【039】中尉、昔話を聞く
気を失っているエリアン君と、眠っているリーゼロッテちゃん、そして大佐と着替え鞄を、シュテルンたちが乗ってきた車に積み込む。
リーゼロッテちゃんの無事を確認したときの大佐の表情といったら……。まあ、状況が状況なのですぐにいつもの厳つい表情に戻ったけどね。
髭片方なくなっても、威厳ってのは失われないものだ。
「クルーゲ伍長、頼んだぞ」
「はい、中尉」
クルーゲ伍長と部下六名をここに残す。
かなり兵士を割いたのは、シュテルン以外の拘束者たちを、ここに残して行くからである。もしかしたら、こいつらの仲間が来るかも知れないが ―― その時は、脱兎の如く逃げろと命じた。
大佐一家は兵長の運転で、わたしは部下とシュテルンを連れて、本部へと急ぐ。
本部到着後、大まかな事情を聞いたキース少将は、椅子の背もたれに体を預けて、天を仰ぐような姿勢になり、
「安全圏に送り出したつもりだったのだが」
なんか、とっても落ち込んでいた。
「お気になさらずに」
軍人ですので、いかなる危険があろうとも!
結果として幼女と少年を助けることに成功しましたし。
「……中尉。……はあ。アーレルスマイアーの子供たちの面倒を見ろ」
「はい」
それが任ですからね。ちょっと場所は変わってしまいましたが。
二人は司令部の医務室で、軍医の診断を受け、そのまま医務室のベッドで眠っていました。
「中尉、怪我は?」
「ありません」
軍医に聞かれたが、全く以て無傷。完勝です!
そして許可を取り、医務室で拳銃と小銃の整備をし ―― 衛生兵がコーヒーを出してくれた時には午前6:03。
長い夜は終わったが、これから長い一日が始まる。……キース少将の性格からして、わたしはなにもすることなく、ここで二人の世話をして終わるだろうけど。でも、長い一日だ。そして長い一日で終わらせたい。三日後にはなによりも大事な聖誕日があるからね。
「中尉。お食事です」
コーヒーのあと食事が運ばれてきた。
……子供が目を覚まさないうちに、食べておこう。
茹でたウィンナーに黒パン、そしてベーコンと野菜のシチュー。黒パンが硬い事以外は、とくに問題のない朝食。
……で、最後の黒パンをもそもそと食べていると、交代を告げられた。
キース少将は手間を惜しまない人なので、口頭だけではなく、しっかりと書面で。
この忙しい最中、自分で認めたらしい。こういうのを代書するのも副官の仕事なんですがね。
交代要員に二人を任せて、指示書通りキース少将の元へと向かうと、仮眠を取るのでその間見張れと ―― 軍病院であれを目の当たりにしたわたしにとって、これほど重要な仕事を任せてもらえるとは光栄であります。
キース少将専用の、執務室についている仮眠室なんだけど、侵入者がないとも限らないからね。身の危険ならまだしも貞操は……。
「何事もなければ、五時間後に起こせ」
そう言って仮眠室へ。病み上がりの睡眠時間としては、足りないとは思うが、事態が事態ですし総責任者ですから仕方ない。
むしろ自発的に睡眠を取ったことに驚きが。
小銃を担いで五時間、睡眠を妨げるような情報が来ないことを願いつつ、五時間有益な情報が手に入らず、交渉もできず膠着状態というのも……難しいものだ。
この病み上がりというか病休中だったキース少将が、占拠された王宮を取り戻すための総責任者になったのは、現在国内で陸軍最高の地位にいるのが、キース少将だから。
現在我が国の陸軍将校は、
大将 ガイドリクス・ヴァン・エフェルク(三十六歳・王族)あ、誕生日迎えたんで。
少将 アーダルベルト・キース(四十歳・平民)
准将 レイモンド・ヴァン・ヒースコート(三十八歳・子爵)
准将 ルドヴィーク・ヴァン・オットーフィレン(五十六歳・伯爵)
准将 フランシス・ヴァン・アルドバルド(四十九歳・従属子爵)
以上五名。
もちろんトップはガイドリクス大将だけど、現在お出かけ中ですので。
共産連邦の脅威に、その数で対応出来るの? 少なくない? 言うな! 人口総数からいって、これ以上は維持できないんだよ!
我が国の総人口は約四八○万人。東京都の人口の半分以下。
陸軍現役は二万人ほどで、うち五千人は徴兵。予備役は二十五万人。
そのため、将校はこれで足りてしまうのだ。
以前室長が語っていたアンバード少将とは、調べてみたら参謀本部の麾下にある国家憲兵の長のことだった。お顔を拝見したことはありませんがね。
あと参謀長官である閣下の下に陸海両軍の大佐が一名ずつ付き、補佐をしている。
ちなみに海軍は現役六千人、そのうち千人が徴兵。予備役は五百人ほどだったはず。
まだ空軍のない時代なので、こんな感じ。
海軍には大将と中将が一名ずつしかいない。
海軍長官エクロース大将と、行方不明中のプリンシラ中将。
プリンシラはエクロース伯爵家の従属爵位。
エクロース伯爵家の二名だけが海軍の将校。ウィルバシーを二十五歳で中将にしたあたりで、海軍を私物化しているとかなんとか言われていた。
エクロース長官はそれらの非難を、負け犬の遠吠えだとか色々と言っているらしいよ。
階級的にも身分的にもキース少将よりも上だが、伯爵さまなので聖誕祭期間は部下に海軍本部を任せて領地に帰っているので、この事態に首をつっこんでくることはない。
息子を早く探し出せよ、海軍長官。
ウィルバシーは攻略対象らしく、非常に有能だ。多分親が海軍長官でなくとも、順当に出世していったことだろう。二十八歳で中将は無理だが、三十半ばくらいで准将くらいにはなっていたと思う。
でも親のごり押しにより、階級を引き上げられ ―― 海軍内での立場はあまり良くない。七光りで私物化だもんなー。本人がどれほど嫌がっていると言っても、出世しちゃってるからね。
辞めればいいじゃない? 辞表受け取る海軍長官が握り潰したら、そこで終わりなんだよ。陸軍や参謀本部だって口を挟むことはできない。
年齢詐称疑惑とウィルバシーの仲が深まる理由は、長年にわたる親子関係の亀裂を年齢詐称疑惑が癒やし、ウィルバシーは立ち向かう勇気をもらい、親である海軍長官と決別する。
親との不仲の理由の一つに、海軍長官の長年に渡る不倫がどうとかあったような……ウィルバシー、父親の不倫どうこう言える立場か? それとも血は争えないか?
そんな親の贔屓が重たいウィルバシーや、唯一の王族男子ガイドリクス大将は別枠だからいいのだが、キース少将出世しすぎじゃないですか。
我が国の将校で唯一平民。それで三十八歳の時に少将に昇進とか凄すぎる。
乙女ゲームの攻略対象の出世速度からしたらショボいかもしれないが、普通に考えると凄いよ。
キース少将はガチの平民で、貴族のご落胤などという、興ざめ血筋ブーストはついていない。
それで伯爵や、従属子爵で実家は侯爵の室長を抜いて少将に昇進しているのだから……なんだこいつ。モテるだけでは飽き足らず、才能まで豊かなのか! くっ! でも仕方ない、キース少将だし。才能豊かだからモテてるのかも知れないが。
結局、キース少将は五時間途切れることなく眠った。
事態が動かないのかー。
とりあえず起こさないとね。
「もうそんな時間か」
とてもお疲れのようです。眠っても疲れが取れない……仕方ないよね。
「食事をお持ちいたします」
「ああ……。そうだ、中尉の分も持ってこい」
「はい?」
「食後、中尉はここで仮眠を取れ」
「普通の仮眠室で休みますが」
「あそこは複数人で寝るだろ」
「そうですが」
「中尉になにかあったら、俺の首が飛ぶだけじゃ済まん」
「……?」
「中尉は参謀長官閣下の恋人だろうが」
「うわー! うわー! 恥ずかしいから、そういうこと言わないでくださいー! 昼食取ってきます!」
いきなり何を言い出すかと思えば! それに複数で仮眠をとっても、何もされませんて。だって見た目男ですよ! 仮眠室は男女分かれていますし、銭湯の番台のようなところに監視担当者がいるので、男性が女性の部屋に入りこむこともできませんよ。
昼食は鹿肉のローストのベリーソース掛けに、ふわふわの白いパン。色とりどりの温野菜レモン味サラダ、塩ゆで海老添え。そしてサーモンのスープ。
デザートのアプフェルシュトゥルーデルに添えるのは生クリーム。
食事を運ぶと、ラッカード中佐が報告しにきていた。
冷えてしまうなーと思うが「食べながら聞いてください」とも言えないので大人しく待ち ―― あまり状況はよろしくないようだ。
ラッカード中佐は脂汗を垂らしながら、実りのない報告をして執務室を出ていった。なにが怖いって、キース少将は声を荒げたりしないのが怖い。
「閣下、少し冷えてしまいましたが」
「構わない」
キース少将の前に料理を並べ、そして僭越ながら向かい側にわたしの料理も並べ昼食を。
現在の状況について、簡単に教えてもらえました。
端的に言うと、共産連邦に踊らされた一部の兵士が、クーデターまがいのことをしでかしたのだそうです。
クーデターをしでかした理由ですが、現在の政府は共産連邦に対して敗北主義者の集まりだから、これを倒して共産連邦と徹底抗戦しようと ――
「議会を排除し、参謀長官閣下を追い出そうとしたようだ」
「リリエンタール閣下を……ですか?」
「そうだ」
「リリエンタール閣下を追い出したら、我が国は……」
「すぐさま共産連邦に攻められるだろうな」
「なぜそんなことを」
「中尉は若いから分からないだろうが、参謀長官閣下は頼りにされているが、反発も買いやすいのだ」
「はあ、そうなのですか」
「俺が士官学校に入学した頃、我が国最大の敵はルース帝国だった。そのルース帝国の正統後継者が参謀長官閣下だ。俺はあの人を敵と見なして、軍人の道を目指していたのだ」
「でも、閣下が士官学校に入学した頃は、王女が嫁いだのもそうですが、大陸縦断貿易鉄道計画などで、友好関係にあったのではないのですか?」
「中尉、良く知っているな。たしかに鉄道計画が持ち上がっていたが、正直”海”の問題があり、小競り合いは続いていたのだよ」
なんでも持っているルース帝国だが、冬場に凍らない外洋に接する土地というものだけは持っていなかった……いや、持ってはいるよ。
ルース帝国の首都から東へ遙か6000kmほど行けばあるけど、遠すぎるのだ。その点我が国はドネツク半島を盾にし冬でも凍てつかない湾と面しているから、軽快に海に出ることができる。
とくに我が国とフォルズベーグは、共産連邦の首都から、丁度良い「港町」になり得る。
「ああ……」
「参謀長官閣下はルース皇帝の親族だが、生まれも育ちも別の国であり、なんの関係もない人物なのだと、頭では分かっていても、ツェサレーヴィチ・アントン・シャフラノフという名を聞けば、俺たちの世代では思う所はある」
「アントンは、リリエンタール閣下のルース名でしたよね」
ツェサレーヴィチは後継者の意味なんだそうだ。
「そうだ。十五年前、共産連邦対連合軍の戦いで総司令官となった参謀長官閣下は、その名前で散々共産連邦を煽って勝利した」
「煽ったんですか?」
「煽ったぞ。”ツェサレーヴィチ・アントン・シャフラノフに勝負すら挑まずに、隠れて新支配者と名乗るとは。共産連邦、それは勝利がなんたるかを知らぬ、敗北主義者たちの集まりか”と……まあ、滑らかなルース語で煽っていたな」
「一応聞きますが、誰を煽ったのですか?」
きっと初代書記長ヤコフ・イサーコビッチ・ルカショフなんでしょうけどねー。
「それは当時の書記長ルカショフだ。ルカショフは連合軍と引き分けたことで、憤死したからな。まあルカショフが怒り狂うのも分かるが。連合軍の十五倍の兵力をけしかけて引き分けだ。それも総指揮官がルース最後の後継者ともなれば」
「閣下もその時、戦いに赴かれたんですよね」
「ああ。俺はその時、参謀長官閣下の副官に任じられたのだ」
煽りも全部、側で見ていたのですね。
「それは……複雑な気持ちでしたか?」
「まあな。俺なんぞが認めるというのも烏滸がましいが、参謀長官閣下の実力は認めている。我が国がこの十年大きな被害に遭わずに済んでいるのも参謀長官閣下のお力だとも理解しているし、感謝している。参謀長官閣下に死ねと命じられたら死ねるくらいには信頼している……だが……」
キース少将の閣下に対する感情は、複雑なんだろうなあ。




