【133】隊長、デニスについて回想する
わたしたちは玄関ホールから移動し、壁を絵画が埋め尽くしている部屋へと通された。一人がけのソファーに座るよう指示されたので腰を下ろす。
「スパーダ」
閣下が手を叩き召し使いを呼ばれる。現れたのは燕尾服を着用した、髪や髭にやや白いものが混じっている中年も終わり頃に見える男性、スパーダさん。
「はい、閣下」
身長はデニスと同じくらいだから、男性としてはごくごく一般的だけど……顔つきから南の国出身だと思われる。となれば、生まれ故郷では背は高めなのかも。
北国育ちって背が高い人が多くて、南国で育った人は背が低めって良く言われるからね。
「挨拶せよ」
「はい。この邸の家令を務めております、マクシミリアン・スパーダと申します。以後お見知りおき下されば幸にございます、クローヴィスさま」
先ほどの執事さんと同じく深々とお辞儀を。あ、この方がもしかして執事さんが怖いと言っていた家令さんですかね?
勿論この場で聞けはしませんが。
「ご両親と大尉に話があるので、ヘル・ヤンソン・クローヴィスとフロイライン・クローヴィスには、別室にて待っていて欲しい。ヘル・ヤンソン・クローヴィスはどの資料室が好みかな」
閣下! 餌を与えないで下さい! 隣に座っているデニスの腰が既に浮きかかってます。ベルト掴んでおこう。
「どの……とは?」
「ワルシャワ、エーデルワイス、ノルディンペンタゴン、ハルプクーゲル、フェッヒャー……まあ他にもあるが」
閣下が呪文を唱えた! 呪文をまともに食らったデニスは、胸を押さえて背もたれに全身を預けてしまった。
「その五つから選べとか鬼畜過ぎる。さすがリリエンタール辺境伯爵閣下」
「失礼だぞ、デニス」
初対面の相手に鬼畜とか、本当に失礼だからな。
「気にせずとも良い、大尉。フロイライン・クローヴィス、兄が資料閲覧中は退屈であろう。邸内外で自由に過ごすがよい。ただしこの邸、少々広いのでスパーダからは離れぬように」
「はい、伯爵閣下。ありがとうございます。スパーダさん、兄共々よろしくお願いいたしますね」
デニス一人じゃあ不安だけれど、カリナが一緒なら大丈夫だろう。
そしてデニスは悩んだ末にエーデルワイスの資料閲覧を希望し、カリナと一緒にスパーダさんの案内でホールを後にした。
ワルシャワが大陸縦断貿易鉄道計画において、こちら側の国々の主要駅の頭文字を取ったもの。
エーデルワイスは同じく大陸縦断貿易鉄道計画にてルース側(現共産連邦)の主要駅の頭文字を並べたものなのは、この前教えてもらったから分かるけれど、他の三つは一体なんのことなんだろう?
……ま、家に帰ったらデニスに聞こう。
間違いなく「えー姉さん知らないの。常識だよ」などと言いながら説明してくれるはずだ。
「ご足労いただき感謝する」
「娘のことです。労などは厭いませぬ」
父さんと閣下が話始めてすぐに、執事のベルナルドさんが、ミントを飾ったレモンスカッシュを持ってきてくれた。
乗り心地のよい馬車だが、空調などはないので、長距離移動すると喉が渇くんだよね。もちろん水筒は持参しているが……しゅわしゅわして美味しい。
閣下は婚礼衣装と式場に関して両親に伝えた。
「これは執事だが司祭でもある」
シャルルさんに案内させることを告げたのだが、その際に「ベルナルド・デ・フィッツァロッティ。シシリアーナの貴族だ」と説明された。司祭の時はシャルル・ド・パレではないのですか? と思ったのだが、そう簡単に身分を明かすわけにもいかないのだろう。
「失礼いたします!」
ドアがノックされ、ドアの向こう側から聞き覚えのある大声が。
「ベルナルド」
執事さんがドアを開けると、大声の主ことシベリウス少佐が敬礼し立っていた。
「見知っていると思うが、ヨーナス・ヴァン・シベリウス少佐だ。オリュンポス馬術競技の補欠としてブリタニアスにも同行する。騎兵隊に所属し副隊長を務めている。信頼の置ける男だ。大尉、シベリウスと共に馬の整理にあたって欲しい」
「はい」
閣下と両親はまだ話し合いが続く。わたしは席を外して、シベリウス少佐と共に正面から入った偽の理由 ―― 閣下が購入なさった馬の運び込み手伝いに向かう。
閣下が購入なさった馬を搬入する日にぶつけたのですよ。馬は裏門から入るので、その辺りは混雑している……本当に混雑しているかどうかは分からないけれど。裏門も広いからね。
でもまあ、馬とか軍人や使用人が大勢いてごちゃごちゃしているので、正面から通す ―― 理由としてはおかしくなかったので、誰も不思議には思わなかったらしい。
あと搬入と説得を一度に片付けてしまうのは、効率的なことを好む閣下らしいと。閣下、何時でも完璧です。
「リリエンタール閣下だ。クローヴィスのご両親の不安を全て払拭してくださるであろう」
天井が高い閣下の城の廊下に、シベリウス少佐の声が響き渡ってます。
「そうですね。両親はオリュンポスに出場することに関しては賛成しているのですが、何分初めての所へ娘を送り込むのは、どうしても不安が勝つようでして」
デニスとカリナは「ブリタニアスに行って観戦する!」とはしゃいでいたが、両親はやっぱり「女性がスポーツ?」って、吃驚していたね。
スポーツをする女性ってあまりいないので、女性がスポーツの大会に出場するなんて思いもよらない時代なんですよ。
「ご両親も観戦しに来るのかな?」
「来るとは言っております。ただ会場で競技を見るのは、心臓に悪いとも」
「ははははは。クローヴィス大尉が失敗しないよう見守る親御さんは、緊張するであろうな」
「はい。かといって、故国で結果待ち……となると結果が届くまで時間がかかり、緊張している日が長引くので、その場で確認したいとのこと」
「なるほどなあ……ヤンソン・クローヴィス准尉がブリタニアス鉄道にて、行方不明になる可能性は?」
「それは心配ですが、帰国日までには戻ってくるかと……シベリウス少佐、弟の鉄道好きをご存じで?」
デニスの鉄道好きは士官学校の同期と上下四学年には知られていますが、シベリウス少佐は在学期間が重なったことはないから、知らないはずなのだが。
「部下が教えてくれた。士官学校の射撃大会の時、姉の勇姿の大半を見ず、ひたすら鋼索鉄道に乗り続けていたと」
誰だよ! シベリウス少佐にデニスの奇行を伝えたの!
デニスが愛しているのは蒸気機関車だが、鋼索鉄道もそれなりに好きである。士官学校は人里離れた山奥にあって、交通手段は基本鋼索鉄道。
鋼索鉄道が配備される前は馬車で、その道はまだ残っているけれど、ほとんど誰も使わない。
わたしが在学中に限っていえば、その道を使用したのは、退学になったユルハイネンくらいだったなあ。あいつ外出許可出ないから鋼索鉄道に乗れなくて、徒歩で道を下っていった ―― 体力が無駄にある士官候補生ならではだな。
そんな軍関係者のみしか乗れない鋼索鉄道だが、年に二回ほど大会があり、その時には在学している士官候補生の家族は見学しにくることができるのだ。
見学者は当たり前だが鋼索鉄道で士官学校へとやってくる。
……で、見学しにきた筈のデニスは、ずっと鋼索鉄道に乗ってた。なにが楽しいのか分からないのだが、非常に楽しかったらしい。一応決勝だけは観戦してくれていたのだが……いや、決勝観戦しなくてもいいから、ずっと乗ってていいよと思ってしまうのは、わたしが優しい姉だからではない。
「はい。本当に好きでしてね」
「悪いことではないとは思うが、歯止めがきかないタイプなのだな」
ええ。なにせ先ほども鉄道の貴公子に、五体投地してましたからね。本当に我が弟ながら……我が弟らしいんですけれどね。




