【134】隊長、立食形式の昼餐に出席する
閣下のお城に閣下の馬がいた ―― 閣下の馬こと黄金の馬は今まで我が国にはいなかった。
その幻の馬がなんと一気に二十頭も!
色とりどりの薔薇が咲いている閣下の庭に佇む黄金の馬。青空と相俟って幻想的な光景である。
ヴェルナー大佐以下、騎兵隊の面々と共に、黄金の馬や馬術競技の雄、ハノーバー種の中でも特に血統が優れている馬たちを厩舎へと移動させた。
ヴェルナー大佐以外の騎兵隊の面々は、初めて見る黄金の馬に興味津々で、周囲を離れようとはしなかった。
気持ちは分かる。わたしも初めて見た時、吃驚したもん。
そして騎兵隊の面々は馬好きが多いからなあ。……ボイスOFFも見たら喜ぶのだろうか。
泣き声は御免だが、歓喜の声は……まあ我慢する。
「クローヴィス」
「はい、ヴェルナー大佐」
アディフィン王国で黄金の馬を見たことのあるヴェルナー大佐は遠巻きだ。
わたし? わたしも近くで見ようと厩舎に向かおうとしたところ、声を掛けられて足を止めたのだ。
「挙式の際、あの黄金の馬八頭立ての馬車で、式場へ向かうそうだ」
「え……」
誰の挙式ですか? と天然を擬態しようかと思ったのだが、ヴェルナー大佐に叩かれそうだから止めた。
黄金の馬の馬車に乗ることができるのは、閣下だけですよね。閣下の挙式ということは……わたしも……。
ヴェルナー大佐が右の口の端をつり上げて、皮肉込みとしか思えない笑みを!
いや、楽しい時、そういう笑顔になるの知ってますけれど。格好良いからその笑みも似合いますが、それよりも問題なのは八頭立ての馬車と。
それは王侯だって祝賀行事の時しか乗らないよね。たしかに結婚式は祝賀ですけれど。
「覚悟はしておけ。リリエンタール閣下は、お前の自宅にそいつで乗り付けるつもりらしいからな。仰々しい一団になるらしく、すでに道路の使用申請を取る算段を整えている。全く以て抜かりのない男だ。道路使用の関係上、騎兵隊からも何名か出して交通整理にあたらせる」
「……」
「更に言えば、直々にお前の家へ迎えに行くつもりらしいぞ」
閣下……あまりにも目立ち過ぎますって。
そうこうしていると「食事の用意が調いました」と案内されたのは、手入れが行き届きすぎている庭を眺めることができるホール。
あまり広くはない……閣下のお城にあるホールの中では小さめ。
もちろん普通に大きいよ。感覚的なものだが、バスケットコート一つ分くらいはある。
ホールなので天井にはシャンデリアが吊され、細密画で埋め尽くされている。きっと視力の悪い人には、なんだかよく見えないだろう。わたしは幸い目が良いので天井の絵も楽しめるけれど。
庭に面している方はアーチ状になっており、面していないほうの壁は総鏡張り。
後の二面はバロック様式のアズレージョタイルが貼られている。
そこに長いテーブルが置かれ、白いテーブルクロスが掛けられ、料理が所狭しと並べられており、各自好きに取り立ったまま食べるビュッフェスタイル。
会場には両親、そして意外にもデニスまでいた ―― 資料を優先して昼食を抜く性格な筈なのに。どうした! デニス。
閣下のご挨拶のあと、会食が始まるとすぐにデニスがわたしの元へとやってきて、
「姉さん。姉さんを通して資料をお借りしてもいいって! 姉さん忙しいと思うけど!」
……ああ、それか。というか、閣下の仰った通りだ。
閣下の城には鉄道や蒸気機関車に関する資料がかなりある。閣下曰く「ロスカネフで鉄道関連の資料をもっとも所有しているのは、わたしであろうな」 ―― 閣下が仰るのだからそうなんだろう。
そんな場所で少し資料を読ませてもらったからといって、満足できないのがデニス ―― 飽くなき鉄道愛を持つ弟の性格をご存じな閣下が「招いて資料を見せてから、貸し出すと約束する。その間に大尉を挟みたい。召使いのような真似をさせることになるが、いいかな?」……とね。
デニスが借りた資料をわたしが預かり閣下に直接お返しし、次に借りたいと申し出ていた本を閣下からお預かりしてデニスに渡す。
一見弟の為に大変そう……ですが、わたしとしては閣下にお会いできるので望む所!
なにより蒸気機関車を毎日見ることができる駅員だったのに、徴集され兵站部門に配属されて、日々蒸気機関車に触れられずマニュアル作成させられているデニスの労をねぎらわないとね。
「リリエンタール閣下がお許しを下さったのか?」
「うん。今日はね、資料を見るんじゃなくて、借りたいものリストを作って、一冊借りて帰る予定」
「そうか。ま、わたしはいいぞ。大好きな蒸気機関車を毎日好きなだけ見られなくて、鬱屈としている弟のためなら、そのくらいのことは苦でもない」
退庁後、駅に立ち寄り蒸気機関車を見てから帰宅しているが、それでは蒸気機関車好きには物足りないのは分かる。
「姉さん! 愛してる!」
「お前から、紛うことなき愛を感じるよ、デニス」
こうして閣下の元へと足を運ぶ理由が出来た。
休みの日とか仕事終了後に閣下の元へ通えるー。嬉しいー。
ちなみに昼食を食べに資料室から出て来たのは、カリナに「お昼の会食出席しないと失礼だよ」と叱られたからだそうだ。
しっかりとした妹で、姉さん嬉しいよ。
そのしっかり者の妹カリナは、このビュッフェ会場にはいない。
成人を迎えていない者は、身分がどれほど高かろうが、酒が提供される会食の場に招かれることはない。
この辺りの線引きは、非常にしっかりとしている。
ではカリナはどこで、どうしているのかというと ―― デニスによると「綺麗なお部屋で、執事さんが給仕兼お話相手でフルコースランチだそうだよ」とのこと。
重ねて聞いてみたところ、執事さんの名は「デ・フィッツァロッティ」。やっぱりシャルルさんか! いやシャルル殿下か!
いいのかなーと思うが、わたしがどうのこうの言うものでもないし……。家に帰ったら何を食べたか教えてもらおう。
「イヴ、デニス」
立食会場には馬の搬入を担当した騎兵隊の十二名の他、わたしの家族、あとは知っていたり知らなかったりする紳士淑女の皆様がいた。
「よお、ブルーノ。何をしに来たんだ?」
知っている紳士の一人はブルーノ。
……しっかりとした格好をしているので、一応紳士として数えてやるさ。
まだ同伴する淑女こと妻はいないけど。早く嫁さんもらえよ。そろそろ結婚しなきゃって、言ってたじゃないか。あと言わないけれど、頭頂部が……。早く嫁貰え。
「何しに来たって、それは商談だよ」
ブルーノは両親と一緒だ。
「商談なあ」
「あそこに居る、ぎらぎらに飾り立てているご婦人は、商業会議所の会頭夫人だよ」
ブルーノがこっそりと指さした先にいたのは、一年ほど前ブルーノと見合いした際にいた赤の他人なマデリンとかいう中年女性が、何も身につけていないのではと思えるくらい、宝石をぎらぎらさせた中年女性がいた。
「経済に疎いわたしでも、そのくらいは知っているよ。以前は陛下の副官していたから、見かけたことある」
わざわざ教えてくれたが、あの目立つ夫婦は覚えている。
「ところでブルーノ。あの車椅子の男性は?」
一人だけ介添人付きの車椅子で移動している中年男性がいた。彼はなんか貴族っぽいような、でも貴族じゃなさそうな。
……おや、偉いようだ。
うん、今閣下のところにご挨拶に向かったよ。
わたしたち下っ端軍人では閣下のところにご挨拶はないし、両親もこの会場で直接ご挨拶はない。
「姉さん。ピッツァっていう食べものらしいよ」
持ってきてくれたデニスから受け取り、熱々のモッツァレラチーズが乗ったピザを頬張る ―― ピッツァなのは分かるが、前世の記憶から「ピッツァ」と内心で思うのすら恥ずかしい。もちろん声に出して言う時は、ちゃんとピッツァって言うけど。
「美味いな、デニス」
「そうだね。でも人気ないみたいだよ」
デニスが指さしたテーブルには、誰もいなかった。美味しいのに。
「異国料理だからか?」
「多分ね。でもこれ、美味しいよ」
我が国のソウルフードであるサーモンのグリルと、男なら肉食うよな! と、シェフの手により目の前でステーキが焼かれているところには、軍人がたむろしているが。我が国ではあまり馴染みのないトマト系料理が並んでいるテーブルは、閑散としていた。
「イヴ。あの車椅子の人は、アドルフ・モルゲンロートだよ。商業会議所の会頭も我が家も、みんなモルゲンロート卿の取り巻きとして、リリエンタール閣下の城にやってきたのさ」
ピザを堪能しているとブルーノが教えてくれた。
一人がけの革張りソファーにタイヤを付けた車椅子に座っている、白髪が多めな中年男性 ―― 閣下の年上の甥にあたるモルゲンロート財閥の三男アドルフか。
「取り巻きって?」
アドルフも気になるが、取り巻きも気になる。
「アドルフ・モルゲンロートはリリエンタール閣下の親戚なんだよ」
「それは知ってるよ。腹違いのお兄さんがモルゲンロートの婿なんだよな」
金塊1tで婿入りしたそうですよ。
「そうそう。その関係で主従になるから、裏門から訪問することを許される数少ない人間なんだ。もっとも訪問したいと言っても、臣下扱いだからなかなか許可されないらしいんだ。それで許可が出た際には、リリエンタール閣下の役に立ちそうな者を連れて、拝謁しにお城へと上がるのさ。その役に立ちそうなのが取り巻きだよ。商人としては、モルゲンロートと縁結びたいし、あわよくばリリエンタール閣下に名を覚えてもらえる好機だから、みんな取り巻きになりたいんだ。だから苦労したよ」
そういうことか。そりゃあ商業会議所の会頭夫妻も、気合い入れてくるだろうよ。




