【221】少佐、喧嘩の仲裁を依頼される
閣下に会いにいったら、想像以上に喜んで下さった。
もうね、思い出すだけで顔がにやけてしまう!
ふふふ……早く戦争終わらないかなー! 閣下の隣で毎日お話したいなー。
閣下も「わたしも楽しみにしている」って仰って下さった。
そのためには頑張らないとな! と、公休日が終わってから気合いを入れ直し、日々職務に邁進し ―― 明後日、陛下が首都へとお戻りになる。それに伴いデニスも帰ってくる……デニスとしては楽しい時間の終わりなので残念だろうけれど。
「お休み、カリナ」
「お休みなさい、姉ちゃん」
ギムナジウムであったことを聞き、時間になったのでカリナを部屋までお姫さま抱っこで連れていき、ベッドに寝かせる。
カリナに「お姫さま抱っこ」って言われたから! 姉ちゃん喜んで抱っこするよ!
ベッドに寝かしつけ、額にお休みのキスをして部屋を出て、わたしの部屋へと戻り読書を。閣下からお借りした『戦争論』 ―― この『戦争論』はアディフィンの将軍にして軍事学者が書いたもので、かなり有益なのだが……如何せん翻訳がアレで読むに堪えないのだ。
わたしがアディフィン語をすらすらと読めりゃあいいのですが、不自由なもので。
そんなことを閣下との会話で漏らしたところ、閣下が『戦争論』をロスカネフ語に翻訳してくれた。言語能力に優れている閣下の翻訳は、とても分かりやすかった。さらには原書にはない、ロスカネフ人向けの注釈までついているという優れもの。
仕事の休憩中に読んでいたら、後ろから見たエサイアスが「貸してもらえるか?」と ―― 読み終わったら貸してやることにした。でも閣下直筆だから、大事にしてね! と言ったら「もちろん」と笑顔で。
わたしの主席同期の笑顔はいつでも爽やか。
なんかユルハイネンにも貸して欲しいって言われたけど……嫌だが、貸してやるとは言った。さらにハインミュラーも……。
「さて、戦術における……ん?」
わたしの部屋へと向かってくる足音が。なんだろう? 違和感がある。
閣下直筆の『戦争論』をベッドに放り投げ、ドレッサーの引き出しから拳銃を取り出し、庭に誰かいないかを確認しつつドアへ向けて銃口を構える。
ドアがノックされ、
「イヴさま」
向こう側からクライブの声がした。
「起きてはいるが、クライブじゃないよな?」
「やっぱり少佐には気付かれちゃった。わたしだよ」
その声は室長?!
ドアを急いで開けると、庶民仕立てのスーツ姿の室長が立っていた。
「クライブに化けて来たんだけど、気付かれちゃったねえ。入ってもいい?」
「どうぞ」
クライブに化けた室長がやってくるとは思いませんでした。
部屋に通して椅子を勧め ―― 腰を下ろした室長が”クライブ”になってみせる。
「なぜわたしではないと分かったのですか?」
声も似ていないのだが、クライブそのものに。
「廊下の軋みです。他の空間ならば気付きませんが、実家の廊下の軋みならば、万に一つも聞き間違えません」
他の場所なら騙されたとは思いますが、実家の廊下は完全に把握しております。
”クライブ”は笑い、そして室長に戻った。
「さすが少佐」
「お褒めに預かり光栄であります。ところで室長、緊急事態でしょうか?」
室長が隠れてわたしの部屋までやってくるなんて、よほど重大な事項がある……とも言い切れないのが室長。
「未婚の令嬢のお部屋に夜訪れるだけでも危険なのに、その相手がリヒャルトのお嫁さんで、わたしのドキドキが止まらない。こんな危険なことをしたのは初めてだよ」
「室長……」
特に理由なしで来たのかな?
お茶でも持ってこようかな?
「あのね、少佐。リヒャルトとアーダルベルトが喧嘩して困ってるの」
アーダルベルト……ああ、キース中将のことですか。リヒャルトは閣下……あの二人が喧嘩ですか、それは困り……?
ええええ! あの二人、いつ喧嘩始めたの? 知らない、聞いてない、全く知らない!
「エリザベトの処遇の件で意見が分かれてさあ」
「サロヴァーラ嬢ですか」
「うん。二人とも少佐に知られないように、手紙で静かに喧嘩してるんだけどさ」
手紙のやり取りが頻繁だなと思っておりましたが、もうじき共産連邦側から宣戦布告が成されると専らの噂なので、それに関するものだとばかり。
まさかサロヴァーラ嬢の処遇で争っているとは。
ちょっとサロヴァーラ嬢、どうしてくれるんですか! 宣戦布告間近なのに閣下とキース中将の仲を悪化させるとか! はっ! もしかして工作員だったのか!
「存じませんでした」
「そりゃあねえ。あの二人完全に隠しているから」
「そのことについて、ですか?」
「うん。いま少佐も”この時期にあの二人を不仲にするな”って思ったでしょう?」
「はい」
「それは事情を知る上層部、全員の気持ちでもあるのさ」
ですよねー。
「もちろんあの二人だから、このことに関して決裂しても、しっかりと協力して共産連邦に立ち向かうけど、できる事ならわだかまりは排除したいじゃない」
「同意いたします。ですが、わたしになにか出来ることがあるのですか?」
「うん。あのね……」
「室長、失礼ながら」
「なに?」
「お話が長くなるようでしたら、お茶を持ってきますが」
「ええーいいのー。わー、あとでリヒャルトに虫けら以下を見る眼差しで見られそう」
「えっと……止めますか?」
「いいや、もちろんいただくよ。少佐ブレンドのハーブティーが飲みたいなあ」
「分かりました。少々お待ちください」
「うふふふふ。あとでリヒャルトに自慢しよう」
わたしブレンドのハーブティーが自慢になるのかどうかは分かりませんが、喋ったら冷たい眼差しを向けられるの分かっているのでしたら、お茶など飲んでいないと……室長だもんねー。
ハーブティーとビスケットを用意し部屋に戻る。
「美味しいねえ」
「ありがとうございます」
「少佐は毒を盛ったりしないことが分かっているから、格別に美味しいよ」
「……ありがとうございます」
普通の人間は毒盛りませんよ、室長。
ハーブティー入りのマグカップを持ちながら室長は語ってくれたのだが ―― サロヴァーラ嬢が王女なのは本当なのだそうだ。
両親も当人が語った通りで間違いはない。
「サロヴァーラ嬢に出生を教えるのも教えないのも、養父であるサロヴァーラ侯爵に一任していた。もちろん教える場合は、第三者に公表した場合、速やかに処理されることも伝えることを忘れないようにと念を押し、サロヴァーラ侯爵もしっかりと伝えた」
でも語っちゃったわけだ。
「第三者に語った場合、王立精神病院の専用の隔離部屋に送られるの。一生出られないよ」
乙女ゲームの隔離場所は修道院がスタンダードで、悪役令嬢であるシーグリッドは実際そうなりましたが、それ以外は閉鎖病棟とか……ガチなんですね。
「こう言ってはなんだけど、彼女変わり者だから、病院送りになったとしても、誰も違和感を覚えたりはしないの」
素で恐いですよ。さすが室長と旧諜報部。処分の執行を考慮して育てるんだ……凄い。
「なるほど」
「でもね、ここにリヒャルトが関わると、そうはいかなくなるの……このハーブティー美味しいね」
「そうですか。お口にあってよかったです」
「またこのブレンドで淹れてくれる?」
「はい」
「素直で良い子だねえ、少佐。あのね、リヒャルトさあ、アディフィン王国から戻ってきた際に”わたしに結婚話を持ってくるな。事情を知らぬなど、言い訳にもならぬことを肝に銘じておけ”って、こっちに通達してたの」
「あ……」
そういうことありましたね。見合いが鬱陶しくて、二度としないって仰ってた。
「まあ、気の緩みはあったんだ。だってロスカネフには、世間一般で言われる”リヒャルトの妃になれる条件”を兼ね備えている女性は一人もいないから」
閣下がその宣言をなさったのは、アディフィンから帰ってきてから。国王はすでに現陛下 ―― 女王は病気で退位なさっている状態だから、誰も立候補しようがなかった……筈だったわけですね。
「リヒャルトは通達通り、処刑を求めてきたのね」
「……」
「そんな顔しないで。これはリヒャルトが悪いわけじゃなくて、その通達を受け入れた我々側に問題があるから。いやーあんまり考えないで”いいよ”と言ってしまったわたしたちの落ち度だよ。エリザベト、結婚なんて興味無い、独身で世界を変える……みたいな主張を掲げて、二十四歳まで独身を貫いていたから、こんなことしでかすとは思ってもいなかったんだよね」
有爵貴族の一人娘で独身宣言で男装で大学に通った才媛かあ……たしかにわたしとは別方向で、結婚しそうにないタイプだ。
「あの……処刑とは……」
「ギロチンを出すと言ってた」
「はい? えっと、我が国にギロチンってありました……か?」
我が国は死刑制度はあるが、絞首刑もしくは銃殺刑で、ギロチンは使ってなかったはずですが。
「リヒャルトが持ってるんだよ」
閣下、なにをお持ちなのですかー!
それはコレクションとしては……いや、ただの未使用ギロチンかもしれない!
「パレ王族の首を切り落とした、由緒正しいギロチンだよ」
使用してた! それも、シャルルさんの親族が処刑されたヤツだった。
なんでそんなものお持ちなんですか、閣下。
「シャルル君に頼まれて購入したらしいよ。ノーセロートで開かれたいつぞやの万博の目玉展示品になってたりして、シャルル君としては嫌だったみたい」
それは嫌ですわ。手元に置きたくない道具ですが、手元に置きたくなりますね、それは。
「王女ゆえ、王族を処刑した由緒正しいギロチンで送ってやるってねえ。でも罪を一等減じて、毒杯を仰がせて良しにはなった」
「毒杯ですか」
「少佐、アーダルベルトから”エリザベトの本命はわたしだ”って言われたでしょう」
「はい」
「あれ、嘘だから。咄嗟の機転でそう言って、少佐の心が乱れるのを阻止したの。エリザベトの狙いは本当にリヒャルトなの」
「…………」
「でもそのアーダルベルトの機転を酌んで、リヒャルトは一等減じてくれたわけ」
「そうでしたか」
どこでエリザベトの本命が閣下と判断したのかは分かりませんが……たしかにキース中将の言葉で、わたしの憂いはすぐに霧散したなあ。
「エリザベトが属する本当の一門の家長である陛下は、国に害をなす王族ならば切り捨てるのもやむなしと判断を下された。正直、共産連邦よりもリヒャルトの怒りを買うほうが恐いからね。でも一人この処分に納得しない男がいるわけ。他国の王族に自分の国の王族が処刑されるのを、黙って見ているのを良しとしない男が」
ああ! エリザベト・ヴァン・エフェルクがツェサレーヴィチ・アントン・シャフラノフに殺されるのを黙って見ていられない人が一人いましたわ。
「キース閣下ですね」
「うん。彼も処分には同意しているし、処刑回避は無理なのは理解しているけれど、抵抗しちゃうタイプなんだよねー。まあだからこそ、総司令官に相応しいんだけどさ。リヒャルトもアーダルベルトのそこを高く買っているから、手紙で喧嘩を続けているわけだけど……国家としてはそろそろ仲直りさせたいのね。そこでわたしが命の危険を顧みず、少佐に協力を依頼しにきたわけ」
「サロヴァーラ嬢の処刑回避は協力いたしますが……」
キース中将は閣下のこと尊敬しているし、きっとサロヴァーラ嬢処刑を強行したとしても、死ねと命令されれば死ぬけれど「ツェサレーヴィチ・アントン・シャフラノフ許すまじ!」……今までと変わらない気がするんですけど。
でも……キース中将もそろそろ閣下を恨むのを止めたいみたいだから、二人のわだかまりを増やさないほうがいいですよね。それに閣下だって……サロヴァーラ嬢! なんてことしてくれたんだー! 頑張る! 頑張りますとも!




