【239】少佐、長い名前を読みかえる
デニスを通してわたしにシャルルさんとリースフェルトさんの誘拐を伝える ―― クライブが異変を伝える文章や、やり取りを考えたのだが、カリナが「この文章じゃあ、兄ちゃん異変に気付かないかもしれない」と判断し「でも兄ちゃんなら、時刻表覚えているから!」と特別列車(偽)の汽笛が鳴る時間帯に無線を使った。
カリナのデニスに対する認識を垣間見ることができ、さらにその認識の正しさと言ったら……。
「本当にあの汽笛で異変を感じ取ったのですか」
クライブが「うわー」って表情になってますが、うん、間違いなく汽笛が重要でしたね。汽笛がなかったら、異変に気付いても、職務時間外に伝えにくるくらいで済ませると思う。
「普通は思わんだろうがな」
冷静に言わないで下さいキース中将。
奇行種なのは重々承知しております! 自慢の弟ではありますが、その知識が奇行の域に達しているのは存じ上げております!
それでデニスに無線で異変を伝えたあと、アーレルスマイヤー家の皆さんをも連れ自宅へ戻り、クライブが父さんに事情を伝え ――
「総司令官閣下に連絡がつながらなかったため、休校命令は出せませんでしたが、全ての学校が自主休校という措置をとったようです」
本日子供たちはお休みのようです。
クライブはというと、昨日の夜からこの駅舎の出入りをほぼ見渡せる部屋に入り、キース中将が来るのを待っていたとのこと。
こんな殺風景な部屋で一晩明かしたのか。大変だったなクライブ。
「わたしから伝えられるのは以上です」
「そうか。わたしたちは駅舎に戻る。お前もクローヴィス家に戻れ」
「はい」
クライブから話を聞き終えたわたしとキース中将は、来た道を戻り屋根裏から駅長室へ。屋根裏の扉から宙づり状態で室内をうかがうと、シュルヤニエミ中尉が一人だけ。
登る時に使った机や椅子は元の位置に。
「室内に異常はありません、クローヴィス少佐」
シュルヤニエミ中尉の報告を受け、わたしはふわふわしている絨毯の上にしゅたっ! と飛び降りると、シュルヤニエミ中尉が、かなり驚いた表情を。
この位の高さからなら余裕で、そして安全に飛び降りることができるよ。
部屋は登るときは大変だけど、降りる時は楽ですね。
「クローヴィス」
「はい閣下」
いまだ屋根裏にいるキース中将から、
「飛び降りて足の骨を折るわけにもいかないから、登った時と同じように机を用意しろ」
そのような指示が飛びましたが、今は一刻を争うと思うので、
「設置する時間がもったいないので、どうぞ閣下。小官の腕に飛び込んできてください。しっかりと受け止めますので」
「……お前なあ」
わりとレアなキース中将が困惑している表情を見ることができました!
でも困惑している場合じゃありませんよ、キース中将。どうぞわたしの胸に飛び込んできて!
「駅長室に誰か来たか?」
「大臣が」
キース中将はわたしの硬い胸に飛び込んできては下さりませんでしたー。「さっさと机を運べ。お前ならできるだろう、クローヴィス」と言われシュルヤニエミ中尉と共に運びました。椅子は設置する必要はなく ―― 重厚な机にキース中将は飛び降りたのですが、着地姿勢も格好良かった。きっとキース中将好きな同期たちが見たら、気を失うんじゃないかってレベルで格好良かった。
(儚い)詐欺師は凄いね、軍服の裾まで華麗に舞うんだから。
「シュルヤニエミ、中央駅にこいつらを集めろ」
キース中将は紙に喚ぶ人の名を書き記し、シュルヤニエミ中尉に渡す。中尉が部屋を出た。
「揃えるのに、そう時間はかからないだろう」
キース中将が駅にいることは周囲に知らせているので、キース中将に会いたい人が続々と駅にやってきているらしく、その中からシュルヤニエミ中尉が選ぶ……という感じ。
キース中将は駅長室に備え付けられているソファーに腰を下ろして、目を閉じて腕を組み ―― これからのことについてお考えなのだろう。
わたしはキース中将をお守りするのみ!
……ヴェルナー大佐、ご無事かなあ。意識戻ったかなあ……。
非常に気になるのですが、キース中将が「事情を聞けないのなら会いに行く意味はない。とくに今は忙しい」と ―― わたしよりずっとキース中将のほうが心配しているはずですが、そんなことはおくびにも出さないのが総司令官。
強いの一言で片付けてしまうには切ない。
「クローヴィス」
腕は組んだまま目を開かれたキース中将が、
「はい」
「今回の事件には、イワン・ストラレブスキーが関わっている」
唐突に誰かの名前を。イワン・ストラレブスキー……ふあ? 誰ですか、そいつ。いや待って下さい、キース中将。どこかで……。
「ルースの皇族で、大陸縦断貿易鉄道のルース側の責任者イーゴリの息子だ」
あ、あああ! あのフォルズベーグをどうするか会議の際に新生ルース帝国の特務大使(仮)としてやってきた、閣下の親戚のイワンですか。すっかり忘れておりました!
えっと……どうして、イワンが関わっていると?
「殿下がニクライネンに伝えた六つの単語、アレクシス、毒、狩人、ヨハン、エーデルワイス、ワルシャワだが、これは二人の人物について語っている」
たしかにアレクシスとヨハンは人名ですね。他の単語の意味は分かるけど、なにを指しているのかは分かりませんが。
「この単語はアレクシス、毒、狩人で一文で、ヨハン、エーデルワイス、ワルシャワは別の人物を指す」
さすがにそれは分かりますが。
「クローヴィス、主席宰相閣下の名前を全て言えるか?」
「さすがにそれは言えます。アントン・ヨハン・リヒャルト・マクシミリアン・カール・コンスタンティンです」
全名はいまだ覚えきることはできませんが、お名前は覚えました。
「主席宰相閣下のブリタニアス読みは?」
閣下はお生まれがブリタニアスなので、現在と名前の読み方が違う……ということを、教えてもらった。
「アンソニー・ジョン・リチャード・マクシミリアン・チャールズ・コンスタンティンです」
「よくできたな」
心から褒めてくださらなくても……。
本当に部下を馬鹿にしない方だな……馬鹿なことすると、全力で馬鹿にしてくださいますがね。
「では主席宰相閣下の名前をルース読みにしたらどうなる?」
「ルース読みですか? アントーン・イワン・リカルドゥス・……あっ!」
そうだ、ヨハンはルースではイワンになるんだった!
「ニクライネンは通訳の仕事をしているが、読唇となると母国語しかできない可能性を考慮して、殿下は二人の名前をロスカネフに馴染みのあるものに変え、ルースに所縁のある人間だと伝えるために”エーデルワイス”と”ワルシャワ”をセットで伝えた」
そっか、母国語じゃないと唇を読み間違う可能性……ありそうだな。
わたしは読める気はしませんけどね!
キース中将が仰るには、エーデルワイスとワルシャワはセットで大陸縦断貿易鉄道のことを指し、そこにヨハンが絡むことでイワン・ストラレブスキーが関わっていると推察されると。
さすがキース中将! シャルルさんも伝言残した甲斐があったというものです。
そうこうしている間に、キース中将が集めろと命じた人員が集まり ―― 非番招集を掛けたユルハイネン部隊に身体検査をさせてから、駅構内の中央ホールへと通す。
普段は人が行き交う構内のホールなので、座るような設備はなくみな立ったまま。親衛隊は全員集められ、騎兵隊からはシベリウス少佐がアルテナ少尉を連れてやってきている。疲れている感がすごいリドホルム男爵に、松葉杖をついているハインミュラーに馭者のハクスリーさんなど。その他の人たちも全員知っている ―― あと何故か我が家のデニスまで。似合っていない少尉の軍服を着た、指先がグリースで汚れている弟が目立つわー。
「昨日、王宮にて一人の貴人が誘拐された」
キース中将はとくに挨拶もなく話しはじめた。
ホールという性質上、よく声が響く。そしてホール内にいる者たちは、とくに驚きはしなかった ―― そのくらいの情報は掴んでいるのだろう。
「誘拐された貴人はベルナルド・デ・フィッツァロッティ。主席宰相閣下の邸で執事をしている」
この発言に集められた親衛隊隊員のほとんどが「?」になっている。
もちろん隊員だけではなくベルナルドさんの正体を知らない人たちも「?」感じに。貴人と執事ってあまりつながらないよなー。
「ベルナルド・デ・フィッツァロッティは仮の名で、本名はシャルル・ド・パレ。正式にはシャルル・アントワーヌ・ギヨーム・アンリ・ラウール・ジェラール・ド・パレ。これだけご大層な名前を持ったパレと言えば一人しかいない。パレ復古王朝ノーセロート王国の王太子に冊立され、政変により死刑となり難攻不落だったヒル=ボライン要塞に投獄されたその人だ」
シャルルさんの本名、閣下並に長かったんですね……王子さまですもんね、長くて当然か。
キース中将、よくご存じで。そして貴人の意味を理解した人たちはざわざわしだした。
なにせ王子さまが誘拐されたのだ。それも閣下が保護している王子さまが。
「誘拐の首謀者はルース貴族イワン・ストラレブスキー。名前を聞いただけでは分からない者も多かろうが、このイワンの父親はルースの大公だった人物だ。このルース貴族は五つ年下の主席宰相閣下に後塵を拝し続け、皇太子レースでも敗北し、恨み骨髄で二十数年という男だ」
キース中将、事実ですがそれを言ってしまうのは可哀想というか、哀れといいますか……シャルルさんとリースフェルトさんの誘拐犯だからいいか!
「嫌がらせで主席宰相閣下の友人でもあるド・パレを誘拐した……だけならばストラレブスキーの長い髪を掴んで頬に拳を振り下ろせばいいだけだが、事態はそれだけでは済まない。新生ルース帝国の皇帝を名乗ったアレクセイ・ヴォローフ・シャフラノフと共産連邦を繋いだのはストラレブスキーだ」
アレクセイはルース語を話すことができないのですから、間をつなぐ人がいるのは当然ですよね。そーか、イワンの野郎かー。閣下に負けたことを根に持ってかー。陰険ですね! これを陰険と言わずしてなにを陰険と言うのですか!
「情けないストラレブスキーの思惑を長々と語っても仕方ないので省くが、誘拐されたド・パレはもっとも効果的な場所でテロリストにより殺害される。それにより起こるのは、大陸を巻き込んだ大戦だ」
キース中将の声が響き ―― ホールはしわぶき一つ聞こえない静寂に包まれた。
事情が分かる人は分かっている顔していますが、ホールにいる三分の二は事情が分かっていない感じです。
わたし? わたしは分かるよ。
「ド・パレの父親はアブスブルゴル帝国の皇子のため、フォン・マリエンブルクにも属している。そのためド・パレはアブスブルゴル帝国の皇位継承権を所有しているのだ。余所の王家の醜聞を語る趣味はないが、現アブスブルゴル皇帝の息子三人は全員完全に勃起不能のため、皇太子は存在してはいるが皇太子とみなされておらず、ド・パレが皇位継承二位につけている。ちなみに表向き第一位は皇太子ヨーゼフだが、影にして実際の継承権一位は我らが主席宰相閣下だ」
閣下がアブスブルゴル帝国皇位継承権一位とキース中将が語ると、途端に空気が緩むというか呆れたような感じになり ―― あちらこちらから「あの人、どの国でも継承権第一位だな」「どういう繋がりで一位なんだ」「そりゃあルースも見殺しにされるわ」「実兄は神聖皇帝だから神聖帝国もか?」などという声がざわつきながら広がった。
驚きについてはわたしも同感ですが、至高の座へと続く階は閣下が自ら欲したわけではなく……シャルルさんだって欲していないのに、こんな大事に巻き込まれてしまっているわけでして。ほんと、王家とか血筋とか大変だ。




