【171】隊長、育ちを実感する
昼餐は終盤、デザートタイムになりました。
両閣下のデザートもシャインマスカット一房です。
「そうやって食べると美味しいのか?」
皮ごとシャインマスカットを食べているわたしとキース中将に、閣下が尋ねてきた。そんな閣下の手にはナイフとフォーク。そして脇には家令のスパーダさん。
「正直に申しまして、その食べ方よりは遙かに美味しいですよ、主席宰相閣下」
キース中将の前にはデザート用のナイフとフォークがあるのだが、使わないで食べている。きっともっと改まった場所ならキース中将もナイフとフォークで食べるんだろうなあ。
……って、聖王筆頭候補にして枢機卿である閣下の御前以上に改まった場って何処? ……キース中将は葡萄にナイフとフォークは使わないんだろう。
「そうであろうな」
スパーダさんは慣れた手つきでシャインマスカットの皮を剥き、閣下の前に置かれている皿に乗せ、閣下はそれをナイフで切り分けて半分ずつ口に運ばれる。それがあまりにも自然で、わたしは閣下のお育ちの良さを目の当たりにして、ちょっと震える。
「わたしは葡萄の生食は嫌いでな」
「その食べ方をしていたら、嫌いになるのも分かりますな」
スパーダさん、皮を剥くのお上手なんですが、果汁が溢れてしまうのはどうすることもできません。
「閣下もそのまま食べてみてはいかがですか?」
給仕を脇において、皮を剥かせてナイフとフォークで食べるより、ずっと簡単ですよ。
「そのままか」
「閣下、皮を食べるのに抵抗がおありでしたら、中身だけを吸えば良いのでは?」
「中身を吸う……か」
スパーダさんが一粒ちぎり、閣下の手に乗せ……閣下がすっごい難しい顔に。
きっと葡萄は給仕が皮を剥いて差し出すものという認識しかないのでしょう。
さりげない場面で顔を覗かせる、閣下の高貴さに本格的に震えが! ……と言っている場合ではなく、ここはお手伝いするべきでは?
実はわたし、葡萄を食べさせるのは得意なんだ。
「閣下、よろしければわたしが押し出しますよ。妹が幼い頃、よく食べさせておりましたので」
シャインマスカットのような高級種ではありませんが、普通の葡萄をカリナに食べさせていたのです。
カリナは葡萄が好きで、中身を吸ったあとも、しばらくちゅーちゅー果汁を吸っていた。可愛かったなあ、あの頃のカリナ。もちろん、今でも可愛いんですけどね。我が家のお姫さまですけれどね。
「わたしがつまむようにして押し出しますので、閣下は吸い過ぎないようにお気を付けください。あと中身が口内に入ったあとも、少し皮を吸うと、果汁を楽しむことができます」
「では試してみるか」
閣下のお口に軽く押し込み、きゅっ! と押して ――
「いかがでした? 閣下」
「中々に美味だな。皮ごとも食べてみたいので、口に入れてくれるか?」
「はい」
言われるがままに一粒を閣下のお口に入れたのだが、そのまま食べるなら別にわたしがしなくても……。
「こちらの食べ方のほうが美味いぞ、スパーダよ」
「妃殿下手ずから、閣下のお口に運んでくださったものでございますよ。美味しくて当然ではございませぬか。ご自分で一粒お食べください。きっとわたしが皮を剥いたものと、味は変わりませぬよ」
スパーダさんにそう言われた閣下は、先ほど渡されていた一粒を口へ。その仕草も気品に溢れていた。やっぱりさりげないところで、育ちの良さが出るというか、隠しきれないといいますか、溢れだしているというか。
「そうだな」
こんな感じになりましたが、閣下とキース中将の昼餐が終わり、高度に政治的部分では決着がついた模様です。
なんで両閣下で政治的に決着がつくのか?
それは政府の代表がキース中将で、聖職者の代表が閣下だからです。
本当は政府のトップである主席宰相が聖職者側と会談すべきなのですが、我が国は政府代表の主席宰相が閣下なので、それ以外の人と会談しなくてはならないのですよ。
で、軍がもっとも被害を被ったので、軍務大臣との会談が妥当ということになり、軍務大臣でもあるキース中将と会談し、話が纏まったのです。
前世の記憶で文民統制がちらつくわたしですが、この世界では軍人じゃない軍務大臣なんて居ない。
さらにうっすらとした記憶ですが、前世も百年遡れば、軍人が大臣やってた記憶が。
そんなわけでキース中将は司令官として、また軍務大臣としてのキャリアを容赦なく積んでいる。
……着々と、キース中将大統領就任への道が敷かれてるなあ。
かなり離れたところで、閣下とお話をしているキース中将を眺めながら「将来の大統領、頑張ってください。応援します」と思う次第 ―― 護衛のくせに離れている理由ですが、高度に政治的なお話があるので、離れているようにと言われたのです。
笑いながら緋色の衣を纏った枢機卿に軽く蹴りを入れる高度なお話ってなに? と思うのですが、閣下も笑っていらっしゃるので、高度な所で決着がついたのだと思います。
話が終わった両閣下がこちらへやって来た。
「騒ぎに巻き込んでしまって済まなかったな大尉」
「いいえ。おかげで閣下とお食事をご一緒することができたので」
「大尉は優しいな。そんなことを言われたら、ロドリックに与える罰を更に重くしたくなるではないか」
「そこで軽くしないあたりが、さすが支配者ですな」
ええー! ロドリックさん、罰を受けるのですか?
「そんな心配そうな表情を浮かべなくても良い」
「あ、はい」
「あの藪の見立てでは、痣だけで特に身体に異常はないそうだが、心配なので痣が消えるまで毎日朝夕、あの藪の診察を受けてくれないか」
「ふぁ?」
「大尉の自宅に往診させる。ご両親の前で診察し、その日の体調をご報告させていただく」
「あ、あう」
「主席宰相閣下、痣が消えるまでは長すぎかと。血尿がなくなるまでが妥当では」
キース中将の助け船が、助け船なのかどうか、いまいち微妙。
「そうか……だが」
「毎日の検診に慣らしたい気持ちは分かりますが、クローヴィスは庶民ですのでかえって負担になるでしょう。クローヴィス”?”って顔しているが、陛下が王弟だった頃、毎日専属医が体調を確認していただろう。主席宰相閣下と結婚したら、お前も毎日アレをしなくてはならない」
「は、はあ……」
「慣らしだと思って、一週間程度我慢しろ。主席宰相閣下もそれでよろしいですね」
「あの藪が異常なしと判断したら、一応信じようではないか」
わたし一週間、朝晩採尿されるのかー。お世話になりますシュレーディンガー博士。というか博士と呼ばれる程の人に、毎日往診してもらうというのはどうなんだろう?と思うのですが……
「シュレーディンガーは暇なので、気にしなくてよいのだ大尉」
「分かりました……あの閣下、厚かましいのですがお願いがあるのです」
博士がなんで暇なのかとか、そういうのはわたしには関係ないので置いておいて、
「なんだ? 大尉」
「残ったマカロンとシャインマスカット一房、頂けないでしょうか?」
お持ち帰りを頼む。
きっと聞いてもらえると思うけどねー。高貴な人の料理の残りは与えられる、これこの世界の常識。食べ残しが捨てられるなんてことはない。
だから高貴な人は下さいと言えば下さるはず。
「それは全く問題はないが、用途を教えてくれるか?」
「マカロンは自宅に、シャインマスカットは病院に。二三粒は自宅に持ち帰る予定です」
キース中将はこれから入院している兵士たちの見舞いに向かうので ―― シャインマスカット一房を見舞いとしておいてこようと。自分で買って持っていけ? 買えるなら買うけどさ、シャインマスカットって、一見さんお断りな高級果物店にしか置いていないので、買いに行けないのだよ。
庶民はショーウィンドウに飾られているシャインマスカットを見て、値段を見て去るのが基本。
わたしはこれでも高給取りなので、金額的には買えるが、高級果物店への伝手……もない訳じゃないけれど、わざわざ父さんに頼むのも気が引けるので。
「大尉」
「はい」
「シャインマスカットはご家族分届けよう。マカロンに手を付けなかったのは、妹御へのお土産にしたいからのようだが、それも予備はいくらでもある。それと入院している二十七名の元に一房では、二十六名の入院が延びることになるであろう」
「?」
なぜ入院が延びるのだろう?
「お前みたいな裕福で育ちの良い娘には分からないだろうが、食い物というのは取り合いになるぞ、クローヴィス。それも入院しているのは全員男だ、馬鹿みたいな奪い合いが発生した結果、入院している二十六人が外傷を増やすな」
ちなみにシャインマスカット争奪戦に関わらず、怪我をしないのはボイスOFFだけだそうです。ああ、あいつ育ちいいですからね ―― ということで、閣下が六房も持たせてくださいました。まあ、これでも争いになる可能性があるそうですが。いや、まさか、そんなことが起こるなんて……ないよね。




