【178】隊長、三週間の出張任務につく
わたしはネクルチェンコ隊の三十名と従卒十名、その他大量の荷物と共に軍保養地にやってきた。
もちろん、わたしたちが保養するわけではない。そもそもこの保養地は将官専用 ―― キース中将が三週間の夏期休暇をここで過ごす。
わたしたちはキース中将の警護としてついて来たのだよ!
仕事ですよ、仕事。
ノーセロート軍は? オディロン襲撃事件は?
どちらも総司令官としての職務は終えているので、問題はないのだ。
三日前に勝利宣言を出したノーセロート軍は、まだ隣国でごちゃごちゃしていますが、我が国の方針は「ノーセロート、フォルズベーグのどちらであろうとも、国境越えてきたら躊躇わずに反撃しろ。新生ルース帝国を構成するルース人に関しては、排除命令継続だ」となっております。
キース中将よりこの命令を受けた、フォルズベーグとの国境を預かっている西方司令長官ヴァン・イェルム大佐はこの基本的な命令を遵守しつつ ―― あとはヴァン・イェルム大佐の裁量に任されております。
もちろん宣戦布告されたらキース中将の領分ですが。
中央司令部は室長が預かっています。
室長 兼 官房長官 兼 司令官代理とか、凄すぎるけど、室長にとっては特に難しいことではないのだろう。
引き継ぎした際「久しぶり、大尉。休暇を存分に楽しんじゃったよ。はい、お土産だよ」と、ブリタニアス産の焼き菓子を下さいましたが、きっと休暇楽しんでない。絶対諜報活動に勤しんでいたはず。
ちなみにブリタニアスの焼き菓子は不味かった。ちょっと吹き出すくらいに不味かった。
世間一般の認識では、あまり働かない室長 ―― その認識を維持すべく、きっと室長は仕事を部下たちに丸投げするスタイルを貫くことでしょう。
もっとも実働部隊はアーレルスマイアー大佐が指揮するので、特に問題はありません。一般兵の徴集準備も既に整っており、昨日発令されました。
これら徴集兵を統括するのはアーレルスマイアー大佐とニールセン少佐。収集された情報はシヒヴォネン少佐の元で分析されることになっているので、総司令官代理はきっと暇……と見せかけることができるはず。
わたしの勝手な思い込みかもしれないが、徴集兵の中にスパイがいないかどうか? 室長が確認するんだと思う。
室長はなにもしていないふりをして、きっと色々しているに違いない。
オディロン襲撃事件の後始末ですが、これは既に臨時政府のトップであり宗教側の代表者である閣下とキース中将の間で話がついているので、あとは下っ端が事件の調査をし報告を上げ、後片付けをしたりするだけなのです。
シャインマスカットを豪快に食べていた時点で、この事件におけるキース中将の仕事は終わってるんですよ。
細々とした実務的なことは、部下に任せるのが総司令官にして軍務大臣の仕事ってもんですよ。
そして休暇を取るも仕事のうち。
特に今年は冬期休暇は取れそうにないので、夏期休暇はしっかりと休まないといけません。みんなの手本になる人が休み取らないとか、許されないんですよ。
キース中将の休暇は三週間。
ちょうど九月が終わるまで ―― 閣下が想定しているノーセロート軍とレオニード率いる共産連邦軍の戦争開始時期に重なる。
きっと閣下の予想通りに進むんでしょうねー。
そういう事情により今年はきな臭いので、休暇は所在を明らかにし、すぐに連絡が付く場所で、身辺警護を伴う ―― 命令されたわけではなく、キース中将自らこの条件を付けて休暇を取った。
キース中将の夏期休暇はこの十年くらいは、国内外を問わず単身で登山をして過ごしている。
何処の山を登っているのかは知られておりません。キース中将大好きな同期からも、その情報は入手できませんでした。
女性陣が追っかけてきたら困るから、どの山を登っているのかを隠すのは当然だろう。
山を特定され追われたとしてもキース中将なら逃げ切れるだろうが、山中で撒いて追っかけが遭難したら大問題だからなー。
今年は誰にも告げずに、すぐに帰れない登山はできないので ―― 山歩きも好きらしく、今年の休暇中の拠点に選んだのは、白樺が生い茂った山々に囲まれ、目の前には国内最大の巨大な湖が広がる将官用の保養地だった。
山歩きや二泊程度の登山には最適な場所。
軍所有の将官用保養地というのは、もともと貴族専用。
その地に建てられている保養所も当然貴族仕様なので、広くて瀟洒な建物と勝景はセットになっているが、その分利便性が排除されているのも特徴。道はあるが舗装されてはおらず、急勾配なので現在の自動車では無理。
馬車やら驢馬車を用立てて、蹄の音と車軸の軋みを聞きながら物資を運び込むしかない ―― よくこんな不便なところに、部屋数三十五もある平屋建ての邸宅を建てたものだ。
建物はこの極寒の国と真向勝負なのか? そう問いかけたくなる大きな窓が特徴。
前世なら断熱性に優れた窓はあったが、この時代にそんな高性能な窓はない。
もっとも断熱性に優れていても、我が国の寒さを舐めてもらっては困るが……ま、夏しか使わない前提なんだろう。
湖側一面は大きな窓が壁代わり。たしかに大きな窓からのぞむことのできる、我が国最大の湖は見事なものだけどね。
もちろん夏しか使わない前提であろうこの保養所だが、暖炉は至る所にあり、陶器製のストーブも大量に用意されている。
山中なので夏の終わりともなれば、朝晩は冷えるからね。
本当に山は冷えるんだよ。家族で別荘地の別荘を借りて過ごしたことあるけど、初めての時は吃驚した。
この保養所は、我が家で過ごした別荘地よりも山深いし、標高それなりだから、かなり冷えることだろう。
そうは言ってもマイナス20℃までなら、特に問題はないけどね! 部下の隊員たちはどうか知らないが、マイナス10℃くらいなら余裕でしょう。
「隊長。物資の搬入、終わりました」
「ご苦労、ネクルチェンコ少尉」
幸いなことに使用人棟もあるので、わたしたち警備も滞在場所に困らない。
「では我々五名は麓の拠点に戻ります」
隊員三十名を連れてきたが、実際ここに滞在するのは二十五名。
ネクルチェンコ少尉と四名は、麓の村に作った拠点で待機している隊に「何ごともなかった」という報告と共に合流する。
麓待機部隊と保養所警備は一日四名ずつ交代 ―― 三日に一回とか交代期間を長めに設定して、おかしな事件に巻き込まれて連絡取れなくなったら困るし、毎日に麓の拠点に届く新聞や情報を届けてもらう必要もあるので。
ここに来るまで馬車で半日はかかるので結構手間だが、外界の情報を遮断するわけにはいかないので。
ネクルチェンコ小隊がキース中将の休暇三週間を全て担当するのではなく、一週間交替。
ユルハイネン隊だけは本部の日勤担当。粗ちん野郎が鬱陶しいわけではなく……全く鬱陶しくないと言えば嘘になるが、粗ちん野郎は小隊長の中で頭脳面ではもっとも優秀。とくに書類整理などの業務は得意。なんたって本来は軍官僚だから、政府機関の書類にも強い。
そっち方面の優秀さは、わたしだって足下にも及ばない。
というわけで、能力的に本部詰めに相応しく、オディロン襲撃事件でまだ傷が癒えきっていないだろうという、わたし的配慮です。
「ああ。気を付けてな」
「はい。隊長もお気を付け下さい。それでは。ニカノロフ、カムスキー、コレクチフニ、分かっているな」
ニカノロフ、カムスキー、コレクチフニはわたしと閣下の事情を知っている十一名のうちの三名で、彼らはネクルチェンコ少尉の言葉に頷く。彼らはわたしの警備。警備の警備って……と思うが、ここは大人しく警護対象になっておく。
ネクルチェンコ隊が帰ったらどうするの?
それですが親衛隊付きの従卒五名は室長の配下の方々で、彼らが頑張ってくれるらしい。
『従卒のエロネン、クーラ、ペフコネン、タッコ、トッリネンなんだけどさ、大尉が走ったら置き去りにされ、大尉が飛び越えられる距離の半分も飛び越えられなくて、射撃の腕なんか比べるまでもなく、乗馬とかされたら困り果てる程度だけど、なにかのお役には立てるとおもうので、そっちに送るね。クーラは料理作るの得意だから、なんでもリクエストしてね』
という手紙が、室長からいただいたブリタニアス土産の中に潜んでいた。
……うん、まあ、スパイって身体能力が優れている必要はないから、わたしに及ばなくても問題はない ――
「それにしても、最大で八人か……」
キース中将の警護であるわたしに警護が付くなど、本来ならあり得ない。
大事にされているのは分かるし、ありがたいと思うが、この状況はどうなんだろう? とも考えてしまう。
上手く言葉にできないのだが、仕事しないほうがいいのかな? と……感じることもある。わたしが仕事に邁進すればするほどに、警護が大変になるじゃないか。
でも警備の仕事は大変なら大変でやり甲斐があるから、対象は気を使う必要はないことは、わたし自身よく理解している。
キース中将に迷惑かけられても、とくに何も思わない。面倒な女性問題も一方的なものだということを知っているので、嫌じゃないし頑張れる。
でもなあ……。
かといって仕事を辞めたとしても、警備は付くだろうから、それなら仕事を続けていても同じでは? など、最近悩んでいるのです。
「クローヴィス大尉。キース閣下がお呼びです」
「分かった」
キース中将に相談すべきか……もう少し自分で悩んで、答えが出なかったら聞いてみよう。もちろん聞くとしても、キース中将の休暇が終わってからだ。休暇中、相談事なんて持ち込まない。現世の憂いを忘れて、是非ともリフレッシュしてください、キース中将。我ら親衛隊一同、気配を消してお守りいたしますので!




