【280】花嫁、結婚式当日を迎える
王宮の人気のない薄暗い小ホールで立ち止まった閣下から「閉じ込めてしまいたい」と言われた ――
「……」
閣下の意図するところが全く分からない。
「これからも、イヴに恋するものは大勢現れるだろう」
結婚したらそんなことはないと思うのですが……ですが、思っていた以上に好きと言ってくれる男がいたので、全く無いとも言い切れませんよね。
ですが心配されるということは、
「信用できないということでしょうか?」
わたしが浮つくと思われているのかなー。
ジークムントにふらっといった過去もあるので……いや、あれは独身でフリーだからであって、大好きな婚約者がいて結婚したら、そんなことはしない!
「違う。信頼している」
ふー良かった。
浮気しそうだと思われるのは心外ですので、しっかりと訂正しなくてはと思ったが、そういう意味ではないようだ。
ではどう言う意味なのだろう?
閣下のお顔を見つめるが ―― 薄暗いホールなので、閣下の表情ははっきりと分からない。
もっとも見えたところで、閣下の表情から感情を読むことなどできないのですが……いや、最近は楽しげなのは何となく分かるようになった気がしている。
「わたしだけのものにしたいという、単純な独占欲とも違う、表現しがたいものだ。だが非常に凶暴な感情で持ち主自身をも食い殺しそうになる。そう、まるで獣のような感情だ」
閣下は手を伸ばし、手袋をはめた手でわたしの頬に触れる。
獣のような感情と言われましても……閣下はいつもお優しく理性的なので、ちょっと結びつかないなあ。
「はあ……」
ジークムントは少し離れているが ―― 会話は聞こえているのだろう。
ホールに差し込んでくる半月の僅かな明かり……やっぱり閣下の表情は分からない。
「誰の目にも触れさせず、閉じ込めたいと言ったらイヴはどうする?」
どうする? 尋ねられても困るのですが……。どういう意味なのかな。額面通りに受け取っていいのかな? ということは! もしかしたらわたしは、この時の為に生まれ変わったのかも知れない。
「閣下」
「どうした? イヴ」
「分かりました!」
「分かった……とは?」
「二人きりで生きて行きたいということですね」
閣下に大統領になって欲しいとは思うが、閣下のお気持ちを優先したい。
閣下のおかげで共産連邦はおとなしくなったし、ヒロイン二名もいなくなった。だからわたしたちがロスカネフを離れても大丈夫っぽい。
女性が結婚後でも働けるようにするのは、わたしがいなくても、キース大将とヴェルナー少将でなんとかできそうだしさ!
「極論そうだな」
「分かりました! わたしが狩りをしますので、閣下は機織りをお願いします」
「機織り?」
閣下はとても驚いたといったような声を上げた ―― わたしは前世の記憶を持っている。その記憶の中でゲーム知識などほんの僅か一パーセントにも満たないもの。
他はもう少し役立つものがある。
「はい、機織りの他には糸紡ぎもよろしくお願いします」
本当の意味での二人きりの生活。
これを遂行できるのは、前世でサバイバル動画で知識を得て、体が丈夫で狩りも可能なわたしは適任。
「二人きりで生きるとなると、やはり南国の島がいいですよね。できればハリケーンなどがあまり襲わない島がいいですね。島といっても平地があるのが理想で、もちろんわき水も必須。家や水車は住む時に建材を持ち込み、二人で建てましょう。家が建つまでの間はテントでいかがでしょう? 食糧確保はわたしにお任せ下さい。ちょっと甘えますが、家畜も持ち込みましょう」
魚はさばけるし、動物だって牛くらいまでなら解体できるよ! 牛の解体は乙女ゲームの世界に生まれ変わってから覚えた……とことん乙女ゲームとは無縁な人生送ってたわー。でもきっと、それで良かったんだ!
「南の島……か」
「はい。毎日閣下に美味しい獲物を獲り、飢えさせないことを目標に日々精一杯過ごします。島の選定は閣下にお任せいたしますが、美味しい果物が生る島がいいです」
閣下なら素敵な島を選んで下さるはず!
「お任せください閣下。ナイフ一本あれば閣下と無人島で二人きり、生きて行ける自信はあります。このイヴ・クローヴィス、閣下が退却を命じぬ限り、いかなる難事であろうとも閣下と共に乗り越えてみせます!」
あなたさえ居れば何も要らない ―― 言いたいところですが、ナイフは必要だな。一本って言ったけど、五本くらいはあったほうがいいなあー。
「……くっ……閣下、もう我慢できません」
そう言ったかと思うと、ジークムントは笑い出し、
「リリエンタール閣下。妃殿下、いいえイヴ・クローヴィスという人間は、我々とは全く違う人間なのですよ。諦めてください」
そんなことを ―― いや、違うのはわたしも分かっているのですが、小ホールに響くほどの声で笑ってそんなことを言われる筋合いはないような、あるような。
それに、諦めるってなんですか?
閣下はわたしの頬に触れていた手で、鼻筋をそっとなぞってから、
「サーシャの言葉を肯定するのは悔しいが、わたしは本当に陰気な男なのだなと実感したよ」
微かな笑いのあとに、そのように仰った。
「陰気……ですか?」
わたしもかつては閣下のことを陰気と思っていたので、あまりベルナルドさんのことを言えないのですが、今は思っておりませんからー!
「誰の目にも触れさせず、二人きりの世界で思い浮かぶのが、塔や離宮しか思いつかない、自分の発想力の貧困さにも溜息が出る」
全力で外した! 斜め上の回答をしてしまったようだ!
「あ、済みません。根が庶民なもので、そういう高額な建物がぱっと思い浮かばず。島がいいかなって」
恥ずかしー。そういうの、全く思い浮かばなかった。
「高額なあ……」
「エレガンスの対極にいるもので」
「くっくっくっ……ぶはははは! もう駄目です、閣下。諦めて下さい。きっとイヴ・クローヴィスという人間が言っていることが正しいのですよ。二人きりで生きて行きたいのなら、南の島で自給自足生活を頑張るしか……ふっぶっ……! ははははは!」
ジークムントが腹を抱えて笑い出した。
文字通り腹を抱えて笑う人間を初めて見たわー。
閣下はご自身の口元を手で覆い隠し、
「そのようだ」
小さな笑い声が漏れてきた。
暗いのでよく分からないが、笑い声は楽しげだ。
「イヴ」
「はい」
「先ほどのわたしの台詞は忘れてくれるか?」
「先ほどとは?」
「閉じ込めてしまいたい……だ」
「……あ、はい」
閣下が手を引いてきたので、再び歩き出し、会場へと戻る。
なんだろう? 閣下の意図するところと違ったのかな? でも……明かりが灯る通路に戻ってきて、閣下のお顔をのぞき込むととても穏やかで ―― 目が合うと、微笑んで下さった。
「あの、回答間違って……」
「間違いなど何一つなかったよ、イヴ。イヴは何時だって、わたしの欲しいものを与えてくれる」
正答? だったっぽい。
「南の島の提案はとても魅力的だったので、二人きりになりたい時、一、二週間だけ……でもいいかな?」
「喜んで! ナイフの選定しておきますね」
ナイフの使い方も再確認しておこう。このところ銃と格闘術と馬術ばかりを磨いていたから、良い機会だナイフの技術を磨き直そう!
「そうか。わたしは三総督によさそうな島を捜させておく」
笑いながら後をついて着ていたジークムントが途端に真面目な声で、
「それ三島全てに足を運ばないと、あの人たちが喧嘩になりますよ」
アドバイスをくれました。
「まあ、そうかもな」
「総督方の個性が出ていそうで、楽しみですね」
「ははは、そうだな」
閣下の意図するところがよく分からなかった反面、
「これからも、その発想力でよろしくお願いしますね、イヴさん」
夜会後、ジークムントから”それでいいんですよ”という言葉をかけられた。
たしかに南の島というのは、深窓の令嬢ばかりと接してきた閣下にとっては、斬新過ぎたのかも。でも、それでいいというのなら!
夜会の翌日、実家のリビングにわたしの婚礼衣装が搬入された。
「これがカリナと父さんが作ってくれたくるみボタンを使った婚礼衣装だよ」
実家のリビングは冬場ホームパーティーを開けるくらいには広さがあるので、長いトレーン付きのドレスを設置することはできた……ギリギリだけど。ドレス邸は大きかったんだなあ。
また、ドレスが汚れてはいけないと、メイドの二人はドレスのために一週間掛けて室内を磨き上げてくれた。
運び込まれた婚礼衣装 ―― ウェディングドレスを初めて見た父さんとカリナは、かなり驚いていた。
それはそうだろう、だってこの世界には今までなかったものだから。
サイズはともかく、美しいウェディングドレスにカリナは虜になった。
「うわーきれー。姉ちゃん、このキラキラしてる透明な石ってなに?」
継母に「絶対に触っちゃいけません」と念を押されたカリナは、指さすだけですが……結婚式が終わったら、思う存分触らせるからね!
「ダイヤモンドだよ」
「だよねー。すごーい。こんなに大きいダイヤモンド見たの初めて。ねえクライブも初めてでしょう?」
「はい」
普通の庶民には馴染みのないものだからね、サイズといい輝きといい。
「結婚式が目の前だね」とカリナや継母とウェディングドレスの側で話をし ―― その日の夜、デニスがウィスキーグラス二つと、高めなウィスキーを持って廊下を歩いていた。
「運ぶの手伝おう」
デニスと酒を飲む相手はわたしか父さんだけで、本日はわたしではないので消去法で父さんになる。
「ありがたいけど、今日はいいよ」
「遠慮しなくていいんだぞ」
言いながらデニスが遠慮って……。
「二日後世界で一番幸せで不幸な男になる継父と飲むからさ、姉さんに運ばせるのもねえ」
「……」
「娘が嫁いで嬉しいけれど、反面、娘が嫁ぐから寂しいんだよ」
「あ……」
「姉さんは気にしないでいいよ。俺に任せておいて」
デニスはそう言い、グラス二つをかちゃかちゃと音を立てながら運び ―― 廊下を曲がって消え、その後も少しだけ廊下を進む足音が聞こえ、ドアをノックする音に開けられた音、そしてドアが閉じられた。
父さんが結婚を心から喜んでくれている。でも……人間の感情って複雑だからなあ。わたしだって嬉しいけど、寂しさもある。
翌朝、朝食の席で二人と顔を合わせたが、二日酔いでもなんでもない、いつも通りの二人だった。
明日は結婚式 ―― 本日閣下は還俗の手続きをなさる。
還俗した閣下とお会いしたら、なんて声を掛ければいいのかなー。いつも通りの普通の挨拶から「還俗おめでとうございます」……違うよなあ。
そんなことをつらつらと考えていると、結婚式に参列してくれる親戚たちが続々とやってきたので話に花を咲かせた。
「相手があのリリエンタールとはねえ」
しみじみと言う叔父さんと、
「皇帝ってのは美女をかっ攫っていく生き物だからな!」
大声で笑って言う伯父さん。
「イヴは綺麗だから、王さまの一人や二人捕まえて当然よ」
王さま二人も要らないよ叔母さん。王さま未満なお一人で充分ですわ! そして ――
「夜会でなにがあったのか知りたいわ!」
ガス坊ちゃんが床で大泣きしている写真が載っている新聞を持ってきた従姉妹が、興味津々……止めてー! 誉れ高き(多分そうなんじゃないかな)マクミラン家の当主ガス坊ちゃんの名誉の為に止めてー! ま、まあ差し止めなかったあたり、国のほうでOKが出たのでしょうが。
賑やかな時間を過ごし ―― 結婚式当日が訪れた。




