【235】少佐、勝利を捧げられる
閣下と踊りながら話し ―― 閣下はわたしと三曲踊り終えたら会場を出て、夜行列車でブランシュワキへと向かわれるのだそうだ。今は二曲目の途中なので、まさにもうすぐ。
ブランシュワキへと向かわれるのは分かっていたのだが……
「イヴはわたしのブランシュワキ行きには反対か?」
わたしの気持ちなどすぐに読んでしまわれるのが閣下で、今回も……だが、今回は読まれることを期待して閣下を見つめていた。
「反対と言い切れるほど強い意志ではないのですが……心配で」
共産連邦の書記長が大軍を率いてやってくる ―― この状況は必要ゆえに閣下が作られたもの。国境の不安を話し合いで取り除くだけではなく経済面での協力体制なども整える。それが重要なことなのは、政治に疎いわたしでも分かりますし、それをなし得ることができるのは閣下しかいないことも分かるのですが、相手は百万ですよ! 百万! 閣下が帯同させるのは三千。その中には白兵戦最強のヒースコート准将もいますが、百万は……
「イヴに心配をかけることは分かっているのだが……イヴのことを愛するようになってから、やってみたいことが増えた」
閣下は楽しそうにそう言われ、
「いや、違うな。人が言っていたことの意味が分かるようになったのか」
休まずに踊り続けながら、閣下はそのように訂正した。
「意味が分かるとは?」
「一例なのだが好きになったほうが負け、と言う言葉を聞いたことはあったものの、聞いただけでは意味は分からなかった。いや、分かるのだが実感というものがなかった。だが今はよく分かる」
そう言うと閣下はわたしの頬にキスをした。
流れをまったく阻害することなく、ごくごく自然に。踊り慣れていらっしゃるのだなー。
「踊り慣れてはいるが、イヴ以外にはこうしてキスをしたことはないぞ」
言うや否や先ほどと同じようにキスを。
お前の反射神経を以ってすれば躱せるだろう?
もちろん躱せますが、躱す必要ないからね! むしろ果敢に攻めていきたい気もしますが、周囲に顔見知りが大勢いるし、両親もいるので攻め切れないのです。
「話を戻すが、好きになったほうが負けの意味を、わたしはいま噛みしめている」
二曲目が終わり ―― 少しのインターバルが入る。わたしは次も踊らせてもらうので閣下から離れずお顔を見つめ、
「それでしたら、わたしも敗北しておりますが」
わたしも好きですよと伝える。
「イヴにそう言ってもらえるのは嬉しいものだ。イヴよ、敗北して悔しいか?」
「いいえ」
「わたしもだ。他の者たちは、敗北したと言っていたが、この甘美なる敗北を味わっていたのだな。なぜ敗北すると知りながら……そう思っていたが、自分が知ったらこれは手放せぬわ」
三曲目が始まるので再び踊る準備をし ―― 一歩を踏み出す。
「わたしも手放しません」
「ああ。それでな、イヴよ。イヴのことを愛するようになってから、色々としてみたいことが出来てな。最たるものはイヴと家庭を築くことだが、それ以外にも。その一つが戦争で勝ってみたいという欲求だった」
「え?」
閣下、戦争してずっと勝っていらっしゃいますよね。
実は勝っていなかったのですか?
「たしかに勝ってはいる。だがそれは懇願や陳情を受け、一門の当主として勝ってやっただけのこと。わたしは自らの意思で勝利を手に入れようと思ったことは、いままで一度もなかった」
「ご自身の意思はそこになかったと」
「なかった」
「なくても勝てるものなのですか?」
「負けようがなかったのでな」
さすが閣下! 勝利が約束されているかの如く、勝ってしまうのですね。でもそれは才覚であり、御本人の意思は全く介在していないというわけですか。
「……」
ちょっと常人には分かりかねますが!
「だが今は勝ちたいのだ。自らの意思で勝利を欲している……イヴは嫌かもしれないが、わたしはイヴに勝利を捧げたいのだよ」
とても大軍とまみえる人の表情には見えないのですが、閣下はとても楽しそう。
残忍とか無邪気とか、狂気が……とか、そういうものじゃなくて、奇を衒っているのでもなく……自然体? なのかな。
「イヴよ、勝利を受け取ってくれるか」
「……」
「心配するな。わたしは負けはせぬ。わたしが負けるのはイヴにだけだ」
「閣下」
「それでイヴ。受け取ってくれるか?」
わたしに勝利を捧げる ―― 閣下は自分の為に勝ちたいと思うことはないようだ。閣下ほどの人が戦争大好きで、自分のために勝利を欲する性格だったら、世界は平和にならなさそう……きっと、いや、絶対にそんな人好きにならないわー。閣下がこういう方だから、わたしは好きになったのだろう。
「はい。ところで閣下。自らの意思で勝利を得る以外にしてみたいことはなんですか?」
「先ほども言ったが、イヴと家庭を築くことだな」
「それは……近々、かなうかと」
「やってみたいことは無数にあるが、そのどれにもイヴがいる……その中で一番イヴに心配をかけるのが、今回の戦争だ。だから最初に済ませてしまおうとな」
止めてくれたら……と思うが、きっと今まで戦いたくもない戦いに駆り出され、勝利してきた閣下が生まれて初めて「勝利を得たい」と思ったのなら ――
「今回は別々ですが、次に勝利を得るために戦いに赴くときは、わたしも伴ってくださいね」
「…………キースの許可を取るのは骨が折れるな」
そして三曲目が終わった。
閣下は礼をし ―― ヒースコート准将が近づいてきて、わたしに手を差し出した。
「一曲お願いしたい。よろしいですかな? リリエンタール閣下」
「イヴが良いのであれば、一曲だけならば許す」
あれ? 三曲踊ったらブランシュワキへ向かわれると……
「リヴィンスキーを待たせる分には構わんのでしょう? リリエンタール閣下」
「ああ」
ひいぃぃぃぃ、書記長の待ちぼうけが更に!
共産連邦の書記長なんぞ、何をされなくても嫌いだが、待ちぼうけ食らいまくっている姿を想像すると……でも一曲踊らないと、行ってくれなさそう。いや閣下が行かないほうがわたしとしては…………もう分からん!
「では、一曲お相手願います」
とりあえずヒースコート准将と踊ろう!
「途端に軍人になったな、クローヴィス少佐」
「情緒とか優雅さは持ち合わせておりませんが、よろしいでしょうか?」
「お前さんは、容姿が優雅だからそれ以上は要らんよ」
そんなこと初めて言われたー。
思いつつヒースコート准将と組み、一曲踊る。
「リリエンタール閣下のことは心配だろうが、俺のことを信じてくれ……そうはいっても、俺とは付き合いもほとんどないから信じられんか」
付き合いもそうですが、百万人対三千人は信じるとかそういうレベルではないので。
「ヒースコート准将のことも心配ですが」
更に言うとネクルチェンコたち、亡命ルース人たちを庇護してくれる、力ある人が軍からいなくなると、いろいろと困るので無事にお戻り下さ……
「亡命ルース人のことは、お前さんに任せて大丈夫だろう? なにせお前さんはルース皇太子の妃だからな」
ルースのこと、まったく知らないわたしのところに来られても困る!
踊りながら視界に閣下を捉える ―― キース中将となにやらお話しているようだ。
「まあ、テサジークほどではないが、俺もお前さんとリリエンタール閣下の行く末をにやにやしながら眺めたいから、無事に帰ってくるさ」
にやにや眺められるのかー! わたしは珍獣じゃないんですよ、ヒースコート准将! 珍獣並に写真撮影されていますが! でも、
「そうですか。では是非とも無事戻られ、わたしと閣下を見守ってください」
帰って来てくれるのならば、珍獣扱いも吝かではありません。
曲が終わり、わたしはヒースコート准将と共に閣下の元へ。
「フロイライン・クローヴィス」
恥ずかしいから止めてーリースフェルトさんー!
という気持ちはきっと周囲の面子には漏れているだろう。フロイラインと言っているリースフェルトさんだって気付いているはずだ。そんな気付きながらもフロイラインと呼びかけてくるリースフェルトさんから包みを受け取る。
「閣下。この場に相応しくないのですが……これ、受け取っていただけますでしょうか? あっ! カーディガンです」
「カーディガンを編んでくれたのか?」
「はい。これでも結構編み物得意なんです」
「ありがとう」
豪華絢爛な会場で異様に浮いていますし、マナー違反かもしれませんが、閣下が笑顔で受け取ってくださったから問題ないだろう。
「ありがとうイヴ。それでは行ってくるよ」
「いってらっしゃい、アントーシャ」
閣下はわたしの額にキスをして、ヒースコート准将と共に会場を去った。
わたしはその後何人かと踊り、デビュタント・ボールに用意された部屋へ。わたしは本日ここに泊まる。
わたしが横になってもまだ余裕のある大きなベッドに体を投げ出し ―― 涙が溢れてきた。
デビュタントは嬉しかった、閣下と踊れたのも幸せだった。両親にもそれなりの姿を見せることができた……そんな嬉しさと、同量の寂しさに似た何かが……。しばらく泣いているとドアが開き、
「どうしました? 少佐」
「なんでもありません、ジーク」
湯気のたつカップを乗せたトレイを持ったリースフェルトさんに声を掛けられた。リースフェルトさんは、護衛として同室なのだ。
「ドレスが苦しいなどではないのですね? どうぞ、ココアです」
「ありがとうございます」
ココアを受け取り、熱いので少しずつ飲む。
「あの……ジーク」
「はい、なんでしょう?」
リースフェルトさんは人好きする笑顔を浮かべ、わたしの瞳をのぞき込んでくる。
「泣いていたことは、閣下に内緒にしてください」
「もちろん。少佐の泣き顔を見たなど、閣下に知られたら……ああ、恐い、恐い」
「閣下、恐いですか?」
「そりゃまあ恐いですね」
閣下、これからしたいと思ったこと、全部しましょうね。いくらでも、お付き合いいたしますから。
「わたしが淹れたココアが美味しいからといって、そんなに感動して泣かなくていいんですよ、少佐」
リースフェルトさんは隣に座り、ほとんど何も言わず、背中を軽く叩いてくれた。
「ふふ……美味しいです。また淹れてくださいね」
「もちろん」
今日はあんまり味が分からないので ――




