【260】花嫁、前世の知識がもたらした結果を聞く
馬の蹄がぽくぽくと音を立て ―― 閣下と共に医学研究所を目指しております。
先ほど夢にも昇る気分過ぎて、突出してしまったのですが、
「リーンハルトに先触れの仕事をさせてやってくれ」
そのように言われまして、ただ今馬の脚を緩め、話をしながら進んでおります。
「ああ、イヴ。ガイドリクスの婚約が内定した」
「陛下の再婚が決まったのですか!」
「そうだ。相手はユスティーナ・ヴァン・スイティアラ、二十八歳。ロスカネフの貴族だ」
閣下がさらりと言われた女性。貴族女性ですが、その名前の女性、わたし知ってる気がしますよ?
「スイティアラ少尉のことでしょうか?」
わたしの士官学校の女性同期は四人。エルヴィーラ、テレジア、サンドラ、そしてユスティーナ。
「そうだ」
ユスティーナは子爵令嬢なのだが、これがざまぁ小説のヒロインみたいな半生を送っていた ―― 聞いた時は記憶が戻っていなかったので、そんなことは思わなかったが、今はほんと「ざまぁテンプレ!」と叫びたくなる半生なのです。
両親はユスティーナの三つ年下の妹ばかりを可愛がり、ユスティーナが十七歳のとき、ついには妹に婚約者を奪われ ―― これについてユスティーナは「浮気性な男なんてごめんよ」と言っていたが、当時は傷付いたっぽい。
その頃は知らないからね。
王立学習院に通っていたユスティーナは、ここで両親に見切りをつけ、士官学校に進学することを決意し入学を果たした。
もちろんユスティーナからの一方的な情報だけではない。
先輩や後輩の有爵貴族の六男坊とか七男坊が「それは本当だ」と教えてくれた。
実家とは絶縁状態で、結婚に関しても「しない。仕事に人生をかける」と ――
ちなみにユスティーナの妹なのだが、ユスティーナ曰く「天使のように可愛いから、両親や元婚約者が自分を見てくれないのも仕方ないって思ってたけど、イヴに比べたらわたしの妹なんて薄汚れた黄色いかつらを被った短足ゴブリンだったわ。あんなのをちやほやしている両親が哀れになった。視野が狭いとほんと、怖ろしい勘違いするわ。天使ってイヴのような子を言うのよねえ」……ユスティーナがさっぱりした表情を浮かべていたので何とも言えなかったけど、それは構わないよね!
ユスティーナの情報の裏付けをしてくれた先輩たちも「薄汚れた黄色いかつらなあ……まあ、言いたいことは分かる」と。
先輩(五男坊とか八男坊)たちは「爵位、なにそれ? な、みそっかす」と名乗っていたが、有爵貴族の子弟、庶民のわたしが何かを言えるような空気ではなかった!
ちなみにそんなユスティーナの妹さんですが、わたしは拝見したことはありません。ユスティーナの実家スイティアラ子爵家は田舎の弱小貴族故、首都で夜会を開くこともなければ、招待されることもない。当時、王弟殿下だった陛下付きのわたしが、軍人以外の有爵貴族を稀に見ることができたのは、首都開催の夜会のみなので、一地方の社交界にしか出られないユスティーナの妹さんを見る機会はなかった。
もちろん妹さんは首都までやってきてデビュタントを済ませてはいますが、妹さんとわたしは同い年なので、妹さんが十八歳でデビュタントしたころ「ヴェルナー教官が異動になって少し楽になるかな? なんて思ったけど、それは儚い夢想だった」などとエサイアスと話しながら、絶壁をよじ登っておりました。
あの断崖を登り切れたのはわたしだけ ――
そうかユスティーナ、ついにざまぁな小説のクライマックス「元婚約者よりもハイスペックな男に見初められて」を迎えたのか。物語のような人生だなあ、ユスティーナ。
子爵令嬢には相応しいな!
「イヴはユスティーナ・ヴァン・スイティアラの人生も、実家が厄介なことも分かっているだろう」
「はい」
未だに妹さん可愛い、可愛いなんだろうなー。そしてユスティーナのものは妹さんのもの……が当たり前のままなんだろうなあ。
「そもそも子爵では身分が足りないので、侯爵家の養女にしてから嫁がせる」
「なるほど」
「養女先はサロヴァーラ侯爵家だ」
「サロヴァーラ……」
「エリザベト・ヴァン・サロヴァーラの実家だ」
「…………!」
わたしが”どやぁ!”する相手と決めたエリザベト嬢が預けられた侯爵家ですか。
「あの侯爵家はそこそこの名家なのでな」
「そこそこ……」
そのような話をしていたところ、医学研究所に到着してしまった。
続きは気になるが、ここは後回しもしかたない。
「それについては、後で。まずはヴェルナーに会いに行こう」
下馬した閣下は手綱を無造作に離す。貴族はちまちまと手綱を従者に渡したりはしない。従者がさっと掴むのだ。
「イヴも気にせずにこちらへ」
閣下の一挙手一投足が貴族で震える! いや、なにを今更! 閣下が貴族であることは承知の上で結婚すると決めたのだ!
……でも、やって来た従業員に手綱を手渡ししてしまった。
この辺りは庶民だから仕方ないと思うの!
入り口にはこの研究所の関係者……の中でも、格好から偉いと分かる人たちが両サイドに列を成して頭を下げていた。
「閣下、妃殿下、こちらでございます」
お出迎えの人たちは、本当にお出迎えだけで一切口を開かずこちらに旋毛を見せているだけ、声を掛けてきたのは先触れを務めてくれたアイヒベルク閣下。
「イヴ。喉は渇いていないか?」
「大丈夫です」
「そうか。だが席に着いたらなにか飲まないか? ここはレストランではないので、大したものは出ないが、紅茶とコーヒーとサイダーくらいならあるぞ」
最後のサイダーの浮いていること! わたしの好物なんですけどね!
「サイダー……を」
「そうか。リーンハルト、わたしもイヴと同じものを」
「御意」
そんなやり取りをし ―― 所長室のプレートが掲げられている部屋へ。所長室の前までは、まあまあ普通だったのですが、所長室のドアは王宮デザインです。
閣下が右手を軽く上げると、リースフェルトさんがドアを押し開く。そしてドアの向こう側には、
「ふぁ?」
日差しを浴びて光り輝くシャンデリアに高級感しか感じられない家具 ―― なのですが、ちょっとおかしい。
ん? なんだろう?
「イヴ、近づいてごらん」
「はい、閣下」
閣下に言われて近づいたら分かった。ソファーの脚が長めで座面が異常に厚いんだ!
それに合わせてテーブルもかなり高め。
「座ってみてくれないか、イヴ」
「はい!」
座面が厚すぎるソファーに腰を下ろす。足が楽だ! いっつもこういうソファーに座ると足が前に出すぎるので、男性同様大きく開いていたが、足を閉じて前に投げ出さないで座れる!
更に見た時は気付かなかったが、肘掛けが長くて、肘から指先まで全部預けることができる! いつも肘掛けはほぼ手首前で尽きていた ―― 腕も長いんですよ。
「気に入ってくれたか? イヴ」
「はい!」
特注品であろうソファーに腰掛け、フィット感を堪能していると、ドアがノックされ、
「お前は馬鹿なのか?」
入室してきたヴェルナー大佐が、大股にかつかつと近づいてきて、頬をぎゅーっと引っ張った。
「おひかりは、きーふかかにふへにもらほておりまふ」
あうあうしながら、必死に答えるとヴェルナー大佐は「この馬鹿が」と更に険しい表情になりましたが、頬から手を離してくれました。
「俺の容態なんざ、気にしなくてもいいだろうが」
「任務中、心配してたんですよ!」
途中、途中、任務優先で忘れる時もありましたが!
「ったく。……婚約者の頬を引っ張り、申し訳ございませんな、リリエンタール伯爵閣下」
「イヴが拒否していないのだから、構わぬ。イヴは嫌ならば避ける能力を所持しているし、なにより自分の身を守れぬ幼子ではない。自立し意思有る女性だ」
ええ、まあ、その、痛くないので。耳引っ張られるよりは余程マシ。
全く知らないヤツが頬を触ってこようとしたら、その指を反対側にへし折るけどな! もちろん、そんなことしたことないけど。
「なるほど。女を所有物と見なさないのが、リリエンタール伯爵閣下のお考えですか」
「そうだ」
なんかピシピシとした細氷を含んだ空気がぶつかってくるかのような空間になってる! なんで?
まあいいや!
「ヴェルナー大佐、病み上がりですから、座ってください」
所長室のソファーに腰を下ろしたのはわたしと閣下とヴェルナー大佐だけ。
目の前にはサイダーが。注いでくれたのはリースフェルトさんです。
アイヒベルク閣下とオディロンはいいとして、同じく病み上がりのリースフェルトさんには給仕などせず座って欲しかったわー。
「ヴェルナー大佐が一命を取り留めることができたのは、妃殿下のお力です」
ヴェルナー大佐の後からやってきたシュレーディンガー博士も立ったまま、話を始める。
「ぶふっ……」
サイダーを飲んでいたわたしは思わず吹き出しそうになった。なんで? わたし ―― 事情が分からぬわたしにシュレーディンガー博士が説明してくれたのだが、博士はわたしが提案した血液の研究に着手した。それも血液の型判別に輸液器具の開発、輸液方法の確立、血液の保存方法の四つを平行して行い ―― 血液の型を見つけ、キレート作用もほぼ確立、器具は改良中……天才博士の名にふさわしい研究ぶり。
「保存した血液を本人に輸血し戻す研究をしておりまして、ヴェルナー大佐がその実験に名乗りを上げてくださったのです」
戦争の最中に何故? というわたしの気持ちが通じたらしく、
「研究成果や動物実験の結果を見て決めた。失敗して俺が使い物にならなくなったら、それをネタにリリエンタール伯爵閣下を引きずり出せるからな。アデルならやってくれるだろう」
教えてもらったのですが、その「どっちに転んでも損はねえ!」な精神はちょっと……。そういう方だとは知っておりますが。
あの時期、ヴェルナー大佐が実験のため血を抜かれ、その次の日にアレクセイが仮死状態となり、翌日アレクセイの葬儀中に襲撃を受け ―― ヴェルナー大佐が大怪我を負ったのだそうだ。
「ヴェルナー大佐に依頼され、わたしもあの場にいたのです」
博士への依頼ですが「念のためにアレクセイの動脈を切ってくれないか」 ―― ヴェルナー大佐はアレクセイの遺体を見て、死んでいないのではないか? という疑念を持ったのだそうだ。
「アレクセイから死臭がしてこなかった」
現場を知らない皇子さまと、前線で死体の山に埋もれながら数多の敵を屠ってきた戦場の雄の差 ―― 仮死になる薬による誤魔化しなどきかなかった。
ヴェルナー大佐がアレクセイにナイフを突き立てなかった理由だが、仮死状態なのかどうか? の確認もして欲しかったため。
仮死状態の場合はリドホルム男爵に、メッツァスタヤ内にまだ王家を乗っ取ろうとしている輩がいると教えようとした。
結果としてヴェルナー大佐は撃たれ、大量の出血 ―― だがここから運が味方した。その場に医療器具を携えた博士がいたことで、速やかに傷口の縫合が行われ、病院ではなくこの研究所へと運ばれた。
「前々日に抜いた血を輸血したのです」
血液の保存状態に問題はなく、無事輸血は成功した。
「妃殿下の提案がなければ、ヴェルナー大佐は今こうして妃殿下と会話を楽しめてはいないでしょう」
サイダーの注がれたグラスを口元へと運んでいたヴェルナー大佐は、博士の言葉を聞き、
「感謝しているぞ、クローヴィス」
はにかむような表情で、そう言ってくれた。
「光栄であります!」
反射的に立ち上がり敬礼して、大きな声で返事をしたら、アイヒベルク閣下とオディロン以外の人に笑われたけど気にしない!
思い切って未来知識を伝えてよかった!




