【145】隊長、痕跡を追う
アルテナ少尉の話を聞き ―― 聞かなきゃ良かったと思ったのは秘密だ。もちろん聞かなくてはならないことだし、その現場にいて救助に向かえるのは軍人として喜ばしい……とは少し違うが、救助の現場にいるのは幸いだと言える。
だがここに居る軍人で、もっとも階級が高いのわたしなの! わたしがささっと配置や動きを指示しなくちゃいけないの。
みんなわたしの指示を求めてるー。地位が上がると指揮官として判断を求められ……ぐだぐだ言っている場合じゃないな。
「ネクルチェンコ少尉。競技会場へと戻り、無線でキース閣下に連絡を入れろ」
「……分かりました」
”承服しかねます”と言いかけたのは分かる。
そうですね、君の秘密の任務がなんなのか? わたしも知っている。わたしだって、できる事ならネクルチェンコ少尉と事情を知っている隊員を遠ざけたくはない。
そんなことしたら、後日キース中将に顎を”がしっ”とつかまれて ―― だが、この場合は「こう」するしかないのだ。
「ユルハイネン少尉。隊長に付いて行けよ」
「ネクルチェンコ少尉よりはマシだとは思うが、隊長は人馬一体という言葉そのものだからな」
騎馬にて現場に向かうわたしに付いて来ることができるのは、ネクルチェンコ少尉ではなく、残念ながらユルハイネン。この状況でネクルチェンコ少尉に合わせて現場へ向かうつもりはない。
親衛隊に所属している者の中で、騎乗のわたしを警護できるのは粗ちんとボイスOFFしかいないのだ。
生理的に鬱陶しいヤツと、生理的に声が嫌いな相手という二者択一地獄……まあ、後者一択だけどね。
「先行する」
ネクルチェンコ少尉が競技会場へと発ったのを見送ってから、
「できる限り急ぎ追いますので」
「あまり無理はしないように、オクサラ中尉」
わたしは馬車とアルテナ少尉を残し、ユルハイネンを連れて現場を目指し、今度は片手で手綱を握り馬を走らせる。
アルテナ少尉によると、最初の襲撃ポイントを切り抜けた陛下を乗せた馬車は、かなりの速度を出し進んでいた。
銃撃戦から早く遠ざかるのは当然のことだ。
ただその先に何故か樽が置かれており、それを避けるために馬車の速度をギリギリまで落とした。
もちろん、この時停車することはなかった。
樽が馬車を足止めするための罠だということは、誰の目にも明らかだったからだ。
陛下の馬車に同行していた近衛たちは、周囲に注意を払った ――
「ペルシュロン六頭立てなんて、止められませんよ」
「まあな」
注意を払ったまではいいのだが、重種馬ペルシュロン六頭立ての馬車が、横合いから突っ込んできたのだそうだ。
陛下が乗っている馬車を預かっていた馭者は必死に回避し、側面衝突は避けられたのだが、馬車の部品が引っかかってしまい、ペルシュロン六頭立ての馬車に引きずられることになった。
この時馭者は飛ばされて ―― 幸い命はあるようだ。
陛下の馬車を牽いていた馬は栗毛のハクニーで二頭立て。
ハクニーは独特の歩調と優美な仕草を持ちながら持久力、さらにスピードもあるので、上流階級の馬車馬として人気が高い。王族の馬車は大体コレ ―― 王室専用馬がある国は違うけどさ。
ただハクニーは中間種馬なので、重種馬より馬力は劣る。更に馬の数自体が負けているので、為す術なく引きずられる形になったらしい。
またペルシュロンが突っ込んできた時、騎馬が驚いたり、騎手が思わず体勢を崩したりと大変なことになったとのこと。それは仕方ないだろう。
「無事か!」
陛下たちが樽で立ち往生し、アルテナ中尉が怪我をした場所にたどり着くと ―― 人馬とも無事だった近衛は全員陛下の馬車を追い、残っていたのは負傷者のみ。
「クローヴィス大尉! わたしたちはいいので、追って陛下を!」
まあ、そうなるよね。
わたしは馬を下り、舗装されていない道路に残った跡を ―― 明らかに残ってはいけない跡がついている……。馬車の塗料は良いんだが、馬の毛とか……
「陛下はどのような状況で連れていかれた?」
「小官が覚えているのは、車体が横倒しになって引きずられ遠ざかる様だけです」
片足を引きずっている近衛の少尉の返事……それ、陛下ご無事なのか?
一緒に乗っているヴェルナー大佐や侍従も、馬車内でもみくちゃにされて……。
考えるな! わたしにできるのは、暴走している馬を撃ち、陛下を救出することのみ!
「一瞬見ただけですが、あの馬たち、薬物を投与されていると思います。そうでなければ、温厚なペルシュロン種が全頭あのような興奮状態で突っ込んでくるなんて考えられません」
ペルシュロンはたしかに温厚で大人しい性格の馬だよなあ。
「近衛の武装はいつも通り拳銃二丁か?」
「はい。もちろんサーベルは携帯しておりますが、馬が防具を身につけていましたので」
何らかの薬物を投与され興奮状態になっているらしい防具つきのペルシュロンに、サーベルで切りかかっても効果は薄そう。
「何名救助に向かった」
「四名です」
「その四名、射撃の腕は?」
「まあまあ……的が大きいので当てることはできますが、全力で馬を走らせながら、重種馬に致命傷を与えることができるかと言われると」
難しいよなあ。
近衛が携帯している武器は拳銃だから、余程狙わないと沈めることはできないだろう。
状況を聞けば聞く程に最悪だ。
その中で幸い……と言って良いのか悩むが重種馬六頭立てなので、四頭射殺できれば、引きずっている陛下の馬車一式の重みと死亡した馬の重みで、さしもの重種馬であろうとも歩みは遅くなるはず。そこまで遅くなればあとの対処は簡単だ。
罪のない馬を射殺するのは嫌だが、わたしが撃ち殺す重種馬は既に兵器と化している……全く、誰だよ薬投与したの! 陛下暗殺を目論む一団だろうけ……アルバンタイン? たしかにアルバンタインなら、婚約者を通じてアヘンを手に入れることは簡単だろうけれど……。
「隊長、腕の見せ所ですよ」
「お前に見せてもなー」
わたしはライフル銃を再度確認してから、ユルハイネンと共に嫌な痕跡を追跡することに ―― 状況を考えてわたしは何時でもライフル銃を撃てるよう手綱は握らず。
「隊長のバランス感覚は並外れていますよね」
「そうか? 太ももの筋肉でどうにでもなるぞ」
可憐な令嬢の御御足では無理だろうが、鍛え上げた軍人の足なら可能だ! ……と思う。
「うげえぇぇ」
ユルハイネンが情けない声を上げるが、
「気持ちは分かる」
その気持ちは大いに分かる。
車体が引きずられている跡を目印にわたしたちは馬を走らせているのだが、その跡は引きずられているハクニーの被毛と思しき物体から、どす黒く生臭い匂いを放つ血液へと変わり、ついには内臓らしきものが……普段なら絶対に追いたくない痕跡を辿っているのだ。
このグロテスクな痕跡をしっかりと目視しながら追っているのは、陛下の車体の欠片などが含まれていないことを確認する意味もある。
今のところ黒塗り馬車の欠片らしきものは見当たらないが、それも何時までも持つか? 早く引きずられている陛下の馬車に追いつかなくては、車体が壊れたら終わりだ。
「隊長! 見えてきました」
ユルハイネンの言う通り、前方にごちゃごちゃとした一団が見えてきた。
「ここから撃ち殺せないんですか!」
暴走しているペルシュロン馬は全部で四頭。
二頭は併走し、弾丸が尽きたのでサーベルで切りかかっている近衛たちが倒したのだろう。
残り二頭から三頭を屠る。
「ユルハイネン、近衛に向かって”邪魔だ”と叫……ミカ! 前方障害!」
襲撃した馬車の部品が、転がってきた!
ユルハイネンはそれを上手く避けた。が! 無茶な力が掛かり続けている車体は、そろそろ限界だ!
「避けながら叫べ!」
「はい、隊長! 近衛! 避けろ! 狙撃する!」
銃身を支える右手で手綱を握り、馬の脇腹を軽く蹴って合図を送る ―― スピードを上げ、叫ぶユルハイネンの脇を抜けて馬車へ近づく。鐙に足を掛け立ち上がり、
「悪く思わないでくれよ」
たてがみを振り乱し、何かに追い立てられるように走る青毛のペルシュロンの脊髄に照準を合わせる。
「隊長! 車輪!」
ユルハイネンの声 ―― ペルシュロンが引いている馬車の予備車輪が、フリスビーのように回転しながら地面を這うようにこちらへ。だがこの程度なら、飛び越えながら撃てる。
薬指と小指の間に挟んでいる手綱で合図を送ると、近衛が丹精込めて育てている馬は”任せろ”と、華麗に車輪を飛越した。その最中に狙いを定め引き金を引く。
二度引き金を引き、三頭の馬が崩れ落ちる。
近衛の歓声を背に最後の一頭は更に先に進もうとしたが、限界だったのだろう。足が止まり他の三頭と同じように倒れ、口から血の泡を吹き出し痙攣し続け ―― 近衛の一人がとどめを刺して楽にしてやった。
殺したわたしが言っていい台詞ではないのだろうが、やるせない感情がわき上がってくる。もっとも、そんな感傷に浸っている場合ではないのだが。




