【132】隊長、カーテシーをする
親衛隊が発足した翌日、新生ルース帝国とノーセロート帝国の戦端が、フォルズベーグの大地にて開いた ―― 開戦が伝えられた頃には、学校などは既に夏期休暇に入っている。
戦況がどうなっているのか? 非常に気になるのだが、そう簡単に情報が手に入らないのがこの時代。
大方の予想通りノーセロート帝国が一週間から二週間ほどで圧勝する……懐刀中佐が撹乱しに向かっているから、長引かせるのに成功するかも知れないけれど。
そしてスタルッカ大丈夫かなあ。もうじきスパイがやってくるはず……
「そろそろ到着するよ、カリナ」
夏期休暇前の最後の公休日、すでに夏期休暇に入っているカリナと、自営業なので休暇は関係のない両親、そして休みを取ったデニスと共に、わたしは閣下のお城へと向かっている ―― 両親を呼び出した名目は「オリュンポスに関する説明を閣下が行う」です。女性を国の代表としてスポーツの祭典に送るのは初めてのことなので、両親に日程や滞在に関してしっかりと説明しなければならない……男性にはそんなことしていないのだが、初の女性代表なので、裏の事情を知らない人たちも「それは必要だろうな。リリエンタール閣下のご説明なら、ご両親も安心できるだろ」と。こういうのに直面すると、女性で代表に選ばれるって大事なんだなと思う。
「お城がいっぱい見えるのかと思ったけど、全然違うんだね、姉ちゃん」
カリナは祖父が仕立てた、小さなレースで縁取られた白襟が目を引く、膝丈の紺色のワンピースを着ている。靴は白のエナメルで薄いピンクのリボン。フリルで飾られている、踝より少し上までの白い靴下とともに、カリナの小さい足を可愛らしく飾っている。
「貴族は広大な敷地にお城を建てる。だから隣家までは遠いし通りからも離れていて、塀しか見えないんだ」
わたしは軍服。本日はキース中将の親衛隊隊長の職務には就いていないので、普通の大尉軍服で。
父さんはしっかりと正装 ―― 黒のフロックコートに、白いシャツ。フロックコートと同色のベストにベルト。濃い灰色のズボンに黒のエナメル靴。
継母も堅苦しいまでに正装 ―― 落ち着いたシックな光沢あるグレーのローブ・モンタント。庶民ですので、クリノリンとかバッスルみたいなドレスを膨らませる拘束具的なものは身につけておりませんが、手袋を嵌め、扇を持ち、帽子を被るという、なかなか大変な格好です。
ちなみにデニスも父さん同様の正装なのだが……怖ろしく似合っていない。
軍服よりはマシだけどさー。
デニスは徴集され、大学を出ているということもあり、准尉として採用されたのだが ―― 准尉の軍服が異様に似合わなかった。
軍服って男を最も格好良く見せる服じゃなかったのかよー! 叫びたくなるくらい似合っていなかった。
これを写真に残していいのか! レベルで似合ってなかった。
デニス本人も鏡を見ながら「これは危険水域」などと呟くほど
いや写真撮りに行きましたけどねー。
さらにフロックコートも似合わないって……わたし同様、似合わなくてはならない格好が似合わないとか。こういう所は姉弟だな! 血はつながってないけれど。
そうこうしている間に、ハクスリーさんが操るサスペンションが効いた馬車は閣下のお城の敷地内へと入った。それも正門から……なんか、大公妃とか公王妃が乗車しているので、裏門から入るわけにはいかないらしいのです。
「姉ちゃん、すっごい大きいお城! 白くて綺麗だね!」
「そうだな、カリナ」
お城に到着したら静かにしなくてはならないから、馬車では思う存分声を上げるといいよ。
「噴水が高いよ」
「そうだな」
それはまあ高く水が噴き出し、その向こう側のお城を幻想的にしている。ハクスリーさんは私たちの会話を聞いて馬車の速度を随分と緩めてくれた。
ありがとうございます……で、アプローチを抜けて玄関前に到着すると、きっちりとしたタキシードを着用しているベルナルドさんが数名の召使いと共に出迎えてくれた。
「執事って初めて見た」
そうだろうね、カリナ。
庶民にとっては従僕ですら珍しいものね。その上をゆく執事なんて、お目にかかれるもんじゃないよね。
「お待ちしておりました、クローヴィスさま」
直角みたいな角度で頭を下げる……王子さまなんですよね。いいのかな……。
王子で司祭な執事さんに連れられ玄関を抜け玄関ホールへ。
「閣下……」
そこには父さんと同じくフロックコートを着用した閣下がいらっしゃった。もちろんフロックコートの質は父さんのものより数段上だろう。
わたしは継母に言われた通り、デニスのベルトを掴んでいる ―― 閣下とお会いし、話ができるとなったら、デニスが奇行に走るに違いないと。というわけで腰のベルトを掴んでいるのだが、今にも閣下の元へと駆け寄りそうな感じ。さすが継母、息子のことをよく知っている。
落ち着けデニス、両親の挨拶が終わったら、次はお前の番だから。それまで待て! 待つんだ!
それでデニスの番になったのだが、
「姉ちゃん、なんで兄ちゃんは偉い人の前で寝ちゃったの?」
「会いたいと願っていた相手に会えて、あまりに感動して、ああなったんだと思う」
見事な五体投地をしていた。人は心から尊敬している相手を敬う時、自然とそういう動きになるんだろう。
「わたしも数々の平伏を受けたことがあるが、これほどのものは初めてだ」
色々と済みません閣下。
悪気はないんです! ただ本当に閣下のことを尊敬申し上げているために……そんなこと言ってる場合じゃない。とりあえず起こそう。
腰のベルトを片手で掴んで引き起こし敬礼する。
「まことに失礼いたしました」
家を出る前にちゃんと挨拶するって約束したじゃないか、デニス!
「よい。気にするほどのことではない」
いえ、気になりますから。というか、気にしないと駄目だと思います。
「申し訳ございません、リリエンタール辺境伯爵閣下を目の前にしたとき、その偉大さに全身の力が抜けてしまいまして」
わたしに吊されたまま、デニスが顔を上げて閣下にお詫びを。
いや、本当に力が抜けたのかもしれないけれど、必死に堪えろ! せめて、両足跪くくらいで持ちこたえろ。
「そうか。さてフロイライン・クローヴィス」
閣下がカリナに合図を送って下さった。
カリナ頑張って、ご挨拶するんだよ。中産階級の女子が通うマナー教室で習ったカーテシーの初披露の場としては……ちょっと相手の格が高すぎるけれど、カリナなら出来るよ!
片足を斜め後内側に引いて、もう片足は軽く曲げる ―― とはいっても、あまりに軽すぎては意味がない。背筋はまっすぐじゃないと、その体勢での握手すると、縋ってるようになってしまって格好が悪いから気を付けて。
「お会いできて光栄です。リリエンタール伯爵閣下」
「わたしもだフロイライン・クローヴィス」
閣下がカリナの手を取ってくださり……カリナ。よくできました! カリナは出来る子だから、大丈夫だと思っていたよ。
「姉さん、下ろしてくれると嬉しいな。ベルトが腹に食い込んで痛いんだ」
「ああ、悪い悪い」
デニスを大理石の床に下ろし、両親のほうを見るとカリナが無事に挨拶を終えたことに、安堵の表情を浮かべている。
無事ご挨拶終了……わたし? ああ、わたしは敬礼したからいいんだ。
軍服を着ていると、こういうとき楽だよ。
「姉ちゃんは伯爵閣下にカーテシーしないの?」
閣下への挨拶を無事に終えたカリナが、不思議そうに尋ねてきた。たしかに女性の挨拶はカーテシーだけど……姉ちゃんカーテシー苦手というか……。
「クローヴィス大尉。妹御の希望を叶えてはどうだ?」
閣下が手を差し出して来られた。若干楽しんでいらっしゃいませんか? 気のせいですか?
「では失礼いたします」
もちろんカーテシーは出来るよ。カリナと同じく習い事の一つとして、父さんがマナー教室に通わせてくれたからね。最近は中産階級の娘のほとんどが通うのさ。だから出来るのだが……。
「これは、見事だな、クローヴィス大尉」
「ありがとうございます、リリエンタール閣下」
わたしのカーテシー、姿勢は正しいのだが優雅さとは正反対。良く言われるのが「カーテシーが臨戦態勢に見える」。
たしかにこの態勢で、握手した相手を投げ飛ばすことは可能です。
実際士官学校で何度か遊びでしたことはある。
「姉ちゃん、足長……」
「相変わらず、絡まりそうな足の長さだよね」
脚の長さというより、体格が男なので、カーテシーすると妙な感じになるんだよなあ。
「これほど完璧な姿勢の挨拶を受けたのは初めてだ」
それはまあ、上流階級の女性などとは比較にならないほど、筋肉も体幹も発達しておりますので、姿勢だけは完璧なんです。
優雅さ? それは父さんが金掛けてくれたけど、全く身につかなかったよ。
そういう筋肉とか体幹とか反射神経とか腕力なんかじゃどうにもならないものは、わたしにはどうすることもできないのさ。
女性特有のご挨拶を終えた。それにしても閣下のお城の玄関ホール広いなあ。このホールだけで、我が家の一階全部屋よりずっと広いよなあ。




