【023】少尉、説明をする
室長と閣下の出会いを一通り聞き終えたあたりで、コース料理は終わりを迎えていた。
「話が長くなったんだけど、少尉は帰りの機関車で、どちらがベッドに寝るかでリヒャルトと争ったんだって?」
口をつけていたコーヒーを、吹き出しかける。
「な、なんでそんな報告が」
なんでそんな下らない報告してるんだよ、オルフハード少佐! 冤罪では? 証拠があろうがなかろうが、大体懐刀のせい!
「本当に争ったんだ」
「争うと言うほどではなく……また、正確にはどちらがソファーに寝るかですが」
「ソファー……。そっか、でも争ったんだ」
「はい」
「少尉はリディメストを知っているかな」
「心理学や哲学を応用し、人を思うがままに操れる人……と習いました」
前世で言うところのメンタリスト。この世界ではリディメストというのだ。
「悪名高いリディメストは怪僧スタニスラーフ・マトヴィエンコ」
「マトヴィエンコはリディメストだったのですか?」
「そうだよ。見たことあるから、それは断言できるね」
室長、マトヴィエンコに会ったことあるのか!
「ただね、スタニスラーフ・マトヴィエンコは一流ではなかった」
「一流ではない? ですか」
皇后を操ってルース帝国を食い荒らした怪僧ですが、一流じゃないんですか。
「ああ。スタニスラーフ・マトヴィエンコは、異性を己の欲望のままに操ることはできたが、同性はほとんど操れなかった。皇后の愛人にはなれても、皇帝パーヴェルの寵臣にはなれなかったことからも分かるようにね。わたしもスタニスラーフ・マトヴィエンコの術中には嵌まらなかったし」
なるほど。そういう意味での一流ではないか。でも皇后を完全に支配下に置いたのは、凄いと思いますけど。
「で、怖ろしいことに世の中には、同性異性を問わずにスタニスラーフ・マトヴィエンコ並に人を操れる人間が存在するんだ。それがリヒャルト・フォン・リリエンタール」
怪僧の上位互換、閣下! さすがだよ! でもなんか驚かない、だって閣下だしさー。
「リヒャルトは本当に人を動かすのが上手くてね。そのリヒャルトがソファーに寝る、寝ないと話し合っていたと聞き、驚いたんだよ」
「驚くほどのことでしたか?」
「うん、驚くよ」
即答された。そんな珍しいことだったのか!
「最初から交互に寝ると決められていて、小官がそのように誘導されたのかも知れません」
「そうだとしたら、それはそれで凄いことだよ」
「何故でしょう」
「リヒャルトは直接的な誘導はしない。まったく違う話をしていて、気付いたらそうなっていた……というのなら、それはいつものことなんだ。でも直接その話題で押し問答したというのは、本当に珍しいんだ」
三十年来の付き合いの室長がそう言うのなら、相当珍しいんだろうな。
「そうですか」
残っているコーヒーを飲み干す。
「わたしもリヒャルトのこと言えた義理じゃないけれど、リヒャルトはとりとめのない会話を楽しめない男でねえ。その男が四十を前に、やっと会話を楽しめる相手に出会えたと聞き、どうしても会ってみたくなってねえ」
室長と会話弾んでなくて済みません。そしてベッドとソファーに関してですが、そんなに会話が弾んでいたとも思えないのですが。
「調査報告書を読んだら、リヒャルトがなぜ少尉を気に入ったのか分かったよ」
履歴書ではなくて調査報告書……室長にも処女ってばれてるのか、恥ずかしい! やめて! なんでこんな辱めを!
「顔が赤くなってるよ少尉。……ああ、そうか。御免ねー。年を取ると、そういうのに鈍くなっちゃってねえ。むしろ好ましくすら思っててねえ。年頃の娘さんには、恥ずかしい話題だったねえ」
もうやめて室長。わたしの心を抉らないで! ブルーでグレーな羞恥の沼で溺れもがくはめになった長い昼食が終わり、史料編纂室へと帰った。
昼休み前に出かけて、昼休みを遙かにオーバーして戻って来たのだが、
「室長、お早いお帰りですね。むしろ帰ってこられると思ってませんでした」
副官のカミラ・ベックマン少尉の言葉である。
「主任補佐が真面目なんだもん」
「それはそうでしょう。わたしたちと違って、真当な部署で真当に働いている前途有望な士官なんですから」
「そうだね。で、カミラ君。お茶の用意はできてる」
「できてませんよ。今日はお茶はなしです」
ブルネットの副官は部屋を後にした。
「オーフェルヴェック少佐の調査がこんなに長引くとは……少尉、行方不明になったと言う四人の子供たちについて、詳しく教えてください」
室長、普段の雰囲気が霧散してしまいましたよ。
完全に諜報部になってます。
わたしはノアから聞いた話を全て室長に語った。
話を聞き終えた室長が考え込む。その面持ちに声をかけるのは憚られるので、そっと自分の机に戻った。
「ん?」
机の上には回覧文書。定期的に行われる危険人物の顔写真の回覧だ。
テロリストとか共産連邦幹部とか。きっとレオニード・ピヴォヴァロフの警戒を強めるためだろう。
レオニードは美形だ。定期回覧のたびに、下級女性兵士が「良い男よねえ。共産幹部じゃなければねえ」とうっとりとした声を上げるくらいの美形だ。
その声を聞き、下級男性兵士が「共産党員じゃねえか」と毒づくまでが、部内のワンセット。
彫りが深くて目元は涼しげで、鼻筋が通っている。黒髪で共産連邦の幹部には珍しく、髪を下ろしている。
その髪の降り具合と帽子のバランスが絶妙。
絶対こいつ、自分の美貌を分かって写真に写ってると言い切れる。単純に表現するなら気障。
実際美形だとわたしも思うが、こいつの口元が嫌いでなあ。好きな人には自信が満ちあふれた笑みに見えるらしいが、どうもわたしには見下しているようにしか見えなくて。
ちなみに士官のわたしが、職場で共産幹部の写真みて「格好いい」なんて言ったら、呼びだし食らって反省文書かされる。
「失礼します室長。もう退庁時間ですよ」
レオニードの顔に落書きしたい衝動を堪え、雑用をこなしていると、室長室へとやってきた副官が退庁を告げるが……退庁時間まで、まだ三十分以上あるよ。
「おや、もうそんな時間か。少尉、少し残業してくれるかな」
「はい」
「あとは任せたよ、カミラ君」
「分かりました。あとは任せて、室長はさっさとお帰りください」
室長が帰るのだからお見送りしなくてはならないだろうと、玄関まで付いてゆく。
「さきほどの資料、全部持ってきなさい」
馬車に乗った室長がそう言った。
どこに持って行くのか不明だが、なんか手はずが整うのだろう。
諜報部恐い。気づいたらジェットコースターに乗せられてるって感じ。
史料編纂室へと戻ろうとしたら、受付で電報を渡された。
「ベックマン カネ カシテクレ……よく分からないのですが、届ければ分かるんですよね」
「多分ね。少尉さん、早くもとの職場に戻れるといいね」
通信兵に、可哀想なものを見る目を向けられた。多分あなたが思っているのとは、違う意味でわたしも自分の元の職場に戻りたいです。攻略対象の上官のこと気になりますし、諜報部恐いし。
「どうも」
戻って副官のカミラ・ベックマン少尉に電報を手渡す。
「ありがと。クローヴィス少尉、荷物をまとめて。もう少ししたら、オーフェルヴェック少佐が戻ってくるから、そうしたらリリエンタール閣下への荷物を届けるという名目で、少佐と閣下の自宅へ。急いでちょうだい」
「分かりました」
指示通りにオーフェルヴェック少佐と閣下の家へと向かった。
邸にはマルムグレーン大佐はいましたが、閣下はいらっしゃいませんでした。
そしてまだマルムグレーン大佐なんですね。そろそろオルフハード少佐に戻りませんか?
お茶の時間には報告できるといっていた、オーフェルヴェック少佐の調査が長引いたのは、マルムグレーン大佐の調査と鉢合わせしたからなのだそうだ。
「王立学習院の敷地内にいた不審者が、セシリア・プルックだった可能性が高い」
とはマルムグレーン大佐。
なにをしているんですか、セシリア。
なにをしていたか、残してくれていないから、こうして苦労しているんですがね。
でもセシリアが侵入する理由はイーナ以外ないよな。
侵入してまで調べたかったことって、なんだろう?
「マルムグレーン大佐。シーグリッド・ヴァン・モーデュソンに話を聞きたいのですが、許可をいただけませんか」
「なぜだ?」
そうだ。マルムグレーン大佐には、まだセシリアとイーナの関係を話してなかった。
セシリアがイーナに接触した理由を、ざっと説明し、アンチは誰よりも詳しいファン。同じ対象を誰よりも注意深く見ている者同士。どこかで行動が重なっているはずと力説したところ、悪役令嬢シーグリッドを閣下のこの邸につれてくるとのこと。
そうこうしていると閣下と室長が一緒にお戻りに。
「少尉、フランシスから話を聞いたが、もう一度説明せよ」
フランシス……フランシス。ああ! 室長の名前だった。
誘拐された子供たちとセシリア・プルックについて、本日三度目の語り。聞き終えられた閣下は、今度はわたしにフロゲッセル男爵邸へ向かうところから、帰るところまでを話すよう命じられた。
随分と昔のことのような気もするが、実際は往路含めて二週間経ってない。
「写真撮影をしたのか」
「はい」
「その写真は、ノア・オルソンの元にあるのだな」
「はい」
「フランシス」
「はいはい、人をやるね」
閣下も男爵邸とその付近が気になられたようだ。
「少尉、下がれ」
少尉であるわたしが関われるのはここまでらしい。
「失礼します」
礼をして部屋を出る。
いったい何を話し合っているんだろうと気になるが、こればかりは仕方がない。閣下も室長も海千山千だし、マルムグレーン大佐やオーフェルヴェック少佐が三下悪役メンタリティなら、べらべら喋ってくれるかもしれないが……人間諦めが肝心だ。それに知らないほうがいいってこと、たくさんあるさ。




