【279】花嫁、突然の告白を受ける
ガス坊ちゃん。君は一体何をしているんだい? 後を追ってきたお目付役のドレイク海軍大将が青ざめてしまってますよ。
落ち着け、なあ落ち着け。まずは深呼吸をしようぜ!
『決闘の理由を述べよ』
わたしの隣に立つ閣下は、極めて冷静にガス坊ちゃんに決闘理由を尋ねた。ちなみにホールは静まり返ってます。静まるなー! 静まるんじゃない!
『わたしが勝ったらイヴ・クローヴィスをもらう!』
「へ?」
わたしの口から思わずおかしな声が漏れたとしても、許されると思うんだ。
『断る』
『なっ!』
『クロムウェル。わたしはイヴを正妻として迎えるのだ。貴様はわたしに決闘で勝ちイヴを手に入れたとして、クロムウェル公爵夫人として迎え入れることができるのか?』
『……』
『イヴを公爵夫人として迎え入れるというのであれば、このリリエンタール、決闘は受けて立とう。だがイヴを愛妾にするというのであれば、そもそも勝負にならん。貴様は同じ舞台に立ってすらいない』
『…………』
ガス坊ちゃんは俯き、肩を震わせる。
『聞かずとも分かってはいた。貴様の年齢では、親族係累を黙らせることは不可能だ。わたしとて、貴様の歳のときにイヴと出会っていたら愛妾にするのが限界だ。だがわたしはそれから年月を経て、この年齢になり他者を押さえつける権力を手に入れた。わたしのこの権力と財力はイヴを正妻として手に入れるために、最低限必要なものだ。貴様は持ち合わせておるまい。だからお前と決闘するつもりはない。そしてお前はわたしと決闘する資格がない』
出だしからガス坊ちゃんが飛ばしていて、意味が分からなかったのだが……ガス坊ちゃん、わたしのことを気に入って愛人にしようとした? で、合ってるのかな?
ガス坊ちゃん、なにもこんな大女を愛人にしようとせんでも……。ブリタニアスの名門貴族の当主なら、愛人だって選び放題だろうに。あ、毛色が違うから目に付いた系? 御曹司ってそういうところあるよね。
『……う、うわあああん!』
そんなことを考えていたら、奥さん! ガス坊ちゃんが床に崩れ落ちて泣き出してしまいました。
ど、どうすりゃいいんだ。
『クリフォード公爵殿下がおっしゃる通り、わたしはクローヴィスを愛妾にするしかできない! だが好きなんだー!』
ガス坊ちゃんが泣きながらわたしが好きだと叫び出した。
ちょっと、ちょっとガス坊ちゃん。異国で猊下もいる夜会で、床に俯せになって「好きなんだー」って。ああ、容赦なくカメラで撮影されるされている。止めろ! 坊ちゃん、マクミラン家の名誉に関わるぞ! 立ち上がれ!
『美しくて優しくて、面倒見が良くて部下に慕われ賢くて、度胸があって強いけれど刺繍が得意な女性なんて、好きになる以外の選択肢はない!!!』
ガス坊ちゃん、大絶叫……。わたし、褒められているのですけれど、いたたまれなさが!
閣下の親友がたが向けてくる眼差しが温い! ぬるぬるです!
ああ、これはもう、わたしがガス坊ちゃんを担ぎ上げて、会場から走り去るしかない!
『ガス』
わたしが動こうとしたタイミングで、扇で口元を隠されているグロリア陛下がガス坊ちゃんに声を掛けた。
グロリア陛下の近くにいるユスティーナの表情は「やっちまったな、イヴ」と物語っている……いやまて、ユスティーナ。わたしは何もしていない。冤罪だ! 夜会で冤罪を掛けられるのは悪役令嬢のお仕事であって、モブの役目ではない! 冤罪に冤罪が重ねられている状況だ。
俯せで大声を上げて泣いているガス坊ちゃんも、グロリア陛下のお声には気付いたようで顔を上げた ―― 床に体を投げ出している状態だけど。
『アンソニーの娘の王配にでもなったら?』
グロリア陛下はそのように……ん? アンソニーの娘の王配? って。
「ババアめ」
閣下の呟きをかき消すように、ガス坊ちゃんはコブラストレッチのような体勢を取り、声を張り上げる。
『女王陛下、お言葉ではありますが!』
お言葉もなにも、お前その体勢で自分の国の女王陛下とお話すんな!
いや、もしかして、ガス坊ちゃんは許されるほどの名門?
『わたしが愛しているのはイヴ・クローヴィスであり、その娘には興味はございません。我が愛はイヴ・クローヴィスにあるのです! たとえ女王陛下のご命令であろうとも、クリフォード公爵殿下とイヴ・クローヴィスの娘を娶ることはいたしません!』
言い終えたガス坊ちゃんは、また俯せになって泣き出した。
『イヴも娘もくれてやるつもりはないわ』
閣下のお声が久しぶりに怖い感じになったよ。
そしてグロリア陛下は楽しそう。
うわー収拾が付かない! と思ったその時、ガス坊ちゃんに近づく足音 ―― キース大将でした。
貴族の子弟とは全く違う足取りでガス坊ちゃんに近づいて、襟首を掴み力尽くで起こす。
「クロムウェル公爵のことはお任せください」
そう言ってずるずると、力任せにガス坊ちゃんを引きずり、バウマン中尉と共に会場を出ていった。海軍士官でもある成人男性一名を、腕一本で引きずっているというのに、いつも通り儚い。
その儚さ……詐欺にもほどがある ―― そして会場にはガス坊ちゃんの右オペラパンプスが転がり落ちぽつんと佇んで……本日の夜会主催者である陛下もお困り顔である。
申し訳ございません陛下。
わたしがガス坊ちゃんに好意を寄せられていることに気付かなかったが為に、こんな大惨事に。
国内貴族だけならまだしも……ガス坊ちゃんのオペラパンプスと手袋はわたしが拾い、ジークムントに舞台裏へ運んでもらいました。
『ロスカネフ王。此度の騒ぎ、謝罪いたしますわ』
グロリア陛下は笑顔でスカートの両端を掴み、お辞儀をなさり、
「今宵楽しんでいってください、ブリタニアス王」
陛下も胸元に手を当てて軽く礼をし ―― 謝罪合戦などという見苦しいこともなく、すぐさま終わった。
ふー良かった、良かった。
こうしてガス坊ちゃん強制退場後はとくに問題なく、わたしとユスティーナは笑顔を貼り付けたまま「時よ流れろ」と心で唱えながら過ごし ――
「クロムウェル公爵が気になるので、様子を見てきたいのですが」
夜会も半ばを過ぎた辺りで、わたしは閣下にちょっとガス坊ちゃん見て来ていいですか? と話し掛けた。
衝撃のオープニングと夜会のせわしなさが一段落して、ふと思ったのです。ガス坊ちゃんを連れていったのがキース大将だということは……雰囲気だけ儚い男ですが、中身は鉄拳制裁を辞さない、ガチガチの軍人であると。その人に連れ去られたのですから、ガス坊ちゃんが……。
騒ぎを起こした云々とか、国際問題がどうとかではなく、単純に「助けたほうがいいのでは」という思い。共に作戦行動を行った者同士の連帯感とでもいうか。
「クロムウェル公爵に言いたいこともありますので」
「分かった」
一人で行けるといったのですが、閣下が一緒に行くと仰り ―― シンデレラのガラスの靴のように、クッションに乗せられたオペラパンプスを持ったジークムントも同行しております。
キース大将とガス坊ちゃんがいる部屋に入ったところ、
「一、二、三、遅い! やり直し!」
キース大将の号令のもと、ガス坊ちゃんは上着を脱ぎシャツの袖をまくり、ホワイトタイを外して靴を脱ぎ捨て、靴下も脱ぎ裸足で腕立て伏せをしておりました。
うん、想定通り!
「キース閣下。クロムウェル公爵にお話したいことがあるのですが」
「そうか『立て! オーガスト!』
キース大将の声に立ち上がったガス坊ちゃんは、若干ふらふら……のところを、キース大将に容赦なく蹴られる。
『わたしは立てと命じたのだ。ふらついて良いとは言っていない!』
理不尽だなーと軍人じゃない人は思うだろうが、軍隊ってそういうところだから。立てと命じられたら立つ、それ以外のことは許されない。それが軍隊ってもんですよ。
『申し訳ございませんでした! 大将閣下』
しっかりと撫でつけていた髪が乱れ、汗だくなガス坊ちゃんですが、敬礼してはきはきと答えた ―― 息は上がっておりますが。
ガス坊ちゃんに水を飲ませて、呼吸が落ち着くまで待っている間、
「ご迷惑をおかけしたような……」
キース大将にそう言ったものの、
「お前はなんの関係もないだろう、クローヴィス。関係ないくせに、オーガストを抱えて走り出しそうだったがな」
バレてたー! 儚い上官にやっぱり考え読まれてたー!
「ですが、わたしのことで」
「構わん。オーガストの行動は褒められたものではないが、出遅れていた分、仕方ないだろう」
「出遅れ……ですか?」
出遅れどころか、前のめりで飛ばしていた感しかありませんが。
「ウルライヒやその他大勢の男たちは、リリエンタール閣下を出し抜ける機会はあったが、オーガストだけはお前に出会ったのが遅すぎたからな。リリエンタール閣下の婚約者として出会えていれば、ここまでの騒ぎにはならなかっただろう。こちらの事情で勘違いさせたのは、詫びるべき所だろう」
「なるほど」
「それに、ここまでまっすぐだと清々しいから、少しくらいは配慮してやりたくなる。言えないで悶々としているアホより余程いい」
控えていたバウマン中尉の目が泳いだ。
どうした? なにか思い当たる節があるのか? 言えないで悶々としているアホって、誰のことだ?
『クローヴィス』
シャツが汗で体に張り付いている状態のガス坊ちゃんが、立ち上がった。
『その……お前とクリフォード公爵殿下の結婚を祝うことはできないが、幸せになって欲しいとは思っている!』
こんなに正直者で、貴族としてやっていけるのだろうか?
貴族ってあれでしょ? 表の意味と裏の意味がある言葉を使い分けるって。もしかしてガス坊ちゃんも裏の意味……なさそうだわー。
『ありがとうございます。ところでクロムウェル公爵閣下。一つだけ言っておきたいことがあります』
『なんだ?』
『わたしを賭けてリリエンタール閣下に決闘を申し込まれましたが、わたしは賞品ではありません』
『失礼なことをした』
『わたしを賭けたい時は、わたしに直接勝負を申し込んでください。わたしの行き先を決められるのはわたしだけです』
決闘ができないか弱い女性ならまだしも、わたしである。わたしを賭けて決闘をするのなら、相手はわたしだ!
「きりっ!」と自らを親指で指しながらはっきりと言ったところ、
『それは男の矜持に関わる問題だから、決闘の代理人としてリリエンタール閣下を認めてやれ』
キース大将にそのように注意された。キース大将のその時の表情ははっきりと「男心が分かってねーぞ」と物語っている。そ、そうか。そういうことなのですね。
『クローヴィス』
『なんでしょうか? クロムウェル公爵閣下』
ガス坊ちゃんは固く目を閉じると、くるりと回ってこちらに背を向けた。
『なにか困ったことがあったら、声を掛けろ。わたしは世界の海を統べるブリタニアス海軍の士官だ。すぐさま駆けつけてやる……その……』
だんだん泣き声になってる。
ガス坊ちゃん……指摘するほどわたしも馬鹿ではないし、背を向けているところから、絶対見られたくないのだろう。
つい先ほど、これ以上ないほど見たけど。
『華燭の典の際には、泣いたりしないでしっかりと祝うから……』
キース大将が「下がれ」と無言で指示なさったので”ガス坊ちゃんをよろしくお願いいたします”という気持ちを込めて頭を下げ退出した。
「閣下」
「なんだ、イヴ」
「ないとは思うのですが、もしも決闘を申し込まれたら、わたしの代わりに戦って下さいますか?」
「喜んで……というよりは、その権利を他の者に与えるつもりはない。イヴを守る権利があるのはわたしだけだ」
「ありがとうございます……? 閣下、会場は反対方向ですが」
部屋を出て右に進み、次の角も右に進むと夜会会場なのだが、閣下は左に曲がられた。
「少し歩こう」
「……」
「警備はいるが、わたしが軽く手を上げれば、何処でも通れる」
思い当たる節あるー! わたしも警備していて閣下を見かけて、手をさっと上げられたら黙ってお通しするわ。
わたしは閣下とジークムントと共に、夜会会場とは反対方向へと進み ――
「美しいイヴが男を虜にするのは分かっていたが、こうも次々と告白されているのを目の当たりにすると、わたしも不安になってくる。イヴを誰の目にも触れぬように、閉じ込めてしまいたい」




