【017】少尉、史料編纂室室長主任補佐になる
「姉さん。これは最近流行の加工写真ってやつ?」
反応がおかしい。喜べとか狂喜しろとかじゃなくて、加工写真?
いやいや、たしかにその風景だったよ。
「いいや。そんなことはない。インタバーグから共産連邦へと続く、使われなくなった線路の写真だ」
「おかしいなあ」
「なにがだ?」
義理弟は自室から、線路大百科なるものを持ってきた。
蒸気機関車大百科ならまだ分かるけど、線路の大百科って……義理弟よ……。
「姉さんが言ってるのは、この線路だよね」
義理弟が開き指さした先には古い写真。だが風景はたしかに見覚えがある。
男爵邸が建つ丘から見下ろした、共産連邦の領土。
「この写真が撮られたのはルース帝国時代の中期。いや、中期といっても末期に差し掛かるくらい。そのくらいの時期なんだけどさ、この軌間をよく見て」
脇で聞いている異母妹がぽかんとした表情で「きかん?」と呟いている――軌間というのは、鉄道の線路を構成する左右の軌条の間隔のことだと教えたいが、きっと「軌条ってなに?」と質問が続くので、今回は鈍感難聴になったふりをする。
あとで義理弟に聞くのでは?
聞くわけないだろ。義理弟に聞いたら、説明止まらないんだから。
「デニス、ちょっと姉さん分からない」
「そう? 一目で分かると思うんだけど」
汽笛だけで蒸気機関車の型を判別できる男と一緒にするな!
「姉さんが撮影してきた線路の軌間は標準軌。でも旧帝国の軌間は、ルース軌という旧帝国特有の軌で、標準軌よりも幅が広いんだ。それに旧帝国は牛頭軌条。うちの国は橋型軌条。この写真に写っているのは、間違いなく橋型軌条。共産連邦になっても、軌条の種類は変わっていないはず。だって帝国時代、線路はすでに総延長五万キロメートル近くあったんだ。体制が変わったからって、軌条を変えるようなことはしないだろ。もしも変更になっていたとしても、ここがインタバーグだとしたら、わざわざ変更したりはしないはずだよ」
話を聞いていたアレリード曹長が息を飲む。
そりゃそうだ……軌条変更が本当なら、侵略準備だ。
「デニス……間違いないか?」
「うん。自信を持って言えるし、整備士のみんなに見せても、同じこと言うよ……えっと、これ……加工写真っていうヤツじゃないの?」
「加工をする必要性がない。これ、お前のプレゼント用に撮影させたやつだからな」
「……」
「写真に写っている範囲、全て標準軌で橋型軌条か?」
「断言できるよ」
鉄道マニア、万歳! ……とも言っていられない。
「デニス、この線路大百科貸してくれ。そして、いまの会話は絶対に口外しないでくれ。下手をしたら共産連邦と戦争になる」
カリナが大きく震えた。
そりゃそうだ。
「アレリード曹長、至急上層部に。出来るなら少佐に」
「分かりました。少尉が逃走し、捕らえたので指示を仰ぎたいと連絡します」
家族にお小遣いを渡して、急ぎ実家を出て ―― オルフハード少佐から、オペラハウスに連行するよう命令が下ったと、アレリード曹長が笑顔で伝えてくれた。
「はははー実は嘘なんですー。驚きましたかー少佐」
軽い気持ちで茶化しながら、所定の部屋の扉を開けた所、リリエンタール閣下までいらっしゃった。
やっちまったよ!
「少尉」
だがここは気を取り直し ――
「閣下、こちらをご覧ください」
弁明一切なしで、線路大百科を開く。
「少尉の弟は、鉄道好きだったな」
リリエンタール閣下にまでデニスの趣味が伝わっている!
「好きなどという表現では済まないほどです、閣下。そしてその弟が申しますには――」
デニスから聞いた話をそのまま伝える。
「閣下……これは」
さすがにオルフハード少佐も声を失ったっぽい。
そりゃそうだ、見える範囲ではあるが、北の線路がいつの間にか我が国と同じ線路になってるんだから。
これ共産連邦が線路を替えたのだとしたら、この線路を走る蒸気機関車も量産されて ―― 我が国への侵略フラグ。
ないとは思いたいが、我が国の一部が勝手に国境をこえて線路を変え、共産連邦へと攻め入ろうとしているのなら、共産連邦に見つかった瞬間に開戦フラグ。
侵略フラグなら各国に助けを求めること出来るけど、開戦フラグは自業自得として助け求めてもスルーされるわ! いや、勢いに乗った共産連邦が恐いので、助けてくれるとは思うけど……。
「クローヴィス少尉」
「はい、閣下」
「この写真と本を預からせてもらう」
「写真はよろしいのですが、本は弟の大事なものなので、ことが終わりましたら返していただけますと」
「分かっている。早急にこれと同じものを用意し返却する」
「ありがとうございます」
お前の大事な大百科は守ったぞ、デニス。
「クローヴィス少尉、自宅待機は解除だ。そして期間限定で、史料編纂室室長主任補佐を命ずる」
史料編纂室ってあの閑職部署ですか。遅刻や無断欠勤しても、咎められず、昼寝していてもいいという、あの閑職左遷部署ですか!
「小官はそこで何を調査すればよろしいのでしょうか?」
「人探しをしたいとオルフハードから聞いている」
「あ、はい」
閣下になぜお知らせしたのだ、オルフハード少佐。
「史料編纂室は閑職、左遷部署と言われているが、実は諜報部の隠れ蓑でな」
また聞いちゃいけないこと聞かされているよ、わたし。
遅刻とか無断欠勤は諜報活動中ってことか。
そっか、家族にも諜報部所属とは明かせないけれど、史料編纂室所属は言えるもんなあ。
「そうでしたか」
「無害な部署、あるいは無駄なことをする部署と浸透しているので、多少おかしなことを調べても誰も気にしない。とくに少尉のように、一時的に史料編纂室に預けられた士官が、訳の分からないことを調べていても、上司からの命にしたがっているのだろうとしか思われぬ。裁判記録なども見放題だ。うまく活用し、結果を出せ」
閣下に結果を出せって言われると、プレッシャーがすごいです。
「御意」
「アレリード曹長」
「はっ! 閣下」
「イヴ・クローヴィス少尉の見張りの任を解く」
わたしは半日で監視対象ではなくなり、史料編纂室にて、気になっているセシリア・プルック殺害と、彼女にまつわることを調べることに。
あ、そうだ……
「閣下、少しだけお時間をいただけますでしょうか?」
「なんだ? クローヴィス少尉」
「経緯は長くなるので省きますが、閣下の幼年学校時代の写真というものは、簡単に手に入るのでしょうか?」
SNSに気軽にアップできるような前世とは違い、この時代はまるで関係のない人間の写真など、簡単に入手できない。
「幼年学校時代の写真? 学年は?」
「学年までは分かりませんでした」
オルフハード少佐が閣下の前にさっと用箋を置き、万年筆を渡す。
さっと二行ほどの短文を認めると、少佐が蝋封の準備に取りかかり――閣下が小指の印章指輪を外された。
慣れた手つきで少佐は蝋封をする。さすが自称懐刀。
「クローヴィス少尉、これと手紙を持ち、ただちにわたしの邸へ行き写真を探し出せ」
手紙に外した印章指輪を乗せ、差し出された。
「あの」
「自分の写真が見ず知らずの人間の手元にあるというのは、いい気はしない。わたしとしても経緯は知りたいが、その余裕もないのでな」
死んだセシリアの身になって考えていたが、勝手にダイイングメッセージにされた写真の主って嫌だよなあ。
閣下はそう仰り、写真と路線大百科を持ったオルフハード少佐をともない部屋を出ていかれた。そして曹長も。
「それではクローヴィス少尉、失礼いたします」
「短い間だったが、世話になった、アレリード曹長」
監視最短記録じゃないか?
「機会がありましたら、またご一緒しましょう」
「ああ」
アレリード曹長の人柄はよかったが、あまり憲兵とはご一緒したくない。
これから諜報部に行くんだよなあ。憲兵のほうが幾分マシか? 諜報部員のほうが……どちらも同じか。




