【020】少尉、悪役令嬢を捻り上げる
「はあ……」
あの後、怪僧マトヴィエンコの死体写真や、彼の家族が処刑された写真なども見たが、怪僧マトヴィエンコはともかく娘たちはどうなんだ……と。
死体写真ってだけで精神にくるのに、みんな死体と笑顔で記念撮影とか。
ルース帝室の皆さんの処刑写真もあったよ。
こっちも悲惨な写真で、目を被いたくなるってやつだった。
「少尉殿、到着いたしました」
「そうか」
執事さんが用意してくれた馬車で出勤。
どこのお大尽だよと思わなくもないが、最上級のおもてなし期間が登庁まで続くということで、磨かれまくった靴に違和感を覚えながら、史料編纂室へと向かう。
史料編纂”室”だが、編纂する史料が山ほど積まれていて、庁内でもっとも広いスペースを使っている。
さらに資料保管スペースとして、あちらこちらに倉庫があり、いちおう管理者が二人くらい在駐している。諜報部があちらこちらにあって恐い。
「史料編纂室室長主任補佐を命ぜられた、イヴ・クローヴィス少尉であります」
室長に挨拶し、室長がやる気なさそうな所員に、わたしの紹介をしてくれた。
「イヴ・クローヴィス少尉。近々サファイア勲章を受ける人です。上官に嫌疑がかかっていますが、少尉は特に問題ないので、ここで一時預かります」
紹介のあと、室長室へと連れていかれ、ここの所員の半数は本当に左遷された者であり、彼らは目くらましに使われていると教えられた。
総白髪で中肉中背、ありふれた顔だちの中年男性である室長本人は、
「わたしは見ての通り、事情を知っているだけの左遷組だよ」
穏やかに笑っていた。
あまり突っ込んで聞くべきではないだろう。
「なにか仕事などありますか?」
「ないよ。ああ、でも少尉には指令がきているよ。はい」
室長から手渡された命令書を開くと、オルフハード少佐から「憲兵の仕事を手伝え」と。日付は今日。現地集合。さらに集合時間は10:00。現時刻は9:30。
「……」
「急いで行っておいで。任務が長引いたら、そのまま帰っていいからね。そうそう、わたしの公用馬車使っていいよ」
「失礼します!」
室長室を飛び出して、馬車に乗り10:10に現地こと王立学習院に到着した。
「お待ちしておりました」
門前に立ち出入りを制限している憲兵に身分証を出して学習院の中へ。
事情がまったく分からないので、オルフハード少佐……じゃなくて、命令書にあった名前と階級で尋ねる。
「マルムグレーン大佐はどちらに」
憲兵マルムグレーン大佐と、閣下の副官オルフハード少佐は同一人物ってことらしい。言われて見ると同一人物なんだけど、ほんとうにあの人は雰囲気ががらりと変えられるので、制服が違い、軍帽が必須の憲兵姿の大佐と、人の記憶に極力残らないように振る舞う少佐が同一人物だと気づく人はいないだろう。
なにが凄いって、これで美形だってところが凄い。
埋没しちゃう普通顔ならまだできそうだが、マルムグレーン大佐は顔の作りいいから。
だからナンパに引っかかったわけだが。
副理事長から事情を聞いているらしいので、そちらへと向かうと、
「待て! 止まれ!」
兵士らしい男の怒号と、複数の足音がこちらへ迫ってきた。
なんだ? と思っていると、わたしの方へこの学習院の女子生徒が走ってきた。
「待て! ……少尉、確保を!」
追ってきたのはアレリード曹長。
最速で仕事一緒に出来そうだな。
逃げようとしている女子生徒の腕を掴む。足を掛ける必要もない。
それにしても華奢な女子生徒……腰まである縦ロール、気の強そうな顔だちの美少女。ロルバスの婚約者、悪役令嬢さんじゃないか。
なにをしたんだ? 悪役令嬢。
「放しなさいよ! わたくしを誰だと思っているの!」
ぽこぽこ殴ってくるが残念だな、そんな攻撃では、わたしの拘束は解けないよ。
「少尉!」
「また一緒に仕事ができたな、曹長。それで、この令嬢はなにをしたのだ?」
わたしは王立学習院に何をしに来たのかも分からないのだよ。
おや? アレリード曹長と部下四名の表情がヤバイ。いまにも悪役令嬢を殺害しそうだ。落ち着き冷静なアレリード曹長にこんな表情をさせるとは、悪役令嬢、なにをした?
「少尉、これを」
アレリード曹長から渡されたものを見たら、彼らが殺気を出して追いかけていた理由が分かった。
「この令嬢のものなのか?」
「投げ捨てたのを、我々が見ておりました。なにかと確認したところ」
…………これは駄目だ。
不倫の子として生まれたのは悪役令嬢の罪じゃないよ。でも、可哀想だなあと思う気持ちも霧散する。
「……ぎ、ぎやあああああ! いやああああ!」
掴んでいた腕をねじり上げる。
ミシミシと骨が軋む音が聞こえてくるが、殺されないだけありがたいと思って欲しい。
「伍長は急ぎ一帯を封鎖しろ! アレリード曹長、大至急オル……マルムグレーン大佐を」
可憐な唇から咆吼じみた悲鳴をあげている悪役令嬢シーグリッド。
悲しいことに、泣いて叫んでいる悪役令嬢に対して、なんの感情も湧かない。
なんでこんなものを持っているんだ。
「クローヴィス少尉」
アレリード曹長と共にマルムグレーン大佐がやって来ました。雰囲気が完全に別人で殺気がすごい。
先ほどのアレリード曹長たちや、わたしの殺気なんかと別種。
「大佐、これを」
アレリード曹長たちが拾ったものを差し出す。
マルムグレーン大佐黒の革手袋で被われている指先でそれをつまむと、さらに殺気立つ。完全に獲物の首筋に牙を突き立てる寸前の、獰猛な肉食獣のそれだ。
「間違いなく本物だな。はんっ! まさかここで、こいつを見ることになるとは……おい、女。これを投げ捨てたのは貴様か!」
地を這うような声とはこのことだろう。
「いたい、腕を離して!」
痛いと思うけど、離さないよ……マルムグレーン大佐が手の甲で悪役令嬢シーグリッドの頬を打った。
足下がふらつき、鼻血が出るほど。あとショックで失禁した。
いきなりの暴力に、シーグリッドはなにが起こったのか分からなかったようだ。
蝶よ花よと育てられてきた高位の貴族令嬢が、いきなり憲兵に頬を叩かれるのだから、ついてはいけないだろうな。
「投げ捨てたのは貴様かと聞いたのだ。答えろ!」
「す、す、すて、すてた、捨てました……」
「貴様が捨てたのか!」
「わたし、わたし、捨てた」
涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃに。だがそんなこと誰も気にせず、マルムグレーン大佐はシーグリッドのくすんだ金髪を鷲づかみにする。
「少尉」
シーグリッドが捨てたそれを渡された。
「この番号はレオニード・ピヴォヴァロフ」
わたしでも知ってる名前だ。
「閣下の元へ走れ。大至急だ。アレリード曹長、隊ごと少尉と共にいけ」
「御意」
わたしがシーグリッドの腕を離すと、マルムグレーン大佐は髪を掴んだまま大きく左右に三回ほど揺する。
暴力による恐怖に声も涙も出なくなったシーグリッドを引きずりながら、マルムグレーン大佐は大声で指示を出す。その後ろ姿は、完全に秘密警察の長。
「少尉、参りましょう」
「そうだな」
わたしはアレリード曹長たちと共に閣下の元へ急ぎ、ウィレムとの隣国奪還会議中に押し入る。
「何事だ、クローヴィス少尉」
「王立学習院の女子生徒が、これを持っておりました」
閣下に差し出すと、事情を全て理解して下さった。
丸い徽章。中央にはてっぺんのない五芒星。三角形のない部分には星が四つ。そして裏には番号が刻印されている。
「共産連邦党員幹部番号4104。レオニード・ピヴォヴァロフか……これはいかんな」
さすが閣下、番号と名前ちゃんと覚えていらっしゃる。大佐で少佐? あの人は本職だろうからなあ。
「大佐もそのように」
ウィレム王子とその仲間たちも、驚きに体を震わせる。
有名だもんな、共産連邦の若き野心家レオニード・ピヴォヴァロフ少将。侵略してくるときの前線指揮官予想で賭けをしたら、オッズは1.0から1.3くらいしかつかない大本命。
そう、ロルバスの婚約者、悪役令嬢シーグリッドが投げ捨てたのは、共産党員の徽章。
それも幹部のものときた。
憲兵が事情を聞きに行ったとき、証拠隠滅とばかりに投げ捨てるとか――状況から共産党員と関係していると思われても仕方ない。
共産党員幹部徽章なんて、持ってるだけでマズイことくらい、知ってるだろう。
さらに何故、最悪なタイミングで投げ捨てたのだ?




