【135】隊長、対面する
話をしていると、バイオリン奏者二名、チェロ、ヴィオラ奏者が一名ずつやってきて、用意されていた椅子に腰を下ろし弦楽四重奏が始まった。
BGMが生演奏ですよ! 奥さん。さすが閣下。手伝いの賄いにすら生演奏を付けてくださるとか。
弦楽四重奏の反対側にはピアノが一台設置されているので、あとで交代するのだろう。なんという至れり尽くせり。
ちなみに演奏されている曲はベートーヴェン弦楽四重奏曲第15番第5楽章……まあ作曲家の名前はベートーヴェンではないけれど曲は同じ。
記憶を取り戻してから、自宅の蓄音機でレコードを再生して「作曲家名違うけど、曲は多分同じ!」と驚いたのはよい思い出だ。
ちなみに「多分」が付いたのは、雑音の関係です。
「それにしても、良く取り巻きになれたな。モルゲンロートの取り巻きとか、なるの大変なんじゃないのか?」
商業というか経済関連の話はよく分からない。
まあ軍事関連ですら、総軍指揮とかになると分からない有様だけどさ!
「それなんだけどさ。ちょっと耳貸してくれるか、イヴ」
「分かった」
腰をかがめてブルーノに耳を寄せる。
「アールグレーン商会がモルゲンロート財閥に切られたことで、我が国におけるモルゲンロート卿の取り巻きが一変したんだ。理由は知らないんだけどさ。とにかくあの時のイヴの助言、本当に感謝している。父さんがお礼を言っておいてくれって。俺からもだが、本当にありがとう、イヴ」
攻略対象アルバンタインの婚約者の実家で、我が国有数の商会アールグレーンが外されたのか……経済関係で、大きな動きがあったんだ。
全く知らなかったよ。いや、まあわたし忙しいんですよ。結婚式の準備とか隊長職とか、国の代表になったので馬術訓練に励む必要もあるし、上官の貞操を守るという防衛戦に、ボイスOFFに庶民生活の基礎を教えるとか。
経済にまで気を回している余裕はないのだよ! 開き直りとも言うがね!
「わたしは経済については、なにも知らないから。ま、上手くやったなブルーノ」
かがめていた腰を伸ばして、サムズアップしておく。
「ああ。本当に感謝しているよ」
「クローヴィス」
ブルーノと話しシャンパンを飲んでいると、閣下の所にご挨拶に向かわなくてはならない階級を所持しているヴェルナー大佐が声を掛けてきた。
「なんでしょうか、ヴェルナー大佐」
「モルゲンロートに挨拶する。付いて来い」
「小官もですか?」
「ああ。モルゲンロートとは年末に関して一、二回くらいアデルと対談、またはリリエンタール閣下を交えて鼎談する。その際お前は後に控えることになるんだ、モルゲンロートの顔をしっかりと覚えておけ」
たしかに親衛隊隊長として、重要な仕事ですね。
「分かりました。じゃあな、ブルーノ」
「ああ。また後で」
「姉さん、頑張ってきてね」
ということで、ヴェルナー大佐がアドルフに挨拶をしているその後から眺める。
アドルフが座っている車椅子は、臙脂色の革張りのソファーに車輪が付いている、豪華なものだ。
体格は貧相ではないが、かといってがっしりしているわけでもない。
ただ背は高いとは聞いている。今は車椅子に乗っているので、はっきりとは分からないが……もちろんわたしよりは低いだろうけれど。
顔だちは閣下に似てい……ない。
閣下がルース皇帝パーヴェルに似すぎている ―― 閣下の外見は母方の血が強く出ているから、母親が違う兄の息子と似通ったところないのだろう。
顔だちは可も無く不可も無く、普通の中年男性。
特徴と表現するのが適切かどうか? だが、右目が白っぽくなっている。おそらく白内障。左目は片眼鏡をつけている。
それと軍関係の話ということで、さりげなく人払いがされた。閣下の城の使用人は優秀です。
「大尉」
「はい、リリエンタール閣下」
「庶務担当のウスターシュ・カミュはアドルフの子飼いだ。入り用な場合は、あれに何でも命じよ。一億フォルトスならば毎日使っても構わん」
「はい!」
そうか軍属のウスターシュ・カミュはモルゲンロートから送り込まれたのか。即金が必要な場合に、頼むというわけですね……そして閣下、毎日一億フォルトスって……。
「アドルフよ、キースの親衛隊隊長は美しかろう?」
わたしを見上げたアドルフは頷き、まったく違う方向を向いた。
「臣は左耳が不自由でして、お声を拝聴しようとすると、顔を背けなくてはならぬのでございます。口の動きで何を言っているのかは分かりますが。いつ右耳も聞こえなくなるかも分からぬこの身。親衛隊隊長のお声を一言でよろしいので、拝聴したく。お許しをいただけませぬでしょうか?」
顔は閣下の方を見ている……口の動きで読むのかな?
「許可が下りると思っているのかアドルフよ」
アドルフがなんか咳き込んでいるように聞こえる……笑ってるのかな?
「そう簡単に許可が下りるとは思っておりませんでしたが」
「手土産の一つも持参せずにか?」
「ああ、それは――――――――」
途中まで声で話していたアドルフだが、途中から口の動きだけに変えた。
それを読まれた閣下は、少しだけ笑い、
「大尉、名乗ってやってくれぬか? そうそう、これは少々耳が遠いので大声で頼む」
二人の間で何かが成立したようだ。
閣下から大声でと命じられたのだから、弦楽四重奏をかき消すくらいの大声でお応えしましょう。
「イヴ・クローヴィス大尉であります」
ヴェルナー大佐にふくらはぎ蹴られた!
「え、声小さかったですか?」
室内なので八割くらいで留めたのが悪かったのでしょうか。やはり十割でしたか? 鬼教官大佐どの。
「ばか、デカすぎる!」
「リリエンタール閣下が大きな声でと言ったので」
「リリエンタール閣下は、たしかに大声とは言ったが、限度というものがあるだろう!」
限度ですか? でも、こういう広い場所で声を出せと言われたら、相手の動き止めるくらい大声出せと士官学校で言われてきたので……。
「よい、ヴェルナー。わたしが大声でと命じたのだ」
「まあここはリリエンタール閣下の居城ですので、閣下がよろしいと仰るのでしたら。ですが失態は失態として注意せねば、クローヴィスが成長いたしませんので」
「分かっている、ヴェルナー。声は聞こえたな、アドルフ」
「しっかりと聞こえました」
「そうか」
「クローヴィス大尉、ありがとうございました。横を向いたままなのは、何分卑しい生まれゆえ、そのお美しいお姿をじろじろと見てリリエンタール閣下のお怒りを買いかねませぬ。故にこのままで失礼させていただきたい所存であります」
なんだかよく分からないんですが、別にこっち見なくていいですよ。
「なかなか弁えているではないか、アドルフ。だがわたしは優しいぞ、アドルフよ。不躾にも凝視したとしても、片目を抉る程度で許してやる」
「リリエンタール閣下のことです。臣の左目を抉られるのでしょう? 臣はリリエンタール閣下の気性を理解しているのではございません。そんな恐れ多いことは申しませぬ。ただ臣は弁えているのです」
何という殺伐タイム!
それともこれは、貴族らしい諧謔を弄ぶ会話というものなのですか?
……とか悩みつつ、ヴェルナー大佐の挨拶が終わり、わたしも閣下とアドルフの元を離れた。
「ふくらはぎを蹴って悪かったな」
「いいえ」
いつものコトですから、こっちも全く気にしておりません。
ヴェルナー大佐は副官のオクサラ中尉を伴い、経済関連の集団に突撃していった。お仕事頑張ってください、ヴェルナー大佐。
一仕事終えたわたしは、知り合いと話をしている父さんに呼ばれたので ―― 近づき挨拶をする。
「お久しぶりです、テグネールさん」
知り合いのテグネール夫妻とその子供たち、そして姪と挨拶を交わす。
その隣には全く知らない人……? なんだろう、どこか違和感があるが、多分知らない人三人に引き合わされた。
「やあイヴ……いやいや、ここはクローヴィス大尉だね。久しぶりだね、クローヴィス大尉」
「いつも通りイヴで構いませんよ、テグネールさん」
「この城の正客に、下働きが名を呼ぶような真似をしてはいけないさ。ここから出たら、いつも通りイヴと呼ばせてもらうよ」
正面玄関から入ると正客、裏門を通った人は招待してない客ですらないなのは分かるけれど、昔から知っている人に、そう言われるとなんとも……。テグネールさんが言っていることが正しいのは分かるけどさ。
「分かりました。ところでテグネールさん、こちらの方は?」
テグネールさんに紹介を依頼すると ―― 違和感の正体が判明した。三人の中でもっとも若い男が、我が家に配属される特殊警護員だ。




