【176】隊長、その場を立ち去る
夜勤明け ―― 総司令官室には関係のないデニスが、朝早くからやって来たと受付から連絡を受けた。
チェンバレン少尉の存在しない事件以降、関係者以外のフロアへの立ち入りは、更に厳しくなった。
あのチェンバレン少尉の事件だが、清掃員に成りすまし「本日は清掃員に休みが多いので、早めに掃除を開始したい」と言いフロアへ侵入した。
わたしの見落とし……というか、この時代ってあまり清掃員とかに注意を払っていないので、わりと簡単に入り込むことができるのだ。
社員証とかセキュリティコードとか顔認証システムとか、権限がないとそのフロアへは入れないのが普通の時代から比べたら、ゆるゆるなのがこの時代 ―― もっと機械的にやろうぜ! と思ったが、そもそもそんな機械がないので、そんなこと言っても通じない。
要するにキース中将の警備責任者たる、わたしの手抜かりだったわけです。
それを猛省し、反省文を書くと同時にモルゲンロートの金を使うことが出来るカミュに依頼して、清掃員の顔写真つき名簿と、同じく顔写真つきのカード証を作り、清掃員には仕事の際、必ず首から下げるよう指示を出し、受付はカード証と名簿と当人の顔を確認してから通すという仕組みにしました!
あと清掃員側の予定変更は一切認めないこと。
こちらから規定時間以外に清掃を依頼する場合、わたしとニールセン少佐のサイン入りの文書による命令となることなどを取り決めました。
またカード証はこのフロアの受付が管理し、朝に名簿の顔と確認して渡し、フロアの掃除が終わったら回収するという形に。
顔写真入りの名簿とカード証を作るのに、かなり金と時間は掛かりましたが、キース中将の貞操にはかえられない ―― あの時はボイスOFFの尊厳が危うくなっていたわけだが、普段はキース中将の貞操の危機だ。
デニスが朝早くにやってきた理由なのだが、継母とカリナが作った朝ご飯を持ってきた ―― デニスも食べていないので、開いて一緒に食べながら、訪れた理由を聞く。
「カリナが代書?」
「うん。本人やる気満々だし、出来ると思うんだけど、正式な代書屋じゃないから駄目なのかな? と思って。あとこれ契約書だよ」
デニスが言うには、カリナが利き腕を骨折したボイスOFFの、代書を務めると言いだしたのだそうだ。
オディロンの襲撃事件に関する報告書は、関わった全員が期限内に提出しなくてはならない。その期限は二週間以内。折れた腕の骨がくっつくのは無理だろうし、もしもくっついたとしても、まだ上手く手を動かすことは出来ない。
ボイスOFFは腕の骨を折ったので、報告書は代書を頼むしかないわけだ。
ただボイスOFFの懐具合は、かなり厳しいので、わたしが口述筆記してやるとは言っていた。
生理的に嫌いな声が語る言葉を、聞き逃すまいと耳を傾け口述筆記なんて、もちろんしたくはないが、これでも社会人ですのできっちりと仕事はしますし、部下のフォローも致します。大体、腕の骨折ったのわたしだから、そのくらいはしないとね。
「ウィルバシーとスタルッカの差の酷いこと」
その話を脇で聞いていたカリナが「カリナでも出来るよ! お手伝いするよ!」と申し出てくれたとのこと。
カリナは賢い子なので、ボイスOFFの言葉を書き取ることはできるだろう。
ただ年齢的にまだ十一歳なので、公的機関に提出する書類の代書をしていいものかどうか? ということで、デニスが契約書を持って聞きに来たのだ。
わたしが元いた時代なら頭から駄目だろうが、この時代は識字率の問題などもあり、十一歳でも文字が書けるのならいいのでは? となる可能性が高い。
わたしは父さんが作ったと思われる、ボイスOFFの代書契約書をキース中将に提出する。
「ウィルバシーとスタルッカが全くの別人なところが、本人だな」
キース中将も契約書のサインを見て、同じ感想を持ったようだ。
ボイスOFFは元は貴族の子息。細々とした書類作成仕事をすることはなく、決裁を下す立場 ―― 書類にサインをするだけでよく、そのサインは非常に重要なものであった。
そのため、優秀な貴族はサインだけは両手で書けるように練習している。
利き腕を負傷したウィルバシーだが、あいつは真面目なので左手でもWilbaseyは、利き手と変わらず美麗な文字で書けているのだが、貴族ではなくなってから名乗ることになったStarkkaはサインの練習をしていないので、生まれたての子鹿の足よりもぷるぷるした文字になっていた。
「契約書を新しくできるか?」
「それは簡単ですが」
我が家は士業ということもあり、そういうのは得意であります。
「規定の代書料金を支払う契約にしろ。料金はわたしが支払う」
カリナは「お手伝い」くらいのつもりらしく、料金は発生していなかった。
「いや……え」
「技術にはしっかりと料金を支払うべきだ」
「それでしたら、わたしが。妹にお小遣いとして支払います」
カリナの代書で良いのなら、わたしが払いますよ。
ボイスOFFの声を聞かなくていいのですから、お小遣い弾んじゃうよ!
「それは後でお前が奢るなりなんなりしてやれ。この代書はわたしが契約する。デニス・ヤンソン・クローヴィス准尉」
「はい、閣下」
我関せずで朝食を取っていたデニスは、キース中将に声を掛けられ、急いで立ち上がり敬礼する。
「新しい契約書を明日、受付に提出を。代書料金の相場は、卿らの父親なら分かるだろうから、それは任せる」
「はい、畏まりました」
カリナに何で代書をしようかと思ったのか? 尋ねたところ「姉ちゃんの活躍を聞かせてもらえるから」という返事が。
わたしの妹が可愛い ―― でも姉ちゃん、カリナを楽しませることができるような活躍はしていないよ。
翌々日、日勤の仕事へと向かう ――
「閣下直々に依頼された仕事ということで、張り切っております」
「そうか」
偉い人と仕事の契約を結び料金を受け取ることに、カリナは若干興奮気味。まあ良い経験になるだろう。
その偉い人ことキース中将は、現在礼服に着替えている。
わたしは礼服を着用して、登庁いたしました。
「隊長、準備整いました」
準備が整ったと伝えにきた隊員も礼服姿だ。
「分かった。閣下、参りましょう」
袖口を触っていたキース中将が頷き、わたしたちは先の事件で非業の死を遂げた軍人三名の葬儀に参列する。
通常であれば彼らは軍葬扱いにはならないのだが、犯人を罰することができないなどの事情から、軍と国のほうで”これで溜飲を下げてくれ”的な意味を含んでいる。
もちろん家族の溜飲は下がりはしないのだが、犯人が枢機卿の息子であることは伝わっているので、どうすることも出来ないことは遺族側も分かっている。
北国の夏が終わるのは早い。
九月の初めの青空の下、降り注ぐ日差しは既に秋を感じさせる。
わたしたち親衛隊隊員は騎馬で、キース中将は副官のリーツマン中尉と共に馬車で葬儀会場へ。葬儀は白い墓標が規則的に、気が遠くなりそうなほど並ぶ軍人墓地にて執り行われる ―― 柩を埋葬する穴は掘り終わり、三人の親族たちがハンカチを手に泣いていた。
下馬し隊員五名と馭者に馬と馬車の警備を任せ、十名を伴いわたしはキース中将に従う。
弔砲用の大砲も弔銃を撃つ兵士も既に揃っている。
キース中将はサーベルを外して、用意されていた椅子に腰を降ろし、サーベルを体の正面に立たせ、柄に黒い手袋を嵌めている両手を乗せた。
亡くなった三名 ――
巡回中に首を折られたのはトゥオミ一等兵とフルメリンタ一等兵。年はどちらも二十七歳だったそうだ。
二人ともまだ独身とのこと。
そして、何が起こったのか分からぬまま死亡したであろうコールハース少佐は五十四歳。一年後には退役している筈だった。
コールハース少佐の娘さん ―― わたしよりは年上ですが、三人目の子供を妊娠中とのこと。
上の二人は女の子で、コールハース少佐はお孫さんをとても可愛がっており、三人目の孫も楽しみにしていたそうだ。
青地に白の国旗が掛けられた柩が、軍人たちにより運ばれてきて葬儀が始まる。
わたしは葬儀に参列しているが、主たる理由はキース中将の護衛なので、死者に敬意を払えど、意識は葬儀ではなく周囲に向いている。
三人は殉死なので二階級特進となり、トゥオミ兵長、フルメリンタ兵長、コールハース大佐となる。それに何の意味があるのか? 泣き崩れている家族を見る分には、なんの意味もないだろう。
ロープを使い柩を墓穴へと降ろし、家族がスコップを持ち土をかける。
「じいじ、もうすぐお仕事終わるって言ってたよ。ずっとお家に居るから、これからいっぱい遊んでくれるって言ってたの。だから埋めるのやめて。お家に一緒に帰るんだから。ねえ、ママ」
大きな目に涙を浮かべたコールハース大佐のお孫さんの言葉に、スコップを持っていた親族の手が止まる ――
退役したら家族と過ごす予定だったんだろうなあ。
話を聞くと、出世とは無縁な穏やかな人で、キース中将が士官学校に入学したころ教官を務めていたとか。
「じいじ、遊ぶって約束したのに! なんで! なんで!」
上の子につられて下の子も泣きだし、ついには母親である娘さんが地面に崩れた。夫が抱き起こすけど……今日もいい悪夢が見られそうだ。
「隊長」
馬を任せていた隊員が駆け寄ってきて、わたしにメモを差し出す。
書かれていたのは ――
わたしは椅子に座り微動だにしないキース中将の耳元に囁く。
「閣下、ノーセロート軍が勝利宣言を出したそうです」
葬儀の間、全く動かなかったキース中将がこちらを向き、
「そうか。本部に戻るぞ、クローヴィス」
「御意」
わたしたちは遺族に礼をして、その場を立ち去った。
九月の初旬、隣国フォルズベーグの戦争は、一旦終結した ―― もっとも「何が」「どのように」終結したのかは分からない。




