【283】エンディング
貴賓のみなさまに挨拶する際、可愛らしいベールガールたちがトレーンの裾を持ってついてきてくれた。
天使のような少女たちが(妹含む)笑顔でトレーンの裾を持っている姿を、なぜわたしは直接見ることができないのだ! 理由は、わたしのトレーンだからー! わたしの背後だからー!
天使たちがきゃっきゃしている姿を見たかった! 心から見たかった!
……という悲しみはありましたが、ベールガールをしてくれた天使たちには、子供向けのペンダントをプレゼント。一人一人にわたしが付けました。
「イヴお姉ちゃん、ありがとう!」
「大事にするから」
みんなが頬にキスしていってくれた! 役得ですね!
みんな、思う存分料理を食べてね!
中央公園のメイン会場には、大量の料理が運び込まれております。ほんと大量。さらにはシェフの方々が居て、目の前でステーキやサーモンを焼いてくれるサービスまで。
スイーツも多種多様で、特に積まれたチョコレートの前には人が群がっております。
お偉方への挨拶が終わったのを見計らい、シーグリッドに声を掛ける。
笑顔でレモンパイを食べていたシーグリッドは、そのままの笑顔で、
「おめでとう、少佐。婚礼衣装、遠目でも分かるくらい見事だったわ。とっても素敵。あれ、どこの国の婚礼衣装なの? ルースの皇族はシロテンを金に染めたロングガウンよね。あ、リリエンタール伯爵閣下、デビュタントありがとうございました」
お祝いしてくれ、そして閣下にお礼をした。
「デビュタントというほどでもないが、楽しんだか」
「はい」
「そうか。婚礼衣装だが、あれは何処の国のものでもない。この面倒な男のために、イヴが考えてくれたのだ」
「そうでございましたか。よき后を得られたのですね」
「ああ」
シーグリッドの紹介でセシリアとイクセルのプルック姉弟とも話をし、二人は生まれ故郷に戻って来られたことを喜んでいた。
理由はともかく、喜んでもらえたことは嬉しいなあ。
ちなみにだが、墓のあったエルメス・ゾルナスは用水路に落ち亡くなっており、テレサとルツカは姓が分からないので不明「ちゃんと調べてたんだよー」と室長が教えてくれた。
「明後日、陸路で帰るのですか」
「ええ」
シーグリッドたちはボナヴェントゥーラ枢機卿閣下と共に、明後日陸路で帰途につくそうだ。
「絶対修道院に来てよね、少佐」
「もちろん」
シーグリッドと再会を約束し ―― ふと視線を上げると、名誉連隊長なベルナルドさんの手をしっかりと握り連れ歩いているカリナの姿が。
カリナさん、何をなさっているの?
「猊下からシャルルは攫われやすいので、守ってくださいって言われたから、手を握って歩いているの」
「カリナ……」
そういう意味じゃないと思うけど、猊下の意図も分からない。凡俗のわたしに猊下の御心なんて分からなくて当然なんですが。
「望むところですので、お気になさらずに。カリナさま、次は大道芸を見に行きましょう」
「いいですよ。リヒャルトお義兄さま、ベルナルドさんのことはカリナにお任せあれ。お義兄さまは姉を全力でお守りください」
カリナはそう言い残し別の区画へ ―― 本日は公園に大道芸人やサーカス、マジシャンなども呼んでおりますので、あちらこちらで楽しむことができます。
「イヴ」
閣下と一緒にいると、皿に大量の果物を乗せたエルヴィーラがやって来た。
「エルヴィーラ」
「イヴ。わたしは料理を見てくるので少し離れる」
閣下はアイヒベルク閣下と共に料理が並ぶスペースへ。わたしの側には、宴にはあまり似合わないカラーコーンを思わせる頭巾を被ったオディロンがいる。
ほら、オディロンは軍人たちと色々あるので、顔を隠す必要が。
みんなこれがオディロンだって気付いてるけど、異端審問官の格好をしているのでスルーしている。
「おめでとうイヴ」
「ありがとう」
「イヴなら皇帝の一人くらい、射止めて当然よね」
閣下は皇帝ではないし、そもそも皇帝はそんなにいないかと。
エルヴィーラが皿に盛ったフルーツを差し出してくれたので、二人でつまみながら ――
「……というわけでわたしは退役するわ」
彼氏との結婚を機に退役すると告げてきた。
彼氏の実家が自営業で彼氏はいずれ継ぐので、それを支えたいと以前から言っていたので、当然の判断とも言える。
「いいんじゃないか」
結婚しても軍には残れるようになったが、みんながみんな残る必要はないしね。
「でもさ、残れるとなると、ちょっとどころじゃない未練が出てくるのよねえ」
「分かる気がする」
結婚式にはきてね! など話をしエルヴィーラは戻って来た閣下に一礼し、空になった皿を手に料理が並ぶスペースへと再び向かった。
次は肉を食うのか、エルヴィーラ。
わたしも思いっきり食いたいが、ドレスに飛んだら……と思うと。この格好でユルハイネンに腹パンかましておきながら、何を言っている! かもしれませんが。
「サンドイッチを作らせてきた」
閣下の手には一口で食べられるサイズのサンドイッチが。具材はステーキで、パンは軽くトーストされている。
「ありがとうございます」
わーい! ステーキだ!
「一口サイズなので、わたしがイヴに食べさせたかったのだが、皆の前で食べさせて照れるイヴを見せるのは勿体ないので我慢する」
たしかにここで、閣下から食べさせてもらったら照れますが、
「でも閣下に食べさせてもらいたい気持ちもあります」
それはそれで楽しいような。
「可愛いことを言ってくれるな」
閣下はそのように仰り、一つ口へと運んで下さいました。
ステーキサンドイッチ美味しい。
美味しい料理を堪能しているだけでいい立場でもないので、会場を歩き声を掛けて回る。まあ知り合いと話ができるので、億劫ではなく楽しいだけですがね。
「ウィルバシー」
「伯妃殿下」
声が嫌いなのに話し掛けるの?
話し掛けるに決まってるじゃないですか! 声は嫌いだが、交友関係は深めていきたい相手ですからね。声は大嫌いだけどね!
「夫人の体調は落ち着いたか?」
港町で自分の姿を真似られ、犯人に仕立て上げられそうになっていたと知り衝撃を受けたジュリアさんは、あれから体調を崩しており、パーティーも欠席している。
もの凄く丁寧で「申し訳ございません」な詫び状が昨日届いていたのだが、そんな気にすることないよーとボイスOFFに伝えておかなくてはな!
「あの……体調を崩しているのではなく、どうも妊娠したようで……」
「妊娠……要するに悪阻とかそういうヤツか」
「そのようです」
「おめでとう! 良かったな」
「はい」
「夫人が心配なら、帰ってもいいんだぞ」
「いいえ。仕事はしっかりしてきて下さいと、ジュリアに言われたので。あれは建前ではなく、本心から言っておりました」
「そうか」
奥さん、大事にしろよー! わたしに言われなくても大事にしていたけどさ!
「閣下、アレクサンデルがご挨拶をしたいと」
伝令を受け取ったアイヒベルク閣下から、先ほど突然道に飛び出してきた、髪はばさばさ、髭はぼさぼさのアレクサンデルさんが、身支度を調えたのでと ――
「初めまして、妃殿下。ご結婚おめでとうございます」
髪を整え髭をそり落とし着替えて現れたアレクサンデルさんは、日に焼けたがっちり系の神父さんだった。秘境で布教しているというのに相応しい体格。
「アレクサンデル・ストックだ」
閣下から紹介があり、わたしが名乗ると、
「結婚のお祝いに、奥地で見つけた宝石の原石を、妃殿下に贈らせてもらってもよろしいでしょうか?」
いきなりそんなことを言われても……でもまあ、隣には閣下もいらっしゃるので、受け取ることにした。
「あちらこちらを歩き回っているので、鉱物には詳しい」
贈り物だしねー。何の宝石の原石だろう。
アレクサンデルさんは袋の口を開けて布で包んだ塊を取り出した。その布を解くと緑の石が出てきた。研磨されていないので宝石って感じはしないが、
「エメラルドだな」
原石を見て閣下がそのように仰ったので、エメラルドなのだろう……って、エメラルド?! えっと研磨したら、それ小さくなっちゃうの? それとも、それほど大きさが変わらないとしたら……だってそのエメラルドの原石、人の頭くらいあるよ!
「閣下、それ細かくしちゃうんですか?」
「ん? いいや、イヴが好きなようにするといい」
「では大きいままとかできますか」
「できる。そのように手配しよう」
どんなエメラルドになるかはわかりませんが ―― ちらっと聞いた分では、世界最大のエメラルド原石らしい。
「それで、アレクサンデル。こんどは何処へ布教に行きたいのだ」
「南極だ!」
「南極な。イヴ、どう思う」
さっくり振られた! えっと前世の世界では南極は人は住んでいなかったはず。北極には人がいるから……でも、この世界の南極に人がいないとは言い切れないからなあ。
考え込んでいると、デニスがこちらを見ている。
話し掛けたいようなので、構わないよ……と呼ぶと、
「この方、アレクサンデル・ストックさん?」
「そうだが、どうした?」
「ラインハルトが”アレクサンデル・ストック”って興奮気味に言ってるから」
人名は分かったが、それ以外のところは分からなかったらしい。蒸気機関車には関係ないことらしいな。
「会わせても、よろしいでしょうか」
「構わないよ、イヴ」
というわけで会わせたところ、
【冒険家してるんです! ストックさんは憧れで!】
ラインハルト君の衝撃の本職 ―― 冒険家。それ職業なんだ……冒険家に憧れられる宣教師か。でもたしか、冒険家で宣教師って前世にもいたな! 多分セットなんだな、それ。
【蒸気機関車が走っている姿を見ると、文明社会に帰ってきたんだなーって。冒険の終わりと始まりは、いつも蒸気機関車ですね】
たしかに馬車だとそれほど文明社会って感じもないし、車はそんなに山奥を走らないから……なるほどなあ。分かるような分からないような。
「南極での布教と共に、南極点を目指すことを条件に資金提供はいかがでしょう?」
閣下はそれほどお金に頓着しないようだが、結果はあった方が良いと思うので。
「ふむ。その方向で話を進めるか」
「南極点に到達した際には、是非ともアレクサンデルさんのお名前を広めましょう」
折角偉業を成し遂げるのだから、お名前を残しておきましょうねー。
そしてラインハルト君……なんか一緒に南極行きそうな勢い。
「彼を連れていけば、帰りの列車には乗れそうだから早く帰還できるだろう」
「……?」
「アレクサンデルは鉄道に乗るのが苦手でな、大体歩いて帰ってくる。今回も共産連邦を縦断してやってきたらしい」
よく捕まらなかったなあ! 聖職者ですよ、聖職者!
ぱっと見、聖職者には見えませんでしたが。
蒸気機関車君の一人、セレドニオ君はというと、料理を食べながらスケッチブックに素描木炭を走らせていた。
なんか知らんが、それをハインミュラーがのぞき込み、指さして話し込んでいる。
……言葉通じてるの? それともお前も蒸気機関車君だったのか? ハインミュラー。それはそれで引くぞ。
気になったので様子を見に行くと、
「これがクローヴィスだと言っているようなのだが」
ハインミュラーは困惑していたっぽい。それというのも、セレドニオ君のスケッチブックには木が描かれているのだが、この公園にある木じゃない。
その周囲には花も描かれているのだが……この花、知ってる……。
〔よく分かりませんが、隊長さんを見ていると、これが浮かんできたのです〕
翻訳してもらったセレドニオ君の言葉にぞわっとした。
「これはロスカネフではあまり見ない木だが、女帝もしくは皇后の木、あるいは王女の木と呼ばれるものだ。花も然り」
「皇后の木……ああ、そういうことですか」
閣下の説明を聞き、ハインミュラーは納得したといった感じで頷いたのだが、女帝もしくは皇后、あるいは王女の木だが、日本語では「桐」……前世のわたしの名前は「桐花」なんだよ。だから桐の花は見覚えがあるんだけど、世の中にはとんでもない人間がいるもんだ……。
〔彫刻はこの方向で進めますね〕
そう言われたのだが、どの方向に進むのかは分からないが、まあセレドニオ君の感性が赴くままに彫刻するといいと思うよ。
会場にはマリエッタとローズもきていて、美味しそうに料理を食べていた。一杯食べるんだぞ!
その後、リトミシュル辺境伯爵閣下が祝砲を撃ってくださったり(事前に報告は受けておりませんでしたので、キース閣下が背後から蹴りつけてましたけど)フォルクヴァルツ閣下がハンググライダーから花を撒いてくださったり(そのままどこかに消えたけど)室長に、
「エリザベト消す? お祝いってことで消しちゃうよ」
「いや、結構でございます」
ヤバイお祝いを持ちかけられたり ――
「騒がしくて楽しいですね」
「そうだな」
閣下はワインやシャンパンではなく、黒ビールを片手に頷かれた。
表情はほとんど変わらないが、今の閣下はご機嫌だ。
夕刻にパーティーは終わり ―― わたしは閣下と共に閣下のお城へ。
お風呂に入り一息ついたのだが……これから閣下の寝所に向かうんですよね! そう思うと途端に緊張が。
いや、落ち着くんだ自分。
初夜はオリュンポス後だと閣下が仰ったではないか!
それまでは、触るくらい? で終わらせるとも。
まだ緊張する時間じゃない! 気持ちを奮い立たせて、いざ!
人間って背中に執拗にキスされると、抵抗できなくなるなんて知りませんでした。
式の翌日はベッドの上でごろごろして過ごしました。ごろごろの途中途中にまあその……なんですが。
本日は猊下が中央公園でミサを開いてくださっているのですが、わたしと閣下は参列しなくてもいいというか……そういうことです。
そんな夜も明け ―― 陸路でお帰りになるボナヴェントゥーラ枢機卿閣下とシーグリッド、セシリア、イクセルのプルック姉弟のお見送りを。
それと聖職者と偽って我が国に侵入したジャンルイジ・クリオーネは、本物の聖職者にされてしまったらしく、死にそうな顔で荷物を持ち、ボナヴェントゥーラ枢機卿閣下の背後に控えていた。
お前が聖職者になった経緯を知りたいが、知ったところで何もできないので「ふわぁぁ……」という気持ちで見送ることにする。
次期教皇当確と言われているボナヴェントゥーラ枢機卿閣下の側仕えなら、良い思いできるんじゃない? 知らんけど。
シーグリッドと別れの挨拶をしていると、閣下とボナヴェントゥーラ枢機卿閣下が互いの耳元に囁いては笑い ―― 仲のよろしさを感じる。
「乙女と呼ぶのはおかしいが、敢えて呼ばせてもらおう乙女イヴよ」
「はい、なんでございましょうか? ボナヴェントゥーラ枢機卿閣下」
「イヴァーノおじさんでいいんだぞ」
ハードル高っ! 物理的なハードルの高さ(男子110m・106.7cm)なら余裕で飛び越える自信はありますが、それはハードル高すぎですわ!
「お呼びしたほうがよろしいでしょうか?」
でも飛び越えてみせる!
「イヴァーノ」
「まあまあ、アントニウス。乙女イヴよ、好きに生きよ。あなたは素晴らしい女性だから、あなたが思うがままに生きることが、もっとも良き結果をもたらす。なあに、アントニウスが文句を言ったら、わたしに連絡を寄越すがいい。わたしが説得するから」
ボナヴェントゥーラ枢機卿閣下はそう言い、わたしの手を両手でしっかりと握られた。
「イヴァーノ。わたしがイヴに文句を言うと思うか」
「さぁな。だが妃が可愛くて、閉じ込めてしまいたいと思うことなどはあるのではないか? アントニウスよ。この妃は太陽の下、大空を背に大地を駆けてこそ美しいことを忘れるな。もちろん、室内でも容赦なく美しいがな」
「心配するなイヴァーノ。それについては、既に解決済みだ」
閣下は古帝国語で、わたしと閣下のやり取りを教え ―― ボナヴェントゥーラ枢機卿閣下は膝を叩いて大笑いし、
「やはりあなたは素晴らしい、乙女イヴ。陰鬱さに身を食い破られるアントニウスをよろしく頼む」
十字を切り特別専用列車に乗り込まれ ―― 見えなくなるまで手を振らせていただいた。
もちろん特別車両なので、蒸気機関車君(デニス含む)総出でお見送り……というか、閣下とボナヴェントゥーラ枢機卿閣下のご厚意で、室内をゆったりと見学させてもらったそうだ。
ボナヴェントゥーラ枢機卿閣下一行を見送ってから、海路でお帰りになるババア陛下さまと猊下が港へと向かう専用列車に一緒に乗り込む。
もちろん港までお送りするのだ!
駅には陛下がいらっしゃり、列車にはキース大将が国の代表として港から見送りするために同乗した。
お手数をおかけいたします……と思ったが、キース大将曰く「二回もミサを開いていただいたのだから、国の代表が見送って当然」とのこと。
同乗といえば、本来はボイスOFF夫妻も一緒に行く予定だったのだが、ジュリアさんの体調が優れないので首都に残るように指示した。
「自分だけでも」とボイスOFFは言っていたが、ジュリアさんについてろよで押し通した。
専用列車なので蒸気機関車君(デニス含む)は当たり前のように一緒です。うん! そうだね!
車中ではババア陛下さまや、猊下とお話をさせていただき ―― 小さい頃の閣下のお話をたくさん聞かせてもらった。
『いま、あなたの隣にいるアンソニーのほうが、よほど子供っぽくて、とっても魅力に溢れているわ。わたしの婚約者だったころは、まあつまらない男で』
『婚約者というな、ババア』
ババア陛下さまに対する閣下の突っ込みがあまりにも早くて”ぶほっ!”てなる。
[アントニウス。そのような言葉を使ってはいけませんよ]
[教皇……だが、まあそうだな]
そして猊下にたしなめられる。
穏やかにたしなめられる猊下は慈愛に満ちているのですが、お顔が覇王系のため、圧力が半端ない。
そんな楽しい半日少しの旅程はすぐに終わり、港に到着した……ところ、あれ? 白い豪華客船が増えてるよ。
同じ船が二隻あるように見えるのは、かすみ目? それとも乱視?
『一隻はアントンの妃であるあなたへのプレゼントよ、イヴ。乗っても良いし売っても良いし、沈めてもよし。好きにしてね。ちなみに船名はグロリアーナ』
お船を一隻いただいたようです。えっと……返品はもちろん不可でしょうし、あの……管理ってどうするの?
『グロリアーナなど、今すぐ海の藻屑にしてやるわ!』
「リリエンタール閣下。港での艦砲射撃は止めていただきたい。沈めるなら沖に出ていただきたい」
止めない! わたしたちの総司令官が止めない! さすがキース大将。
『イヴ妃殿下』
『クロムウェル公爵閣下』
ブリタニアス海軍士官の制服を着たガス坊ちゃんがやってきて、
『いつかあなたとは、良き友人となりたいと思う。それまで暫し時間をくれ』
『クロムウェル公爵閣下』
そう言い握手をされた。ガス坊ちゃん……。なんか、しんみりしてしまうが、しんみりはガス坊ちゃんに似合わない。
こうしてお別れの挨拶をしていると、
【教皇猊下、ブリタニアスの女王陛下、このリトミシュル辺境伯爵ヴィルヘルム、領地を持ってアディフィン王国から独立し、バルツァー連邦共和国を樹立いたしますので、よろしく!】
黒眼帯がトレードマークの高級軍人さんが、いきなり叫んだ。
アディフィン語なのではっきりと分からないのですが、独立とか共和連邦とか聞こえたんだけど……。ああ! プラシュマ大佐が倒れた! 泡吹いてる!
「しっかりするんだ、プラシュマ大佐!」
わたしの聞き間違いではなかったようだ。襟元を緩め介抱していると、近くにいた神聖帝国のフリートヘルム大尉が顔を覆ってしゃがみ込んだ。耐えろ! 耐えるんだハンサム!
『好きになさい』
[神はいつもあなたたちを見守っています]
ババア陛下さまと猊下のたじろがなさといったら! さすが!
リトミシュル辺境伯爵閣下の爆弾宣言を背に、お二人は船上の人となりロスカネフを離れられた。
水平線に吸い込まれるように小さくなる船影を見送り ――
「アントンの大天使、隣国同士仲良くしようぜ」
「え?」
リトミシュル辺境伯爵閣下が唐突にそのようなことを仰ったのだが、ロスカネフ王国とアディフィン王国の間にはフォルズベーグがあるので、隣国にはなりませんよ。あれ? もしかしてリトミシュル辺境伯爵閣下、フォルズベーグを侵略しちゃいましたか?
「ここがあなたさまの領地でございます」
フォルクヴァルツ閣下が地図を開き、フォルズベーグとアディフィンに接している共産連邦領にペンで線を引いた。
たしかにその領地は、閣下が共産連邦から獲ったとは聞いておりますが……
「……領地?」
「領地でございます。面倒でしょうから、領地はこのフォルクヴァルツにお任せあれ! お望みとあらば、もう少し領地を広げますぞ!」
領地、隣同士の国、国境、領地を広げる……
「か、閣下?」
「ただの別荘地だ」
フォルクヴァルツ閣下から受け取った地図を見る……別荘地が母国の1.8倍とか、おかしくない?
わたしは地図をくるくると丸めて握り ――
「キース閣下! 土地が! 大地がいっぱい!」
うわあああ! 閣下のことは大好きですが、助けてください、キース大将!
閣下が退却を命じぬ限り【Ende】
「ツェサレーヴィチ・アントン・シャフラノフ!」
「落ち着けキース。わたしに悪気はない」
「黙れ支配者! 支配者の悪気がないのは、庶民にとっては猛毒だ! 自分で管理しろ!」
領地は返品できないものですかね?
結婚から一年二ヶ月後 ―― イヴ・フォン・クローヴィスの誕生日。
その日リリエンタールは妻の希望で、二人きりで過ごした。
妻の手料理を食べ、馬を並べて駆け、夜空を眺めながらワインを開ける。
妻が今日なにかを言いたそうなのは、朝からずっと分かっていたリリエンタールだが、言ってくれるまで待った。
そしてワイングラスを空にした妻は、
「アントーシャに一つだけお教えしたいことがあるのです」
覚悟を決めた口調とそれは凛とした表情で、リリエンタールを見つめた。
「なんだ、イヴよ」
「わたしがこの世界にやってきたのは、実はアントーシャに会うためなのです」
「それは……嬉しいな」
「あなたにお会いでき、そしてこうして側にいることができて、本当に幸せです」
リリエンタールは彫刻のようで、彫刻よりも美しき妻の頬に手を伸ばし ――
Eはここにある【Ende】




