【168】隊長、眠ることを命じられる
本日はキース中将のお供で閣下がいらっしゃるベルバリアス宮殿へ。
キース中将クラスともなれば、枢機卿の息子に関しても情報開示があるのでしょう。
「お前と言うヤツは」
馬車内でわたしはキース中将に説教……ではないのですが、圧をかけられております。
こうなることは分かっていたので、同乗せず騎馬で従いたかったのですが、朝の尿検査で「軽微ながら血尿が見られます」と診断が下されてしまったので、馬車に乗れと命じられてしまったのですよ。
ちなみに検尿はいつもしているわけではありません。
負傷した兵士の復帰許可のための軽い身体検査なんですよ。でもあの程度なら大丈夫なんだけどなあ。
「軍医が勤務可と診断を下したが……腹は大丈夫なのか」
「問題ありません、閣下」
殴り合い後ともなれば、多少の血尿は想定範囲内のこと。腹筋に力を入れてガードしても、ダメージはくるからねー。
キース中将だってきっと経験しているはず!
「本来ならば自宅療養させたいところだが」
「ご心配なく。明日には完全回復しておりますので」
自宅療養とか精神攻撃くらって悪化するかと。
あの襲撃後、引き継ぎを終え、軍病院で診察してもらい、鎮痛剤を処方され昼過ぎに帰宅したら、継母が目の下に隈作って待っててねえ。
メイド二人の「お湯沸かしてますよ」攻撃からの、脱いだら体中至る所に痣があって、それを継母に見られて泣かれてしまいまして。
風呂からあがったら、ローズが親の敵か? という勢いで氷板を砕いていて、マリエットは近所に住んでいるわたしの親戚から氷嚢を借りてきて ―― 凍死させられるのではないだろうか? というほどに体を冷やされた。
湿布のほうが良いのでは? ああ、湿布はあるけれど、この時代はまだ「お肌に優しい」とかいう湿布はなくて、絶対肌荒れする代物なので、嫁入り前の娘は湿布は使わないよ。これでも嫁入り前なので!
もうね、家では重傷者扱い。ベッドに寝かされ、継母がつきっきり。「昨日から寝てないんでしょ。寝たほうが」と言ってもガン無視されて体を冷やされまくり。
「重傷だったら入院させられているよー、帰っていいということは見た目ほど酷くないんだよー」と言っても聞いてもらえない有様。
ギムナジウムから帰宅したカリナも痣を見ると軽い悲鳴を上げ、枕元で勉強を始めようとするわ、会合から帰宅した父さんは氷嚢漬けになっている娘を見て、それはそれは渋い顔に。
デニスは「昨日姉さん凄かったんだって。武勇伝があちらこちらを駆け回ってるよ」と怖ろしい話をしてくれた。
武勇伝ってなんだよ!
そんなこんなで、結局継母は、今朝までついていてくれたのです。
ありがたいし、心配かけて悪かったなとは反省はしておりますが、これが仕事ですし……というわけで帰りたくないのです。
物理攻撃には強いわたしですが、精神攻撃に弱いの。
馬車が停まりベルバリアス宮殿へと入り、隊員たちは会談が行われる部屋の前で待機。わたしはキース中将と共に部屋へと入り ――
「大尉」
「閣下」
部屋には既に閣下がいらっしゃった! 閣下だ! 閣下だ! それも正式な枢機卿の格好をなさった閣下。
緋色と白のコントラストが鮮やかで、首からさげられている聖印も高そ……じゃなくて豪奢ですね!
室内には閣下の他に人がいた。白くて長上衣だったので、一瞬聖職者か? と思ったが、よくよく見たら白衣だった。
閣下がわたしの頬に軽くキスをし……挨拶だと分かっていても照れるわー。もちろん頬に挨拶としてキスしますとも。
「呼び出して済まないな、キース」
「済まないとお思いでしたら、それに見合った情報を下さい、主席宰相閣下」
「呼び出して済まないは社交辞令だキース」
「分かっておりますとも」
一瞬「ぴしっ!」とガラスにヒビが入ったかのような幻聴が聞こえてくる、いつも通りのご挨拶。台詞だけ聞いているとアレですが、二人とも表情は穏やか……わたしには穏やかに見えるんです。下っ端に国政を預かるクラスの要人の内心なんて分かりませんので。
「その前に、大尉、頼みがあるのだが」
ええ……わたしはキース中将の身辺護衛でして、この場で閣下の頼みを……キース中将のほうをちらりと見たら頷かれたので、用件をお聞きすることに。
「なんでしょう、閣下」
「わたしは心配性なものでな。大尉の体が心配で仕方ないので、ここで診断を受けてくれないか?」
ほぁ? わたしはキース中将の護衛として居るので……。
「それほど長々としたものではない。採尿と診察だけだ」
言われた閣下が手を叩かれた。
この手の叩き方は、召使いなどを呼ぶ時のもので、室内にいた召使いに該当する人 ―― 白衣の人物が頭を下げた。
「これはハインリヒ・フォン・シュレーディンガー。こんな藪医者しか用意できなかった自分が腹立たしいが、わたしのためにこの藪医者の診察を受けてくれぬか? 大尉よ」
藪医者なんですか……御本人の前で藪医者って……。
「シュレーディンガー。挨拶を」
顔を上げたシュレーディンガー医師……この状況で挨拶って。
「お初にお目に掛かります妃殿下。わたくしめはハインリヒ・フォン・シュレーディンガー。しがない医師でございます」
そろそろ妃殿下と呼ばれるのにも、慣れなくてはいけないのだろう……でも妃殿下って!
「クローヴィス、受診しろ」
「はい」
枢機卿な閣下の希望でキース中将に命じられたら、大尉に断ることなど出来ませんよ。
シュレーディンガー……シュレーディンガー? どこかで聞いたことがあるような。前世の記憶からすぐさま猫が思い浮かぶが、そっちじゃなくてHeinrich・von・Schrödingerだから……
「もしかして基礎医学の権威、H.V.S博士でしょうか?」
エサイアスが雑談で、すっごい医学の権威が我が国にやって来たって言ってた。その人のイニシャルがH.V.Sだったんだ。そしてその人なら、閣下が藪というのも若干分かる。なんでもH.V.S博士は研究医一筋で、患者を診たことはないとか。
医者なんだから研修医の頃は診たかもしれないけれど、とにかく研究一筋の方。
「権威など烏滸がましい」
「いつも通り、俺様が権威だと威張って良いのだぞシュレーディンガー。威張った後、どうなるかは知らぬが」
「閣下は相変わらず……」
閣下とシュレーディンガーさんの関係はよく分からないけれど、さっさと採尿しますねー。
「検尿のコップは」
「そうだな」
閣下は大理石のテーブルに乗っていたクリスタルガラス製のグラスを手に取られた。
「これだ」
「ふあ? あの……閣下、これにですか?」
「そうだ」
採尿コップが高価なこと間違いなしなクリスタルガラス製のグラスという事実を前に、固まりかけたが ―― 両閣下はお忙しいので、こんなところでグダグダ言って時間を取るわけにはいかないわー。ということで、シュレーディンガー博士に案内され、入ってきたのとは別のドアから部屋を出てトイレへと向かい、まだ血が混じっているのがはっきりと分かる尿を採って、跪いて頭を下げているシュレーディンガー博士に渡しました。
ですが、シュレーディンガー博士が立ち上がる気配がない。
「あの」
「どうぞ両閣下がいらっしゃるお部屋にお戻りください。こちらの検査が終わり次第、診察させていただきますので。それまでお待ちください、妃殿下」
しっかりと撫でつけられたチャコールグレーの頭髪しか見えない。なんだかよく分からんが戻ろう。そして妃殿下は止めてほしいのだが……きっとシュレーディンガー博士は、閣下の家臣なのだろう。だからわたしのことを妃殿下と呼ぶに違いない。あとでエサイアスに聞いてみよう。
部屋に戻るとキース中将と閣下が会談していたので、何ごともなかったかのように、またお話の邪魔にならぬよう足音を消してキース中将の側へ。
「殺害された娼婦だが何処にも属していない」
「良家の娘でしょう」
「分かっていたか」
「主席宰相閣下ほどの知性はなくとも、遺留品と遺体を見れば、わたしでも富裕層の娘だったと一目で分かりますよ」
わたしも検分していたのに、全く分かんなかったー。目が節穴の上に解析力ゼロですね! いいんです、わたしの能力は全て腕力に振られているのです!
「富裕層の娘でありながら、捜索願は出ていない」
「予想の範囲内でしょう」
「まあな。残っていた着衣から、身元は割り出せそうだ」
大量生産の服というのがない時代ですので、残っていた洋服から仕立て屋はすぐに分かるし、服からすぐに身元は割れるだろう。遺体の状況が目を覆わんばかりなので、そういうところから身元を調べるしかないのだが……富裕層の娘ってどういうことだろう? 娼婦ってお金に困っている人がするもんなんじゃないの? そして捜索願が出ていないとは?
「どの家でも罪を問いますか?」
「問い、裁かれねば市民が落ち着かぬであろうよ。わたしの予想では、あの娼婦はアールグレーン商会の二女だがな」
「主席宰相閣下の予想が外れることはないので、そちらで話を進めます」
閣下、よくあの遺体から判別できましたね。
閣下凄いなあ。そして話についていっているキース中将も凄い。そして唐突に出てきたアールグレーン商会! 攻略対象アルバンタインの婚約者の実家。……アルバンタインの婚約者じゃないよな。調べたら三姉妹の末っ子が……ん?
「失礼いたします」
ドアをノックしてシュレーディンガー博士が戻ってきて ―― 閣下とキース中将の前で診察された結果、
「話し合いが終わるまで、大尉はわたしの仮眠室で休んでくれ」
休めということになってしまった。
「ですが、閣下」
「クローヴィス」
「はい、キース閣下」
「ここで四、五時間寝たら、お前の明日の夜勤を許可しよう。部下のことを考えたら、どうするべきか分かるな?」
「…………」
ユルハイネンのヤツまだ入院してるし、ネクルチェンコ少尉はまだ休暇中……休暇切り上げるとか言いだしたが、黙って休めと命じたので、現在小隊長は二名 ―― わたしが夜勤に入らないとヘル少尉とバウマン少尉に負担が!
寝ます! 寝ますよ! もう、なんというスリープハラスメント! そんな言葉ねーけど!




