【028】幕間 ―― キースとヴェルナーへの報告書
オリュンポスの出場は公務である ―― 仕事である以上、報告義務がある。
ロスカネフ王国は裕福な国ではないが、三日に一度の報告書を送ることが出来ない程、貧乏な国ではない。
そこまで貧乏な国は、物価の高いブリタニアスの首都にして世界有数の大都市に、選手を派遣することなどできない。
ロスカネフ王国におけるオリュンポス関連の総責任者はヴェルナー。
「司令官閣下、ヴェルナー少将。ブリタニアスの選手団から大きな荷物が届きました」
ヴェルナーの副官オクサラが報告書と共に、大箱四つを会談しているヴェルナーとキースのもとへと運んできた。
「なんだ、それは」
会談の場になにを持ってきやがったんだ? という態度を隠さないヴェルナーに、
「選手団の報告書の他に、クローヴィス少……大統領夫人からの贈り物のようです。荷物は聖職者のみなさまが運んできてくださったので、中身がすり替わっていることもなければ危険もないと、リリエンタール閣下の家令スパーダ卿が」
”聖職者に押しつけられたので、断るに断れなかったのです”という気持ちを全く隠さずオクサラが告げる。
この上官とこの部下は、基本感情を隠さない ―― 正直と言えば正直だが、だからといって彼らの部下が仕事をし易いかといわれたらそうでもない。
「クローヴィスは陛下の副官を経てわたしの副官になったことと、生来の性質から郵送品の開封には、厳しかったからな。ブリタニアスからロスカネフまでの間に、なにかが混入されたりしたら困ると大統領閣下にこぼしたのだろう。あの人は嫁のためなら何でもするから……オクサラ、そいつらは普通の聖職者ではなく異端審問官だ。それも選りすぐりのな」
キースから修道士ではなく異端審問官だと告げられたオクサラは、自分の普段の不信心ぶりが頭を過ぎり、視線を上に向けた。
「そこまで心配することはない。それで中身は?」
「開けてからのお楽しみ……とスパーダ卿に言われました」
キースとヴェルナーは顔を見合わせ、
「……クローヴィスだ、信用しようじゃないかヴェルナー」
「たしかに。あいつは悪いことはしないだろう」
「周囲にいる悪い中年男性たちが、なにをするかは知らないが」
「なぜリリエンタール閣下の周囲には、愉快犯ばかり集まるんだろうな。オクサラ、開けろ」
「リーツマン」
二人は話し合いを一時中断して、可愛いが偶に全力でぶん殴りたくなる美貌の部下からの贈り物を開けるよう、各々の副官に指示を出す。
リーツマンは別室から釘抜きを持ってきて、木箱の釘を抜き、オクサラは梱包材をナイフで切る。
厳重な梱包の中からまず現れたのは、油紙に包まれた紙の束。
「箱の上に乗っていたのは報告書です」
隣国フォルズベーグがいまだ政情不安なこともあり、現在国外のほとんどの物は海から運ばれてくる。手紙もその一つだった。
そのため湿気でインクが滲むことを考慮し、真面目なキースの元副官は報告書を濡れから守るために、きっちりと梱包したのだ。
「しっかりとした梱包しているのは褒めてやりたいところだが、間違っても濡れたりしないだろう」
異端審問官たちに運ばせた積み荷 ―― キースの脳裏には、ありふれたこの木箱が一等客室の主人用の部屋に運び込まれ、正装した異端審問官が随時二人から四人が付き従い、丁重に運ばれてきたのがありありと浮かんだ。
「船が沈没でもしない限りな」
ヴェルナーは封を開け、クローヴィスが書いた日誌と報告書に目を通す ―― クローヴィスは一応選手団の団長なので、報告書をあげる仕事も任されている。
「一応」なのは偶に大統領夫人、または公爵夫人として選手団を離れることがあるので、その間は副団長のシベリウスが団をまとめている。
「こっちはウルライヒからの報告書だな」
キースの命による海外派遣組の報告書は、専らウルライヒが担当していた。
「…………めんどくせえな」
ウルライヒからの報告書にざっと目を通したキースが、司令官らしからぬ台詞を吐き ―― 厳重な梱包を開けていたオクサラとリーツマンが「びくっ」とする。
さらには室内にいた親衛隊隊長のユルハイネンも「なんだ?」といった表情に。
「どうした」
「名門クローヴィス家の嫁と婿についてだ」
キースから突き出されたウルライヒの報告書の一ページには”クローヴィス家と繋がりを持ちたいと、未婚の男女が大勢やってきております”なる報告。
「弟の嫁候補はリリエンタール閣下の妾腹姉の娘、妾腹叔母、異母姉の娘……どれも君主の妻になれる女たちじゃねえか」
妾腹叔母は閣下の祖父リヒャルト六世最後の愛人が産んだ子で、リリエンタールよりも十四歳ほど年下 ―― それでもデニスより二つ年上だが。
「弟のほうは妾腹姉の娘で決まりだろう」
「鉄道留学している、大公領の代理にして本人が爵位を持っている才女だったか?」
「それだ。あの弟にとっては、鉄道の話ができるというのは何よりも大事だろうからな」
「あの弟はな」
「リリエンタール閣下が言っていたのだが、いずれバイエラントを弟に任せたいと考えているそうだ」
「あの弟は統治できないだろう……だから妾腹姉の娘か」
「おそらく。まあ、弟には”妻はこちらで選んだ相手にしてほしい”とはなし、すでに内諾を得ているそうだ」
「……あの弟は、そういうところはすぱっとしているだろうからな」
「これはクローヴィスには内密にとのこと。弟の結婚にまで影響が……と悩み、考えなくてもいいことを考え出すのでと、弟たっての願いだ」
「姉弟、仲がいいな……おいおい」
ページを一枚捲ったヴェルナーが、報告書に滓にすらそんな視線を向けないだろうと ――
「どうした、ヴェルナー」
「クローヴィスの妹にも着々と。ガーデンパーティーにフォルクヴァルツ、リトミシュル両名、クローヴィスの妹と年の頃が合いそうな息子を全員連れてきたそうだ」
できるだけ聞かないふりをしている彼らだが、聞こえてくる内容に「うわぁぁぁぁ」という気持ちになる。
「クローヴィスの妹は、現段階でも充分な美人だから息子たちも大喜びだろうよ。この婚姻が成立したら、ロスカネフに王家以上の名門が生まれるわけか」
「王家よりも名門がいるという国はあるが、大陸皇統宗主、フォルクヴァルツ、リトミシュルこの三家と一斉に縁を結ぶ家なんて……普通は勢力図やらなにやらで潰えるが」
いいながらヴェルナーは報告書をキースに返し、クローヴィスからの当たり障りのない報告書を軽く読む。
クローヴィスからの報告書は「選手たちは元気です。体調万全です。オリュンポス頑張ります」に始終しているが ―― 今回はウルライヒが報告に上げてきた妹の婿の座を狙う貴公子たちがやってきたパーティーについても書いていた。
「…………ぶほっ! キース、安心しろ。クローヴィスの妹は下手したら一生独身だ」
ヴェルナーの笑いを含みすぎた声にキースは一瞬だけ表情を強ばらせ、すぐにヴェルナーの手元にある報告書を奪い取り、読んでいた箇所に目を通す。
そこにはフォルクヴァルツ、リトミシュルの両名が「うちの息子、どう?」とカリナに聞いたところ「姉より格好良くなきゃ嫌だ」という返事に「そりゃ無理だ!」と両者大爆笑。
さらなる追い打ち ――
「クローヴィス以外、男性で格好良いと思ったのは誰という質問に”アーダルベルト・キースと答えて、またお二人は大笑いしたのですが、姉としては笑えませんでした”。ぶははは! お前のそれ、相変わらず四方八方年齢問わずだな!」
ヴェルナーに笑われたキースは舌打ちをする。
「きっとあいつらも、お前みたいに笑ったんだろうよ」
「そりゃあ笑うしかない。だがお前を格好良いと思うという答えで、あの二人は諦めたようだな。さすがアデル」
「やめろ……だが腑に落ちん」
「なにがだ?」
「あのクローヴィスの妹は、わたしに全く興味がない筈だ。自惚れるわけではないが、わたしに興味がない女というのは珍しいから、すぐに分かるのだ。クローヴィスの妹は下手をしたらクローヴィス以上にわたしに興味がない。ある種、別格だ……先回りして手を打ったヤツがいるな」
キースは腕を組み ―― アイスブルーの瞳が鋭さを増す。
「先回り?」
「おそらく」
木箱を開けていたリーツマンやオクサラは「女はこの司令官のどこを見て儚げって言ってるんだ」と。
「あの閣下。箱の中身は液体です」
クローヴィスの妹の将来のお相手は気になるが、きっとこの人ではないだろうな……と思いながら、箱の中身を一瓶取り出した。
「テキーラだな」
瓶を見たヴェルナーはそれが何なのかすぐにわかった。
「テキーラ?」
「酒だ。新大陸のほうで作られている酒だ」
輸入ルートの関係上、ロスカネフにはほぼ入ってこない酒でもある。
「”お二人はテキーラが好きと聞いたので、手配いたしました。どうぞお楽しみください”……だそうだ」
報告書の最後にそのように書かれ、選手に補欠とスタッフ、さらには海外派遣組全員が映った写真を添えられていた。
ヴェルナーとキースは一本だけ貰い、あとは部下たちに配った。
テキーラは好評で、
「隊長にもっと送って下さいって頼みてえ。ねえ、隊長」
すぐに全ての瓶が空になった。
「そうだな……」
*********
『お前たちの成果報告を肴にテキーラをあける。いい酒がさらに美味く飲める結果を持って帰ってくるんだろうな』
ヴェルナーから速達で届いた御礼状を前に、
「賄賂的なものを送ったら更なるプレッシャーをかけられるとか、聞いてない。でもそれがヴェルナー教官……知ってた」
クローヴィスはマホガニーの机に俯せたが、秒でバネ仕掛けのように立ち上がり、
「頑張るしかない! お任せください、フェルディナント・ヴェルナー少将。酒が美味くなる報告ができるよう、イヴ・クローヴィス死力を尽くします!」
故国へ向かって敬礼をした ―― ちなみにこの時クローヴィスが着ていたのは、ワインレッドのAラインドレスである。




