【158】隊長、プレッシャーを感じる
「望まれてる?」
あえて主語を省いて話し掛けたが、
「跡取りは望まれると思いますよ」
ボイスOFFは聞き返すことなく、はっきりと答えた。
「やっぱりそうなのか」
閣下は「跡取りなどということは考えなくて良い」と仰って下さるが、現実問題として望まれるよなあ。
いや、跡取りは何処の家でも欲しがるものだから、結婚したら当然かかるプレッシャーだよ。わたしの父さんは、あんまり跡取りとか気にする人じゃなかったから、わたし一人でも特になにも問題はなかったけど、他の家ではやっぱり男児が欲しいって人が多かったなあ。
そう言えばデニスですら見合いの時に ―― 連れ子がいる者同士の見合いなので、連れ子のわたしとデニスも見合いの席についたのだが、その時デニス「ぼく、会計士になれるかどうか自信ないですけれど、頑張るので母さんのことよろしくお願いします」が第一声だった。
なんでそんなことを? と思い話を聞くと、他の人たちに「一人娘しかいない公認会計士ってことは、公認会計士になれる跡取りが欲しいんだよ」と言われて見合いの場に来たとのこと。
十歳のデニスは今のデニスと変わらず、蒸気機関車以外に頭脳が働かないので ―― それでも母親思いの息子なので、努力して公認会計士になる気持ちはあったらしい。
デニスがそんな勘違いをした理由なのだが、父さんが再婚相手に「娘と同い年の一人息子を抱えた、夫を戦争で亡くした女性」という条件を付けていたので「跡取りが欲しいんだね」と解釈された。
もちろん父さんは跡取りが欲しかったわけじゃないので「跡取りが欲しいんじゃないよ。デニス君はお父さんの跡を継いで弁護士になってくれて構わないよ」初対面の時点でそんなことはないと告げた ―― 継母とデニスとの初顔合わせ、懐かしいなあ。
父さんの出した再婚相手の条件なのだが、当時は連合軍と共産連邦の衝突があって、戦争未亡人がたくさんいたのさ。恩給は出るけど微々たるものだし、この時代未亡人であろうとも実家に出戻りは結構辛いもの……らしい。
継母の実家はそういうことはなく、両親と同居している跡取りの兄夫婦が優しく迎え入れてくれたそうだ。
それでもやっぱり「再婚したほうがいいだろう」となるのは、当然の流れなわけでして。
もう一つの条件である「わたしと同い年の一人息子」というのは、子連れの女性は再婚相手が見付かりづらいので敢えてというのと、男だけの九人兄弟で育った父さんとしては、いきなり他人の娘と仲良くする自信はないが、男の子なら仲よくなれる自信があったから。
あとは見合い相手に「わたしの母になること」も求めていたので、同年代の子を持つ女性と指定したそうだ。
「いかがなさいました? 隊長」
「女は結婚したら有無を言わせず跡取り男児を望まれるが、男は産まれた時から跡を継ぐことが当たり前として育てられる。どちらに産まれたとしても、プレッシャーはあるものだと、改めて思ったのさ」
我が家のような中産階級の家ですら、跡取りが欲しくて見合いしたと思われるのが世間の常識だ。これが王家とかになると、凄いもんなんだろうなー。
「そうですね。男は一族を養えて当たり前ですから、プレッシャーは大きいです」
「そうだよな」
女性にかかる跡取りの負担も凄いが、男性の当然の義務である妻子を養うも、相当なプレッシャーだろう。
ボイスOFFのような貴族もそうだが、一般的な中産階級ですら妻と十人前後の子供を養い学歴やマナーを身につけさせ、メイドを雇い、一軒家に住むのが当たり前とされる。これらの稼ぎは全部男に掛かっており、それは当然のこととされ、出来なかったら情けないと見下される。
我が家は子供が三人と極端に少ないほうで、子供が五人以上は珍しくないし、十人以上でも「ちょっと多いね」くらいのもの。
それを養えて当たり前って……うん、男って大変だね。
閣下が何故暗殺されないか? に話を戻すと、閣下の財産には多くの土地も含まれている。これがブリタニアス君主国に渡ると、あちらこちらに飛び地が出来てしまうわけだ。
その飛び地の一例なのだが、現ブリタニアス女王グロリア陛下はアブスブルゴル帝国の血を引いていないのに、閣下の財産に含まれているため、アブスブルゴル帝国マリエンブルク家ゆかりの地を引き継ぐことになる ―― マリエンブルク系の借金公王国がブリタニアス君主国の飛び地になってしまうのだ。
アブスブルゴル帝国にとって借金公王国は、王家たるマリエンブルク家ゆかりの地なので、渡すわけにはいかない。
ブリタニアス君主国は裕福なので、この借金公王国をありがたく飛び地にする ―― アブスブルゴルVSブリタニアスの始まりとなる。
「領地争いになること、閣下なら分かっているのでは?」
最初から借金公王国だけは、アブスブルゴル帝国に引き継がせては?
「維持する財力がありません。隊長はアブスブルゴル帝国のヴィーナー・オーパンバルをご存じですか?」
「知っている。毎年二月の緑の木曜日に行われる、大陸でも一二を争う格式高い舞踏会だよな」
大陸No.1デビュタント舞踏会だ。
北半球気候なので、二月には薔薇など咲いていないのだが、わざわざ周辺諸国から輸入して会場を飾り付けて行われるほど金をかけている。
「あれの主催者はご存じで?」
「アブスブルゴル皇帝だろ」
「では影の主催者、実際に費用を出しているのは誰かご存じで?」
「お前のその喋り方だと、閣下なのか?」
「はい。この八年ほどヴィーナー・オーパンバルの開催費用は、全額リリエンタール閣下が負担しておいでです」
うーわー閣下すーごーいー。
「リリエンタール閣下が次期皇帝と目される理由の一つでもあります」
「だろうな。だがグリュンヴァルター公王国を継がせない理由はわかった」
舞踏会費用を負担してもらっているような国に、借金公王国を抱え込む力はない。引き継がせたらアブスブルゴル帝国ごと倒れかねないと、閣下は判断なさったのだろう。
「はい。ですがあそこはマリエンブルク辺境伯爵家発祥の地ですので、易々とは渡せません」
マリエンブルク辺境伯爵家とは、現アブスブルゴル帝室マリエンブルク家のこと。
「閣下は発祥の地云々よりも、そこに住んでいる市民を優先し、何事かがあった場合、裕福なブリタニアスに国防を含めて相続を決めたのだろう……まあ発祥の地とか、そういうのに拘るのも分かるが、拘って良いのは金を持ってるヤツだけだ」
むしろお前たちにとって、大事な土地だったのに、なんで築城借金で国破綻させるようなヤツに継がせたんだよ! 継がせた時に分からなかったとしても、破綻する前に手を打っておけよ。ぼろぼろになったところで、閣下に頼み込むからこういうことになるんだろ!
「おそらくグロリア陛下は、グリュンヴァルター公王国を継がれたら、そこにブリタニアス陸軍を駐屯させ、共産連邦に直接睨みをきかせるでしょう。グリュンヴァルター公王国を守るためにも、そうするしかないのですが」
「本当に共産連邦に対する基地であったとしても、他の国からしたら落ち着かんな……そう言えば現在グリュンヴァルター公王国の国防は、アディフィン軍が担当しているが、あれは血縁関係でアディフィンが軍を派遣してくれているんだったな」
借金公王国に、金食い虫の代表格である軍など編成・維持できるはずもなく。でもあちらこちらの国と国境を接している国なので、まったく軍隊を置かないわけにもいかず ―― 閣下が血縁のよしみで軍を派遣させているのだそうだ。
マリエンブルク辺境伯爵家発祥の地を防衛しているのが、アンディルファード(アディフィン王家)公爵家軍でいいのか? と思わなくもないが、そこは閣下でつながっているので問題はないらしい……とオルフハード少佐から聞いた。聞いた時はディートリッヒ大佐だったけど。懐刀少佐、お元気ですかー。肩は脱臼していませんか? そろそろ元気なお顔が見たいです!
とにもかくにも閣下が凶弾に倒れると、軍隊一つとっても色々とあり ―― 借金公王国の地で、要らぬ軋轢が生じることになってしまう。
ボイスOFFは借金公王国という分かりやすい一例で説明してくれたのだが、閣下所有の土地は他にもあり、相続で問題が噴出するのは確実なのだそうだ。
「共産連邦は?」
「あそこはもっともリリエンタール閣下が倒れると困るはずです。政体が違い宗教すらない国が、他国と交渉するのには、窓口になる人物が必要ですので」
「その窓口が閣下、ということか」
「教皇庁にも各国の首脳にも話を通せて、ルース人の物の考え方を熟知し、民族問題にも強い御方ですし、今なお共産連邦軍内部にも信者がいるとも聞きます」
共産連邦じゃないってことは、ヤグディン姉弟は除外され、共産連邦を閣下に討って欲しくて暗躍しているツェツィーリア・マチュヒナでもない。
レオニードは……多分違うと思う。きっと閣下暗殺を目論んだら、他人を使うなんてことしないんじゃないかな。レオニードは自分自身で息の根を止めに来るとおもう。よく分からないが、そういうタイプな気がする。
「そうか。……そうだな、大陸縦断貿易鉄道計画も再開なさるらしいし……」
本当、誰の仕業なんだ? まさか、素直にフォルズベーグ? そんな訳ないよなー。




