【281】エンディング または オープニング
目覚め爽快! 結婚式当日がやって参りました!
うわー! わたし結婚するんだー。なんか実感ないわー。
ベッドでもごもごしている場合ではない。しっかりと気合いを入れなくては。
天気はどうだろう? と、カーテンを開けて窓を押し開ける。
空に雲はほとんど見当たらず、良い天気になりそうだ。大勢の人に公園で楽しんでもらうので、天気は良い方が良い。
階段を下りるとメイドの二人は既に起きており、
「イヴお嬢さま、お早うございます」
「良いお天気で良かったですね、イヴお嬢さま」
いつも通り声を掛けてくれた。顔を洗い髪を梳いてから食卓に座り ―― そこからは大変でした。
メイドが作ってくれたきゅうりのサンドイッチをつまんでいると、ジークムントとフリオさんとその他メイクや着付け担当の三名が現れ、ドレスの内側が運び込まれ着替え、メイク、ヘアセットタイムに突入。
途中途中カリナが覗きに来るのだが、そのたびにカリナがよそ行きになっていて可愛い。髪はハーフアップでピンクのミニ薔薇の花冠に、白いAラインドレスの丈はふくらはぎの中程で、背中には大きなリボンがついている。
白のハイソックスにストラップ付きの白いパンプス。
「カリナ、可愛いなあ。ほんと、お姫さまだ」
うちの妹が完璧すぎて怖い!
「姉ちゃん……どう見ても、お姫さまは姉ちゃんだよ」
「え、あ、そう?」
「姉ちゃんすごい綺麗だよ! 姉ちゃんはいつもすごく綺麗だけど、今日はいつも以上に綺麗。きっとリヒャルト義兄さま、姉ちゃんに惚れ直しちゃうよ」
フリオさんとジークムントが、咳き込むふりをしながら笑いを堪えている。
「そ、そうかな」
「こんな綺麗な姉ちゃんを見て、喜ばない旦那さんはいないよ」
カリナにそう言われ ――
着付けが終わり運び込まれていた大きな鏡の前に立ち、無意味に体を捻ってみたり。
このウェディングドレスを着たのは三度目だが、本当によく作られている。縫製とか素材、刺繍もさることながら、デザインもわたしの逞しい部分を上手に隠してくれている。
身長は隠しきれませんが、長袖の上に二の腕丈のフリル袖をあしらい上品に隠してくれ、お尻のあたりに特殊な形のパニエを仕込み女性らしいくびれを作ってくれたりと、細部の至るところに細工を施し、未だかつてないほど女性らしい感じになってる。……もちろん今までと比較してですが。
「……」
「どうなさいました? イヴさん」
「ジークムント……結婚するのだという実感が湧いてきて」
今の今まで実感がなかったとは言わないけど、ドレスを着て閣下を待つ間、何とも言えないこの緊張が……。
「あ……」
そんなことを思っていると、家の前に馬車が次々とやってきて停まった。
少ししてデニスがドアをノックし、
「姉さん。リリエンタール閣下が到着したよ」
閣下の到着を教えてくれた。
家の大きさから馬車が着たことはすぐに分かるのだが、ここは報告を受けてからという形式が大事なのだ。
立ち上がり、
「分かった。入ってもらってもいいぞ」
ドレスの裾を持ってくれる四人に、入室してくれと告げる。
「お願いします」
デニスが廊下で待っている、シベリウス少佐にシュルヤニエミ、ハインミュラー、トロイ先輩の三名の中尉に声を掛けてドアを開けた。
「姉さん、綺麗だよ」
笑顔でデニスが褒めてくれたのだが、デニスのフロックコート姿は……何故似合わんのだ。
「ありがとう」
その後に入って来た四人からも賛辞をいただいた。
「サンドラもこのタイプを着たいって言うだろうな」
サンドラと結婚することになったトロイ先輩が、しみじみと。
「テレジアもきっと言うと思います……」
同期同士で結婚することになったシュルヤニエミは、さらにしみじみと。
「手袋をはめ直せ」
結婚は当面関係ないっぽいハインミュラーが新しい手袋にはめ直す。
「最終確認だけど、手袋は大聖堂到着後、式が終了後には必ずはめ直すのよ。汗とか脂がついたら大問題だからね」
フリオさんからの注意事項を聞き ―― このウェディングドレスに使われているシルクは途轍もなく高級なものらしく、素手で触るの厳禁なんだそうです。
また色が純白なので、僅かな手垢でもついたら大変だと、お針子さんたちは刺繍する際に、石鹸をつけて手を洗ってから手袋をはめての作業だったとか。
それも一時間おきに手袋を取り替えて……さすが本職の刺繍は違う。
「触れないのか」とドレスを見ながら思っていたら「妃殿下や妹姫が触るのは問題ありませんよ」と……式が終わったらカリナに触らせたいと思います!
我が家の廊下はトレーンを広げて歩けるほど広くはないので、トロイ先輩とシベリウス少佐がまとめて抱えるようにし、玄関へと向かった。
玄関前には着替えを済ませた両親とカリナがいて、
「綺麗よ、イヴ」
「おめでとう、イヴ」
改めて言われ ―― 嬉しくて恥ずかしくて、でも幸せで困ってしまう。
「玄関開けるよ」
デニスとカリナがドアを開けると、玄関から道まで白い絨毯が敷かれ、両サイドは白薔薇で飾られていた。
門の向こう側には、白と金で装飾された無蓋馬車 ―― 乗っていた閣下がこちらを見てから、ドアを開けさせ下りられた。
「シャフラノフの親征軍が首都に迫っているって、総司令官に報告したくなる」
「世界皇帝に即位するようにしか見えない」
「もう即位してるだろ、あれ。在位二十年記念式典だな」
トレーン持ちの尉官たちが好き勝手に言ってますが、わたしも否定できない!
本日の閣下は軍服 ―― リリエンタール私設軍の元帥の黒に近い青い軍服に、毛皮のマントを纏われている。
マントは戴冠式のナポレオンが羽織ってるアレみたいなの。
王族以外は身につけることが許されていないシロテンの冬毛で作られたものです。
軍服にマントは王族男子が結婚する際のスタンダードな格好なのですが、完全に支配者のそれ。
ベルナルドさんは胸元をフリルで飾っている軍服 ―― 私設軍の名誉連隊長の軍服なのだそうですが、それを着用しているベルナルドさんからブーケを受け取った閣下が、片手でマントを払いのけ……マントを払う仕草が支配者だー! 格好いい!
「おはよう、イヴ」
格好良い! と思っていたら、すぐに閣下が目の前に。
まあ我が家は普通の中産階級の自宅ですので、道路から玄関まですぐですから、当然なんですけど。
「おはようございます、閣下」
挨拶をすると閣下は微笑み頷いてから、片膝をつきブーケを掲げるように。
「一緒に式場へと向かおう」
キャスケードのブーケを受け取り、
「はい」
閣下と一緒に馬車に乗り込み大聖堂へ ―― 馬車の内側は閣下がはおられているマントに使用されているシロテンが全面に張られていた。
「ドレスやレースの生地、縫い付けた真珠などが傷付かぬように張った」
毛皮に関しては思う所はありますが、まだ防寒着に欠かせないこともあるので、これから徐々に何とかしていこうと思います。
「あ、はい」
車体が通常の三倍ほどあり、内側が総シロテン張り、それを牽く馬は六頭の黄金の馬。ちなみに家族は継母とデニス、父さんとカリナと二台に別れて大聖堂を目指す。
別れた理由は「馬車は広いほうがいいだろう」というもの。家族が搭乗する車体は普通サイズですが、もちろん高級無蓋馬車で二頭立て。牽く馬は黄金の馬ではありませんが、いい白い馬です。
わたしの裾を持ってくれる面々も黄金の馬に騎乗し、先導してくださるアイヒベルク閣下も同じく黄金の馬に跨がり、双頭の鷲と百合が描かれた旗を持っていらっしゃる。
そりゃ、道路も交通規制かけなきゃ駄目ですね。
「着替えて中央公園に、ご飯食べにくるんだぞ」
見送ってくれたメイドとクライブに声を掛け ―― 馬車が走り出す。
「……緊張しますね」
「そうか。わたしは結婚できるのが嬉しくて、緊張する余裕すらない」
「閣下」
「本当に楽しみで早く夜が明けぬかと、夜空に悪態をつき、太陽の怠慢を罵り、この大地の自転が遅いことを詰っていた」
閣下とそのようにお話をしていると、道沿いに人が集まり……交通規制がかけられていたら、何事かと思うよね。
一応三日前から「この時間帯、交通規制するよ」と新聞に掲載しておりましたが、見たら思わず足は止まるよね。
沿道の人たちが歓声を上げて手を振り始めた。
分かるわー。庶民って豪華な馬車が走ってると、思わず足を止めて見てしまうし、通行止めともなればパレードだろうと考えて手を振ってしまうもの。
閣下はさっと手を上げ ―― より一層歓声が。
手の上げ方が完全に支配者です、閣下。市民に対する慈愛とかじゃなくて「褒めて取らす、臣民どもよ」って感じがひしひしと。
閣下が見下しているとかそういうのじゃなくて、持って生まれたものなのだろう。庶民から独裁者になった人などには、絶対出せない風格ってやつ。
「どうした? イヴよ」
「格好良いなと」
「そうか? そう言ってもらえるとは」
ぱかぱかと石畳を蹄が蹴る音と歓声の中、突如道に人が飛び出してきた。
「なにやつ!」
ウェディングドレスは重いが、馬車から飛び降りて戦うことくらいは!
「心配しなくていい、イヴ。リーンハルト! アレクサンデルだ! 驚かせて済まなかった。あれはわたしの知り合いだ」
「お知り合いですか」
閣下のお口からアレクサンデルって、どこかで聞いた覚えがあるのだが……。
「血液型とエンドウ豆の交配の際に語ったアレクサンデルだ」
「ああ!」
そうだ、枢機卿とアレクサンデルさんが論文を読んでも意味が分からなかったので、閣下が畑を作って実験してみたって、ベルナルドさん言ってた!
「いかがなさったのでしょう」
「金だろうな」
「金?」
「ああ。あれは宣教師なのだが……」
閣下のお話によると、アレクサンデルさんは「人がいると分かっているところ」に布教しにいく宣教師ではなく「こんな所に人は住んでいないだろう」と思われているところに向かう宣教師なのだそうです。
「人が居ないと勝手に思い込み、秘境の地に向かわぬのは怠慢だというのがアレクサンデルの持論だ。実際、新大陸南の高地に人が住んでいて、布教してきたと証拠写真を持って帰ってきたこともあるのでな」
その秘境の地に向かうためには、金が掛かるのですが、そうそう教皇庁から資金は下りないらしく……大勢の人がいるところでの布教なら、確実に信者が増えるので下りるのですが、居るか居ないかも分からない土地へ向かうためとなると、渋くなるのだそうです。なんとも世知辛い。
「アレクサンデルは測量技師の能力も持ち合わせているので、未知なる土地の測量という名目で資金を渡している……これからも渡していいか?」
「え?」
「夫婦になるのだから、勝手に資金援助などしてはいけないだろう。イヴの意見を聞かせてくれ」
ああ、そういうことか!
正直なところ閣下の資産なので「お好きなように」なのだが、夫婦になるのだから、それではいけませんね!
「アレクサンデルさんから、向かおうとしている先についてのお話を聞いてからでもよろしいでしょうか?」
「ああ、そうだな」
アレクサンデルさんの宣教師録という名の武勇伝を聞いていると、馬車が大聖堂前に到着した。
大聖堂の周囲には軍礼装姿の同期がおり、
「イヴ! なにそれ、綺麗」
「純白のドレスって何処の国の婚礼衣装なの?」
「わたしもこういうの着たい!」
初めてみる白いウェディングドレスに興味津々の様子。
「おい、お前等触るな!」
ハインミュラーが馬の手綱を渡し、新しい手袋に替えながら叫ぶ。テレジアにサンドラ、そしてエルヴィーラが「うるせえよ。女の話に割って入ってくんなよ」って目で……ハインミュラーがびくっとした。
「式が終わったら、結婚式の参考に見に来いよ。その時なら、触っても大丈夫だ」
「見させてもらうわ」
「近くで見ると、刺繍の凄いこと」
「カリナちゃん、お久しぶり。今日も可愛いわね」
うちの妹可愛いよね! テレジア。
「お姉さまがた、お久しぶりです。大聖堂での式は残念ながらご招待できませんでしたが、式後のパーティーは是非楽しんでくださいませ」
「カリナちゃん、しっかりしてるわね」
うちの妹は可愛くてしっかりして、頭も良いのですよサンドラ。
「イヴ」
「なんだ? エルヴィーラ」
「既に大聖堂入りしたキース閣下が…………もうっ!」
”ため”からの”もうっ!”で想像ついた。格好良くて死にそうだったんだろう。
「サンドラなんて、さっきまで死にかけてたからね」
ぶっちゃけサンドラは、どんな格好のキース大将を見ても死にかけるけど。
その後三人は両親に挨拶をし、離れていった。
招待客は既に大聖堂内に入っている。
「じゃあ先にいってるね、姉ちゃん」
「頑張ってくださいね、あなた」
「みなさま、よろしくお願いします」
父さん以外の家族が会場入りし ―― 父さんと腕を組んでロイヤルブルーのバージンロードを前にする。
「イヴ。いつになく緊張しているな」
「やっぱりわかっちゃう? 父さん」
「それはね」
父さんは組んだわたしの手の甲をぽんぽんと軽く叩き、
「父さんも緊張しているから、気にすることはない」
そう言ってくれた。
それで緊張が少しほぐれ、トレーンを四人に持ってもらいながら、バージンロードを一歩一歩。
閣下の前まで行き ―― 閣下と共にボナヴェントゥーラ枢機卿閣下がいらっしゃる祭壇の前へ。
祭壇前に立ちトレーンを綺麗に広げて貰い、式が始まった。
「……」
ボナヴェントゥーラ枢機卿閣下が聖典の一節を読み上げていると、違うものが……聞こえるともまた別。頭に響くなにかが、
[ここで愛を誓わなければ帰れます]
そう告げてきた。
ボナヴェントゥーラ枢機卿閣下の声は聞こえる、きっと周囲は誰も気付いていない。そして ―― これが幻聴ではないことは、何故か分かる。
だって言葉じゃないんだもん。
分かるけど、喋っていない。言葉じゃないし音でもない、別の”なにか”が ―― そうか、ここで神に愛を誓わないと前世に戻るのかあ。
「イヴ・クローヴィス。あなたは愛を誓いますか?」
「はい! 誓います!」
ここまで来て、誓わないわけがない! わたしはイヴ・クローヴィスであり、ここで閣下と共に生きていくのです!
[分かりました。ではあなたに祝福を ――]
神さまかなにかから祝福をもらったわたしは、式を終え会場を出てから、
「閣下」
頬にキスをした。
閣下は驚いた表情のあと、
「先を越されてしまったな」
楽しげに言いわたしの頬にキスをしてくださった。
なんか知らんが大勢いるギャラリーから歓声が上がるのですが、君たちわたしと閣下の式を見てなんでそんなにテンション高いの?
同期ならまだ分かるのですが……。
式場である大聖堂の入り口でわたしと閣下は待機し、参列者を見送る ―― 中央公園でまた会うのですけれどね。
「あうぅぅ……耳ぃぃ……」
女性から黄色い悲鳴を出させたのは、もちろん我らがキース大将。
白い軍礼装に金と赤のマントが映え……何故か手で目元を隠している。
わたしと閣下の前に立つと、
「シャフラノフ、幸せにしろよ」
それだけ言って足早に去っていった。もちろん目元は隠して。
「あれは相変わらずだな」
「そうですね」
式に参加してくれましたが、閣下が思いの外シャフラノフしていたので、様々な感情がわき上がってきたのだろう。
「クローヴィス、とても美しいぞ。ドレスの刺繍も」
婚約中のユスティーナ同伴で式に参列してくれた陛下が、ドレスを褒めてくださった。
「イヴ、綺麗よ。綺麗なのは今に始まったことじゃないけどね」
「ありがとよ、ティナ」
「ユスティーナ、クローヴィスが着ている白いドレスで式を挙げるか?」
陛下の提案に、ユスティーナは虚を突かれた表情になり、徐々に顔を赤らめて”こくり”と頷いた。
「提案しておきながら、ここまでのものは無理だが、できうる限りのドレスを作らせる」
「はい、陛下」
ユスティーナの「はい、陛下」は消え入るような感じで、新鮮でした。ああ、士官学校の同期ですので、みんないかなる時も「うわああああ!」と大声でやり取りする練習をしていたので。
声が小さいと百メートルダッシュ×二十本だからね。
式に参列してくれた皆さんを見送ってから、わたしたちも大聖堂を後にし ――
「本当は一時も離れたくはないのだが」
閣下が額から頬、そして顎にかけて軽いキスを落とし、
「それでは公園で」
アイヒベルク閣下に引っ張られるようにして馬車に乗られた。
「はい! 閣下」
わたしはウェディングドレスからパーティー用のドレスに着替えるため、公園近くの邸へ。




