【043】代表、ドレスを受け継ぐ
レオニードが使ったお金ですが、政府の間諜が共産連邦の将に騙された……なんてことは公表できないのはもちろん、政府内でも知っている人は少数に止めなくてはいけないので、レオニードが買った商品を百貨店に返品などという手段をとることができない。
『代金は植民地の税収で』
政府に入った金を動かすと知る人が多くなるので、本国に届く前の税収を闇に紛れさせ……上手くやって閣下に返しますと申し出たが、閣下は要らないとのこと。
『要らぬ』
『ですが』
でも国家としては閣下に借りを作りたくないのでしょう。我が国の場合は感情的にですが、ブリタニアスとしては将来を見据えて。
『金も徽章も気にする必要はない』
閣下は全く返して貰う気はないようです。
ブリタニアス政府としては、そういうわけにはいかないのでしょうが……頑張れ! マッキンリー首相!
さて、わたしがいる場所は、ババア陛下がお住まいの宮殿の一室。
本日わたしは閣下の妻として招待されたのです。
ただしクリフォード公爵妃殿下として招待されたわけではなく……いや違う。閣下が打診に来た政府関係者に「クリフォード公爵妃に招待状を送りたいだと? わたしのイヴをババアの下風に立たせるなど、わたしが許すと思ったか、ブリタニアス」と政府を恫喝? いや通達? したそうで、招待状の宛名は「リリエンタール伯爵夫人」に落ち着いた。
伯爵夫人も不相応だとは思いますが、公爵妃殿下よりは遙かに気楽 ―― 着替えている時、そう呟いたら側にいたディートリヒ大佐が、それはもう慈愛に満ちた微笑みで頷いてくれた。
同じ庶民だから、この気持ち分かってくれたのだろう……あんまりそんな感じしなかったけど。
公爵妃殿下ではないが有爵貴族夫人としてやってきたので、格好もそれにあわせて軍服ではなく、いかにも貴婦人の朝昼の装いといった首もとまで隠れた、落ち着いたブラウン強めのダークチェリー色をしたもの。
手袋だってもちろん革製。
ただし貴婦人が身につけるような、他人の手を借りなくては着脱不可! みたいな、余裕がないものではない。
「イヴを戦わせるつもりはないが、いざと言うとき拳を握れなくては不安であろう」
閣下が配慮してくださり ―― 見た目は綺麗に染められた革に刺繍された、貴婦人の手袋風ですが、一人で着脱可能な上、強度もあるという……頼りないご婦人手袋より、わたしはやはり戦える軍人手袋のほうがしっくりくる。
もちろんドレスに合っているので、見た目は全く軍用ではありませんが、これならきっとやれる!
それと閣下が許して下さったので、拳銃ホルスターを兼ねたガーターを着用。きっと来ないだろうけれど……もしも今日私の目の前に現れたら、問答無用で撃ち殺すからなレオニード!
そんな決意を固め、ババア陛下さまのご自宅である宮殿へとやってきたのです。
[姉妹イヴ。射撃優勝おめでとうございます]
そこでブリタニアスにお越しになった教皇猊下を囲んでお話をするのだ。
「教皇が、おめでとうと言ってる」
「ありがとうございます、猊下」
猊下のお言葉を翻訳してくださるのは閣下。
くっ! なぜわたしには、転生でもっとも重要な自動翻訳……いいけどさ!
猊下とハグし……閣下とは違う理由で硬直してしまったが、わたしは悪くないと思う。
五十年来の友人であるババア陛下さまと猊下もハグし ―― 各自ソファーに座る。ちなみに部屋には、先ほど閣下に謝罪していたマッキンリー首相と政府関係者が二名、少し離れたところで使用人のように立っている。
……きっと使用人扱いなんだろうなあ……。
室内には猊下のお供を務める大司教さまがお一人、その他リトミシュル閣下とアウグスト陛下、もちろんこの二人はソファーに腰を降ろしている。
[教皇]
[カルロス、元気そうでなによりです]
そして司祭の格好をしているベルナルドさんも。
ベルナルドさん、とっても嬉しそう……猊下のことを教皇としてだけではなく、父親とまでは言わないけれど、身近な人として信頼し好意を持っているのがよく分かる。
[教皇も。風邪など召されぬように]
猊下は見た目、世紀末の覇王感が漂っていますが、年齢は既に七十歳を超えている。
この時代ですと老人ですので、ベルナルドさんが心配するのは当然だ。
『最終的には破門だな』
猊下とババア陛下を囲んだ集まりは、本来は閣下が「破門」などと言う言葉を放つことなどない集会予定だったのだが、昨日の「ディートリヒ大佐誘拐事件」についての報告も行われることになった。
閣下の第一声が「破門」……破門は分かるのですが、どこから破門されるのかな?
もしかして教会から破門?
中世ほどの効力はないと思いますが、それでも教会から破門は一大事だと思いますよ。
義理息子の誘拐犯なので、義母としても厳罰を希望いたしますが、さすがに破門はちょっと及び腰になるくらいの処罰かと。なにせ死刑の上ですからね。
『わたしがあまりにも美し過ぎたのが悪かったのね。わたしったら、罪な女ね』
『黙れババア』
『ババア、絶好調だな』
『ババアが美しかった時ってあったのか』
『この宮殿には鏡がないようだな。プレゼントいたしましょうか?』
ちょっ! 矢継ぎ早にババア陛下さまに突っ込むのやめてください、皆さま!
『ババアなどというのはお止めなさい』
『わかった教皇』
猊下もブリタニアス語を解することができるのだそうで ―― 通訳を挟んでいると時間がかかるので、ブリタニアス語を使用して話が進められることに。
『イヴ。犯人の名前はアマデオ・オンディビエラ。五十歳を過ぎた司祭だ』
司祭が誘拐という大罪を犯したのですか!
『皆さんご存じなのですね』
『まあな。なにせババ……グロリアの二十番目の婚約者だった男なのでな』
『…………ふへ?』
ババア陛下さまの二十番目の婚約者? 閣下は二十三番目の婚約者だったんだから、そりゃあ二十番目もいるよな! うん、! 存在して当たり前だ!
間違いなくこの場で知らないのはわたしだけな、アマデオ・オンディビエラ(五十二歳)
某小王国国王の息子で、ババア陛下さまの婚約者となり、その後婚約破棄されて聖職者になった王子さま。
アマデオの父親だったアマデオ十二世は既に亡く、国は弟が継いでいるとのこと。
まあ、その……長子相続が大原則な大陸において、弟が王位を継いでいる辺り、色々とあったのでしょうが ――
『不出来が服を着て歩いているような男だったわ。子供だから出来ないことがあるのではなく、あれはどう育てても駄目な性質の持ち主だったわ』
ババア陛下さまが、ばっさりとそう仰った。
父親の国王にとってもアマデオは待望の長男だったので、厳選した教育係をつけて跡取りとして育てたのだが、早々に王の器ではないことに気付き、悩んで廃嫡にしたのだそうだ。
ただその稀にみる不出来さから、一部奸臣からは傀儡として是非即位してもらわねば! と大人気だったため、十二世も大っぴらに廃嫡にはできなかった。
そこでババア陛下さまの助力を請い、排除したとのこと。
『アマデオは自分が王になれなかったのは、グロリアのせいだと思っている。アマデオの中では、もはや疑いの余地などない真実だな』
ババア陛下さまに恨みを募らせていたアマデオは、ババア陛下さまの肝いりにして、即位五十年を祝う式典の一部であり、かつてないほどに盛り上がっているオリュンポス大会に大変機嫌を損ね、取り返しの付かない失敗で台無しにしたいと考え ―― た結果がわたし誘拐だったらしい。
……可哀想な人だな。主に思考回路が。もっとやりようがあっただろうに……企みを成功させてやるつもりはないが、よりによってわたし誘拐とは。
『サーシャが黙ってアマデオに従ったのは、聖職者の格好をしていたからだ。往来で聖職者をぶちのめすわけにはいかないからな』
ディートリヒ大佐は背中に銃口を押しつけられ、アマデオの指示に従ったのだそうだ。もちろん、すぐに銃を取り上げることはできたが、聖職者の格好をしている人を殴ったり捻ったりすると、善良な市民が助けにはいってくるので ―― 市民を負傷させるわけにはいかないということで、ディートリヒ大佐は黙って従ったのだそうだ。
『アマデオは無辜の市民にも躊躇いなく銃口を向け、発砲できる』
リトミシュル閣下がそのように……いやいや、リトミシュル閣下のその一言だけでアマデオ十二世が英断を下したことが分かるわ!
実際、ディートリヒ大佐が連れて行かれた建物には、女子供が三人ほど縄で縛られ監禁されており「こいつ等の命が惜しかったら、クリフォードの妻を連れて来い」と命じ ――
『その場に助けに入ってくれる人間がいないのだから、サーシャに反撃されて妨害計画はあっけなく終了した』
「…………」
『ああ。途中を省いてしまって分かりづらかったな。人質三人は実は金で雇われたものたちで、本当に捕らえられていたわけではない。なぜアマデオが人を雇わず自分でサーシャを襲ったのかは、以前似たようなことをしたが、裏切られてな。以来、こういうことは自分でするようになった』
『要らない学習能力だけはあるんですね……』
思わず呟いたらわたし以外、アマデオのことを知っている皆さんが爆笑した。アマデオが起こした事件の報告は終わり ―― 集まりの本来の趣旨に。
『これがトニーよ』
『うわあ! 閣下可愛い!』
……異国の女王陛下の前で大声で叫んでしまった!
『気にすることはありませんよ、姉妹イヴ』
『は、はい……うわあ。可愛いなあ閣下』
『……そのイヴが本心から言っているのは分かるのだが……可愛いか?』
『とっても可愛いです! ドレスを着た閣下』
『不機嫌な表情しかしていないが』
わたしが見ているのは閣下の写真。
さすが閣下。生まれた時から写真が残ってるんですよ!
……ま、まあ母親が閣下を抱いている写真は一枚もございませんが、若かりしババア陛下さまが抱っこしている写真はたくさんある。
ドレスを着ているって何ごと? ですが、ブリタニアスでは裕福な家の子供は五歳くらいまで、男女とも白いドレスを着るのだそうです。
金持ちであればあるほど、ドレスにはレースとかフリルが縫い付けられ、可愛い花のモチーフがついた帽子も被るのがブリタニアス流。
閣下は所謂お金持ちの息子さんなので、フリルで溢れかえったドレスを着ている。表情は「面白くなさそう」な感じだが、
『それも込みで可愛いんですよ、閣下』
それがまた可愛らしいのです。
『そうか』
閣下は五歳までここにいたので ―― 聖職者になる前までずっと白くてフリルだらけのドレスを着ていた。
何故この世界にはタイムマシンがないのだ。あったら閣下の幼いころを!
『これトニーが着ていた服よ』
ババア陛下さまは閣下が着ていた服をさすがに全部ではないが、大量に保管していた。
『閣下、ちっちゃい』
『それを着て撮った写真がこれね』
実物のドレスを手に、ババア陛下さまの解説を受け ―― これらの写真と私物は全てわたしがもらうことになった。
『こっちがチャーリーのものね』
ベルナルドさんのドレスと写真もババア陛下さまが保管していた ―― 婚約者だった男性の私物と写真、普通は彼らの実家に送り返しているそうだ。
『この二人は、これを受け取る家族がいなかったから、わたしが家族として保管していたのよ』
『ババア』
『ババア』
閣下とベルナルドさんの親族は大勢いるし、送り主はブリタニアスの女王陛下だ。どこへでも送れただろうし、引き取り手がないのなら捨てても良かっただろう、なにより閣下の家に送れば……でも、ずっと手元に残していらっしゃったんだ。
『肩の荷が下りた。トニーとチャーリーのことよろしくお願いするわ』
ババア陛下さまは二人のものを全て引き渡し、猊下からも閣下とベルナルドさんの写真と私物を渡された。
『ですが全てではありません。わたしはいつでも、あなたたちと共にあります』
猊下は二人の私物を幾つか手元に置くので、自分が死んだら取りに来て下さいと言われた。
お二人からわたしが受け継いだのは写真と子供服だけだが、それ以外のものも受け取った気がする。
それはわたしにとっては重荷ではなく ――




