【018】少尉、もてなされる
オペラハウスを出てタクシー馬車を拾って閣下の邸へ。 貴族のお屋敷が建ち並ぶ……一軒一軒が大きすぎてあんま並んでいる感じはしないが、ガスの街路灯が並ぶ白い石畳が敷かれた道を行き、裏口で降り、門番に手紙と印章指輪を差し出す。
門番の一人が電話で邸内に来客を伝えるらしい。夜遅くまで仕事させて済みませんねえ、電話交換手さん。
「門番のヒルトマン曹長であります。訪問者は閣下の印章指輪と手紙を持った少尉です。蝋封の色は金ですね……はい。少尉殿のお名前は?」
「イヴ・クローヴィス」
「イヴ・クローヴィス少尉です。えっと……金髪で……瞳は暗くて……たしかに翠ですが。少尉殿ではありますが……若い少尉で……」
受話器の向こう側で「女か?」と聞いたのだろう。
ヒルトマン曹長の黒い瞳が、忙しなく動いている。詰め所にいる一等兵たちは、ヒルトマン曹長の困惑した態度を不思議そうに見ている。
ヒルトマン曹長を困らせるつもりはないので、ここは自分から女だと名乗……名乗ったところで、信じてもらえるかどうか。
受話器を持ったヒルトマン曹長が「え、これ、男じゃないの」という空気を隠しきれないでいる ―― 名前から判断できんじゃね? 残念ながらイヴって名前の男いるんだなあ、これが。
「あ、はい。背の高い少尉です。短髪で額に傷があるか?」
窓口のランタン近くに顔を寄せて、額の傷を指さしてやる。
「傷、たしかに確認しました。お通り下さい、クローヴィス少尉」
通して良いという指示が出たらしく、普通の家の扉サイズの使用人入り口のドアの鍵が開けられ、閂が外され中へと通された。
「しばらくお待ち下さい」
「分かった」
それにしても門番の詰め所に電話か。
効率的と言えば効率的だけど豪勢だ。当然自宅にも引いているのだから……この世界では電話は超高級品。個人宅に電話なんて、実家周辺では見たことなどない。独身寮には一台置かれているが、あれは基本、軍からの呼び出し用だからなあ。
「お乗りください」
待っていたら、邸内から迎えの馬車がきた。
いやいや、歩いて行けるし。
まあたしかに、馬車で行き来するような距離だけど、走れない距離じゃないから。
そうは思ったが、この馬車に乗っていかないと、入り口にたどり着けない可能性もあるので、黙って馬車に乗りこむ。
「こちらです」
馭者に案内され、使用人や業者の出入り口から入ると、従僕が出迎えてくれた。
「イヴ・クローヴィス少尉ですね」
「そうです」
門番から返してもらった手紙と印章指輪を差し出したが、受け取ってもらえなかった。
「それは執事に」
従僕の案内でキッチンや洗濯場など、日常空間部分が両サイドに広がる廊下を抜けた先は、王宮でした。
そして、出た! 執事だ!
深い紫色のジュストコール着用してるー。胸元を飾るクラヴァット、ベストに半ズボンに絹の靴下、そして男性用パンプス。格好が完全にブルボン王朝! この世界にはブルボン王朝はないけど。容姿より格好に目がいって仕方ない。そしてこの執事、全体的に似合ってる。
「お待ちしておりました、イヴ・クローヴィス少尉」
「どうも」
執事という役職の人と話したことないから、どうしていいものやら。
まずは手紙を差し出そうと思ったのだが、部屋に通されてしまった。
「お席にどうぞ」
一人がけのソファーに腰を下ろしてから、やっと閣下からの手紙と印章指輪を手渡せた。通された部屋は、貴族のお屋敷としては広くはないが、わたしが住んでいる独身寮の部屋より余裕で大きい。
「失礼します」
メイドがワゴンを押してやってきて、冷えたシャンパンとグラス、皿の上に上品に配置されたチーズを置いていった。
「どうぞ」
「小官はその……」
閣下の邸でシャンパン振る舞われるような客じゃないんで!
「少尉殿がお持ちになったこの手紙の封。この蝋封の色は、最上級のもてなしをせよという閣下よりの命なのでございます」
少佐! なんでその蝋を使った! でも、少佐が勝手に最上級のもてなし指示出すかなあ。でもあの時、とくに閣下はなにも言っていなかったから、少佐の独断?
「そうでしたか……なにかの間違いかと」
面白がってやったんだと思います。少佐ってそういう男だと思いますよ。
「そんなことはございませぬ。少尉殿は閣下の印章指輪をお持ちではありませんか。閣下が印章指輪を他人に預けるなど、まずございませぬ」
手紙だけでは性別不詳で邸に入れなさそうだったから、印章指輪もプラスしたんだと思うんだけど。
「そうですか。できればもてなしは、後回しにしていただけませんか? 小官は……」
もてなされるために来たんじゃないんです。
閣下のお写真についてうかがいたいのです。
幼年学校時代の写真を全て見せてくれと頼んだところ――
「なぜわたしは閣下の家で風呂に入っているのだろう……」
写真を揃えるのにかなり時間がかかるので「お泊まり下さい」と執事に言われた。
最初は断ったけど、写真についての説明なども含めると、かなり遅くなるのでと押し切られた。さすが良家の執事。押し強いわー。
わたしが使わせてもらっている浴室は夫人用。
字を”婦人”と間違っているのではなく、ほんとうに夫人用。
この邸には客人用、主人用、夫人用の風呂があるのだそうだ。もちろん召使い用もあるが、それはこの場合カウントしない。
それで客人用と主人用の風呂は使われるのだが、この邸には夫人がいないので使われない……いや、閣下は独身なんだから風呂そのもの潰せばいいのでは? と思ったが、執事さんの説明に口を挟みはしなかった。
きっと夫人がいなくとも、夫人用の風呂が邸に備わっていないと、貴族業界では困ることがあるんだろう。
長年使われていなかったというか、一度も使われたことのなかった夫人用の風呂だが、最近リフォームしたのだそうだ。
で、その風呂にどうぞと案内された。
なぜ案内されたかというと、夫人用の風呂は他の風呂に比べて大きめ。
客人用の風呂を見せてもらったが、夫人用よりは小さかった。でもそれ当たり前だよね、閣下の奥さま(存在しないが)のお風呂だ。邸ではNo.2の人が使うのだ、大きくて当たり前だ。
執事さんに「浴室が大きいほうが楽ですよ」と言われたが――客人用の風呂でも、わたしが足を伸ばしてつかれるほどの浴槽だったんだけど。貴族業界としては、わたしくらいの体格の人は、相当大きな風呂に案内しないと行けないという決まりでもあるんだろ。
その他わたしが頷いてしまった理由だが、夫人用の風呂にシャワーがついていて、その魅力に負けた。この世界でシャワーはかなり珍しい。
固定式なので持って体を流すということはできないが、なんと夫人用の風呂は、高さの違うシャワーが二つ。特に高い方のシャワーは、わたしが立って使用できるという位置にある。無駄に高い位置からシャワー! ……ああそうだ、閣下、背が高かった。多分閣下用だなこれ。
ちなみにかなり大きな浴槽は天然大理石。
壁は基本白タイルで、モザイクタイルが一列に並んでいる箇所が三段ほど。きっとお高いモザイクタイルだろう。
中庭に面した側は一面窓。夫人用なのにそれでいいのか? だが、中庭を挟んだ反対側は閣下の寝室なんだそうで、あとの二面は閣下のお部屋に繋がる廊下という、外部の者は基本立ち入ることのできない空間。
中庭にはガス灯が四本ほど立っており、柔らかな明かりを灯している。
お嫁さん、幸せだねえ……。閣下の浮いた話とか聞いたことないけどさ。そもそも、そんな噂の対象にならないけどね。それは専らキース少将のお仕事だけどさ。
ふわふわのタオルで体を拭き、用意されていたお仕着せ……真紅のジュストコールが。邸内にいる間だけだから気にしないでおこう。
男物の服だが、メイド服よりよほど建設的だ。個人的にはメイド服、着てみたいけどねー。入るサイズないだろうなあ。
「お似合いですよ、少尉殿」
「どうも」
自分でもジュストコールは似合ってると思う。似合い過ぎて、男装している感すらないのが恐い。
そして花で飾られている食堂へと連れて行かれ、そばに給仕が尽きっきりという状態で夕食を。
食前酒のシャンパン。もちろん銘柄とか年代とか説明されたが、申し訳ない給仕、小官には覚えられません。
前菜は白く四角いお皿に、スタイリッシュに花びらが散らされ、キャビアが入った器がぼんと乗せられている。
専用のスプーンで掬って食べるのだろうけれど……この量、全部食べちゃっていいのかなあ。でも食べないと進まないよなあ。
そしてコンソメスープ。
この世界には固形スープというものが存在しないので、コンソメスープは手間暇がかかる高級品。ちょっと信じられないくらい美味い。
鍋一杯食べたいくらい。これは美味いわー。閣下毎日これ食べてるのか。羨ましい。
危うくおかわりしそうになったが、なんとか平常心を取り戻す。
そして怖ろしいことに、焼きたてのパンが運ばれてきた。夜に焼きたてのパンとか、金持ちの証明。
籠に盛られたパンを指さすと、給仕がトングで皿へと。
大きいバターがそのまま入っているバターケース。
魚料理は白身魚のグリルに、同じく焼かれた野菜がたくさん乗せられて、それは見た目が華やか。
口直しに出てきた葡萄のソルベ。直さなくてもいいのですがと言いたいが、もちろん言わない。
普段なら一口でいける量だが、ここはね……。
そして肉料理。付け合わせの野菜の、人参やブロッコリーなど特に変わった野菜ではないのだが、味付けが良すぎて違う食い物かと。
肉? 上等だよ。口の中で溶けてなくなる系牛肉。
食後酒として白ワインが出され、ブルーチーズも。あまりブルーチーズは好きじゃないのだが、食べないと進まない。ワインとチーズの銘柄? ああ、どっちも名産地出身だったよ。
そして四種のミニケーキ。
口直しのソルベ同様、一口サイズ以下。むしろ四つ全部一緒に口に入るわー。もちろん分けて食べたけど。
そして最後にコーヒーを飲み――やっと閣下の幼年学校時代の写真のもとへ。
会いたかったですよ、閣下! 変な意味じゃなくてね!




