【003】代表、計画を乱す
船に揺られ非常に短い距離を移動中 ―― 対岸まで約百三十kmほどなので、すぐ到着する。
乗船している船は閣下所有の客船。
客船の前に「豪華」と付けるのが正しい客船。
なぜ閣下所有の客船で移動することになったのかは割愛しますが、端的に言うと旅費問題。公費を最小限にしながら、大統領の威厳を損なわない船ということで。
わたしと閣下はその豪華客船の特別室で、他の人たちは二等室。
ジークムント……じゃなくてディートリヒ大佐は一等室。
心の中ではジークムントでいいのでは?
たしかにジークムントとディートリヒは全く違うので(同じ人だが)名前の呼び分けは出来るが、いざと言うときに備えておかないと不安で。
ちゃんと心中でもディートリヒ呼びしていないと、緊迫の場面でぽろっと「ジーク!」と呼んでしまう可能性が。
もっとも今回の一行に向かって「ジーク」って叫んだら、十人振り返ってくるけどね……相変わらずジークが多い。特に軍人組は。
「一生乗ることなんてないと思ってた豪華客船に乗れて、嬉しい!」
「ねー!」
大喜びしているテレジアとサンドラ。
「凄いよね!」
もちろんわたしも楽しんでおります。
「イヴもこんな豪華客船に乗るの初めて?」
「もちろん」
「特別室も見せてもらえるのよね」
「うん!」
だって豪華客船。そしてわたしは、基本庶民!
凄いわー。豪華客船って凄いわーと、オリュンポス組と海外出張組の全員で、案内係の解説を聞きながら見て回る。
完全にお上りさんですが、知ったことではない。
なにより見学できるところは見学するのが、海外出張組の仕事だ。
この豪華客船は一等、二等、三等室の他に特別室というのが存在する。
もっとも良い部屋で、そこはロスカネフ大統領夫妻が……要するにわたしと閣下が使用する。
豪華客船の特別室という響きで、大体お察しいただけるだろうが、ベッドルームが三室にリビングが二室、その他いろいろ。
「こんな大きいお風呂つきなんだ!」
「やだ、トイレ大きい!」
なにがいやなの、サンドラ。
「みなさま、どうぞ」
一等室からは船室付きの執事というのがいるのだが、この部屋の執事は城と同じくベルナルドさん。
ベルナルドさんは、トレイに冷えたシャンパンが注がれたグラスを持って現れ、まずはわたしにグラスをさっと渡してから、他の人たちにも薦める。
「あ、ども、すみません」
めっちゃ頭低いな、ピンク。
そりゃそうかー。ベルナルドさんがド・パレなの知ったら、そうもなるよなー。
「うまい……」
バックリーン軍曹が一口飲んで、呆然としている。
うん、これ美味しいよね! 分かる、分かるぞ! 声は掛けないけど。
「お代わりもありますので」
ベルナルドさんは別室に消え、すぐにまた大量のグラスが載ったトレイを持って戻ってきた。
「クローヴィス少佐」
「なんだ、バックリーン軍曹」
そっちから話し掛けてくるとか珍しいな。
「もう一杯もらってもいいか」
美味しすぎて、我慢できなかったのねー。
「ああ。二杯でも三杯でもいけ」
……た、多分大丈夫……ですよねとベルナルドさんのほうを見ると、にこやかな表情で頷いてくださり、
「一緒にチョコレートもいかがですか。合いますよ」
エサイアスが手を伸ばして口に入れると、おどろいた。
なんだ? と思い、わたしも口に入れると、普通のチョコレートとは食感が違う。あ、これトリュフだ!
この世界にもトリュフあったんだ!
「いかがですか? 最近作られたばかりのチョコレートですが」
……ふあ! うっかり、トリュフだ! って叫ぶところだった。危ない、危ない。
「すごく美味しいです。二人とも、新作のチョコレートだって」
「食べる」
「普通のチョコレートだって、あんまり食べたことないのに」
サンドラとテレジアが手を伸ばし頬張り、いい顔してる。この表情、間違いなく「大型ボウル山盛りでも余裕で食い切れる!」だ。
気持ち分かる。そしてきっと食い切れるわーわたしも。
「この窓の大きさ!」
「俺は怖くて寝られないが」
主寝室はパノラマ・オーシャンビュー。窓だらけの寝室から、大海原を眺めることができる。
海が苦手な人にはキツい環境かも。トロイ先輩が海苦手だとは知らなかった。
わたしとしては嵐に遭遇したら、この窓割れるのでは……と少し不安だが。
「お騒がせいたしました」
特別室を見学したみんなは、口々に閣下に挨拶をし部屋を出ていき、わたしはモダンな特別室に残る。
「閣下、本当にお騒がせいたしました」
閣下に改めてお礼を言うと、手を振って”そんなことはない”と。
うん、分かってた。
閣下がみんなを観ている目はとても優しかった。年長者が子供を見つめるような感じ。はしゃいでたもんな、わたしたち。
「構わぬよ。楽しめたか、イヴ」
「はい!」
「それは良かった」
閣下は手を叩かれ ―― ベルナルドさんがチキンソテーサンドイッチと、コンソメスープを持ってきてくれた。
普通の人ならがっつりですが、わたしからしたら軽食も軽食。
閣下の向かい側に座り、話をしながら軽食を楽しみ ―― 軽食が半分ほどなくなったあたりで、
「イヴに見せたいものがある」
閣下が席を立ち上がり、束になった紙を自ら持って来られた。
「射撃と乗馬に出場する選手のデータだ」
「データですか?」
パン屑がついた指をフィンガーボルで洗い、テーブルに置かれた紙を一枚手に取ると、そこには顔写真と全体写真が貼られ、フルネームに年齢、性別に愛称に身長体重、さらには血統まで ―― 一枚目の書類は馬についてだった。
「ああ。イヴが以前親衛隊隊員たちのために用意した名簿を真似て作った」
「わざわざ作ってくださったのですか」
「イヴが負けるとは思わぬが、戦いの前に敵のことを調べるのは、定石だからな」
「ありがとうございます」
ちょっとヤバイのでは? と思いたくなるほど詳細なデータが、紙にびっしり閣下の文字で記されていた。
「閣下が清書してくださったのですか?」
「集められた情報の真偽を見分け、精査し判断を下すのは得意なのだ」
組織のトップに立つに相応しい能力をお持ちですね、閣下。
「わたしがまとめたものを口述筆記させてもよかったのだが、記録者が間違うこともあるからな」
人間ですから……と思う反面、閣下は間違われないんだろうなーとも。
「お忙しいのに」
「いいや。まったく。それでな、イヴ……」
閣下はデータを元に、ライバルになりそうな相手についてなどを教えてくださった。ぶっちゃけ丸裸というか「多分、その癖は、当人も気付いていないとおもいますけど……」状態。
馬術の優勝候補の選手が障害を飛び越えるとき、手綱を引くタイミングが一瞬だが右手のほうが早いとか。
ほんと、どうやって調べたんですかー!
その他に女性の出場選手について。
女性は乗馬は三人、射撃は五人の計八名。これにわたしが加わり九名が女性出場者となる。
「全員正式な軍人ではなく、名誉連隊長だ」
「みなさん、貴族に連なる方なんですね」
ベルナルドさんもだが名誉連隊長というのは、一般的に王侯貴族の名誉職。もちろん軍に多大な功績を残した人も名誉連隊長の称号を授かることもあるけど、この世界の女性で武功などで軍に功績を残した人はいない。
いたらさすがのわたしでも知ってるわー。これでも本職なので!
話がそれたが、オリュンポスの射撃と乗馬種目に出場するためには、軍人でなくてはならないので、王侯貴族につらなる彼女たちは名誉連隊長に任じられた……はず。
「そうだ。あとは全員将軍を父に持っている」
「身近に馬術や銃がなければ、貴族女性がそれらに触れる機会はほとんどありませんものね」
出場者女性の一人が銃を構えている写真が貼られているが、かなり様になっている。この人、相当撃つんだろうなあ。
「そうなる。イヴは今大会に出場する女性選手の中でも特に異質だ。クローヴィス卿は公認会計士で、イヴは名誉軍人ではなく職業軍人。イヴの美貌も相俟って、大会では目立つであろう」
「目立つ覚悟はできております」
顔はともかく身長と体格、あと閣下の妻ということで、目立つことは分かっていたので、覚悟は決まっております。
「そうか。イヴは優勝してしまうから、さらに目立つであろうな」
”え、そんなこと……”などという気弱なことは言わない。ここは自信満々に、
「ご期待ください」
金メダル取ります! と言うべきところ。もちろん笑顔で返すよ!
「本当にイヴは可愛らしいな。この美しく可愛らしい笑顔、どうしたものか」
閣下は立ち上がり両手でわたしの頬を包み込み、額から頬、そして唇にかけて軽いキスを何度も繰り返す。
「閣下、くすぐったいです」
「本当に無邪気で可愛らしい笑顔だ」
「閣下、褒め上手です」
閣下にキスをし返したりして、船室で過ごしていたら、対岸の国に到着。ここからは蒸気機関車で移動して、最後のバルニャー王国訪問を終えたら、再び船に乗り込みブリタニアスの最北端の港を目指す。
最北端の港に到着後、迎えに来てくれる予定のルオノヴァーラ大尉と合流し ―― 勘違いを解消してから、わたしと大佐以外は蒸気機関車で首都を目指すことになる。
わたしはディートリヒ大佐とともに、すでにブリタニアスにいる大会出場用の馬に乗り、調子を確かめながら向かう予定です。
「イヴ」
「はい」
「わたしもやはりイヴとともに、騎馬で向かうことにした」
「はい?」
「イヴと離れて移動など、できない」
え、大統領閣下ご乱心? ちょ! 警備が大変だけど、わたしは嬉しいけど、でも……あああああ!




