【209】少佐、バリアフリー対応にする
政府機関の方からやってきたジークムント・フォン・リースフェルトさん。オルフハード少佐なわけですが、わたしは副官フォン・リースフェルトとして扱わなくてはなりません。
「詳細な経歴です」
差し出してきた封筒を受け取り開くと、わたしが作った様式の履歴書が現れた。
記載された経歴はといいますと、正式名ジークムント・ヴィークトル・マテウス・フォン・リースフェルト。
ヴィークトルはルース名で、ルース貴族の血を引いている……
「設定です」
「設定ですか」
設定なのだそうです。オルフハード少佐はルース人らしいので、ルース系であるという設定は外せないのでしょう。
わたしなんかは、容姿で見分けられる自信はありませんが、その筋の人なら容易に見分けられるらしいので、そういう設定は必要らしいのです。
「リリエンタール閣下の遠縁ということになっています」
「なるほど」
リースフェルトさんは、閣下の伯父さんの孫 ―― ただし非嫡出子という設定。
「詳細はできれば語らない方向で。もちろん詳細を語られても、破綻するような設定ではありませんが」
「なるほど」
それと年齢は二十六歳設定とのこと。
詳細設定は追々教えてもらうことにして、職務に戻る。
本日の日勤を担当するのはヘル中尉の部隊。
「憲兵から集めた部隊ですが、大丈夫ですか?」
ヘル中尉は憲兵所属で、部下も全員憲兵なので、誰かオルフハード少佐のことを知っているのではないか? わたしは不安だったのだが、当人は堂々としたものだった。
「少佐、口調はもっと砕けた感じでお願いします。憲兵大佐マルムグレーンを見かけたことがある者ばかりでしょうが、問題はありません」
オルフハード少佐は言い切り ―― 新しい副官だと五十名の隊員に引き会わせたところ、言葉通り誰もがマルムグレーン大佐とオルフハード少佐が同一人物だとは気付かなかった模様。
「気合いを入れて雰囲気を変えているので。テサジーク侯やリリエンタール閣下のような相手には通じませんがね」
「……一緒に来るのですか?」
話をしているのは廊下 ―― トイレに向かっている途中なのです。
そう! 副官を伴いトイレにいけというキース中将の命令は継続しておりまして……まーもう一人の副官で、補助具が車椅子から松葉杖に変わったハインミュラーと一緒にトイレに行くのは絶対に嫌です。
でもオルフハード少佐と一緒なのも辛い。
「俺がずっと側にいることになるんですから、諦めてください少佐」
ボイスOFFと話していた「トイレに絶対召し使いがついてくる」の召使いがオルフハード少佐になるらしい……閣下の懐刀がなんでわたしの……。
「お前等トイレが好きなのか?」
トイレに足を踏み入れたら、床にストロベリーブロンドが転がってたのです。
「違います」
どこに寝転ぼうとも自由だが、軍の施設外で行ってほしいものだよ、ハインミュラー。
「そうなのか」
このトイレはハインミュラーの元愛人チェンバレン少尉が潜んでいたトイレです。
そうか、趣味じゃないのか。
てっきり趣味なんだと思ったよ……嘘だけど。
松葉杖を拾い……そのまま渡すのもなんなので、手洗い場で流して拭いてやる。その間に、オルフハード少佐が肩を貸しトイレに。
なぜわたしは、ハインミュラーの松葉杖を洗ってやっているのだろう? ……ま、部下が困っていたら助けるよね!
嫌いでも部下だから! そこはしっかりと区別しているよ!
「不慣れで転んだ? のか」
「はい」
トイレの床に転がっている理由を尋ねたところ ―― ハインミュラーは足がまだ不自由なので、洋式トイレで用を足しているのだが失敗したとのこと。
「松葉杖になったばかりで、距離感が上手く掴めなくて」
二日ほど前まで車椅子で、松葉杖を使うのは今回が初めて、更に言うと ――
「個室、狭いからな」
軍のトイレというのは負傷者が使用することは、一切考慮されていない。……まー負傷者は全快するまで休めるので、考慮する必要などないと言えばそうだが、
「自宅よりはましです」
「たしかに、自宅よりは広いな。もしかして独身寮に住んでいるのも?」
「はい。寮の水回りのほうが、自宅よりも楽なので。トロイには迷惑をかけましたが」
自宅もバリアフリーから程遠い ―― 車椅子で自由に動き回れる一般住宅がないのは当然とも言えるが。
その点、軍はやや大きめな作りだ。
なにせ士官はほぼ大柄なので、そちらに合わせて作られている。尉官用独身寮も同じこと。
「車椅子の時も大変だっただろう」
「少佐の弟君にはお世話になりました」
このフロア履歴書などの説明会資料作成のために集められた時、デニスが車椅子から便座に移動させてくれていたのだそうだ。
そんなことまでしてくれていたのか、デニス。
お前、そういうこと一言も言わないでやるいい男だから、姉さん困るよ。
施設の不備をカバーしてくれるのは嬉しいのだがね。
「体がもう少し小さければ」
士官学校卒のハインミュラーは当然背は高く、体もがっしりとしている。
「無茶を言うな、ハインミュラー」
車椅子の時は今以上に苦労し ―― デニスが帰ってからは、一人で飛び移っていたのだが、なにせトイレが狭いので……偶に床に転がっていたそうだ。
汚いなー。いや、言うまい。でも思わせてくれ、汚いぞ……と。
「転がって、治りかけていた骨折がまた折れても困る。なにより、わたしが出張中はお前に頑張ってもらわないと困るからな」
キース中将が近々フォルズベーグとの国境沿いを守っている兵士たちの元を訪問するため司令本部を離れる、当然わたしも付き従うので、その間のここを守る責任者代行をハインミュラーに任せることになっているので、怪我などされると困るのだ
「注意します」
注意したから怪我しないってわけでもない。
今まではこいつが怪我をしようがどうでも良かったが、今は部下なのでそう言ってもいられない ――
わたしの前世の記憶には、多目的トイレというものがあり、どこにどのような手すりを付ければ良いかを知っている。
この知識を生かさない手はない!
キース中将に図を描いて、必要性を説明する。
部下がトイレに転がってるって嫌だからな。気にせずにそのまま任務についてるけれど、トイレで転がってるからな。
土足な社会なのでみんな気にしないが……わたしは気になるんだよ!
「閣下がお怪我をした時のことを考えて見て下さい。介添えするのだと、群がる女性たち。ですが、この手すりさえ完備していれば、手伝いなど必要ないとはっきり言い切れるのです」
キース中将は話の分かる上官。
更に言うと我が国はただいま非常に軍人が不足しておりまして、外傷辺りですと療養を切り上げて復帰してもらわなくてはならないような状態。
そんな中、せめてトイレくらいは ―― ということで、即日許可が下りました。
「作業にあたる工兵のゲスト証を作れよ、クローヴィス。わたしもしっかりサインしてやるからな」
ハインミュラーのせいで仕事が増えた! 一瞬思いましたが、いやいや、これはハインミュラーの為だけじゃない。これをスタンダードにし、いずれ多目的トイレも提案してみせる!
「ゲスト証はわたしが作りますので、少佐は任務にお戻り下さい」
オルフハード少佐にそう言われ、お任せすることに。説明しなくていいのは楽でしたが、どこまでゲスト証のこと広がってるんだ?




