【204】少佐、皇太子冊立を拒否したいと考える
デニスは許可をもらったら今日にでも出発するつもりでしたが、陛下はそんなに身軽ではないので、出発は一週間後になりました。
国内をまわる期間も十七日の強行軍ではなく、十一日増やして二十八日間に。
地方の有力者とも面談したいので。
自ら蒸気機関車で国内を回りたいという欲望をベースに、女性士官復帰を提案したデニスですが ――
「デニス・ヤンソン・クローヴィス少尉。陛下の旅程計画に携われ」
キース中将の命により少尉に昇進し、陛下専用ダイヤを組む仕事を与えられました。
陛下の旅程を組むというのは、かなり重要な仕事なので、身辺を色々と調査されるものだが ―― わたしの弟なので、がっつり調査されているので問題ナシとされた。
「総司令官親衛隊隊長の弟ですものな」
キース中将付きであるわたしの弟……と皆さん認識しているようだが、多分違います。もちろん総司令官の親衛隊隊長なので、身辺調査は当然ですが、隊長職に就く以前に調べられているので。
「王弟時代副官を務めてもいたしな」
たしかに陛下が王弟だった頃、副官を務めてもおりましたから、そこでも調査はされておりますが……こういう感じで、デニスが陛下が乗る蒸気機関車のダイヤ編成をすることに反対する者はいなかった。
「国内線でヤンソン・クローヴィスを出し抜ける者がいるとしたら、それは主席宰相閣下だけであろうよ」
キース中将がそう言うと、デニスは笑顔で「もちろんです。仰る通りですとも!」と言わんばかりに、首をぶんぶん縦に振っていた。
そうか……デニスでも遅れを取るのか。
いや閣下が凄いのは分かるのだが、うちの弟も蒸気機関車関係限定なら、かなり凄いんですよ。それでも出し抜けないのか。
「お前の弟は他人を誘導したりできないだろう?」
「はい」
「そのような面では劣る」
たしかにデニスは他人を誘導するなど……しませんね。うちの弟はそれでいいのです。もちろん他人を誘導できちゃう閣下は格好良いと思います。
あ、そうそう、会議ですがあとは退役男性職業軍人を徴集するということになりました。
招集じゃなくて徴集。そう、退役した女性職業軍人とは違い、強制力を含む命令です。
男性の職業軍人はほとんどが五十五歳の退役年齢まで勤め上げているので、軍の平均年齢がぐっと上がりそう。
ですが残念なことに、これでも足りない ――
「非常に不本意で国として情けないことだが、主席宰相閣下の案を採用する」
キース中将が本当に悔しそうに溜息を吐き出し、胸元からR.V.Lと銀で箔押しされた封筒を取り出し全員に見せた。
「内容は海軍を職業軍人五十名にし、残り全てを陸軍に一時配属替えをする。これで一万人は確保できる」
議場が大きくざわついた。”揺れた”と表現してもいいだろう。
たしかに我が国には海軍現役六千人(うち徴兵千人)に予備役五百人。これを五十人にまで削れば……一万以上は確保できる。
「海に適応するのは難しいが、陸に適応するのは難しいことではない。なにせほとんどの人間は陸で育つからな。また冬の海での任務についているのであれば、極寒にも耐えうる……とのことだ。その間の我が国の海域の守りだが、ブリタニアス君主国から一艦隊を派遣させるそうだ」
一人の佐官が発言したいと手を上げ ―― キース中将がリーツマン中尉に許可を出させた。
「援軍はありがたいのですが、協定等に関しての取り決めは」
海域の守りを他の国の海軍に任せるとか、屈辱的と申しますかその……背に腹は替えられないとはいうけど、思う所はあるのですよ。
「援軍として来るわけではない」
キース中将の言葉に議場がまたざわつく。ざわざわしたくなるよねー。
「援軍ではないのですか?」
「ああ。表向きの理由は主席宰相閣下へのご機嫌伺い、及び王太子冊立打診とのことだ」
質問した佐官が「?」って顔になってる。
平民佐官にしてみると「?」だよねー。
他の人たちも「?」になってるー。
そうなるよなあ。だって我が国の国民にとって閣下はツェサレーヴィチ・アントン・ゲオルギエヴィチ・シャフラノフで、ルース帝国皇太子なわけでして。
「ロスカネフにおいて主席宰相閣下はルース皇太子と認識されているが、あの人は生まれた当時はブリタニアス君主国の王太子として生を受けたのだ。あの人の祖父、神聖皇帝リヒャルト六世の両親はブリタニアス君主国チャールズ三世と王妃メアリーだ」
議場にいる三分の二ほどの軍人が「ぽかーん」とした。気持ち分かるわー。その後キース中将が、閣下以外ブリタニアス君主国を継げない血筋的な理由を簡単に説明なさった。
「ブリタニアス王位継承権第一位にして唯一たる主席宰相閣下……この場合はクリフォード公爵アンソニー殿下とお呼びするのが正しいのだろうが、とにかく主席宰相閣下以外継げる者はいない。だが君主国と主席宰相閣下の仲は二十数年前位に拗れていてな。理由だが簡単に説明すると、ルース帝国の滅亡に際しブリタニアス君主国が何もしなかったことが原因とのこと。当時皇后を出した我が国は国力上なにもできなかったが、ブリタニアス君主国はルース帝国と唯一渡り合える国であったのは確かだ。植民地であるマルゴン帝国を介して国境も接しているしな」
キース中将の仰る通り、ルース帝国に単独で対抗できたのは、大植民地帝国でもあるブリタニアス君主国。
島国であるブリタニアス君主国だが、その植民地は広大で、ルース帝国と国境を接している植民地もあり ―― 現在もマルゴン帝国の北国境で、共産連邦と争いが続いている。
その争いを上手く使い、我が国に寒さに弱い師団を送り込ませる算段なのですが……。思えばブリタニアスはルース帝室を助けることはできたのでは?
「ブリタニアス君主国がルース帝国を助けなかったのは、国策として仕方ないのではありませんか?」
「国策として助けなかったのは構わんそうだ。ただ主席宰相閣下にとって、意図的に帰国を邪魔されたのが不快だったそうだ」
「帰国の邪魔ですか?」
「そうだ。主席宰相閣下はあの当時、南新大陸でルース皇太子として植民地を広げていた。現在南新大陸最大の植民地だ、お前たちもどこかは分かるな? ルース皇太子であった主席宰相閣下は、彼の地でルース国内の異変を察知し帰国しようと北上したのだが、北新大陸の湾岸全て補給を断られ帰国するのに一年以上かかった。あの人の指揮能力ならば、三十万の大軍を率いても、二ヶ月でルース帝国にたどり着けるのにな。その補給を拒否した北新大陸を植民地としているのは、どこか分かるな? まあもっとも、一年以上かかったが、三十万の大軍を維持したままなのはさすがとしか言いようはないがな」
キース中将は明言はいたしませんでしたが、当時のブリタニアス君主国の考えとしてルース帝国が滅べば閣下を自分たちの王太子に出来ると判断し、ルース帝国を滅亡させた……とみるべきなのでしょう。
この辺りは、違和感があったので、ちゃんと調べて知ってる。
なんの違和感か?
閣下なら酷いことになる前に救えたのではないかという違和感ですよ。
閣下らしからぬ後手だなーって調べたら、超大国を挙げて補給を邪魔され、帰国するのに苦労したことが分かった。
お前知らなかったのか? ええ、知りませんでしたよ。
閣下が開拓した航海ルートの裏側が、こんなことになっているとは思いませんでしたとも!
こういうことされたら、閣下が嫌がると思わないのかね?
新国王の不興を買うことくらい分からないのかね? ブリタニアス君主国も立憲君主制だから、国王の一存で処分なんてできないだろうけど。
だからといってですね!
議場にも「新航海ルートってもしかして」みたいな表情になってる人たちがいる。
「グロリア女王とは仲が拗れてはいないが、国家自体とは関係が拗れていてな」
”ババアとは最初から拗れておる”って閣下仰いそう。きっと仰るわー。
……で、この話を閣下に聞きづらいのは、閣下が南新大陸に渡った理由が、ベルナルドさんにあるところ。
ほら、革命で処刑されそうになっていたベルナルドさんを助け出し、ノーセロート共和国を黙らせるべく、ノーセロートの植民地を叩いていた頃の出来事なのだ。
ベルナルドさんが投獄・処刑されなければ、閣下は新南大陸には渡っておらず、大陸にいらっしゃったらきっと共産連邦の前身である、ルース帝国国家保安省は暴走することなく……歴史的事件ってありとあらゆる箇所がつながって起こるっていうのを、しみじみと感じましたわ。
その中心にベルナルドさんがいることにも、かなり驚きましたがね。
「その時の関係者は全て処罰されているが、主席宰相閣下の機嫌は直らず。それで二十年以上過ぎ、このまま放置はできないと、国を挙げて帰還を請うことに。まずその手始めとして、主席宰相閣下と個人的に親交のある海軍大将ドレイクがやってくる」
海軍大将ドレイクと聞き、議場がまたもやざわついた。
ええ他国の陸軍でも知っているほど有名な、ブリタニアス海軍の名将ですよ。
この会議終了後、閣下はこの度の戦争が終わったらブリタニアス君主国入りし王太子になってやり(誰も冊立されると言わない)、グロリア女王より譲位されブリタニアス王になるのではないかという噂が流れ出しました。
ないよ! 閣下は即位しないよ! そんな卑怯な方法で閣下を王にしようとした国の国王に即位なんて、わたしは断固拒否する!
我が国としては閣下が皇帝として即位したルース帝国がなくなったので良かったのかもしれない。ブリタニアス君主国とは国境を接していないので、閣下が即位しても問題なかったかも知れないけれど……もう少し早くに救い出せたら、ルースの皇女たちだって死を選ばなかったかもしれないじゃないか! 死を選んだとしても、苦しい時間は少なくて済んだはず。
アナスタシア皇女が生きていたら、わたしは閣下と会うことはないだろう。それを考えると悲しいが、悲しくとも思わずにはいられない。
明後日お会いしたら、はっきりと「嫌です」と言うと思う。……でも閣下がブリタニアス後継者の権利を捨てたら、ルース帝国の滅亡前夜のような悲惨な事件が起こる可能性もあるかも……んー事情を聞いてから反対意見を述べるべきか? わたしが全く触れなくても問題はないのかもしれないけど……明日までに考えまとめておこう。
「海軍と陸軍が仲悪くなくて良かった」
会議終了後、即座に陸上戦用に海軍をも組み込み、戦闘訓練が開始されることとなった。
「同じロスカネフを守る軍ですので、不仲などあり得ませんよ隊長」
元海軍将校であるボイスOFFの言葉に頷く……前世の記憶持ちとしては海軍と陸軍は超絶にして絶望的に仲が悪いというイメージしかなかったので、上手く馴染んで良かったと胸をなで下ろしたよ。




