【038】代表、涙について説明する
シャール宮殿に到着し親族がいる部屋に向かうと、みんなほどよく出来上がっていた。
「おお、イヴ!」
「おめでとう、イヴ!」
「先に飲ませてもらっているよ」
畏まった集まりではないし、親族を集めて待たせていると思うと気が急くので、これが最良。
「飲んでるって言ってるわりに、随分と残ってるじゃないか、アキ」
「一番飲めるヤツがいなかったんだから、仕方ないだろう」
アキは従兄弟でわたしの親戚だなーという体格の持ち主で同い年。さらに酒豪 ―― わたしのほうが飲むけどね。
「閣下」
わたしの親族という庶民の集団の中で、浮いているにもほどがある閣下。わたしの親族はちょっと良い格好 ―― 男性も女性も庶民フォーマルスーツを着ている中で、閣下お一人だけタキシード。ブラックタイに黒のベストと一切の妥協はない。
エナメルのオペラパンプスは磨かれた床と輝きを競い合っている。
タキシードは夜の準礼装なのでおかしくはないし、一緒に暮らすようになってから知ったのだが、閣下にとってタキシードは「ラフな格好」なので……上流階級育ちって凄い。
エール片手に、親戚と語らっていた閣下。もう片方の手にはもちろんステッキだが、柄はとってもシンプル。
ちなみにわたしは朝からずっと軍服です。
「イヴ」
閣下のグラスに給仕が手を伸ばし ―― いつものことだが、手渡すのではなく無造作に離し、両手を広げてわたしのほうへやってきて、思いっきりハグしてくれた。
親族が大勢いるなかでハグは恥ずかしい……ような、家族なんだからハグで照れてどうする! という気持ちもあったり。
閣下の両頬に軽くキスをし、閣下と一緒に親族周り。
もちろん難しさの欠片もない「イヴ、おめでとー」「ありがとー。存分に飲み食いしろよ」みたいな会話をしてメダルを間近で見せて触らせたり、ここにもいるオルソンに写真撮影を依頼。
「あらためて言わせて。イヴ、おめでとう」
最後に両親の元へ。濃紺でマキシ丈のスーツに真珠のネックレスの継母から祝福の言葉を。
「ありがとう継母」
継母はわたしの頬に手を伸ばし、
「イネスさんに、こんなにも立派になったイヴを見せたかったわ」
いまにも泣き出しそうに笑って ――
「ありがとう。きっと実母は継母に祝ってもらえて良かったねって言ってると思うよ。ねえ、父さん」
「うん、父さんもそう思うよ。本当にありがとう、ライラ」
天国にいるであろう実母は生前と変わらず、にこにこ笑っているだろう。
「はーい。カリナ」
「ありがとう、姉ちゃん。すごーい!」
最後にカリナの首にメダルを掛けると、メダルを持ち小首を傾げて……わたしの妹が可愛い。そのメダルは可愛い妹とは縁遠いどころか、隔絶している射撃で得たものですが。
「イヴ、話があるのだが」
妹が可愛い……してると、閣下に耳打ちされた。
「はい、なんでしょう?」
「事前に話すべき事柄だったのだが、ヴィルヘルムめが」
「リトミシュル辺境伯爵閣下がどうなさいました?」
「この親族の会合に混ざりたいと言い出してな」
「…………はぁ?」
なぜ混ざりたいのか分からないのですが、リトミシュル閣下なら、そのように仰る可能性もあるなと納得してしまう謎の説得力がある。
アウグスト陛下は失礼ながら、いきなり窓から突っ込んできそうなイメージ……きっと初対面時のハンググライダーのせいだろうなあ。
「親族だけだと却下したら、早々にサーシャの養子手続きを終えてしまってな。サーシャは昨日付でヴィルヘルムの養子になった」
「……」
早くない? 早いよね。というか、早すぎですよね。
庶民でも養子を迎えるのには手続きでそれなりの日数がかかる。
物語などで貴族が孤児院から孤児を引き取って……物語上、そのまま連れていかれているが、あの時点で書類は受理されていないから、現実ではあれは単なる誘拐だ。
物語の流れ上「書類が受理されてから迎えにくる」では、面白みにかけるので、それは問題ないのだが ―― 名門貴族の養子はそんなに簡単にいかないでしょう!
いかないはずですよ! 名門貴族の養子手続きなんて知らないから……いや、閣下ですら「早々に」と仰ったのだから、異例のスピードだったのだろう。
「ことがことなだけに、イヴの親族にはわたし自ら説明したいと考えていた」
そうですねー。
遺産を巡る争いに備えての養子なんて、由緒正しき庶民たちには想像もつきません。
庶民にも養子縁組はあるよ。
この時代は子供がいない夫婦が親戚の子を跡取りにするというのは、珍しくもなんともないけれど……閣下とディートリヒ大佐……じゃなくてサーシャ……じゃなくてジークムントの養子縁組は、種類が全く違うので。
「まだわたしたちの養子となってはいないが、近々養子として迎えると、前もって説明したほうが良いと……ヴィルヘルムに言われるまでもないのだが、あれまでもが現養父ですとしゃしゃり出てくるのかと思うと」
相変わらず手段を選ばない御方だなあ。
ですが、
「構いませんよ」
わたしとしては何ら問題はない。
親族だって問題はない。ちょっと酒が入ってほろ酔いな庶民の中の庶民たちが、複雑な家系と財産管理について云々の話をされて、理解できるかどうかまでは……。
そもそも閣下の財産についてなんて、理解する気は微塵もなさそう。
「そうか。では呼ぶ」
閣下がせっかく説明してくださるのに! 思う反面、仕方ないよなとも。
「初めまして」
わたしの護衛としてシャール宮殿にやってきていたディートリヒ大佐ですが、いつの間にかタキシードに着替え、雰囲気もリースフェルト伯爵に変えてリトミシュル閣下と共に会場に現れた。
「連合軍の黒眼帯閣下!」
リトミシュル閣下のことを知っている親族がそんなことを ―― 畏まった場ではないので、本日のリトミシュル閣下はトレードマークの黒眼帯にタキシード。
……黒眼帯に攻撃力などないのですが、黒眼帯を装着しているリトミシュル閣下は強そう。いや片眼鏡姿でも、普通に強そうですけどね。
「もう甥っ子ができちゃうの」
カリナに義理ですがわたしの息子になる人だよと、リースフェルトさんを紹介すると「お世話したかったのに」と残念がられた。
その他の親族にも「諸事情により、全くの赤の他人をわたしの庶子と認定し、その後正式な養子にします」という、庶民には意味不明な説明を。
「貴族って色々あるんだね」
どの親族も難しいことは流して「そういうことあるんですか」「息子さん、イヴよろしくな!」「まあ飲もうぜ」で終わらせた。
わたしもその立場だったら、間違いなく同じ台詞を言うだろう。
「そうみたい」
「イヴならきっと、あの息子さんとも仲良くやっていけるよ」
「うん!」
親族から緩い激励を貰い ―― 騒がしい方を見たら、アキがリトミシュル閣下と飲み比べをしていた。
何をしてるのだ、アキ。
失礼なので止めようと思ったのですが、閣下が「気にしなくていい」と。
さらにリースフェルトさんは、デニスと一緒。デニスからトーストサンドイッチを差し出され、曖昧な表情で受け取り……なぜそれを差し出したのだ、デニス。
なんの話をしているのだろう? 閣下の息子なら蒸気機関車の話ができるとでも思っているの? そうなの? デニス。
特に何ごともなく、いかにも親戚の集まり! といった感じのまま終わり ―― 本日家族と親族総勢三十六名全員、このシャール宮殿に泊まっていく。
雑魚寝などではなく、一人一部屋……夫婦は二人一部屋か一人一部屋かを選べるそうだ。そうそう、一人一部屋とは言ったがベッドが置かれているだけの部屋一室ではなく、完全に貴族仕様の天蓋付きベッドだけが設置されている部屋の他に、三部屋くらいついているのは当たり前。夫婦二人で一部屋ですと、もっと豪勢なお部屋に通される。
わたしの両親には王族が泊まる際に使用する部屋を ―― 王族用とは伝えていないが、両親はなんとなく感じ取ったようだが「良いお部屋、ありがとうございます」で泊まってくれるようだ。
「気持ち良いなあ」
わたしももちろん、本日はシャール宮殿に泊まります。
なにをしているか? 風呂に入って手足を伸ばしている。熱めのお湯が気持ちいい。そしてわたしが脚を伸ばしても、まだ余裕があるバスタブ万歳!
ラベンダー精油入りのお湯で存分にまったりしてから、閣下の元へ。
閣下が待ってくださっている部屋は、閣下とわたし専用の会話専用の部屋。「部屋が無駄にあるので、専用室でも作らぬとな」と閣下は笑って仰っていた。
貴族が領地に所有している城なら、部屋が無駄にある……は分かりますが、この街中にそれほどの宮殿を構えられるなんて!
そんなことを考えながら、アイヒベルク閣下があけて下さったドアから室内へ ―― 閣下もお風呂上がりで、寝間着にナイトガウンとベルベットスリッパで、ダークブラウンの髪は下りている。
ほとんどの人が見ることのできない、ナチュラルヘアな閣下。
「イヴ、ゆっくりできたか」
「はい」
「それは良かった。さあ、隣に」
とてもよく似合っている室内着を着用している閣下の隣に座るわたしの格好は、シルクとレースを使ったナイトガウンを羽織っているが、ネグリジェはヴィンテージ感溢れるコットン製の可愛いもの。
色も桜色っぽいやつで……いいじゃないか! 可愛いの着たって! 全体的に男にしか見えないけど、可愛いもの好きなんだ!
「はい」
閣下に促されるままにとなりに腰を下ろす。
「飾らせてもらった」
ソファー前のテーブルには、よく絵画などで王冠が赤く分厚いクッションに乗せられているのを目にするが、まさにそのクッションに本日閣下に被せていただいたオリーブ冠が乗せられ、隣にはわたしが閣下に作ったが乾燥してしまった月桂冠が、同じようにクッションに乗せられている。
メダルはクリスタルガラス製の……多分専用に作ったと思われる台にかけられていた。専用台はもう一つあり、そちらにはまだ何もかけられてはいない。
「わざわざ飾り台を作ってくださったのですか?」
「ああ。イヴの栄誉だ。最高の状態で飾らねば」
閣下がとても楽しそうでわたしも嬉しい。
豪華な壁紙が貼られた部屋に相応しくない樽にアイヒベルク閣下が近づき、
「あとは呼ばぬ。下がれ」
「はっ!」
ガラス製の大ジョッキに黒ビールを注いでテーブルに置き退出なさった。
閣下がジョッキを持ったので、わたしも持ち、
「おめでとう、イヴ。そしてわたしの願いを叶えてくれてありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます」
二人で思いっきりジョッキをぶつけて音を立てて乾杯し、一気に飲み干した……一気に飲むつもりはなかったのだが、風呂上がりの体が水分を欲していたので。きっとそう。そうに違いない。
閣下は空になったわたしとご自身のジョッキを持ち、壁側に置かれた樽の側へといき、ジョッキに黒ビールを注いで下さった。
「上手く注げたとは到底言えぬ代物だが、我慢してくれ」
泡もきっちりたっていて、わりとお上手だと思います。
閣下、なんでもできてしまうのですね!
「つぎはわたしが注ぎますね」
「そうか。ではすぐに飲み干そう」
「閣下」
閣下は再び一息に飲み干し ―― さすが”ウォッカを薄めて飲むヤツは男じゃない”と言われていた帝国の元皇太子、酒の強さが尋常じゃない。
互いに黒ビールを注ぎあって話をし ――
「イヴ、教えて欲しいのだが」
「はい」
「イヴは何故、表彰台で泣いたのだ?」
閣下は本当に不思議そうに聞いてきたので、嬉しかったのです。嬉し涙というものですよと説明したところ、
「そうなのか。いや、言葉は知っているし、似たようなものを見たことはあるが、認識したことはなかったな」
「そうでしたか」
「イヴを泣かせたものは、全て排除せねばと思っていたのだが、嬉しさを排除するわけにはいかないな」
閣下はそう仰ってから、黒ビールを再び飲み干した。
「イヴはこれからも、嬉しさで泣くことはあるのか?」
「あると思います。閣下との生活はきっと嬉しいことが多いでしょうから」
「…………そうか。わたしはイヴを喜ばせるつもりでいるが、時には泣かれてしまうのか。イヴ、わたしは情緒が乏しい男なので、イヴのように泣くことはないが……喜んでいることだけは分かって欲しい」
「閣下……これから大きな喜びを知って、うれし涙が溢れてくるかもしれませんよ」
そう言ってわたしは自分のジョッキの残りの黒ビールを飲み干す。
「それはない」
「どうしてですか」
即答されたのだが……。
「イヴを手に入れたときが、もっとも嬉しかった。わたしの人生であの時以上の喜びはない。だがその時ですら、涙など一筋も零れなかった。だから泣くことはない」
閣下はジョッキをテーブルに置き「おいで」と手を広げたので、わたしもジョッキを置いてゆっくりと抱きつく。
「イヴ、わたしの顔を見てごらん。泣いていないだろう」
見上げた閣下のお顔は穏やかで、目元は涙など一粒も零れそうにはなかった。
「はい」
「わたしは、わたしの腕のなかにイヴがいるときが、一番幸せなのだ。これ以上の幸せ、喜び嬉しさなどない。だから泣くことはない。愛しているよ、イヴ…………ふふ、耳が赤いが酔ってしまったのかな? イヴ」
閣下の微かな笑い声。酔ってないの知っているのに、そういうこと言いますかー! 赤いのは耳だけじゃないー!




