【188】少佐、準備に取りかかる
ヒースコート子爵家は海側に領地を持っており、没落してはいないが、特段裕福でもない。歴史も「建国当初から」というほど古いわけではないが、新興貴族などとは比べ物にならないほどに古い。
言うなればわたしたち庶民が思い描く「貴族」そのものという感じ。
それ以外、わたしが知っているのは鉄道網があまり発達していない領地であること。
情報源はデニス。別に教えてくれと頼んだわけではなく、一緒に路線図を眺めている時に教えてくれた。
きっとデニスにはなんの魅力もない区画なのだろう。
「なぜ小官を?」
ボイスOFFが真意を尋ねたくなるのも分かる。
こいつ自身はなにも問題はないが、家名に傷どころか取り潰された家の出だ。家名とか血族とか名誉を重んじる貴族社会に受け入れられるのか?
個人の資質というのであれば、問題はないのだが……。
「お前になら、跡を継がせても良いと思ったからだ」
わたしの目の前に座っているヒースコート閣下は、堂々とそれは格好良く言い放ちましたが、そう言う問題なのか?
「……」
「まあ、考えてみてくれ。もちろん断っても構いはしない」
個人的な意見ですが、くどくどしくないところに本気を感じる。
「貴族に関しては詳しくないが、相談には乗るから、あまり一人で思い詰めるなよ」
「はい、隊長」
本部までの僅かな道すがら、あまり思い悩むなよとオブラートに包んで告げる。……相談に乗るとは言ってみたものの、わたし貴族に関しては全くと言って良いほど知識はないし、人生経験だってボイスOFFのほうが上 ―― だってこいつ、もと既婚者で、年齢も五歳年上。基本馬鹿じゃないし。わたしがこいつに勝っているのって、体力と射撃と乗馬と身長くらいのもの……どのように相談に乗ればいいのかを、相談に乗ってもらおう。
相談されるかどうか分からないが、準備だけはする!
本部に戻りキース中将に、少佐に昇進するようです……的なことを告げると、キース中将が突然机の引き出しを開けて、ファイルと茶封筒を取り出してこちらへ放り投げてきた。
怒っているわけではなく、通常モードです。
「まさか、こんな立派なものを作っていたとは。わたしにも見せろ」
ファイルはわたしが作成した隊員の簡易名簿で、茶封筒の中身は上部からはみ出しているのを見るに、独自に作成した隊員の履歴書と経歴書だと思われる。
「管理しやすいよう個人的に作ったメモを、閣下にお披露目しようとは考えません」
ええ、わたしが管理しやすいように作ったものなのです。
ちょっと金がかかる仕様だったので、カミュに「この予算出るか?」と依頼した時、どきどきしましたが「まったく問題ございませんよ」という返事が返ってきたので作成した、写真付き名簿と写真付き履歴書と、書式統一した経歴書。
キース中将はファイルを手に取り、
「これと同じものを、自宅にも完備しているそうだな」
ファイルを捲りながら、そう言われた。
「はい。もともと自宅用に作ったものです。隊長ともなりますと、隊員が自宅を訪れることも増えます。隊員と偽り実家に忍び込む者もいるかと。むろん、各所が小官に配慮して下さっているのは分かりますが、わたし自身が手を打たないのは怠慢かと思いまして」
きっとわたしの実家周辺には、様々な警備が敷かれているでしょうが、それを甘受してわたしが全く動かないのはおかしいし、万が一ということもある。
そこで隊員の顔写真と頭髪、瞳の色、身長、利き腕にフルネームを隊員自身に書かせた、カードタイプの簡易履歴書を作り、それをファイルにまとめたものを作った。
身辺警護をしてくれているクライブは全て頭に入っているだろうが、取り次ぎは基本メイドの二人がしてくれるし、クライブだって絶対に家に居るとは限らない。
我が家から一歩も外に出ない、お使いしない見習いって不自然だしね。
なのでクライブ以外の誰かが、隊員と対応する可能性がある。
まー前述の通り、様々な警備が敷かれているので、そう簡単に偽隊員が我が家を訪れたりはしないだろうが、絶対にないとは言い切れない。
偽物がなんで? わたしと閣下が婚約しているから……ではなく、わたしが高給取りだから、金を盗む為にです。
新聞で個人情報がダダ漏れしているこの時代、独身大尉の自宅には多額の現金があると思われる ―― 実際高給取りなので狙いとしては間違いではない。
幸い我が家は一端の武力があることは知られているので、押し入ってくるような真似はされないし、そんな分かりやすい三下が来たら、きっとどこからか何かがやってきて、さらっと対処してくれるのは分かる。
強盗という手段が執れないとなれば偽装が考えられる。そこで家族とメイドに「隊員だ」と名乗った相手を簡単に確認できるようにするために、写真入りのカードタイプ名簿を渡したのだ。
キース中将が机に投げるように置いたのは、自宅用ではなく念のために作った予備の一冊で、わたしのデスクにあるのは全員知っている。
なにせ全員にこれは二枚ずつ書かせ、完成型も見せているので。
個人情報? いや、これはどちらかというと、首からぶら下げる社員証みたいなものですので、見られても大丈夫。
「テサジークがいたく気に入っていたぞ」
写真付き名簿が、本部を代理で預かった室長の目にとまったらしい。
「そうでしたか」
「もともとカールソンから報告は上がっていたそうだ。それで現物を確認して、これは良いものだと気に入り、他にお前独自の書類はないかと庶務たちに聞き、清掃担当のリストや身分証、隊員たちのカラー履歴書と、お前がまとめた経歴書を見て感銘を受けたそうだ」
感銘って単語を使う場面ではないと思いますが。
「お前の昇進は陛下とわたしの暗殺阻止だけで確定だったが、兼務の話は出ていなかった。だが、これだけのことが出来るならば、少佐に昇進し兼務もやっていけるだろうと判断しテサジークが推薦した。あいつが推薦なんて面倒なことをするのは、滅多にないことだ。お前が主席宰相閣下の妻でなければ、容赦なく引き抜いていっただろうな」
まさか兼務理由が、自作の経歴書関連の書類と名簿!
司令本部警備責任者という責任ある地位が、カリナと一緒に「表紙を切り抜きで可愛く飾ろうね!」と楽しんだ、ゆるい写真付き名簿と、各部署で書式どころか、用紙サイズまで統一されていなかったため、見づらくてしかたない経歴書を勝手にかえたことで、転がり込んでくるとは。
全くの余談だが、カリナと一緒に表紙を飾っていたら、デニスも混ざってきて、裏表紙に秘蔵駅舎の写真を貼り付けてくれた。そんな秘蔵写真要らんのだが……。大事に保管しておきなさい、デニス。
「テサジークはこれらの書類を気に入り、眺めていて有用性に気付いたが、制作者の意図を全てくみ取れたとは思わないので、説明会を開いて欲しいとのことだ」
「説明会ですか」
話が面倒……ではなく、大事になってきた。
「わたしも見やすいのは分かるが、有用性をはっきりとは理解できていないので、説明会を楽しみにしている」
いや……別に、そんなに凄いものではなく、ちょっと見やすいように、形を整えただけで。お偉方の前で語るような内容ではないのですが。
そんなことを言っても、説明会は決まったことですので ―― 六日後に会を開くので、それまでの間に資料をまとめるよう命じられました。
もちろん勤務と並行して行うよ!
「すみません隊長。役に立てなくて」
「気にするな」
副官に手伝ってもらうところだが、わたしの副官は利き腕を骨折しているので、資料作成には、当人が言う通り役立たない……わけでもない。色々とやってもらうことはある。
「実は俺も気になっていたから、資料作成の段階から携われるのは嬉しいよ、イヴ」
キース中将は良い上官なので、資料作成用に人を用意してくれた。
「気になっていたのか。聞いてくれたら、答えたのに」
一人目はキース中将の第二副官エサイアス。キース中将に推薦書の書き方を尋ねたら、これを見本にしろと渡され ―― 近々エサイアスは中尉に昇進するようです。良かったな、エサイアス!
優秀極まりないエサイアスを貸して下さる辺り、本気なんだな……と。
いや、まあ、何時だって本気でしょうが。
「なにをしたらよいのか分かりませんが、力の限り頑張らせていただきます」
オディロン襲撃事件の際、投光器を用意してくれたメイノ・リンデン准尉。
折れた三本の肋骨はまだ完治していないので、力仕事はできないが書類仕事くらいならできるとのこと。
ちなみにリンデン准尉は技術兵で、担当は電池。
担当が電池ってなんだよ? と言われそうだが、この場合の電池はいわゆる湿電池で、電解液を液状のまま使用するもの。
乾電池もあるのだが、まだまだ発展途上中。大型の投光器の電源は湿電池が主流。リンデン准尉は襲撃の場面で、電解液を運んでくれていたのだ。
「書類整理くらいはできる」
そしてピンク七三分け……じゃなくて、ハインミュラーが車椅子姿で復帰。復帰と表現して良いのか若干疑問だが。
完治するまで傷病休暇を取れるのだが、当人の強い希望で復帰とのこと。足の骨がくっつくまでは休めば? と思うのだが。
当然護衛任務には就けないので、警備の書類整理に配置換えされ……わたしの第二副官っぽいものに。第一副官(利き腕骨折)は親衛隊業務補佐で、第二副官(足骨折)は警備業務補佐にあたる、なんという骨折組。
「デニス・ヤンソン・クローヴィス准尉であります」
兵站部輸送部門に配属になっている我が家のデニス。
なんでも非常に優秀で、兵站部における鉄道輸送関連の準備を全て終えたので、応援として派遣されてきたとのこと。
鉄道関連だと、容赦なく優秀だよなデニス。姉さんは誇らしいよ。




