【238】少佐、駅長室から抜け出す
中央駅の駅長室に入ったのは初めてだが、庶民代表のわたしには無駄に豪華に感じられる。
調度品類とかも、そんなに重厚なの必要? と聞きたくなるような、でも偉い人はそれなりの部屋にいないと。でも重厚といっても閣下の邸には程遠いような、本物を見分けられる目はわたしにはないので……まあいいや。
豪華な駅長室でシュルヤニエミから状況を聞くと、テロリストのような輩が現れ、首都の治安を乱していたらしい。
現在はある程度治安は戻ったとのこと。
「詳しい報告はあとでいい。ところでシュルヤニエミ、昨日クローヴィスの妹に無線を使わせたな」
首都へ戻ってくる間、蒸気機関車の揺れを感じながら、カリナが無線で伝えようとしていたことをずっと考えていたのだが、ベルことベルナルドさんは誘拐され、その相手はおそらく……ルース人なんじゃないかなと。
クライブからの伝言が、それを匂わせているような気がするんですよ。
暗号をまったくもって読み間違っていたら、お笑いですが……そこはね!
「はい」
「お前はその無線を側で聞いていたか? シュルヤニエミ」
「はい」
「違和感はなかったか?」
「はい」
”ベル”を知らないシュルヤニエミ中尉に違和感はないよなあ。
「クローヴィスの妹が帰ったあと、何事もなかったか?」
「……クローヴィス少佐の妹君が帰られたあと、首都に賊が現れました」
「そうか。シュルヤニエミ、わたしはクローヴィスの妹に話を聞かなくてはならない。そして民間人であるクローヴィスの妹に危害が及ばぬよう、隠れて会う必要がある。シュルヤニエミとアーダルベルト・キースは駅長室で長々と話をしていることにする。俺の不在を気取られるなよ、シュルヤニエミ」
「はっ! 閣下」
シュルヤニエミが敬礼する。
「クローヴィス」
「はい、閣下」
「お前の弟、ヤンソン・クローヴィスを呼べ」
「はい」
デニスを駅長室に呼んだ理由ですが、デニスなら駅長室から人目につかず駅を出る方法を知っているのではないかと ―― キース中将、うちの弟は鉄道限定に限ったとしても、そんなに万能じゃありませんよ……多分。
「総司令官閣下は姉と同じように動くことは可能でしょうか」
ルートを求められたデニスは、少し目を閉じて考え ―― おもむろに口を開いたかとおもうと、そんなことを言いだした。
聞かれたキース中将は、
「わたしが動けるのは、精々お前の姉の六割程度だと思ってくれ」
真面目にそう言い返した。
「分かりました。では駅長室の屋根裏から出るルートで行きましょう」
ちょっと待ちなさい、デニスさん。
なんで駅長室の屋根裏から外へと続くルートを知っているんですか?
お前の興味は蒸気機関車であって、駅長室なんてこれっぽっちも興味ないでしょう!
「何で知ってるんだ? ヤンソン・クローヴィス」
思わず尋ねてしまったら、
「二年ほど前に駅長室を改装しまして、その際に図面に目を通し、実際完成した部屋も確認しております」
さすがデニス、抜かりないな!
中央駅のことなら任せろ! なデニスが、屋根裏から駅舎の屋根へ……といったルートを提示してくれた。
そのルートを見た実科が得意ではなかったシュルヤニエミ中尉の表情は引きつり「絶対ムリ」と漏らしていた。キース中将はというと、それは儚く微笑んでいらっしゃる。
「クローヴィス」
「はい」
「随所で補助を頼みたいが、できるか?」
「お任せください。なんでしたら、小官が閣下を背負っていきましょうか?」
ちょっと高めな登り棒から全身でつり棚に飛び移り、壁をよじ登る……といったルートですが、このくらいなら余裕。キース中将を背負ってだって簡単だ。
なにせ親衛隊というのはキース中将の身辺を守り、危険から遠ざけるのが任務。
万が一キース中将が怪我などしたら、担いで走ることになるので、日々キース中将と同程度の大きさの革袋に同じ重さの水を注いだものを背負って走る訓練をしている。
ちなみにその水袋を担いで走るのは、わたしが一番速いし、持続力もある。
「それはわたしがまったく動けない時に頼む。……よし、クローヴィスの助けがあるなら、このルートで行けるだろう。ヤンソン・クローヴィス、わたしたちが屋根裏に入ったら親衛隊の小隊長に手早く説明し、わたしたちの脱出を補佐しろ。その後は臨時便の用意に携われ。二両編成で一車両は三等寝台車だ」
「はい! 総司令官閣下。お任せください」
そこはデニスの得意分野ですから。
「それと外国の路線に詳しいのを一人用意しろ」
「外国とは?」
「列強各国の路線だ」
「わたしが一番詳しいです、総司令官閣下」
デニスは自信満々にそう言った ―― デニスさん、その任務を担当すると、危険なところまで行くはめになりますよ? いいんですか?
「……だろうな」
まあ、デニスだけではなく蒸気機関車に乗り、奪還部隊が向かうことになり ―― わたしが率いることになる。
キース中将が嫌がっても、わたし以外にこの作戦を指揮できる者はいないので最終的には折れることでしょう。
キース中将は駅長室の駅長の机 ―― 今はシュルヤニエミ中尉が使っているのですが、机の引き出しを勝手に開けて指示用紙を手に取り、右下の部分にアーダルベルト・キースとサインをする。
「蒸気機関車の編成をヤンソン・クローヴィスに一任する。文面は任せたぞ、シュルヤニエミ中尉」
「はっ! お任せください」
白紙証文的なそれですけど、いいんですかね?
「姉さん、ここだよ!」
デニスが屋根裏に通じる扉を指さす。天井に取り付けられているその扉はわたしがつま先だちをして、手を伸ばしても余裕で届かない ―― 偉い奴って、天井高い部屋が好きだよねー。わたしも天井が高い部屋好きですけれどね。
わたしはシュルヤニエミ中尉と共に、扉の真下に机を移動させ、そこに椅子を乗せる。この椅子はシュルヤニエミ中尉とデニスが押さえてくれる。
「クローヴィス」
「はい」
「非常に不本意だが、わたしを肩車して椅子に登れ」
「はい、閣下」
女に肩車されるのが不本意なのですか? キース中将。
わたしを始終女として扱ってくださるキース中将にとっては、気になることなのかも。気になさらなくていいのですよー。
キース中将を肩車し机に乗る。
「お前の凜々しさは清々しいものだな」
「ありがとうございます、閣下」
雄々しいと言われなくて良かった……キース中将のことですので、言葉を選んだのでしょうけれど。
二人が押さえてくれている椅子に乗り、キース中将が体を伸ばしている感覚が ―― ばこっ! と音がして扉が開き、肩に乗っている重みがすっと消える。
続いてわたしも屋根裏へと上り ―― なぜヒラ駅員であるデニスが、勝手知ったる駅長室状態なのかは不明だが、サイドボードからカンテラを取りだし明かりを灯してから、シュルヤニエミ中尉が押さえている椅子に、ぷるぷるしながら登って渡してくれた。
「姉さん、頑張れ」
わたしは足を天井に掛けて、宙づりの逆さ状態です。
「おう。デニスも頼むぞ」
「他のことならともかく、蒸気機関車なら任せておいて」
「そりゃそうか」
カンテラを受け取り、腹筋で起き上がりキース中将と共に屋根裏を走り、中央駅近くの建物へ移動する。ここは諜報部の方々がデニスを見守っている建物 ―― だそうです。知らないところから、色々と見守られているのだなあ。
「お待ちしておりました、閣下」
施錠されていないドアを開けると、クライブが立っていた。室内は石炭ストーブが赤々と燃えているが、それ以外はなにもない、人が住むのはもちろん一時的に滞在するのすら向かないような部屋だった。
「クローヴィスを連れてきた。話してもらおうか」
ん? どういうこと?
「はい」
わたしには分からないところで、そういうコトになっているみたいですね! 詳しく知りたい気持ちはありますが、ここはそれに触れている場合ではないので、黙っております。
石炭ストーブの側を勧められたので、それに従い暖まりながら聞いた話だが ―― 昨日クライブはカリナと、約束していたアーレルスマイヤー家のエリアン君とリーゼロッテちゃん、そして叔父のニクライネンさんと共に中央駅へとやってきた。
そこでまず駅長室にいるシュルヤニエミ中尉のところへ挨拶に行ったら、先客がいたそうだ。
「違和感を覚えましたが、誰かに言うわけにもいきませんし、予定を変更して不審に思っていることを気付かれてはいけないと考え、予定通りに駅を見て回りました」
それは良い判断だと思うぞ、クライブ。
そんな好判断を下したクライブが駅構内を歩いていると、時刻表にはない蒸気機関車がホームで待機していることにカリナが気付いた。
その蒸気機関車にみんなで近づくと、駅員が「特別列車だから、中に入っちゃだめだよ」と教えてくれた ――
「駅員はなにも気付いていなかったようです」
「上からの指示に従うから、仕方のないことだ」
「外側から見るだけはいい?」とカリナが尋ね、それは許可が出たので、五人で周囲を見て回っていると、車中に司祭の格好をしているベルナルドさんがいたのだそうだ……この場合はシャルルさんと呼ぶのが正しいのか。
声を掛けそうになったカリナの口をクライブが塞ぎ ―― シャルルさんは頷き、唇の動きで「早くここから離れなさい」と伝えてきたそうだ。
「唇の動きを読んだのはニクライネン氏です」
ニクライネンさんは体に不自由なところがあるので、読唇術をも身につけているのだそうだ。
「殿下の周囲には耳が聞こえない者が多いから、読唇術には長けている……と聞いたことがある」
えーそうなんだー。
「アブスブルゴル帝国の親族のことだ、クローヴィス。あいつらは近親婚の結果、片耳だけ聞こえない……というのも多いそうだ。アドルフ・モルゲンロートもそうだ」
「あ……」
なんと言えばいいのか……いや、なにも言いませんよ! そしてわたしが理解していないことに気付いて教えてくださったキース中将、ありがとうございます。
わたしの「ぽかーん」のせいで、少し話が逸れてしまったが ―― 異常事態であることを感じ取ったニクライネンさんも「伝えることはありますか」と尋ねた。
するとシャルルさんは、
「アレクシス、毒、狩人、ヨハン、エーデルワイス、ワルシャワと言ったのか?」
六つの単語を残した。
「はい。わたしも少しは分かりますので、この六つで間違いないかと……それと、執事殿の側に見覚えのある灰色の癖のある髪の持ち主がおりました」
……それは、もしかして……いや、シャルルさんが捕らえられたので、無事かどうか非常に心配しておりましたが……。
「リースフェルトか」
「はい。執事殿と違い、少しばかり負傷している様子でした」
リースフェルトさーん! でも生きているならOK! わたしが助けにいくから、待ってて!
「あれまで連れていったとなると……」
キース中将は色々と情報を持っていらっしゃるので、なにか見えているようです。
シャルルさんから六つの単語を受け取ったニクライネンさんは、クライブと共に子供たちを遠ざけ……たのですが、カリナは知り合いのシャルルさんが乗っているのを見た上に、
「負傷しているリースフェルトさんも見てしまったので、助けなくては! となりました」
わたしの副官として毎日のように自宅まで車でやってきて、時にはギムナジウムにまで送ってくれていたリースフェルトさんが、怪我をして捕らえられているのまで知ってしまったため、どうにかしなくてはと思ったらしい。
そこでクライブが「誰が味方か分からないので、慎重にいきましょう」と伝え ――
「クローヴィス少佐にお伝えすれば間違いないと判断されました。ただ総司令官の側にいるクローヴィス少佐に直接伝えるのには、誰が敵か分からないので危険ですので、駅員も徴集兵だと知っているヤンソン・クローヴィス少尉を介することにいたしました」




