【022】少尉、奢られる
怒濤の二日間の任務を終え、配属されている史料編纂室へと出勤する。
さすが閑職部署にして諜報部、わたしがほぼ丸二日出勤しなかったことに関して触れてくるものは……事情を知らない左遷組の二人ほどいたが、とくに問題なく任務に就くことができた。
小さめの机が室長室の隅にあり、そこを使うよう指示される。
部屋の主である室長は、日当たりのよい席で、穏やかな表情でコーヒーを飲みながら新聞を捲っている……室長が捲っている新聞の下からのぞいているの、共産労働新聞ですよね。わたしはルース語わかりませんけれど、文字は分かるんで……。
どういうルートで共産労働新聞なんて手に入れて……あまり深く追求しないのが長生きの秘訣だろうな。
さあ、わたしに与えられた任務をこなそう。
任務といっても個人的な人探し。
アレクセイルート阻止方法も考えたいが、閣下から結果を出すよう求められているので、人探しのほうを優先する。
まずは行方不明者が実在するのかどうか? 本当に行方不明となっているのかどうかを確認しなくては。
だがやり方が分からない!
士官学校で習う探し方と言えば、敵の発見方法と、味方の捜索だけだ。
普通どこでも習わないよなあ。
……そう言えば、ここは諜報部でしたね。
「室長。ちょっとお時間をもらえますでしょうか?」
「んーいいよ。なんだい?」
新聞から目を離さないが、軽い返事が返ってきた。
そこで行方不明になったとされる子供たちがいること。その子供たちが実在しているのか? また、子供たちは本当に行方不明になったのか? 二十数年前のことなので、どのように調べたら良いか? と尋ねた。
「諜報部でもそれは難しいね」
「そうですか」
「少尉が言う通り、証拠を探し出すのは困難を極めるだろう」
「ですよね」
「だから、死体写真ながら存在が確認されているセシリア・プルック。彼女について詳細な調査をすることがまず大事だとおもうよ」
セシリアのことなんて、アラサー女性記者としか知らないもんな。
「そうですね。ありがとうございます」
「でねー少尉。実在していた人間なら、諜報部で簡単に調査できるから、ちょっと待ってなさい」
「よろしいのですか?」
「よろしいよ。ほら、少尉がレールのアレを教えてくれたから、いまインタバーグ周辺を調べているんだ。その一環として命令下せるからね」
線路の調査もしているのか。
……我が国から伸ばしたものであっては欲しくないが、共産連邦から伸ばされたものでもあって欲しくない。
ここまで大事になった責任とって退役してもいいから、デニスの見間違いであって欲しい!
「ちょっと待ってね。書類作るから」
室長は共産新聞を普通新聞ではさんで脇に置き、引き出しから紙を取り出し羽根ペンで命令書を書いてゆく。
書き上がった書類を、決裁済書類箱に積まれている書類たちの底に入れた。
「少尉。決裁書類を、書類作成者に配ってきてね」
決裁の箱を持ち、書類に記載されている名前をしっかりと確認しながら配る。
「なんでこの書類が返ってくるのに、一週間もかかるんだよ」
「ここに急ぎの仕事はないからな。むしろ一週間で決裁が下っただけマシだろ」
故意に書類を貯めているのかどうかは知らないが、きっと故意だろう、うん。
最後に配ったマルコ・ロヴネル准尉宛の書類に命令……分からん。書類そのものは、備品購入の許可だが、速記文字のようなものが紙の終わりに書かれていたし、書類の紙質も違った。
白っぽい金髪を角刈りにしているロヴネル准尉は立ち上がり、
「少尉殿。室長はいまなにを?」
「新聞を読んでおられます」
「そうか。室長、これ提出期限切れてますよ。だからさっさと決裁のサインを」
書類を手に室長室へ。
決裁箱を持ち、わたしもロヴネル准尉に遅れて室長室へ。
ロヴネル准尉が振り返る――さっきまで机に足乗せて、官能小説雑誌を読んでいた人と別人になってる。
恐いなあ、諜報部員。
「はい、オーフェルヴェック少佐。これが今、分かっていることだよ」
さきほどわたしが室長に話したことを、まとめ……また速記文字みたいなものになっているので分からないが、まとまっているのだろう。
そしてロヴネル准尉、本当はオーフェルヴェック少佐らしい。
「首都在住で働いていた女か。お茶の時間には報告できますよ。では」
室長室を出たオーフェルヴェック少佐は「書類間に合わないから、自腹で買ってくる。請求書まわすから頼むぜ、コルネット兵長」と言い、出て行った。
「さて少尉。お茶の時間まで、出かけようか」
「はい」
お茶の時間までには帰ってくるねーと、悪びれることなく言う室長。
向けられる視線が痛い……痛い視線は、四人だけ。この四人は事情を知らないのだろう。あとの五人の視線は温いようで獲物を狙う視線。諜報部の視線は痛い。そんな知識、身を以て実感したくなかった。
「少尉、わたしのなじみの店でちょっと早いけどお昼にしようね」
「店のランクはいかほどで?」
室長、階級准将ですし、爵位持ちの貴族さま。そんな人のなじみの店とか、わたしの手持ちで払えるかどうか。
水だけ飲んでろ? 室長に失礼だろうが。店にも失礼だ。
「ちょっと小洒落た料理屋だよ。若い娘さんでも楽しめる料理も出せるから大丈夫」
爵位持ちの貴族がいう小洒落た料理屋とか、恐怖以外のなにものでもない。
そしてわたしは若い娘さんではない……四十九歳になる室長のお年からすると、若く見えるかもしれないが。
連れていかれたのは小さめの店。窓がなく、中を窺うことはできない。さらに看板もない。完全にこれ、知る人ぞ知る隠れた名店。
鉄製のドアノッカーを鳴らすと、ドアの鍵が開き……開き、さらに開き……鍵が四つついているとか、どこの要塞入り口だ! よく見りゃあドアも鉄製だし!
出てきたのは、何処をどう見ても貴族の邸にいる従僕です。
「どうぞ、アルドバルド子爵閣下」
何事もなく通され、中に入ると用心棒まで。そして個室へ――この店個室しかないらしい。建物の大きさからすると、個室三つくらいしか取れなさそうな。
わたしの財布の中身じゃ、絶対払えないから。
「あの、室長。小官の財布では支払いできないので、退席してもよろしいでしょうか」
「あ……ああ、ごめんねー。説明しないと分からないよね。ここの店は会員限定でね、会員が連れてきた人の食事代は全て、会員が支払うことになってるんだよ。だから安心して」
安心する要素があまりないのですが、奢ってもらえるらしい。
「ですが」
「気にしないで。わたしがお話したくて連れてきたんだからね。落ち着いたところで話したくてさあ」
「はい。ではご馳走になります」
室長が話したいことってなんだろう。
ちなみにここの店、その日手に入る最高の食材を、会員のみなさまのお口にあうよう、シェフが腕を振るうのだそうだ。庶民としては、ご遠慮したいタイプのお店です。
「話したいことって、リヒャルトのことなんだけどね」
「リヒャルト……誰のことでしょうか?」
「リリエンタールの名前。リヒャルト・フォン・リリエンタール。知ってるよね」
「存じておりますが、リヒャルトと言われては分かりません」
リヒャルトって名前から閣下を連想するなんて、できないから。リヒャルト殿下と言ってもらえたら、かろうじて気付けるくらいだから!
「わたしとリヒャルトの付き合いは長くてね。出会ったのはルシタニア王国なんだ」
ルシタニアって南にある国だなあ。ウィルバシーの奥さまが、その国の方だったなあ。かなり離れたところで会ったんですね。
「すぐに意気投合した。というわけじゃないんだけど。ファゴ元海軍長官、当時はまだ中将だったけど、彼をも交えていろいろと話すようになったんだ」
前海軍長官は海軍の増強を図るべく、海洋国家のルシタニア王国に若いころ学びに行っていたというのは聞いたことがある。
たしか三十年くらい昔の話だったような。
盛りつけが芸術の域に達しているカナッペを食べながら、わたしは室長の話を聞き続けた。




