【228】少佐、大切な人を少しだけ明かす
ベルナルドさんたちの首がどうこう……は、きっとジョークなので、うん、ジョークのはず。たかがデビュタントごときで、首が飛んだりはしないはず!
……でも二十四歳でデビュタントは、恥ずかしいなあ。
若さ弾ける十六~十八歳の貴族令嬢さんたちの中に、一人二十四歳はかなり……。目立たないようにしたいが、身長と体格がそれを許してくれません。
「妃殿下だけのデビュタントですので、他は誰もおりません」
そう思っていたら、わたしのためだけの舞踏会とのこと。
毎年開かれているデビュタントの予算は、戦争と復興に回されるので、来年我が国でデビュタントは行われないことが議会で決定し、デビュタント・ボールを借り切ることが可能。
「これを先に言うのは卑怯だと思って言いませんでしたが、デビュタント・ボールの使用料は国庫に入りますのでロスカネフの懐が潤い、閣下は願いが叶って幸せ……となります」
それwin-winっていうやつですかね?
win-winはともかく、周囲に人がいないのなら恥ずかしさも……でも、デビュタントって社交界デビューのことなのに、わたし一人だけって意味があるのだろうか?
「ご安心ください。閣下は社交界そのものですので」
「……」
全く安心できない一言を下さったのはアイヒベルク閣下だった。
ま、まあ、正直言って社交界ってどんなところか分からないし、よく考えたら貴族の令嬢だってデビューしたその日に完璧な人脈を作り上げるわけじゃないもんね。
そう言えば社交界ってコネクション作りのための場だったな。より顔が利く人と知り合いになり、事業なり縁談なり就職などを有利に運ぶ。
そういう意味では、閣下ほど各界に顔が利く人はいないから、たしかに社交界そのものかもしれない。
「デビュタントを受けます」
ワルツを踊ればいいんだよね! いや……待て、それ以外にも国王への挨拶的なイベント……。ん? 馬車がゆっくりになった。体感的にまだ家の側ではないはず。
窓から外の景色を確認してみたが、やはりまだ家の前ではない。
「妃殿下。お話したいことがあるのですが」
ベルナルドさんから、個人的に話をしたいと言われた。
「馬車を止めてですか?」
話をするのは構わないのですが……馬車では話終える前に、家にたどり着いてしまうからかな?
「はい。出来れば歩いてお話できると嬉しいのですが」
「構いませんよ」
わたしはマイナス20℃くらいはものともしませんが、ベルナルドさんは大丈夫なのかな? 寒そうだったら、マフラー貸してあげよう。などと考えているとアイヒベルク閣下がまず馬車を降りられ、ランタンで辺りをうかがい、すっと手を差し出してくれた。
この手を取って馬車から降りるのですね!
この大女相手にも、貴族として対応なさってくださるアイヒベルク閣下。
でも慣れない! 慣れなさ過ぎて……更に手を置いてみたが、己の手のでかさに「あ゛あ゛あ゛」という気持ちに。
貴婦人の扱いをされると、余計に目立つ。でも……気分は悪くない。恥ずかしいけど、女性扱いされると嬉しい。
アイヒベルク閣下が前を歩き、少しばかり距離を取ってわたしとベルナルドさんで、前と同じ程度の距離を取ったスパーダさんが後に。
「寒くありませんか? ベルナルドさん」
「大丈夫ですよ、妃殿下」
「そうですか。寒かったら言ってくださいね。それで、お話とはなんでしょうか?」
極寒の大地に降ったパウダースノーを踏みしめる。
「これは非常に私的なことなのですが……妃殿下、幸せになってください」
いきなりどうしたのだろう?
「妃殿下はもうご存じでしょうが、ルース帝国崩壊の理由の一つはわたしにあります」
「……」
「あれほどの大帝国ですので、要因がわたし一人とは申しませんが、わたしが理由の一つであることは事実です」
ここで「そんなことはない」というのは……多分違うな。
わたしは足を止めてベルナルドさんと向かい合う。
極寒の雪は踏むときゅっきゅと音がする ―― その音がなくなれば、前を歩いているアイヒベルク閣下も立ち止まったとすぐに気付き、足を止められた。
「あの人ならばルース帝国を取り戻すこともできた。でもあの人は取り戻さなかった。あの人が取り返してくれたら、わたしは長いこと悩まずに済んだ……逆恨みも甚だしいものですが、取り戻してくれたらわたしは悩まなくて済むのにと恨みもしました。なぜ取り返してくれないのか? おそらく欲しいと思わないから取り戻さなかったのでしょうが、本当に欲しいと思っていなかったのかどうか? それすらもはっきりとは分からない」
”長年、側にいるのですけれど” ―― ベルナルドさんは困ったものですと。
しっとりさの欠片もない、氷を砕いたかのような雪がはらりはらりと降り、ランタンの明かりに照らされて輝く。
「わたしは当時、大帝国の崩壊を目の当たりにして恐怖を覚え”自分は悪くはない”や”あの人が勝手にしたことだ”と、逃げることばかりを考えておりました」
……まあ仕方ないんじゃないかな。
ベルナルドさんは閣下より二つ年下だから、当時は十六歳前後だ。逃げたくなって当然だろう。
「きっと妃殿下は、若かったから……とお思いでしょう」
「そんなに顔に出ておりますか」
みなさんわたしの表情から考え読み取るのお上手ですね!
今なんか、仄暗い明かりしかないというのに。
「表情から読んでいるわけではありません。妃殿下のお顔をそんなにもじっくりと見るなど、閣下が恐くてできませんよ」
考えを読まれるのもアレですが、顔を見ると閣下が恐いというのも……。
ベルナルドさんが歩きましょうと促してきたので、再び歩みをすすめる。
「若い頃ならばそれでも許されますが、もうそんな言い逃れができる年でもありません……でもまだ逃げたいという気持ちを抱えて生きています。わたしはきっと、生涯”自分は悪くない”と自分に言い聞かせて生きて行くのだと思っておりましたが……去年閣下は妃殿下に巡り会い、初めてご自身の幸せを手に入れられた」
「……」
「皇帝であれば手に入れられなかった幸せを。それを目の当たりにし、あの人は皇帝にならずとも良かったのだと。全て言い逃れでしかありません。卑怯なのは分かっていますが……あの人が皇帝の立場では決して手に入れることができなかったであろう幸せを手に入れたことで、わたしはあの人に自分が救われて良かったと初めて思えたのです」
角を曲がると実家が見えるところで再びベルナルドさんが立ち止まり、深々と頭を下げた。
「顔を上げてください」
わたしが声を掛けるとすっと顔を上げてくれた。
……で、頭を上げてもらったにも関わらず、何を言うべきかまとまっていないのがわたしです。
でもベルナルドさんを真冬の極寒の中、頭下げ続けさせるわけにはいかないので ―― わたしは手を「握手をしましょう」と差し出し、かなり無理矢理握手をした。
「これからも、閣下のことよろしくお願いしますね、ベルナルドさん」
「ええ……こちらこそ」
一回ぎゅっと握ってから手を離し、会釈をしてベルナルドさんの側を離れた。ベルナルドさんは、わたしが離れるとまた頭を下げた。
前を歩いていたアイヒベルク閣下が実家の門を少し通り過ぎたところで止まり、そちらにも会釈をして家の敷地へ。
ポケットを探り自宅の鍵を取り出すと、ドアの向こう側に人の気配が。
鍵が開きノブが回り、
「姉さん、お帰り」
「デニス」
パジャマの上に、わたしが編んだベージュのカーディガンを着たデニスが出迎えてくれた。
「もう日付変わってるだろう」
「うん。だからマリエットもローズも休ませたよ」
デニスは玄関ドアを施錠し、背伸びをしてわたしの軍帽を取り粉雪を払う。
「寒いなか、お仕事お疲れさま。着替えたらリビングの暖炉で暖まりなよ。あ、コートも掛けておくよ」
脱いだロングフレアコートをひょいっとわたしの手から取り、再びぽふぽふとデニスが雪を払う。
「あ、お、おう。ありがとう、暖まるよ」
ベルナルドさんとの会話とは別の意味で心が痛む。ごめんな、デニス。姉さん仕事してないうえに、お前の大好きな閣下と会ってたんだ。そんな嘘ついている姉にも優しいデニス。
せっかくデニスが暖炉に薪をくべていてくれたのだから、暖まらなくてはと、デニスと同じくパジャマに着替え、カーディガンをはおって、毛布を担いでリビングへ。
ぱちぱちと木の爆ぜる音を聞き、手をかざす。
そうしているとデニスがトレイに紅茶とブランデー、そしてシナモンロールを乗せてやってきた。
「姉さん、どのくらい入れる?」
デニスはそう言いながらブランデー瓶を傾ける。
「少しでいいよ」
「分かった」
ちなみにデニスは普段、給仕などはしないので、たまにこうして紅茶を用意してくれたりするとほぼ苦い……うん、今日も完璧に苦いが、姉さんはこうして紅茶を淹れてもらえるだけで嬉しいよ。
「シナモンロール温めるね」
棒にシナモンロールを突き刺し、暖炉で炙るとシナモンのスパイシーな香りと、クルミの香ばしい香りが部屋に充満する。
「わざわざ用意してくれたのか」
「マリエットとローズが、夜遅くまでお仕事している姉さんのためにって」
痛い! 激痛が、激痛が!
閣下にお会いできて幸せだったが、嘘つくと家族の善意が痛すぎて死にそう。
「はい、姉さん」
デニスがシナモンロールを皿に乗せ渡してくれた。
「ありがとうデニス」
姉さんお前の優しさに心が痛いよ……わたしとデニスのやり取りは軽いものだけれど、きっとベルナルドさんと閣下の間にあるものは痛みなどと表現できないような……。平々凡々と生きてきた庶民には、ちょっと難しいことでしたが、閣下を幸せにしたいし、閣下の幸せがわたしと共にあるというのならば、精一杯幸せを求めて生きていくつもりです。だからベルナルドさんも幸せになって下さい。
「来年の夏、キャンプに行こうよ姉さん」
「いいなあ……なあ、デニス」
「なに? 姉さん」
「その来年のキャンプ、わたしの大切な人も連れていっていいかな?」
「いいに決まってるじゃないか」
「詳しいことはまだ言えないんだが、戦争が終わったら正式に紹介するから」
「分かった。でも一つだけ聞いていい?」
「なんだ? デニス」
「姉さんの大切な人って、キース総司令官閣下?」
「違う!」
「そういう噂聞いてたから、一応確認したけど、やっぱり違うよね。俺は絶対違うと思っていたよ」
なんか、そういう噂が流れているとは聞いておりましたが、まさかデニスにまで届いているとは! そしてキース中将のこと完璧に覚えてくれて、姉さんはうれしいよ! でも違うからー! ある意味キース中将の天敵だからー!




