【212】少佐、善意に頭痛を覚える
あの襲撃事件の核にして、扱いの難しい枢機卿の私生児オディロン・レアンドル。
オディロンの事件からすぐ、わたしが閣下にシャインマスカットを口元へと運び最後に、
『大尉。最後になったが、先日レイモンドが捕らえたオディロンを”自分たちが護送する”と言い張り護送中に脱走を許し、四名の死者と二十八名の負傷者を出した異端審問官たちの愚行を許してくれ』
閣下はこのように仰ったわけですが、あの時点でオレクサンドル家の使用人十八名の死亡は明らかになっていた。
にも関わらず閣下は四名と ――
閣下が仰った四名はコールハース大佐、トゥオミ兵長、フルメリンタ兵長と民間人一名。
何故十八名が死者としてカウントされなかったのかというと、オレクサンドルが屑だったからです。
いやゲスなのは分かっていた。きっと屑なんだろうなとも分かっていた。
だが、まさか召使いを奴隷扱いしているとは思わなかった。
オディロンに殺害されたオレクサンドルの家の召使い十八名は無給で働かされていた。
正確に言うとお仕着せがなく、使用人服を自腹で購入しなくてはならず、更には最低でも五着は買えと命じられ ―― 雇われたその日から借金漬けにされていたのだ。
使用人服が汚れていると叱責され、邸内で洗濯に出さなくてはいけないのだが、洗濯料金は相場の1.8倍。食事も自腹で支払わねばならず、部屋代も支払わなくてはならないという契約を結ばされていた。
これらが明るみに出なかったのは、召使いたちがみすぼらしくなかったのが大きい。
なにせ少しでも草臥れたら、使用人服の買い換えを強要されるので、見た目はぱりっとしている。
更に食事に関しては、食べようが食べまいが同じように料金を引かれるので、みな諦めて食べる。食事は日が経ちすぎた黒パンと干涸らびたチーズと、古びて酸っぱくなったワインだけだったが、使用人のメニューとしては珍しいものではないらしい。うちはメイドの二人にそんなもの食べさせたりはしないけど ―― もっともメニューで金を取る貴族は珍しいが。
また彼らはやせ細っていたりはしなかったので、問題視はされなかった。まー使用人がやせ細っていても、あんまり問題視はされないそうだけどさ。
とにかくオレクサンドルは使用人に金を使わず、生活必需品を購入させ、借金を積み上げていった。
当然こんな状況なので、働けないと借金を返すことができないので、売り飛ばされる ――
「あの野郎、金の亡者だからな」
報告を聞きながらキース中将が、そう呟いた。
そうですね、お金欲しさに陛下を暗殺して玉座に就こうとするくらいのゲスですので、私生活だってそうなりますよね。
これは一例なのだが、オレクサンドルはとにかく金を支払うのを嫌った。
悪役令嬢の支出に文句を言うのが攻略対象っているよね。そして物品を欲しがらないヒロインに妙に傾倒するやつ。
貴族令嬢はものを買ってこそ……なのですが、吝極まりないオレクサンドルの息子ロルバスが「無駄使いしないヒロイン素敵」になったとしても、驚かないわー。
生死不明の攻略対象である息子のロルバスが、そんな悲惨な生活を強いられていた召使いたちを更に追い込む ―― ツェツィーリア・マチュヒナの登場である。
攻略対象を陥落させたマチュヒナは、ロルバスの実家に案内され、そこで貧富の差に喘ぐ召使いたちと接触し、彼らを共産主義者へと洗脳した。
一般人でしかない召使いたちを洗脳するなど、国家保安省が選りすぐった皇帝の狗候補であったマチュヒナにとっては容易いことだと、リースフェルトさんは言った。
マチュヒナは共産主義とは正反対の立場にいるのだが、召使いたちを共産主義者へと変貌させ、ご丁寧に共産連邦とつながっている証拠まで残していった。
我が国は共産連邦とつながっていると判明した場合、極刑に処される ―― 悪役令嬢シーグリッドは貴族令嬢であり、宰相の娘という身分があったから、丹念に調べられたが、オディロンに殺害された召使いたちは皆庶民で、何かを言うこともできず。
ただ証拠のみが残っており ―― これによりオディロンが殺害した共産連邦と内通していた十八名は、国家としては「国民が殺害された」と言うわけにはいかず、死亡者リストには加えられなかったのだ。当然オディロンの罪も減刑される……その生まれから罪には全く問われていませんけどね。
シーグリッドの実家モーデュソン家だが、オレクサンドルの事件に巻き込まれたのだということは判明したが、それで終わりである。
名誉回復?
そんなものあるわけ無いじゃないか。
一国の宰相に近い親族、その使用人が共産連邦と通じていたにも関わらず、気付かなかったなんて恥以外なにものでもないから。
その程度の人間に失地回復の機会を与えるはずないだろう。宰相というのは一度たりとも騙されてはいけないのさ!
オレクサンドルは召使いたちが共産連邦に通じていたと知り、自分は何も知らない、無実だと訴えている。
何も知らないのは事実なので、無罪放免となる可能性が極めて高いとのこと。
原因を作ったのはオレクサンドルですが、貧しい人間が全て共産連邦と通じるか? となると、それは違うからだ。
マチュヒナに囁かれたらどうなるかは分からないけれどね。
残念ながら現段階では、マチュヒナのことは表沙汰にはできないということもあり、召使いたちは自発的に共産連邦とつながったということ……まったく、ツェツィーリア・マチュヒナの大勝利だよ! わたしは会ったことないけど、機会があったらぱすって撃ちたいくらいですよ!
……で、そのマチュヒナですが、なぜわざわざ召使いたちを洗脳したのか?
リースフェルトさんによると、この召使いたちはわたしたちの予想通り、閣下を引きずり出すための餌の餌 ―― オディロンをこの国に呼び寄せるための餌だった。
オディロンは信仰心を捨てた醜悪で愚かで哀れな十八名が、これ以上罪を犯す前に神の御許へと送り届けようと……そう、オディロンは100%善意で我が国へやってきて、彼らを殺害したのだ。
わたしには理解不能だが、そういう考え方なのだから仕方ない。
リースフェルトさんから聞いた話では、オディロンという人間は善意しか持ち合わせていないのだそうだ。その善意の基準が若干……なだけで。
オディロンが以前起こした大量殺人も、某国の田舎の村で土着信仰と聖教の祭がミックスされた独自の行事が行われていることを知り「それは教義に反する」と ―― だがオディロンは優しさを持ち合わせているため「教義に反する行事だが長年その祭りを行っているから、行えなくなると悲しいだろう。だから祝い中に神の御許に送ってやろう」という、こっちには理解できないが彼なりの優しさを持って、酒を飲み上機嫌で踊っている村人全員を殺害したのだそうだ。
宗教倫理観的には間違っていないが、正しすぎて現代社会には馴染まないのがオディロンという人間なのだ。
このわたしたちには理解できない善意の元、キース中将をも殺害しようとした。
「わたしが死にたがっているとは、どこの情報だ」
キース中将のことは、亡くした恋人に会いたいが自殺ができないので、軍に籍を置き死ぬことを望んでいる ―― リネットの日記ばりに、誰のことを言っているのか分からないのですが、マチュヒナはこの内容でオディロンを騙しきったらしい。
「最初からわたしだけを狙えば良かったものを」
共産主義者とされ、オディロンをおびき出すための餌とされた召使いたち ―― だが、キース中将の理由程度ではオディロンを動かすことはできなかった。
恋愛絡みのあれこれでは、来てくれないというわけです。召使いが十名以上共産主義者になっている……なら危機を感じ足を運んでくれるが、総司令官一名の昔の恋云々では来てくれないって理由。
オディロンが恋愛脳なら、キース中将云々でも足を運んでくれたかも知れないけれど、恋愛とはもっとも遠い所にいる、魔法使いなのだそうで……その情報、必要なのですかと聞きたかったのですが、書かれているのだから仕方ない。……わたしも調べられてるしね! そういうとこまで調べちゃうんでしょう! くっ! ……オディロンはわたしと違って魔法使いであることがバレても、痛痒を感じないみたいですが。
ただ我が国まで連れてきてしまえば「ついで」に殺害まで持ち込むことは可能だった ―― 「ついで」で司令本部に突っ込んでくるとか、狂っているとしか言いようがないのだが、オディロンは裏表なく善意だけでの行動です。
ちなみに自殺できないというのは、聖教の教義にある。自殺すると地獄に落ちるってことになってるんだ。
キース中将はそれほど信心深くはないが、自殺するつもりはないとのこと。
ただし「必要とあらばいつでも自害して果てるが」な姿勢の人。捕らえられ機密を口にする前に、あらゆる手段で死んでやると言い切る、アグレッシブな指揮官です。
どんな拷問されても口を割らず、死んでいくタイプ……とはリースフェルトさん談。
そんなこと言ってるリースフェルトさんも、そういうタイプだと思いますが……。
そんなキース中将の性格をオディロンが知らないのは仕方ないことだろう。
軍に籍を置き死を……だが、総司令官の地位についているキース中将が戦争で死を選ぶというのは、大敗を喫し責任を取って、もしくは占領され軍事裁判にかけられ処刑されるくらいしかない。
どちらも大勢の兵士を失うことに ―― 閣下に「一兵も損ないたくない」と言っていたキース中将が、そんなことするはずない。
……ということを、次期聖王大本命であり、私生児を持っていないということで、オディロンが法王の次に心より尊敬している閣下から直接説明を受け、キース中将に「勘違いして済みませんでした」と謝りにきた。
さらに直接キース中将と会ったオディロンは、
『あの女が言った男と、本物のアーダルベルト・キースは、まるで違う』
キース中将のことをそのように評した。
さすがのマチュヒナも、キース中将の儚い雰囲気に騙されたらしい。
よほど側にいない限り、キース中将は線が細くて繊細そうに見えるから……実際は、背が高くて二十代にしか見えない鍛えられた肉体に、鋼の精神力と血気盛んさと共に冷静さを兼ね備えた、面倒見の良い男性なんですがね。儚さなんてどこにもねーよ! でもあるように見えるんだよ!
『影武者のほうがまだ、あの女が語ったアーダルベルト・キースに似ている。むしろこの本人を前にしたら、別人だろうと思ったはずだ』
事情があって別れざるを得なかった妻に未だ気持ちを残しているボイスOFFの、心の底をもオディロンは見切っていた。すごいな、オディロン。尊敬はしないけど。




