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【009】代表、戴冠を約束する

 パーティーが終わり部屋に戻ってから、まったく代わり映えしていない化粧を落とすために入浴を ―― 船だというのに毎日お風呂に入れるこの贅沢。

 航海日数が短いということもあるが、この時代にこんなに豊富な湯量を使えるのは珍しい。

 でもさ、毎日お風呂に入らないと……任務中なら我慢できますが、毎晩閣下と一緒のベッドで眠るので、体はしっかりと洗いたいのです。

 閣下はお優しいので「イヴは良い香りしかしないよ」などと仰ってくださり、ディートリヒ大佐まで追従して「森で遭難してから意識を取り戻すまで、体を拭いた程度だったが、ほんとうに良い香りでしたよ」と ―― そんなことあるはずない!  

 もっとも「異臭が漂って近づきたくなかったです」と言われたら、大女ながら女心が傷付くので、ありがたいとは思いますが!

 お風呂から上がりシルク製のピンクのネグリジェ ―― サテンとクロッシェレースのドレープがふんだんに使われている、とても可愛らしいやつ……閣下が「好きなデザインを着るといい」と用意してくださるのでそれに袖を通して寝室へ。


「ゆっくりと入れたか? イヴ」


 ベッド脇の椅子に座りチェーンのついた片眼鏡をはめ、革張りの本を読んでいた閣下がこちらを見てそのように ―― 閣下もお風呂上がりなので、髪が濡れて下りている。

 テーブルには檸檬とミント、ブルーベリーと迷迭香(ローズマリー)のフレーバーウォーターのピッチャーと氷が入ったグラス。

 本来ならばグラスに注ぐのは給仕にしてもらうのだが、この可愛らしい格好をしている自分を他人に見られるのは恥ずかしい……ということを閣下は分かってくださっているので給仕もつけない。

 ベルナルドさんやディートリヒ大佐が笑ったりしないことは分かっているのですが、分かっているのと耐えられるのは違うので。


「はい。気持ち良かったです。閣下、どちらを飲みます?」

「そうだな、では迷迭香(ローズマリー)のほうを」


 本来なら給仕などするものではないのですが、二人きりで過ごすとなればどちらかが注がなくてはならない。

 わたしと閣下、どちらが注ぐか……話し合った結果、


「はい、閣下どうぞ」

「ありがとう。イヴはどちらを?」

「では檸檬のほうを」


 相手に注ぐということに。

 閣下はテーブルに読んでいた本を開いたままおき、わたしのグラスにフレーバーウォーターを注いでくださった。

 その閣下が何をお読みになっているのだろう? と本をのぞき込んだら…………一目で異国語と分かるヤツでした。


「閣下、これ読めるんですか」

「ああ。わたしは若いころは、なかなかに不良でな。悪魔の言語と呼ばれる書物に手を出して読みあさっていた」


 閣下がわたしの方を見て、そう仰った。


「ありがとうございます、閣下」


 いまではそんなことはあまり(・・・)ないのですが、宗教戦争が激しかった中世の頃は、異国の言葉は悪魔の言葉と言われていた……ほんとかよ! と思っていたのですが、閣下が仰るのだから本当だったのだろう。


「よく異端審問官に捕まりませんでしたね」


 いや、これが大学の必須外国語で単位が危うくなってたら、そう思うかもしれないが。

 文字としては綺麗だよね。

 まあ文字ってどれでも綺麗だけどさ……読めないけど。


「わたしは特例で許されていたのだ。ルースの南は異教徒の国と国境を接していることもあり、全人口の二割ほどがこれに似た言葉を使っていてな。またルースには異教徒も含まれていた。わたしはそちら(・・・)に生母から受け継いだ領地を持っており、世俗枢機卿だったので、覚える必要があると言い張ってな。もちろん必要はなかったが」


 さすが多民族大国家ルース。

 まールース自体、わたしたちとは違う文字を使っているので……覚えづらくて仕方ない。

 のぞき込んだわたしの目に飛び込んで来る…………読める気がしない。読める気がしない! 大事なことだから二度言いましたよ!

 くっ! 転生特典の無さを噛みしめるだけの簡単なお仕事!

 諦めてはいますが、こうして難しい言葉を見るにつけて、なぜわたしには自動翻訳機能がないのだと。

 自動翻訳機能があったら、外交的な面で閣下のお役に立てたかもしれないじゃないですか!

 閣下は本を閉じられ ―― 二人でグラスの水を飲む。ハーブの香りが口いっぱいに広がって気持ち良いわ。


「そう言えばイヴが、アウグストやヴィルヘルムがイワンに対しノーセロート語で話していたのを、不思議そうに見ていた……とベルナルドから聞いたのだが」

「ぶふっ……」


 一体それは何時の……。


「あ、ああ、ベルナルドさんを助けたあとの出来事でしょうか?」

「そうだ」


 あのお二人、イワンのこと「ジャン」って呼んでたから、ノーセロート語なんじゃないかな? と思った程度ですが。


「ルースは国土が広く、昔から貴族でも東西南北で使用言語が違っていた。だが宮廷で違う言語を使われると色々と困るので、ルース帝国では宮廷語として外国語を採用し意思の疎通を図った。その外国語がノーセロート語でな。貴族はノーセロート語を話せて当たり前だった時代があったのだ」


 知らんかった。全く知らんかった!

 そして閣下がさらりと語られる「宮廷語」とかいうエレガントなパワーワードに、住む世界って言葉をひしひしと感じるわ。


「ただな、貴族同士の会話がノーセロート語だと、戦場にて将校同士の会話を聞いた兵士が”外国語? 敵だ!”と勘違いして、襲い掛かる……などという事件が頻繁にあり、軍では使用禁止になった。そこからあまり使われなくはなったのだ。だがルース帝国が滅びるまで貴族は嗜みとしてノーセロート語は学んでいた。もっともルース帝国は庶民も東西南北で使用言語が違うため”外国語? 敵だ!”で将校が徴兵に殺害されたり、言語と民族が違う部隊が鉢合わせて敵と勘違いして交戦するなどは、戦争の風物詩のようなものであり、その伝統はいまも共産連邦で脈々と受け継がれている」


 それはまあ……その……嫌な風物詩で……国土が広くて多民族国家ですと、色々と大変なんですね。そして受け継がれているのか。何というお家芸。

 単一民族小国家民としては、そういう問題は一切ないので、想像も付きませんでした。

 もちろんロスカネフでも東西南北で微妙にイントネーションが違ったりするが、使用文字が違うようなことはない。


「そうなんですか。全く知りませんでした」

「知らなくても問題はないことだ。そうそうロスカネフの兵士がルースの物資を奪えるのは、この言語が違う兵士が混じっていても、将校が気付き辛いのも理由だな」

「なるほど」


 閣下がくすりと笑われ ――


「馬鹿にするわけではないのだが、アディフィン語はやはり看過されてしまうのだが、ロスカネフ語やバルニャー語は少数派なのでルースの地方言語と勘違いされることがほとんどだ」


 うん! 知ってた!

 マイナー言語なの知ってた!


「アディフィン語圏出身のルース皇后は多く、宮廷に仕えていた者も多くいたので見つかってしまうとヴィルヘルムが言っていた」


 大国と小国の違いってヤツですね。


「イワンは貴族の嗜みとしてノーセロート語を覚えていたので、亡命先に選んだのもノーセロートだった。二人はイワンがもっとも理解しているであろうノーセロート語で煽ったのであろう」


 煽るってはっきりと仰った。閣下も煽ったってお認めになったー!


「事情が分かって、さっぱりしました!」


 その一件、忘却の彼方行きの蒸気機関車に乗せる三日前くらいでしたが、教えてもらえてよかった。


「ところでイヴ……」

「どうなさいました? 閣下」


 飲み終えたグラスをテーブルに置いた結婚指輪と婚約指輪をはめている左手に、閣下が手を重ねてきた。

 繊細な手だけど、弱々しさを全く感じない……わたしの手は逞しいんですけどね。


「あのな……ババアがな」

「グロリア陛下がどうなさいました」

「ババアが……」


 閣下が困ったような表情に。

 個人的な考えだがババア陛下さま絡みなら、悪いことではないだろう。

 片方の手を閣下の手に重ね、閣下が喋ってくださるのを待つ。

 この時間も嫌いではない……いや好きだ。

 閣下の片眼鏡の装飾チェーンが揺れ ――


「ババアがわたしにブリタニアス王太子クリフォード公爵としてオリュンポス(オリンピック)の射撃で、メダルの授与をしないかと持ちかけてきおったのだ」

「?」

オリュンポス(オリンピック)の最後を飾る大賞典馬場馬術のメダル授与は、自分(ババア)のものなので譲らないが、射撃ならば譲ってやってもよいと。もちろんブリタニアスの王族としてという条件がつく」

「……」

「わたしはブリタニアス本国でブリタニアス王族として公式行事に出たことはない。わたしはブリタニアス王位を継がぬので、当然のことなのだが」

「クリフォード公爵として公式行事に出席したら?」

「まあまあ騒がしくはなる。だが分かっていても、イヴの首にメダルをかけることができるという誘惑には抗えず……イヴよ、射撃の授与式の際、わたしがメダルを授与しても良いだろうか?」

「え……ええ」

「イヴに謝りたいのだが、事後報告になって済まぬ」


 閣下はわたしの手を取り、しっかりと握り締めて謝罪を。


「?」

「ババアの提案があまりにも魅力的だったもので、聞いたその場で”引き受ける”と返してしまったのだ。イヴの許可も取らずに。あとでベルナルドには叱られ、キースには”大会前に説明しろ”と言われ……その……本当に済まぬ」

「閣下」


 キース大将に言われたということは、国を出る前には既に「やる!」ってババア陛下さまに返事をしていたということですね。

 あれ? ババア陛下さまから持ちかけられたということは、もしかして結婚式のあたり? ……ですか。

 そうだとしたら、かれこれ一ヶ月以上は経っているのですが。


「イヴならば必ずや勝てる……あまりプレッシャーを掛けるつもりはないのだが、その……」


 考え過ぎて言い出せなかったのですか、閣下。叱ったりしませんよ。


「それは分かっているのだが」


 さりげなくわたしの思考を読まれましたね、閣下。


「ははは、大丈夫ですよ閣下。むしろ閣下にメダルを授与してもらえるなら、やる気が更に増します! 他の人にその権利を譲るつもりはありませんので」

「イヴが表彰台にのぼらないのなら、わたしはメダルの授与には関わらない。だがそんなことはないからな。イヴにメダルを授けたいのだ。更に言うと勝者には古代に則りオリーブ冠を授けるのだ。イヴの頭に冠を乗せる権利は誰にも譲りたくはない。精々譲って許せるのは教皇(パパ)だけだ」


 閣下の猊下に対する絶大な信頼を感じるとともに、冠に対する認識の違いが。

 庶民にとって冠を頭に乗せることって、もっとも縁遠い事柄の一つだから、閣下がこのように仰る理由がよく分からない。


「でもオリーブの冠ですよ」

「オリーブの冠であってもだ。イヴに冠を乗せるのは配偶者であるわたしの権利だ」


 ……よくは分からないけれど、立ち上がって髪越しに閣下の額にキスをする。


「大好きですよ、アントーシャ」

「イヴ……」


 メダル授与もオリーブ冠の戴冠も、閣下にしてもらえるのなら嬉しいから、わたしとしては望む所です!

 ですが公式行事に王族として出席するとなると、


「王位のほうは」


 即位関連の問題が出てくるのが心配だなと。


「そちらは片付いている」

「は?」

「ブリタニアス王族として行事を行ってから発生する出来事については対策済みだ。ただイヴになかなか言い出せなくて」


 そ、そうか……そっちはもう対策済んでるんだ。普通はそっちのほうが大変じゃないかな……って思うんだけど。

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