【259】少佐、鷲掴みにされる
わたしたちも蒸気機関車に乗り込み、わたしはキース中将と二人きりに。
キース中将は椅子に腰を下ろし、先ほどイワンの両肩をぶっ壊したときと同じような表情……これは確実にやられる!
だが逃げるわけにはいかない。
「ご報告を」
「お前からの報告の前に言いたいことがある。座れ」
キース中将の目の前の椅子を指さされたので腰を下ろす。もちろん足を開いた上官と同じ男らしい座り方です。
座っていたキース中将は立ち上がり、わたしの方へと近づいてくる。
鷲掴みタイムが始まるのですね!
覚悟は決まった! と、軍帽を脱ぎ固く目を閉じると、がしっ! ……とはこなかった。軽く触れる程度で鷲掴みともいえないような……。
えっと思って目を少しだけ開けると、キース中将がなんか上手く言えないのだが、泣き出す手前みたいな感じの表情でわたしを見下ろしていた。
「無事に戻ってきてくれて……ありがとう」
最後の”ありがとう”はわたしに向けてというよりは……あんまりキース中将の内心を深読みとかしないでおこう! 外れたら恥ずかしいし、わたし深読みとか苦手だから。
「隊員共々無事帰還いたしました……」
「ほんとうに、あまり心配かけてくれるな」
キース中将の手に力が籠もることはなく、頭に手を乗せているだけの状態のまま ―― 車中に汽笛の音が聞こえ、ほどよいところで手が離れ、軽くデコピンされて終わった。
「怒られると思って帰ってきただろう?」
「はい」
向かい側に座り直したキース中将に正直に答えると、腕を組み肩で軽く笑い ―― 拍子抜けするほどに怒られなかったのだが、
「心配をおかけして済みませんでした」
作戦行動に携わった全ての隊員を、とても心配していたというのがひしひしと伝わってきて……。
「頭から怒鳴りつけたいというのが正直な気持ちだが、部下を伸ばすためには怒らず認めなくてはならない場合もある。その兼ね合いだな……そのうちお前も死ぬほど苦労することになるだろう。覚悟しておけクローヴィス」
うわー。それは面倒ですね。
わたしには部下がいなくても……って、既に千人くらいいたわー。隊長職を解かれたら親衛隊隊員の二百人は部下ではなくなるけれど、警備の八百人はそのままだと思われる。警備とか地味な仕事だから、よく部下を見て褒めて伸ばさないとな!
「怒ったり、宥めたり、褒めたり、ときにはぶん殴って部下を育てていこう、クローヴィス」
キース中将がわたしの方へと手を伸ばしてきたので、座ったままだが手を取り握手をする ―― きっと結婚しても女性が軍に残れる運びになったのだろう。
「はい! 御教示のほど、よろしくお願いいたします」
「わたしは厳しいぞ」
そう言って笑いながら力強く手を握り返してきた。雰囲気儚いけど、腕力ありますよねキース中将。
「望むところです!」
そしてわたしは車中でまとめた報告書を手に、キース中将に報告を行った。
「落ちてきたのか」
シャルルさん奪還の場面で唐突に落下してきたフォルクヴァルツ閣下 ―― ここは非公開になる部分なのですが、キース中将にはしっかりと報告します。
「はい……あの、本当に落ちてきたんです! ネクルチェンコ、リースフェルトさんや、リドホルム男爵に聞いてください。落ちてきたと証言するはずです」
口頭で「いきなり選帝侯が落下してきたのです」と言っても、普通は信用されないよなあ。
「疑ってはいない。フォルクヴァルツ侯なら、驚くことではない。むしろ納得する」
キース中将が打ち消すように手を振りながら、無表情で「納得する」って……。
「納得ですか」
「ああ。納得だ……連合軍時代に色々あってな」
キース中将が疲れたように儚く笑った。わたしも閣下より聞き及んでおりますので……そういう人なのだろう。
「その辺りはお前の式のために訪れた際、すり合わせるから心配するな」
シャルルさんが売られたことになっているので ―― 売ったイワンは冤罪ですが、買ったことにしたアブスブルゴル帝国もまた冤罪なわけでして、その辺りの調整というか、言うことを聞かせる駆け引き等が必要になるらしいのです。
「アブスブルゴル帝国の滅亡が早まるだけだ。国の滅亡に関わるには、お前は経験も地位も足りないから忘れろ」
結局そういうコトになるようです。
そうか……国の滅亡かあ……。余計なことは考えず、報告を続けなくては。
「以上になります」
頬杖をついて聞いていたキース中将は頷き、
「分かった」
無事に報告が終わった頃には、時刻は夜の七時を過ぎており、以前キース中将が西方司令部を訪問した際に宿として使った城がある駅に停まり、その城で一泊することに。
「リリエンタール閣下の一目惚れですか」
「隊長ですものなあ」
食事を終えビールジョッキを片手に、部下たちの質問に答えるのは構わないのだが、
「お前たち、こういう話、興味あるのか?」
楽しいのか?
色気もなにもない話しかないんだぞ。
「興味はありますよ」
「アシェンプテルストーリーを、当人から聞ける立場にあって聞かないで帰ったら、姉貴たちやお袋にぼっこぼこにされますわ。ここは俺たちを助けると思って」
「お前の姉ちゃん、逞しいもんな」
「言うなよ。逞しいけど、隊長よりは弱いんだぜ」
隊員の姉がどれほど逞しかろうと、わたし以上ということはない! 当然のことだね。
「隊長より強いヤツなんて、いねえし」
女受けしそうな話題なので、話して欲しいと頼まれたら話さないわけにはいかない……けど、一般女性受けするのかな?
だって額を撃たれて血がブシューして一目惚れですよ?
キース中将からの命令で投げっぱなし告白をかましてからの婚約だったり。
「この懐中時計は一昨年、聖誕祭のプレゼント交換でもらったんだ」
チェーンをベルトに通している懐中時計を出して見せる。
「それリリエンタール閣下からの贈り物だったんですか」
「センスまでいいんか、あの人」
閣下のセンスがいいと褒められると、わたしまで嬉しくなる。褒めても、なにも出ないんだぞ、お前たち!
ビールジョッキを傾けウィスキー瓶から直飲みして騒いでいると、食堂にキース中将と話し合いをしていたリースフェルトさんがやってきた。
「おお! ヴィーシャ副官」
「話を聞かせろ」
「無事で良かったぜ!」
「無事帰還おめでとう」
酒瓶やジョッキを掲げながら、リースフェルトさんにも話を求め始めた。
「じゃあ惚れてるっていうのは嘘だったのか」
「そうです。リリエンタール閣下が心配して付けたのです」
「あの人でも心配とかするんだ」
「しますよ。とくに少佐はリリエンタール閣下をして”なにをしでかすか分からない”ので、心配で仕方ないようです」
「隊長のしでかしって、大体身体能力だからヴィーシャがいても無理じゃね?」
「言わないでくださいよ。わたしもリリエンタール閣下もそこは分かっているんですから」
「だからレアンドルの野郎なのか」
「実際あいつは体は動くからな。なに考えてるか分からんが」
「でもよく、あんな化け物を意のままに動かせるよな」
「リリエンタール閣下は聖職者としても一流ですので、宗教で議論を交わせばレアンドルも大人しくなります」
「あの人以外のヤツが大人しくさせられなかったってのは、宗教家としての知識が足りなかったってことか?」
「そうなのかも知れません。リリエンタール閣下は枢機卿として検邪聖省のトップを務めておられます。検邪聖省というのは、選りすぐりの知識人をアドバイザーとして抱えている省でもあり、そのトップは更なる知識を必要としますので。教皇庁でもっとも頭の良い聖職者がリリエンタール閣下というのは、猊下も認められるところです」
「すげえ」
「スゲェー」
「猊下公認とか、住む世界が違い過ぎて分からん」
「もともとリリエンタール閣下と俺たちは住む世界違うって」
ほんと、住む世界違うんですよねー。わたしも思います。
リースフェルトさんはビールを一口飲み、
「少佐にお伝えしたいことが」
「なんだ? ジーク」
「少佐と閣下の結婚式ですが、猊下ご自身がお越しになるそうです」
爆弾発言を。酒を飲みながら騒いでいた部下たちが一斉に静かになった。猊下が直接……来る?!
「…………は? 代理で枢機卿閣下がお越しになる予定だったのでは?」
「はい。そちらの方で話が進んでいたのですが」
「え、何故?」
「ブリタニアスの女王に誘われたようです」
「誘われたのですか……」
誘われたって……誘う人って自分も行くから一緒にっていうのがお誘いだと思うのですが。ババア陛下さまはヒューバートさんが代理でお越しになる筈では?
「少佐はご存じでしょうが、グロリア陛下と猊下は友人ですので」
「ご友人なのは存じ上げておりますが……ジークの話しぶりからすると、グロリア陛下もお越しに?」
「非常に残念ながらグロリア陛下もお越しになります。リリエンタール閣下はそれはそれは……”自重せい、ババア”と電報を送られましたが、返ってきたのは”二人でクイーン・グロリア号に乗っていくわ”でした。猊下が同船していなければ、海戦で阻止も辞さない状況でした。ま、グロリア陛下はそれが分かっていたので、猊下をお誘いになったのでしょうが」
リースフェルトさんの楽しそうな表情と言ったら!
……で、お二方が海から来るということで、戦争終了後海軍はすぐさま再編成され、ただ今必死に警備や港の整備をしているそうです。
「遠目とはいえ、猊下を直接拝見できるのか!」
「爺さんを田舎から呼ぼうかな。隊長、ありがとうございます」
「ミサあるのかな!」
「猊下のミサとか憧れるな」
わたしにとっては「うわあああ」ですが、信仰心の篤い部下たちは猊下がお越しになることを喜んで……別に悪いことは何一つないんだよね。
みんなが喜ぶならそれでいいし、わたしも猊下にお目にかかりたいと思ってはいたので……でも二人ともくるのかあああぁぁぁ……。
招待客がこれ以上ないほどに豪華になったことを知り、ちょっとキース中将に愚痴ではないのだが重責を感じることを漏らし、
「さすがに猊下の御幸に意見をすることはできなくてな。もっともリリエンタール閣下が止められないのだから、わたしにはどうすることも出来ないのだが。力になれなくて済まんな」
「いえいえ。こうして聞いてもらえるだけで充分です」
「そうか。式までに不満ではないが、育ちの違いから吐き出したくなったらわたしの所へこい。何時でも最優先で話を聞く。いや、聞かせてもらいたいから、来いよ」
励まされました。
ありがとうございます、キース中将。
城から首都へと向かう車中では、わたしと閣下の話よりも、人質奪還作戦について聞かれました。やっぱり男の部下たちは武勇伝系が好きだね!
そんな中、一つ気になることがあり ―― ユルハイネンがイワンの見張りをずっと買って出ており、部下たちばかりかキース中将も、
「見張りをさせてやれ」
そのように仰ったのでそのままにしたのだが、あいつ見張りとか地味な仕事苦手だったはず……。
わたしが国外任務中に心入れ替えた? 次の親衛隊隊長だから心を入れ替え、いかなる職務もまっとうするのは良いことだけど。
無事に首都の中央駅に到着し ―― 駅を出るとアイボリーに金糸で百合が刺繍されたチョハを纏い珍しくサーベルを佩いた閣下が、黄金の鞍を乗せたアハルテケの手綱を持ち待っていてくださった!
「やべえ、支配者が来た」
「完全に侵略者や」
隊員がぼそぼそと……お前たち止めなさいと言いたいのですが、隊員の気持ちが分かるので黙るしかなかった。すっごい支配者感です、閣下。
もちろん閣下一人ではなく、黒いチョハを着用し黒馬の手綱を手にしているアイヒベルク閣下と、他に馬三頭。
一頭はアハルテケで、後の二頭は栗毛と白。その白馬に当たり前のようにオディロンが跨がり、そして栗毛にはリースフェルトさんが飛び乗り馬を連れていた人から手綱を受け取り握る。
「イヴ、迎えにきた」
「ありがとうございます、閣下」
「ありがとうなど。わたしが迎えにきたくて仕方がなかったのだ。イヴ、これからどこか行きたいところはあるか?」
アイヒベルク閣下に「こちらへ」と促され、もう一頭のアハルテケに跨がると、隊員たちから拍手と歓声が上がった。
どうしたんだ、お前たち。
「古代の彫刻だ」
「ふおぉぉぉ! すっげー!」
「馬の光沢と黄金の鞍が霞む隊長の金髪って」
なんかよく分からないけれど、悪意はないみたいなので放置しておく。
「行きたいところがあります、閣下」
「どこだ、イヴよ」
「ヴェルナー大佐の所です!」
ヴェルナー大佐は無事でした! 傷もふさがり快復し ―― キース中将が国境付近までやってこられたのは、ヴェルナー大佐に仕事を預けることができたから!
……病み上がりの人に仕事ぶん投げたんですか? と尋ねたところ「フェルのワーカホリックぶりは知っているだろう。体を起こせるようになったら、病室ですぐに書類仕事を始めたくらいだ。わたしの仕事をぶん投げたところで問題はない」……黙って傷病休暇を取るような人ではないとは存じておりますがね!
「ヴェルナーの所か。リーンハルト、先触れを」
「はっ! 閣下、妃殿下、御前を失礼させていただきます」
リーンハルトさんは騎馬の人となり、颯爽と馬を走らせて ――
「クローヴィス、馬から降りろ」
「はい?」
わたしはキース中将に下馬を命じられ、なんだろう? と降りると、久しぶりにがっしり鷲掴みされた! いててて、なんで? なんで鷲掴み? 鷲掴みするの忘れてたから、いま?
「キース」
あうあう、鷲掴みが! 指がぐいぐいくる。誰だよ儚いって言ったの! 花が散ったって泣かないよ! この人きっと、腹減ったら、花びらもりもり食べるよ!
「黙っていてください、リリエンタール閣下。おいクローヴィス、行きたいところはあるかと聞かれて”男に会いたい”なんて言うんじゃねえよ。涼しい面してるが、あれは嫉妬深いぞ」
「え?」
馬上の閣下が溜息を吐き出し、
「そんなことはないぞ、アーダルベルト」
そのようにお答えに。わたしからは後ろにいる閣下の表情は見えないのですが ―― 閣下がそのように仰ってるのですから!
「ふんっ! 若い嫁に良い男を気取りたいのは分かるが、後々嫉妬でクローヴィスを困らせたら、ただでは済まさんぞ! ツェサレーヴィチ・アントン。そしてクローヴィス、忠告しておく。お前の夫は公人としては生きた伝説だが、私人としては一般人の中でちょっとマシなレベルだ」
そう言い、鷲掴みを解き頭をぱんっ! と叩かれた。
「一般人の中で上レベルならいいのでは」
「お前がいいならいいけどな」
キース中将は笑われ……相変わらず儚ねぇなあ。そして閣下はと言うと、口角を上げて微笑んでおられるのですが……なんだろう、企んでる感が凄い!
いや閣下ほどの方の表情を見て、わたしが企んでいる感を察するのは不可能な筈なので……。
「とりあえず行こうではないか、イヴ」
「あ、はい。あのヴェルナー大佐がどこにいるのかは……」
「イヴがヴェルナーに会いたいと希望することを想定していたので、本日のヴェルナーの予定は全て押さえているから心配することはない」
閣下がそのように仰ると、キース中将は軍帽で半分ほど隠れている額に手を当て、
「これだから、完璧の極致ってやつは。クローヴィス、行ってこい」
”やってられんわ”みたいな声を上げた。
「はい! それではキース閣下、お先に失礼いたします。ヘル中尉、キース閣下のことは任せたぞ」
「はい、隊長。隊長はどうぞ婚約者閣下と共に、お出かけください。全隊員、騎乗の隊長へ敬礼!」
ヘル中尉の号令に従い隊員たちが敬礼を。一糸乱れぬ敬礼を見て「鍛えた甲斐があった」と噛みしめながら敬礼を返して、閣下と共に馬を走らせた。
「閣下、ヴェルナー大佐は何処に?」
「イヴの医学研究所だ。術後の経過の診察に来ている。まあ診察しているのは我が一門の藪なので、診察になっているかどうか分からんが」
「……」
ヴェルナー大佐、ガチで快復するまで休んでください。なんなら代休分けますよ?




