【170】隊長、上官に親族役を務めてもらう
「大尉に怪我はないのだな? シュレーディンガー」
「それはもう。どちらかというと、怪我はロドリック卿のほうが」
「あれは怪我とは言わぬ。自業自得だ」
「あ、はい。そうでございますね」
わたしが怪我をしていないかどうか? シュレーディンガー博士に診察するよう閣下が命じられた。
博士はバイエラントで落馬した際に、わたしを診察した医師以上に「なにを診ろとおっしゃるのですか」な空気を漂わせていたが、ご命令には逆らえないのである。
わたし自身、どこも痛くはないです ――
博士の診察が終わり服を着て、目覚めた時に食べるようにと用意された軽食は、両閣下が昼餐を取っていた部屋へと運び込まれ、そこで一緒に食べることになった。
「本当に良いのか?」
「はい!」
閣下がコース料理を出すと仰ってくれたのですが、わたしとしてはこの軽食も楽しみだったのでご遠慮させていただいた。
ちなみに他の隊員たちには、厚さが1.5cmもあるローストビーフのサンドイッチとのこと。もちろん食い放題 ―― サーモンがソウルフードの我々ですが、肉も大好きです。きっと隊員たち遠慮なく食ってるんだろうなー。わたしが隊員の立場だったら「リリエンタール閣下お金持ちだからいいよねー」で容赦なく食べる。
そんな部下たちの昼食について報告を受けたわたしは、自家製と思しき美味しいハムと、味の濃いアスパラガスのケーク・サレを食べている。
「二、三日は安静になさったほうが良いかと」
するとシュレーディンガー博士に連れられ、わたしがぶちのめしたロドリックさんが、腹を押さえて現れた。顔色はすこぶる悪いです。理由は間違いなくわたし! でも謝らない!
「そうか」
シュレーディンガー博士の診察結果を聞いた閣下は、ロドリックさんを一瞥なさった。
「朕は段取りを考えていたのだ。貴様が台無しにしてくれたがな、ロドリック」
我関せずみたいな表情で魚料理を口へと運んでいたキース中将が手を止め、閣下のほうを見た。……が、尋ねはしなかった。
「キース」
「なんでしょう? 主席宰相閣下」
「ロドリックのせいで計画が狂ったので、ここでお前に大尉の親族役を務めて欲しい」
「分かりました」
キース中将が親族役ってどういうことなんだろう?
「大尉。本来であれば、大尉の家族を招き、式を挙げるために訪れたイヴァーノ、国王ガイドリクスを交え話そうと思っていたのだ」
うちの両親は分かるんですけど、陛下と枢機卿も臨席とは?
「念のために聞くが、キースと大尉は、わたしの母方の血筋に関して詳しく知っているか?」
「具体的には?」
「わたしの外高祖父」
閣下の母方の高祖父? 高祖父ってことは五代遡るってことだよね……出てこないー。不勉強の謗りは甘んじて……だが、ルース帝室の家系図って、国が滅んだこともあり、簡単に手に入らないんだよ。
図書館に通って調べる……ルース帝室の家系図なんて、図書館にあるか? 外務省とかそういうところか?
「存じませんな。クローヴィスはなにか知っているか?」
「存じ上げません」
閣下のことなので興味はあるのだが、閣下のお母さんがルース皇女で、祖父がルース皇帝くらいしか知らない。
それ以前って、庶民の感覚だと必要ないじゃない。
曾爺さんより前の血筋に拘るとか名門がするこ……ああー閣下名門のお生まれだったわー。
庶民のわたしには、馴染みないわ。
「わたしの母方の血を五代遡ると聖王に連なるのだ」
「はぁ?」
キース中将が喧嘩腰みたいな感じの声を上げた。
わたし? ああ、声なんて出ませんわ。
聖王とは ―― わたしたちが奉じている宗教では、開祖である神の子が没した土地を「終末聖地」として尊んでいる。
その神の子が没した土地を当時治めていたのがキスクス族で、聖王とは神の子自らの洗礼を受けた最後のキスクス族長の子孫のことを指し、終末聖地を守護する役割を担っている。
聖王猊下と呼ばれ、教皇猊下と共に宗教界のトップに君臨しているんだ。
独身が必須で枢機卿による選挙によって選ばれる教皇とは違い、聖王はその血筋で受け継がれる。
大陸でもっとも長く続いている家で、現在はフランキスクス五十七世が、神聖帝国とノーセロート帝国の境にある、面積としてはほんの僅かながら、不可侵である終末聖地を治めていることは、基礎学校入学前の幼子でも教会で神父さまの説法で知っているほど。
「そのロドリックは、現聖王フランキスクス五十七世の私生児だ」
ぶおぁ! 聖王の息子さんぶん殴っちゃったー。ひぃぃぃ……。
「ロドリック卿は、クローヴィスに何を言おうとしたのですかな? 庶民ゆえ、身をひけと命じるおつもりだったのでしょうかね」
キース中将の声が冷たい。
そして気にせずに魚料理を切り分けて口へと運ばれる。
「そうなのか? ロドリック」
「いい……うっ……」
閣下の問いに答えようとしたロドリックさんは、言い切る前に痛みのあまりうめき声を……申し訳ない。だが反省はしていない!
「主席宰相閣下はご存じなのでしょう?」
「どうかな。人の心の内側というものは、複雑ゆえなあ」
「面白いことを仰る。それで、本当のところは?」
キース中将は自分のコップに自分で水を注ぎ、煽るかのように飲み干した。
「わたしにフランキスクス五十八世を継ぐよう、大尉に説得して欲しいと頼もうとした……のであろう? ロドリック」
痛そうに腹を押さえたまま、ロドリックさんは頷いた。
「やはりそちらでしたか。主席宰相閣下、あなたも大変ですな」
「まあな」
「それにしても、かなり遠い血ですよね」
「そうだ。だがこれほど遠い血に頼らなくてはならない程の状態になっているのだ。現聖王も妃との間に子供はいない」
でも余所の女性との間にはお子さんいらっしゃるんですねー。
オディロンの父親である枢機卿といい、ロドリックさんの父親である聖王といい……何も言いませんけれど、イラッとはしますね!
「聖王猊下は離婚も再婚も許されておりませんから、主席宰相閣下にまで地位がまわってくるのは分かりますが」
もともと宗教の教義は離婚も再婚も許されてはいない ―― が、現実には色々あるので、離婚とか再婚は一般的になってきているが、聖王はそれが許されていないのだ。
それを頑なに守っているからこそ、終末聖地を守ることを許され、聖王という称号を受けられるのだけれども。
ちなみに離婚も再婚もいかなる理由でも許されていない。なので跡取りを得られぬまま、妻が病死したり事故死したりしても、聖王が再婚することはできない。
一度結婚したら絶対に添い遂げなくてはならないのだ。
「他の王家などどうでも良いが、聖地関連の話は避けては通れぬゆえ、機会をつくりきっちりと話す予定だったのだ」
ローストビーフをもっしゃもっしゃしながら、両閣下のお話を聞いているわたし。閣下と結婚するので、当事者といえば当事者なんですが、雲の上の話を通り越した、神世界のお話になってしまっているので、ローストビーフをもっしゃもっしゃすることしかできないのです。
正直に言うとオディロンと殴り合っていた時のほうが、気持ちは楽ですね。
「たしかに正式な場を設けて話すべき、重要な事柄ですな。我が国としても聖妃台下を出すとなれば、それなりに準備が必要ですし。どこかの誰かは、寝所に忍び込んで頼めばどうにかなると考え実行したようですが、あなたに即位を促せる唯一の存在の寝所に忍び込んだら、どうなるかくらい分かるようなものですけれど」
運ばれてきた肉料理を前に、キース中将は頬杖をつきロドリックさんを見ている。
「全くだ。ロドリック、朕はお前の希望くらい理解している。だが朕がそれを叶えようが叶えまいが、お前には関係のないことだ。それはさておき、男というものはな、愛した女の寝息を余所の男に聞かせたくはないのだ。大尉の甘やかな寝息を聞けるのは朕だけだ」
大丈夫です閣下。寝室のドアを開けられた時点で目を覚ましていたので、寝息は聞かれておりません! オレンジパウンドケーキ美味しいー。
「朕の妃を使って陳情するな。ロドリック、お前はこの言葉の意味を取り違えているようだな。朕に直接言えぬ事柄を、妃を通し伝えようとする。その行為のどこを朕が不快に思っているのか? それは、朕に隠れて妃と会話をしている、その一点が不愉快なのだ。朕の目を盗み、朕の妃とやり取りをする。それが朕にとってどれほど不愉快か、お前には分からぬであろうが、今の朕はお前をオディロンに殴り殺させたいほどに怒りを覚えている。妃を通した陳情は一切受けぬ。その真の意味、分かったかロドリック」
「御意」
ロドリックさんは「御意」と言いながら両膝をついた ―― 礼を取り跪いたのか、腹が痛くて膝から崩れ落ちたのか、ちょっと判別つきません。
聖王関連の話は、すぐに結論を出せることではないので、
「当面はキースと話し合って、考えてみてくれ。無論、時期を見て大尉のご両親ともお話させていただく」
「大事な部下ですので、クローヴィスの相談には乗ります。主席宰相閣下の仰る”考え”とは最終的に、聖妃になってもいいか、それともなりたくはないか、を決めることでよろしいのですか?」
「そうなるな」
キース中将が相談に乗ってくれることに。お忙しいのに済みません。




