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【180】隊長、手元にかえってくる

 翌日、交代の隊員たちと共に山を下り、麓の村の空き家を借り上げた拠点へ。交代の隊員たちはすぐに拠点を出て、持ち場である保養所へと向かった。


「隊長来ると思ってなかったんで!」

「すんません!」

「ディルク! 汚ぇ染みついたトランクス片付けろや!」

「うわああ!」


 わたしが来る予定のなかった拠点は、六日目にしてあちらこちらに脱いだ服や下着、靴下などが散乱し、パン屑が飛び散っている床のあちらこちらに酒瓶が転がり、ソースや肉汁がこびりついた空になった皿がテーブルの上に積まれ、ゴミが散乱……と、誰が見ても立派な「男の部屋」になっていた。


「いや、気にするな」


 ただここに泊まるのは、ちょっと嫌だなー。

 でも尋問時間が長引いても、夜に帰るわけにはいかないので……。もちろん眠れますけどね。こういう所でも寝られる強靭な精神力を持ってはおりますが、好んで泊まろうとは思わないわー。


「女性の目がないと、男ってこんなもんなんですよ」


 拠点の責任者を任せた隊員が、頭をかきながら謝ってくる。

 えー。ということは、保養所に帰ったら同じような状態になってるの? それはそれで……。


「仕事に支障がないならば構わん」

「ソファー片付きましたんで、そちらにどうぞ」

「ああ」


 でもまあ掃除していなくとも、しっかりと職務を全うしてくれるなら、それでいい。

 でも……家事ができる男を、四名くらい雇おうかな。カミュに連絡を取れば手配してくれるかな。マルムグレーン大佐に相談してみよう。


「ん?」


 ソファーに腰を降ろしたら違和感が。背もたれの辺りになにかが詰まってる。なんだろう? 引きずりだしてみると名前が刺繍された布…………棒人間刺繍だが解読はできそうだ。

 Iと見間違いそうだが、これはきっとJ。

 アレリード軍曹の時にも見かけた三本線で構成されているA。

 谷の部分が深すぎるが、きっとこれはM。

 横の三本線の長さの不揃いさは胸をざわつかせてくれるE。

 棒人間刺繍最大の敵である曲線……を捨てきったデジタル時計の5になったS。

 惜しげもなく全て大文字だが、小文字は曲線が多いからな。


「おい。James(ジェームズ)のトランクスが出てきたぞ」

「すんません、隊長!」


 なんでお前たち、脱いだトランクスを思うがままに放置してるの?

 あとで捜さなければならなくなるから、面倒じゃない? 一箇所にまとめておけば、捜すのに手間暇が掛からなくて楽だろうに。

 そんなことを思っていたら、黒塗り箱型馬車が拠点前に到着。インバネスが特徴の軍服を着て、深めに軍帽を被ったマルムグレーン大佐がいらっしゃった。

 無表情を極めていて、かなり怖そうに見える。きっと何も知らなかったら、わたしも怖がるとは思う。

 室内を一瞥してから、


「イヴ・クローヴィス大尉。来い」

「はい」


 酒の空き瓶とトランクス(使用済み)を持った部下たちが「お疲れさまです。ご無事で」といった視線で見送ってくれた。

 心配するな。この憲兵大佐はなにも悪いことしないから。

 怒鳴られる予定もないし、怒鳴られても平気だし。

 むしろ、心配するな。お前たちに正直にこの立場を明かしていない自分の不実さを責められて辛い。

 無言のまま馬車に乗り込み、ドアが閉められ、馬車が動き出す ――


「久しぶり、大尉」

「はい、大佐」


 軍帽を脱いだマルムグレーン大佐は、先ほどまでの無表情とはがらりと変わり、人好きする笑顔を浮かべた。

 くっ、笑顔好みだわー。大佐の笑顔を見る度に、ナンパに引っかかったこと思い出すわー。


「本来なら、夕食前に返す予定だったのだが……大尉、あの拠点に泊まりたいか?」


 お気遣いありがとうございます。凄かったですよねー拠点。


「泊まりたいか? と聞かれましたら泊まりたくないと答えますが、泊まることに問題はありません」

「さすが職業軍人、大したものだ」

「ありがとうございます」

「これから向かうのは、手入れの行き届いた荘園領主邸(マナー・ハウス)だが、一泊するか? それとも帰って拠点で一泊するか?」

「帰ることができる時間でしたら、拠点に戻りたいです。荘園領主邸(マナー・ハウス)に一泊も魅力的ですが」


 片付けても微妙に汚さが残っているであろう拠点で過ごさせていただきます。わたしだけ快適でも駄目だし。なにより憲兵と消えて帰ってこないとか、あらぬ不安を生みそうだし。

 迂闊な行動で、マルムグレーン大佐の右肩潰されても困るしね。

 あれ? なんでキース中将、マルムグレーン大佐の脱臼癖が左肩だって知ってるんだ……軍高官というかトップだしね。知ってて当然か! マルムグレーン大佐とレオニードもそうだが、キース中将との関係もよく分からん! 分からなくていいけど。


「ついたぞ」


 荘園領主邸(マナー・ハウス)は拠点から馬車で三十分ほどのところにあった。

 ウィステリアが絡みついた重厚な石造りの邸。「うわ! でかい!」と言うほどではないが、大きなお屋敷ではある。ほら、閣下のお屋敷を見たあとでは、とても大きいとは言えないのです。


「まず昼食にしよう」

「はい」


 馬車から降りてそのまま食堂へと案内されたのだが、邸内は外観とは違い重厚さの欠片もない ―― 内装にお金かけたんだな……としみじみ言いたくなる、デコラディブなインテリアが。

 食堂もご多分に漏れず、大理石の床とシャンデリア、分厚い天板のテーブルに、光沢のある紫色の布が張られた、曲線の美しい椅子。

 貴族邸の食堂のテーブルといえば、細長いのが基本で、この邸のテーブルも当然その仕様だが、


「離れていると話しづらいから、いいだろう?」

「はい」


 細長いテーブルの長い面の中央で、テーブルを挟み互いに向かい合って座ることに。


「とりあえず、乾杯といこうか」


 そう言って、マルムグレーン大佐が白ワインをグラスに注いでくれたので、わたしも注ごうとしたのだが断られてしまった。


「大公妃殿下に酌なんぞさせられるか」

「現時点では大公妃殿下ではなく、大佐より階級も低いですし」


 酌をしたいわけではないのですが、されっぱなしというのも……もちろん、ご迷惑をおかけしないよう、酌はしませんでした。


「あまり堅苦しくない料理にした」


 テーブルに乗ったのは、様々な野菜を小さいさいの目切りにし、茹でて水気を切ったあとドレッシングで味付けし、それに四つ切りにしたゆで卵と細切りにした冷肉と海老を添えたサラダ ―― ドレッシングがしっかりと具材に馴染んでいるのもそうだが、ドレッシングの味がまろやかで美味しい。


「それは干し鱈のパルマンティエだそうだ」


 パルマンティエとはお洒落な名前ですね。料理はグラタン皿に干し鱈の水煮とじゃがいもが交互に重ねられ、ベシャメルソースにブイヨンを加えて煮詰め、グリュイエールチーズをすり下ろし、さらにバターを加えたモルネソースをかけてオーブンで焼いた、わたしからするとグラタンの一種的。干し鱈とじゃがいもってとても合いますね。


「そっちはブフ・ア・ラ・フィセルだそうだ」

「……?」 


 生まれて初めて聞く料理名だ。ちなみにご紹介にあずかった料理だが牛肉なのは分かる。レア感があってとても美味しそう。


「なにそれ? みたいな顔をされても困るが、牛肉をブイヨンで煮たものらしい。中心部がレアなのが正しい調理法だとか」


 他にも仔牛のブルジョワーズとか、鴨の蕪添え、うさぎの赤ワイン煮込、トマトと卵のオーブン焼き、野菜のジャルディニエールなど。

 デザートとしてディプロマット・オ・ラムという水とラム酒を混ぜ、ビスキュイを浸す。そしてシャルロット型にそのビスキュイとマーマレードを交互に重ね、最後に重しをして半日近くおいてから型を外し、クレーム・シャンティを添えたもの。ラム酒の風味とマーマレードの微かな苦みが凄くいい。

 またレモン味の冷えたムースも出された ―― 冷蔵庫はまだ一般的なものではないので、冷えたムースとか大金持ちの食べものなんだ! テンション上がるんだよ! ……などがテーブルには並んだ。

 どの料理も菓子も美味しいの一言に尽きる。

 もっと語彙を駆使して美味しさを語る……必要性もないので。


「食べながら聞いてくれ」

「はい、大佐」


 わたしは美味しい料理を食べながらマルムグレーン大佐のお話を聞くだけ ―― なんて良い仕事なんだ。

 ほくほくしながら牛肉を口に運んでいたら、マルムグレーン大佐が両手をテーブルについて頭を下げた。それこそテーブルにつくほどに。


「済まん、大尉」


 いきなりのことに、急いで牛肉を飲み込む。


「ど、どうしました? 大佐」

「大尉から借りたメダイを駄目にしてしまった」

「えっと……まずは顔を上げてください」

「本当に済まん」


 そう言ってマルムグレーン大佐はポケットから、首からさげるチェーンがついている、旅の守護聖人が刻まれたメダイを取り出し差し出してきた。

 それをわたしは受け取ったのだが、メダイの重みが増していた。


「あの……これ、弾丸で?」


 メダイは拳銃の弾丸を包み込むように曲がっている。


「ああ。ありがたく首から下げていたら、弾丸を防いでくれた。おそらくそれを身につけていなかったら、ここには居ないだろう」


 え? それって九死に一生を得たと言うヤツですか? 


「謝ることじゃありませんよ」

「だが」

「さすが閣下がお祈りを捧げてくださったメダイ、効果は抜群でしたね。本当にご無事でなによりです」


 座って肉を食っている場合ではない ―― わたしは立ち上がり手を差し出し握手を交わす。


「本当にご無事で良かった。メダイのことは気になさらないでください。むしろ命を救った奇跡のメダイになったんですから。大佐のお名前は出しませんが、自慢させてもらってもいいですか?」


 力なくわたしの手を握っていたマルムグレーン大佐でしたが、


「そう言ってもらえて良かった。自慢はまあ……キース閣下あたりで頼む」


 優しげな笑みを浮かべて、しっかりと握り返してくれました。それにしても、役立って良かった。もしかしてわたし、死亡フラグ折った? なんか、自分がすごい良い仕事した気持ちになったよ。実際仕事をしたのは、閣下が下さったメダイなんだが。

 ああ、でも、本当に良かった。


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