はどちらへ?」
「中尉が捕らえたルース語を喋る男の尋問に立ち会っていただく。まあ、俺もルース語は分かるので、通訳は要らないのだがな。そうそう、男爵のお父上に尋問に立ち会ってもらっていると、伝えておいてくれ」
リドホルム男爵のお父上って?
「どなたですか?」
「アルドバルド准将だ」
「親子なのですか」
気付かなかったよ! 全然気付かなかったよ! 史料編纂室にいた時、そんな空気微塵も感じられなかった。……わたしが鈍いのではなく! 相手が諜報部員だから!
まあいいや、ちゃんとお伝えしておきますねー。
それで大佐とその部隊と共にオルソンを連れアミドレーネ出版社に立ち寄り、セシリア・プルックの遺品を全て運び出し、司令本部へと戻った。
室長に伝えるよう指示された事柄を全て伝え、夜間外出禁止令解除の通達を出し ―― あとは特に問題は起こらなかった。
聖誕日当日には外出禁止令も解除され、人々は家族で教会へと行きミサに参列し、穏やかなる日を過ごすことができた。
聖誕日に外出禁止令など出したら、暴動が起きるので、事態が収拾できて本当によかったよ。
わたしもいつもの聖誕日を過ごす ―― 聖誕日に食べる星形のパイと子羊のロースト、サーモンのクリームシチューにビーツ入りのサラダの食事を取り、カリナと一緒に焼いたジンジャークッキーをかじり、プレゼント交換をして、教会でお祈りを捧げ家族と過ごした。
そうそう、インフルエンザはあの後猛威を振るったよ。それはもう……みんな、寒い中作戦行動を取ったからだと考えているらしい。
それは否定しないけど、感染源の一つは間違いなくキース少将。
あとわたしはインフルエンザには罹りませんでした。健康に気を使ったし、手洗いうがいもしたからねー。前世の記憶を手に入れる前も、罹ったことないけどさ。うん、本当に丈夫なんだ。
女王についてだが、市民レベルにも徐々に噂が広がっている。
理由は大聖堂のミサに参加しなかったため。王位に就いている者は、聖誕日には必ず大聖堂へ行かなくてはならないのだ。だが今年は……。
それで女王の不名誉な噂は本当なのだと ―― 実際は、共産連邦幹部に惚れ、国を裏切るという、噂よりも遙か上の醜聞なんだけどね。
こうして慌ただしく年が明けて、一週間後、閣下とガイドリクス大将が帰国した。何事もなくて良かったです、閣下。そしてガイドリクス大将。ウィレムは無事、フォルズベーグ王に即位したそうだ。
頑張ってくれ。
隣国の王はともかく、このお二方が戻ってきたので、王宮占拠事件の取り調べと後片付けが本格化する。
本日わたしは、旧モーデュソン邸に来ている。現在この旧モーデュソン邸は、仮王宮となっている。
今回の事件を受けて、大々的に王宮の隠し通路の見直しや、改修工事が行われており、その間の仮王宮なのだ。
この旧モーデュソン邸が仮王宮に選ばれた理由だが、シーグリッドの事件後、モーデュソン家は中央から遠ざかり、現在は領地に引きこもっているのだそうだ。
そして彼らが首都から追われた、娘が共産連邦の幹部とつながっている ―― 実際つながっていたのは、女王だった。シーグリッド、とんだ冤罪です ―― とにかくこの邸は、憲兵の手により一斉捜索された。
その時、調べに調べ抜いたため、この邸の構造はしっかりと把握されているので、この邸を軍が接収し、仮王宮と定めたのだ。
ガイドリクス大将の自宅でもいいのでは? と思ったが、あちらは引越の準備で忙しいらしい。
「アーレルスマイアー一家救出、プリンシラ中将救出、王宮奪還作戦において重要な情報を提示、スパイ四名確保。見事な功績だ、クローヴィス中尉」
ガイドリクス大将、閣下、そしてキース少将の三人がいる部屋に呼び出され、ガイドリクス大将より、お褒めの言葉をいただいた。
閣下、ご無事でなによりです。
そしてプリンシラ中将救出と王宮奪還作戦において重要な情報を提示に関しては、わたしはなにも。
「久しぶりだな、中尉」
「はい、リリエンタール閣下」
「キースに預けておけば、危険はないと思ったのだが、よくもまあこんなに危険に飛び込んでいったものだな」
手に持っている書類を叩きながら、そう言われ……キース少将は危険から遠ざけようとしてくれたのですがね。
「それに関しては謝罪いたします、参謀長官閣下」
キース少将が謝ることではないような。
「中尉。プリンシラ中将救出と王宮奪還作戦において重要な情報を提示、この二つに中尉は深く関わっていないが、関わったことにしてもらう」
「はい。リリエンタール閣下」
「理由だが、今回の事態を終わらせるためには、英雄が必要でな。この場合の英雄は、失態の目くらましといった意味の英雄だ。そのような立場におくのは、わたしとしても非常に不本意だが、中尉は大佐の救出や共産連邦のスパイとの銃撃戦など、かなり目立った功績を上げたので、今回の目くらまし用英雄に相応しいと判断した」
「目くらまし……ですか」
「女王の尊厳喪失に関して。それから目を逸らさせるために英雄を立てた……そう思わせることで、今回の作戦は終了する」
なるほど。女王は既に手遅れだったが「成功した」と発表し、それを誤魔化すために英雄を仕立て目をそらしていると思わせる ―― それすら、計画の一環というわけか。
「クローヴィスは華やかさがあるから、英雄にはうってつけだ」
華やかが軍服着て歩いているような、ガイドリクス大将に言われましてもねえ。
でもたしかに内情を知っていて、派手に暴れ回ったわたしは適任だろう。
「英雄といっても、特に何をしろということはない。ただ出世してもらうだけだ」
閣下、ちょっとお待ちください。
わたしつい三ヶ月弱ほど前に、中尉に昇進したばかりなのですが!
「キースが中将に、クローヴィスは大尉に。わたしが軍の幕僚長を退くので、後任のキースの階級が上がるのだ。それと一緒に大尉の地位を受け取って欲しい」
これだから三十二歳で大将になった王族は困る!
血筋ブーストのない庶民が、二十三歳で大尉っておかしいから!
「中尉。この先の対策会議でも大尉の地位は必要なのだ」
閣下にそのように言われますと……二十三歳の時、連合軍の総司令官元帥だった閣下からすると、大尉なんて物の数ではないのでしょうが……閣下の階級おかしくない? いやもちろん勝って下さったのだから、問題はないのだろうが……。いや、あまり考えてはいけない。血筋ブーストだ。血筋ブースト!
「英雄役、拝命いたします」
ま、まあ昇進はわたしが口を出す問題ではないので、お好きなように。
そして英雄役はそれが作戦の一環というのであれば、軍人ですので、引き受けますとも。




