【136】隊長、帰宅する
「会計士を目指しているそうだよ」
テグネールさんの説明によると、三人の姓はカールソン。もっとも年嵩の人物が父親で、わたしと同年代くらいの人は甥、そして最年少が息子のクライブ。
田舎に近い地方都市で生活していたカールソン一族なのだが、父であるカールソン氏は四十代なので、そろそろ兵士として徴集が掛かる。
息子のクライブは徴集年齢に達していない十六歳。この時代、男十六歳ともなれば一人前……とまではいかないが、働いていてもおかしくはない。
息子のクライブは父の徴集が良い機会だと、独り立ちを決意し、親戚に「会計士になりたいので、どこか働きながら学べる事務所を紹介して欲しい」と頼んだ。
親戚は商業会議所に務めている知り合い ―― これがテグネールさんの息子なのだが、彼に頼み「それなら丁度良い事務所があるよ」となったのだそうだ。
「うちで住み込みで働いてもらおうと思っている」
先ほど両親はこの説明も受けたのだろう。そうでなければ、これから特殊警護員が派遣されていると知っている我が家に、新たに人を雇うなどしない。
「いいのでは?」
この警護員の配置、すごい滑らかで、全く無理がない。
父さんと二十年来の知り合いテグネールさん。息子が商業会議所に務めはじめたのは三年前。息子がどうやってカールソン家の人と知り合いになったのかは知らないけれど、この一ヶ月くらいの知り合いじゃない感じだ。
頼まれた息子が、個人的な知り合いの中で、唯一会計事務所を開いている我が家を思い浮かべ、推薦するのは自然な流れであり、父親であるテグネールさんに話すのも当然。テグネールさんが「ではわたしがポールに口添えしよう」となるのは、最早「そうなるべくしてなった」だ。
「倅をよろしくお願いいたします、クローヴィス大尉」
頭を深く下げた父親と、軽く下げた甥……甥はカールソンじゃなくて……! リドホルム男爵?!
いまにもウィンクしそうな表情に、こちらが正体に気付いたことに気付いたのが分かる。
それにしても特殊警護員という「特別」な存在が、あまりにも自然で滑らかに配属される様に、鳥肌すら立ちそう。
クライブ・カールソンの紹介を受けたわたしは、父さんたちの側を離れ ―― あとは肉を食うことに。
ほんと、諜報部怖いわー。
イングヴェのヤツ、いつの間に諜報部のお偉いさんと顔見知りになったんだよ。
カールソンの甥と名乗っている男爵は、ダークブロンドの短髪をやや格好悪く撫でつけて、グレー地でタータンチェック柄のファンシータキシードを、少々野暮ったく着こなしており、別人にしか見えなかった。
何となく気付いたのは……向こうが気付かせようとしたからだろう。
社交の場は美味しいものを食べて、美酒に酔うような場所ではないことは知っていましたが、当事者になると怖いね! ……ステーキ美味い!
「お口にあいますか? 大尉どの」
「とても美味しいです」
肉を焼いているシェフに声を掛けられた。本当にお世辞抜きで美味しいです。
あとは人気のないペスカトーレなどのトマト系料理を堪能していると、リドホルム男爵の偽装野暮ったい格好とは違い、真にフロックコートが似合っていないデニスが、家令のスパーダさんに連れられ閣下のお側に。
「ぶっ……デニス……なんで」
そして再び崩れ落ちたが、わたしの注意を思い出したのか、しっかりと両膝をつくだけで耐えた。
よし、よくやったデニス! デニスはそのままの体勢で、顔を上げて閣下とお話をし始めた。
何の話をしているのかは……聞こえはしないのだが、聞こえずとも分かってしまう。わたしが聞いても分からない、蒸気機関車関連の話をしているのだろう。
案内されていたので、わたしが近づく筋合いのものでもないし ―― デザートを堪能することにしよう。
ふんわりとした舌触りのスフレ、苺のジェラートを挟んだブリオッシュ。
さらにブリオッシュにシロップをしみこませ、酒をかけててクリームとフルーツで飾り付けたサバラン。かぶりつくと口内に酒の風味がふわっと広がる。
キャラメルでコーティングされたナッツ類を、クッキー生地に乗せて焼いたフロレンティーナはコーヒーとよく合う。
あとクグロフのみっちり感は凄い。……とスイーツを堪能していると、デニスが立ち上がり握手を……お前は一体なにをしているのだ、デニス。
そしてデニスとの会話を終えた閣下は退出なさった。ということは、この会食も解散ってことですね。
知り合いに挨拶をし、両親とデニスと共に会場を後にする。
「姉さん。ピッツァ美味しかったね」
デニスに閣下と何を話したか聞かないの? 聞くはずないだろ! 謎言語でノンストップ演説聞かされるのが分かっているのに、わざわざ触れるなんて、そんなことする人、我が家にはいないよ! 世の中には触れてはいけないものは、絶対存在するのだよ!
「ああ、美味かったな。父さんと継母は何が美味しかった?」
「食べるもの、全て美味しかったよ」
「本当に。見たこともない料理がたくさんあって、見ているだけで楽しかったわ」
まあ、そうなるよね。
途中で執事のベルナルドさんと一緒のカリナと合流し正面玄関へ。
正面から入った客は正面から帰らなくてはならないので、わたしたちは正面から馬車で帰るのだ。
「カリナ、ランチはどうだった?」
「美味しかったけど、やっぱりみんなと一緒に食べたかったなあ」
「そっか」
「執事さんが、とっても楽しい話を色々してくれたの。家に帰ったら教えてあげるね! 姉ちゃん」
カリナと雑談をしながら廊下を進み ―― 正面ホールにすでにいらっしゃった閣下にご挨拶をし、デニスは家令のスパーダさんからアタッシュケースを受け取り……デニス待望の資料ですね。聞かずとも分かりますとも。
「はい。ヘル・ヤンソン・クローヴィス。こちらがご希望の資料でございます。また資料と共に、エーデルワイス関連資料の目録と、ルース語の辞書も同梱させていただきました」
「ありがとうございます、スパーダさん」
デニスはアタッシュケースを賞状を受け取るがごときの恭しさを持って、両手で受け、その腕はそのままで、頭が大理石の床に付くかのごとく体を折り曲げてお辞儀を……デニス、お前体の柔軟性は絶望的だったじゃないか。前屈なんてただ座ってるだけの男だったじゃないか。本気になると出来るんだ。人体って凄い。
そのやり取りを、軍人の立ち姿勢 ―― 後ろ手に組んだ状態で眺めていたら、閣下が隣りにやってきて、指先に軽く触れてきた。
「閣下……」
「次に会える日が待ち遠しいな」
そう呟かれて、すぐに離れられた……。うわ……なんか幸せだけど、照れるよ。あっ! 閣下にわたしの気持ちをお伝えしそびれた。反射神経には自信があるのだが、こういうときは全く反応できないのがもどかしい。
「姉ちゃん、指先痒いの?」
「いや、そうじゃないけど」
閣下に見送られて ―― お城から遠ざかってからも、馬車で触れられた指先を撫でていたら、カリナにそう言われてしまった。違うんだ、カリナ……でも確かに少しむず痒いかもね。
家に到着し、馬車に積まれていたお土産をハクスリーさんが運び込んでくれ、
「お届けまでが馭者の仕事ですから」
手伝おうとしたのだが、やんわりとお断りされてしまった。
「あの、では閣下に”わたしもです。また近いうちにお会いしたいです”とお伝えいただけますか……」
くおっ! 恥ずかしい。
ハクスリーさんに目丸くされるしー。そういう柄じゃないですもんねー。
「……はい! 必ずやお伝えいたします。でも今の言葉をお伝えしたら、明日にでも呼び出される可能性ありますので、それだけは心に留めておいてくださいませ。それでは失礼いたします」
帰宅後、カリナは「お城もいいけど、やっぱり自宅だね」と。もの凄く同意するよ、カリナ。
その日の夜 ―― デニスは早々に部屋に籠もり、お土産を開けてはしゃぎ、執事さんとの会話を語ってくれたカリナだが、やはり相当疲れていたらしく、いつもより早い時間に眠りについた。
そして ――
「クライブ・カールソン君が、特殊警護員だそうだ」
応接室でテーブルを挟み、父さんと真向かいで話し、実際に「そうだ」と告げられた。
「うん。でも、あんまり強そうじゃないんだよなあ。ちょっと不安」
「外見では決して強さが分からないことが、優秀な特殊警護員だとお聞きしたよ」
「確かにそうなんだけどさ。でも……」
「あのなあ、イヴ。総司令官閣下をお守りする親衛隊の隊員と比較したら、強くなくても仕方ないと思うぞ。ほら、彼は父さんやデニスより強ければいいくらいなんだから」
父さんはそう言って笑った。確かにそうなんだけどさ。




