【149】隊長、夏期休暇を取るよう厳命される
「今更玉座に就いても、うま味などないのでは?」
ユルハイネンのもっともな意見に対し、キース中将は心底馬鹿にした笑いを ―― ユルハイネンに向けたものではなくオレクサンドルに対して向けたものであるのは、明らかだった。
それと貴族の縁戚関係に詳しいボイスOFFが、死にそうな顔してる。
一体なにが?
「オレクサンドルの狙いは王家の私財だ」
……ふあ? 狙いが私財? なにそれ。え、贅沢三昧したくて即位を?
「権力ではなく、金ですか?」
すっごい馬鹿にしてるな、バウマン少尉。その気持ち分かる。
「オレクサンドルは権力には興味はない。そもそも現在の王家にそんな権力はない。ヤツの興味は金だけだ。そのためならば、国王暗殺も辞さない」
清々しいまでにゲスだな、オレクサンドル。清々しくてもゲスだから、まったく尊敬しないけど。
さすが婚約者がいるのに、男爵令嬢に浮気して、婚約者を破滅させる男の父親なだけのことはある。
「我が国の王族の私財は、金をかけ手に入れたくなるほどのものなのですか?」
ヘル少尉は昨日の陛下襲撃の、賊の損失が書かれた紙に視線を落としながら呟くように言う。
うん、結構金かかってるよね。ペルシュロンは高級馬じゃないけれど、六頭ともなればそれなりの額だし、維持費も掛かる。なめし革に硬化処理を施した防具だって装備していた。車体も悪いものではなかったし、障害物の樽だって無料じゃない。
このご時世、羽振りの良い貴族というのはあまり聞かないなあ。もちろん才能あり利殖に長けている貴族もいるが……。
「陛下が受け継いだ、ロスカネフ王家代々の私財だけならば、即位してまで手に入れようとは思わなかっただろう」
それ以外になにかあてがあるのですか?
「オレクサンドルが狙っているのは、アレクセイ・ヴォローフ・シャフラノフの財産だ」
「新生ルース帝国を興した男と我が国に、なにか関係ありましたか?」
バウマン少尉が完全に素になってる。
「あの皇子さまは、ルースの皇子だが、我が国の王族でもある。若い者は、忘れがちだがな」
「あ……」
バウマン少尉はキース中将の言葉に、アレクセイの母親が我が国の王女だったことを思い出し、顔を赤くして照れ隠しに頬を掻く。
でもバウマン少尉の気持ち分かるわー。
だってアレクセイ、我が国の王族ってイメージ皆無なんだもん。
わたし、何回も聞かされているけれど、すぐに忘れる。
だってあいつ、我が国に来たことないし。乙女ゲームの隠しキャラクターだからというわけじゃないが、我が国においてはまさにレアキャラクター。
「アレクセイ・シャフラノフは財産を所持しているのですか?」
ヘル少尉が不思議そうだ。そりゃそうだろうな。だってアレクセイ、亡国皇子だからな。
「主席宰相閣下のご温情で、アレクセイ・ヴォローフ・シャフラノフことアレクシス・ヴァン・エフェルクはルース皇后の私財を受け継いでいる。その額は……わたしたちには関係ないので詳細は伏せるが、凄まじい額だ。もっともルース皇室の財を受け継ぎ、世界規模の鉄道事業に携わる主席宰相閣下にとっては、はした金らしいが」
室内が沈黙に包まれる。
キース中将の話しぶりからすると、アレクセイの私財はオレクサンドルが国王暗殺を企てるのには充分な額だが、閣下にとってははした金とか。
我が国が貧乏なのか、閣下が大金持ちなのか……。
「アレクセイが恵んでもらったルース皇后の私財だが、アレクセイは自由に使えない仕組みだったらしい。去年の夏頃に行方不明となって以降、この財産は主席宰相閣下の命により、凍結されている。もともと生活費は主席宰相閣下が与えていたので、簡単に凍結できたらしい」
室内の微妙な空気をお伝えできないのが残念です。
一応自分の国の王族でもある人物が、他国の貴族から生活費を恵んで貰っていたという事実は辛いものだ。
「それでアレクセイが主席宰相閣下に恵んでいただいたルース皇后の私財だが、この財を継げるのは”アレクセイの嫡子”もしくは”アレクサンドラ皇后の甥”のみ。もちろん主席宰相閣下は、この財産を没収することは可能だがな」
財産相続としては、特に変わったものではない。
代襲相続は甥姪までが普通。
甥姪の子は血が遠すぎるから……待って! ということはヴィクトリア女王はアレクセイの私財は継承できなかったってことだよね。
ヴィクトリア女王が退位したからオレクサンドルの欲が露わになった?
いや違うはずだ。もっと前から動いていたに違いない!
「代襲相続の範囲としては一般的ですが、ガイドリクス陛下がそれを継いだ後は、血筋にかかわらず王家に受け継がれますね」
ユルハイネンの表情に剣呑なものが含まれているような。
こいつ、勘がいいからな。昨日だってクライブのこと気付いたし。士官学校退学後、国一番の大学であるロスカネフ大学の法学部に入学、主席で卒業してきたスペック無駄使い野郎だからなあ。相続関連も強そう。
「そうだ。だが財には責任が伴う。アレクセイの現状は、我が国の手には負えない。そこで我が国はアレクセイの私財を継ぐ権利を放棄し、同時にアレクセイの国籍および王籍を剥奪することを議会に提出した」
「閣下が提出なさったのですか?」
話しぶりからすると、そうなんじゃないかなーと思って尋ねると、キース中将は頷かれた。
「アレクセイを我が国の王族として抱えていては、国を守りきることができないので、国防責任者として主席宰相閣下と話し合い、王家から切り捨ててもらうことにした」
キース中将の表情は変わらないし、口調からなにも読み取ることはできないが……苦渋の判断だったんだろうな。
それに頷いた陛下も。
「まだオレクサンドルが黒幕だと確定していないのに、お前たちに語ったのは、この議案を提出したのがわたしであり、今日明日には承認される。そうなれば、オレクサンドルの願いは霧散し……恨みの矛先がわたしに向かうことが予想されるので、前もって心構えをしておいて欲しいからだ」
うーわー。
そんな大事が控えているというのに、わたし明日から夏期休暇。これは返上すべきか?
「クローヴィス」
「はい」
「お前のことだ、夏期休暇を返上しようと考えているだろうが、今朝の新聞でお前の武勇を派手に喧伝したのは、オレクサンドルに”こいつは厄介だ”と思わせるためだ。そしてその武勇に長けている隊長が、前々から申請していた夏期休暇に明日から入る……賊にとってこれ以上ない襲撃の好機だ」
「わたしは申請通りに休んだほうが良いと?」
「そうだ。偶然にも、主席宰相閣下も今日から夏期休暇だ。賊がこの機会を見逃すはずがない」
そこは偶然じゃないんですけど……。
「分かりました」
「しっかりと休めよ」
「はい、閣下」
「ご安心ください、隊長。我々は隊長の足下にも及びませんが、これでも一般的には強いほうなので」
バイキングの雰囲気を漂わせているバウマン少尉が笑う。
「わたしは小隊長の中で遅れを取りますが、賊相手に遅れは取りませんよ」
ヘル少尉も似たような感じ。
「射撃と乗馬において海内無双の才を誇る隊長からすると頼りないでしょうが、ここはわたしたちを信頼してください」
ネクルチェンコ少尉、わたしの射撃と乗馬、褒めすぎだろ!
「……」
で、無言のユルハイネン。別に何か言って欲しいわけではないが、ユルハイネンの表情が不穏といいますか……こいつ、絶対なにか勘づいてる。
「部下に手柄を分けてやるのも、上官の仕事だぞ、クローヴィス」
「はい」
手柄はどうでもいいのですが。
「総司令官閣下。アレクセイは無国籍になるのですか?」
無言だったユルハイネンが、唐突にアレクセイについて尋ねた。
「そうだな。ルース帝国滅亡によりルース国籍が消滅し、我が国の国籍のみを所有していたが、今回の議決で我が国の国籍も消滅する。だが戦後賠償のことを考えた時、アレクセイを我が国の王族としておくことはできない」
戦後の賠償金とかいう、地獄のような取り立てがやってくるよ! 払えるわけないよ!
「ルース皇后の財産というのも没収ですか?」
「その手続きはほぼ終わっているそうだ。それに関しては我が国は、一切関与できないが、あの人の仕事に抜かりはない」
「さすがリリエンタール閣下。ということはアレクセイは無一文で無国籍という状況になりますが、そうなってしまえば賠償もなにもあったものではありませんから、むしろ全てを失っていたほうが楽でしょう。総司令官閣下もそれを狙ってのことでしょう?」
何も持っていなければ、請求されようがないのは分かりますが。失うものが多すぎる気も……侵略戦争をしたからには、そのくらいは仕方ないのかも知れない。
なにより、我が国に賠償金請求きたら困るしな!




